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「いい?三秒ね?」
俺は頷いた。胸元にはナイフが突きつけられている。
決して、頷く以外の動作はしていけない。そう命令されたからだろうが、自分でも情けないくらい、体はすぐに反応した。
「良い子。じゃあ待っててね」
頭を撫でられた。ナイフを握っていない方の手ですら、まるで武器のように感じて怖くなる。
シチュエーションは銀行強盗。そして、犯人役の静香は俺の幼馴染だ。三秒で金庫を開けてみせる。そう豪語するシーンなのだが、奴の演技力には本当にいつも怯えさせられる。まさに今、殺されるんじゃないかと思うほど、危機迫るものを感じた。
「じゃじゃん。慣れてるんだよね~こういうの」
金庫を開け、札束を握りしめた静香が戻ってくる。ここでこのシーンは終了……。
「はいカット!いやぁ静香さん半端ねぇっすよ!」
「え、えへへ。そうかな」
静香が頭を掻いている。普段はとても大人しくて、人にナイフどころか、フライ返しすら向けないような心優しい女性なのだが、演技となると全然別人。
という事実がわかったのは、つい先日の話だ。文化祭の出し物が演劇に決まった俺たちのクラスは、日々練習に勤しんでいたが、ヒロイン役の女子が急遽転校が決まるという、極めて稀なアクシデントが発生し、代役として、静香が選ばれた。そんな流れである。
静香は最初断っていたが、幼馴染の俺から見ても、かなりの美人で、この作品を書いた委員長の金森が、「あの子の代わりができるのは静香くらいだよ!」なんて言い出したもんだから、責任感の強い静香は、渋々受け入れたのだ。
「静香。お疲れ様」
「うん。恭太も……」
「相変わらず、すごい演技だったな。マジで刺されるかと思ったぞ」
「そんな、褒めすぎ」
静香が照れている。が、褒めてるのは俺だけじゃない。例えば――。
「静香マジすげぇよ!あたしマジで尊敬する!いやマジで!」
やたらとマジマジうるさい、ギャルの小園だったり。
「だよねぇだよねぇ。僕も君にこれほどの演技力があっただなんて。とっても綺麗なお嬢さんだとは思っていたが、いやはやいつも驚かされる」
キザで、一人称が僕の徳山だったり。
「……うむ」
渋めの柔道部キャプテン、飯塚だったり。
他にも、クラスメイトのほとんどが、静香の演技を評価していた。幼馴染の俺にとっても、非常に喜ばしいことである。
練習が終わり、放課後、俺は静香と二人で帰路に着いていた。俺たちは家が隣同士で、もうかれこれ十年近い付き合いがある。
「しかし、人は変わるもんだな。静香よ」
「え?」
「あの大人しくて、引っ込みがちだったお前が……。なぁ?今やクラスの中心だぞ?凄腕銀行強盗の役って。一か月前の静香に聞かせてやったら、なんて言うんだろうな」
「えへへ……。どうかな」
控えめな笑顔ですら、妙に魅力的に見えてくるから不思議だ。演技中とのギャップが強すぎるせいで、日常の静香の見方が変わったのかもしれない。
「じゃあ、また明日な」
家に入ろうとした、その時。
静香が、俺の腕を掴んできた。
「どうした?」
俯いたまま、何も言わない。
「……静香?」
「……ふふ」
「ん?」
「動かないで」
「えっ」
静香が、鉛筆を俺に突き立ててきた。しかし、先が丸くなっている、刺されても大してダメージのなさそうな鉛筆である。
「動いたら、これで刺すよ」
……しかし、静香の演技力により、段々とそれがナイフに見えてくるから不思議だ。
って、何をしているんだこいつ。どうして今、演技なんて。
待てよ?これも練習のうちか?日常から、急に演技モードに入るための……。
だとしたら付き合わなければ。拘束された一般男性Aとして。
「やめてくれ。指示には従う。刺さないでくれよ」
「じゃあまず、こっちに来て」
実際の展開とは全く違う。俺は静香に腕を引っ張られ、そのまま隣の静香の家に引っ張りこまれた。
どうやら誰もいないらしい。そりゃそうか。いたらこんな練習しないもんな。
俺たちの演劇は、たった七分程度の短いものになっている。おそらくこの静香の演技も、そのくらいを目処として考えているだろう。
スマホを取り出し、ストップウォッチを起動した。だいたいここまででニ十秒くらい経っているから、あと六分四十秒で演技は終了ということになる。
静香の部屋に連れ込まれ、手錠で手をロックされた。なるほど本格的だ。その前にスマホを見える位置に投げ出しておいた。これで静香も時間が見えるはず。
「……」
静香は何も言わず、俺を見下ろしている。この沈黙がまた怖いんだよな。静香は顔立ちこそ整っているが、だからこそ怒った顔をした時に、言い表せないような恐怖感に襲われる。
……あと五分か。
「あと五分」
「え?」
「そう思ってる?」
静香も俺のスマホを見たのだろう。そう思ったが、どうやら違うらしい。真っすぐ俺の目を見つめている。
「わかるようになったの。演劇するようになって。時間」
「……お、おう」
「恭太」
「なんだ?」
「今日、両親は帰ってきません」
相変わらず怒ったような表情。
「そうなのか。じゃあ家で飯食ってくか?」
「食ってかない」
「今日はハンバーグだぞ多分。お前好物――」
「うるさいよ。人質が言葉を発さないで」
再び鉛筆が付きつけられる。これは演劇のセリフだ。だから俺も、一般男性Aのセリフを返そう。
「何が目的だ?」
「……」
「おい、静香?」
静香は俺に背を向け、黙ってしまった。
……セリフ、忘れたのか?
