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4 僕
「痛い」と短く悲鳴をあげたのは姫野だった。振り返ると姫野が正面ホールの中央でしゃがんでいるのが見えた。僕は姫野のもとに近づいた。
「どうしたの」
「トゲが刺さったのよ」そう言って姫野は僕に靴裏を見せた。赤いシューズの裏には小さなトゲが二、三本刺さっていた。僕は慎重にそれを抜く。針ではなかった。なんのトゲか考えていると、いつの間にか隣に立っていた武井が言った。
「これはサボテンのトゲだな」
「サボテン? どうしてこんなところに?」
すると武井は少しの間、目を閉じて黙り込んでから、やがて玄関の方を向いた。僕と姫野もつられる。
「さっき俺が玄関のドアノブを掴んだ時、なんて言ったか覚えているか?」
「ヌルヌルしたとかなんとか。それがどうしたのよ?」
姫野が訊くと武井は自分の手の平を僕たちの前に出した。
「どうしたのこの手?」
驚いて裏声が出てしまった。武井の手の平が真っ赤に腫れていたのだ。僕は心配したが、武井は笑って答えた。
「たぶんウルシだ。誰かが玄関にウルシを塗っていやがったんだ」
「どうしてそんなこと」
「俺たちを追い出すためだろうな」
言っている意味がわからなかった。追い出すため? 誰が誰を。
姫野が冷めた口調で言った。「ここはもう他の人の秘密基地だって言いたいの?」
武井は頷いた。
「ああ、だと思う。そう考えると玄関のウルシもサボテンのトゲも説明がつく」武井は天井をちらっと眺めてから言った。「いつかはわからない。でもこの廃館にはすでに人が入り込み、そしてここに秘密基地を作った」
「ならそいつらの秘密基地はたぶんこの廃館の一番奥の部屋だよね。そこまで近づけさせない為に、廃館のいたるところに罠を張ったのね」
だとしたら。もし仮に二人の推論が当たっているとしたら、このまま廃館を進むのは危険だ。どこに罠があるかわからない。そう思った途端、急に心細くなった。
「どうする? 先に進むか戻るか」
武井は僕を見つめた。
先に進めば危険に遭遇する。入り口でこのザマだ。奥に進めばもっと悲惨なことになるかもしれない。
でも、と思った。ここで引き下がるほど僕は賢くできていない。それに僕達のグループは負けず嫌いだ。やられっぱなしで終わるなんてありえない。
姫野は悔しそうにサボテンのトゲを細かく折っている。武井は未知との遭遇を期待して鼻を膨らませている。
「先に進もう」戻るなんて文字は、僕達のグループの辞書には存在しない。「秘密を暴いてやるんだ」
武井と姫野は力強く頷いた。僕も頷き返す。心が熱くなる。無性に走りたい気分になった。でもその気持ちを抑え込み慎重になる。僕は武井の方を向いた。
「そっちのドアはどうだった?」この廃館に入ってすぐ、僕と武井は別れて一階の左右にある扉を確認しにいった。右側の扉には鍵がかかっていた。
「開かなかったぜ」
「僕の方も。なら一階は行けるところがもうないね」
螺旋階段を見た。この廃館は三階建てだ。上の階に行くには螺旋階段を使うしかない。僕達は床にばら撒かれたサボテンのトゲを慎重に回避し、螺旋階段の下まで行った。
「僕が最初に行くよ」
僕は慎重に階段の一段目に足を置いた。手すりは持たなかった。所々錆びていたし、武井の手の平を見てからだと何かに掴まるのを恐れた。
ギシッと階段が軋む音が聞こえた。僕は慎重に足を運んだ。五段ほど登ってから後ろを振り返る。姫野が登り始めていた。僕は再び前を向いて一歩を踏み出した。
たぶんその時、慎重さを失っていた。足元にはたこ糸がのびていた。僕はそれに気づかず思いっきり踏み切った。存在に気づいた時にはもう遅かった。背後で武井が叫んだ。
「上を見ろ!」
顔を上げた瞬間、顔面に柔らかい感触を覚えた。よろける僕を姫野が後ろから押さえてくれた。僕の顔に当たったものは姫野と武井の頭上を越えてホールに落ちていった。体勢を元に戻してからホールの方を見る。
力なく横たわっていたのはネズミのぬいぐるみだった。姫野が好きな。自然と口から笑いが漏れた。
「危なかった」
「こっちのセリフだ」武井が口を尖らせた。「お前が落ちてきたら俺達が下敷きになって死んでしまう」
「ああ、ごめんね」
「気をつけてよね」背後で姫野が言った。「私の大好きなぬいぐるみが殺人で新聞に載るところだったでしょ」
そうだね。もっと慎重にならないと。僕は気を引き締めるために頰を強く叩いた。
螺旋階段には他にも二つ罠があった。僕達は二階に辿り着いた時、安堵の息を漏らした。
「どうしようか?」周りを見渡すと二階には四部屋あるのがわかった。「とりあえず入れる部屋を探そうか」
武井と姫野は頷いた。バラバラになって確認するのもよかったが僕たちは揃って一部屋一部屋ドアノブを回した。結局鍵のかかっていなかった部屋は一部屋だけだった。
「よし、中に入るぞ」そう言って、武井はシャツの裾を手に被せながらドアノブを回した。
武井が最初に、その後を姫野が続き、最後に僕が部屋に入った。
「寝室みたいね」姫野がそう言った。僕もそう思った。
部屋の大半をボロボロになったダブルベッドが埋めていた。窓はなかった。
「これ開けてみようぜ」
武井が指差したのは壁際に置かれたクローゼットだった。天井との間に蜘蛛の巣が見えた。
武井はもう一度、裾を手に被せてから慎重にクローゼットの取っ手に手をかけた。そしてゆっくりと開く。
「うわぁぁぁぁ」
武井の叫び声に遅れて、僕と姫野の悲鳴が部屋に響いた。
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