いやまさか。噛むところすら見たことないのに、忘れるなんてことがあるわけない。
だったらなんだろう。新しい演技のパターンを考えているとか?
結局そのまま、三分が経過した。
「……恭太」
「ん?」
俺に背を向けたまま、静香が話しかけてきた。
「どうしたんだ」
「恭太は、好きな人いるの?」
「へ?」
いきなりの質問。意図はわからないが、きちんと答えよう。
「いないよ。でも、強いて言うなら、今の朝ドラに出てるあの子が好きだ」
「あの子?」
「ほら。短髪の」
「あぁ……。似てないね?」
「似てない?誰に?」
また黙ってしまった。
そして、いよいよ分数を示す数字がゼロになった。
「……静香。セリフ、結構残ってるぞ。どうした?」
振り返った静香は……。表情こそ険しかったが、なぜか腕がプルプルと震えていた。
「お、おい。大丈夫か?なんか震えてるけど」
「動いたら、殺すよ」
また鉛筆を突き付けられる。ここで演技に戻るのか。
「待ってくれ。金ならある。そこの金庫に」
「好きです」
「……え?」
「好き、です。恭太のこと」
……頭が真っ白になった。
対称的に、顔は赤くなっている自覚がある。
「な、なんだそれ。急に。今は演技を――」
ピピピ。
どうやら、七分経ったらしい。
手が動かせない俺の代わりに、静香がストップウォッチを止めた。
「まず、恭太をここに連れ出す。それで手錠をかける。どう練習しても、ここは二分までしか短縮できなかった。そうすると、残された時間は五分……。その五分で、私は勝負をつける必要があったの」
「すまん。なんのことやらさっぱりで」
「……」
静香が俺の目を見ようとして、顔を背けてしまった。もう銀行強盗はどこにもいない。俺の幼馴染の、大人しくて引っ込みがちな静香だった。
「演技をするようになって、七分だけ、おどおどせずに、何でもできるようになったの。例えばレジで会計する時。服屋で店員さんに話しかけられた時。少しの時間だけど、前より私、生きやすくなった」
「おう……」
「……今なら、大好きな恭太に、告白できるかなって」
「……マジか」
「返事、は?」
「そりゃあその……。もちろんオッケーだよ」
「……良かった」
ホッとしたように、静香が息を吐いた。
「でもお前、結構長いこと一緒にいるけど、そんな素振り全くなかったのに。どうしたんだ急に」
俺がそう尋ねると、静香が怪訝そうな表情をした。
「……毎年バレンタインのチョコあげてる。クリスマスは絶対二人きりで過ごしてる。今まで一回も彼氏作ったことない。これで、どうして全然気が付いてくれないのか、不思議だよ」
バレンタインは、義理だと思ってた。
クリスマスは……。昔からの流れで、恒例行事のように思っていたし。
彼氏を作らないのは、性格の問題だとばかり。
……ずっと好きでいてくれたんだ。静香は。
「演技の力を借りないと、こんなこともできないのは情けなかった。でも、今しかないって思ったの。神様がくれたチャンスだって」
「そうか……。ありがとな。静香」
俺は、いつもしているように、静香の頭を撫でた。
「……それじゃ、今までと変わらない」
「え?」
「抱きしめてよ。恋人なんだから」
不覚にも、きゅんとしてしまった。
「……でもな静香。生憎俺の手には、手錠がかけられているんだよな」
「あっ。ごめん」
昔からドジというか。ちょっと抜けているところがある静香。
……これからは、彼氏として、支えていけたらいいなと思う。
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