サバイブガール

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 このやり取りに対して、科学教師は何も言わない。クラスの自浄効果に期待しているのか。クラスメイトの微笑ましいやり取りに見えている節穴か。面倒事に首を突っ込みたくない事なかれ主義か。おそらく、三つ目。  いっそ全てをぶち壊してしまいたい。私の中の憎しみを全部凝縮して、坂音羽にぶつけてやりたい。けれど、私は教室で、クラスメイトの前で全てをさらけ出せるような勇気のある人間ではない。  惨めだ。けれど、この感情は初めてではない。  高校に入学してすぐ、私に目をつけた彼女は毎日のようにクラスメイトの前で私を辱めた。優等生の彼女は見た目が地味なのに勉強が得意でないのをバカにし、時にクラスの平均より少し太めの体型で運動ができないのをバカにし、時にはその容姿そのものをバカにした。自分が少し他人より見られる容姿をしているからって、神様も不公平だ。  不公平な神様に不満を言ってみたところで、何も変わりはしない。臆病者は歯ぎしりをしながら耐え、夜、ベッドで枕を濡らす。あいつさえ居なければ、と呪詛の言葉を反芻しながら。それがずっと続くものだと思っていた。  相棒と出会ったのは何の変哲もない朝。  学校に行かないとお母さんに心配をかける。そう言い聞かせて、私は通学路を歩いていた。  ふと、町内会のゴミ収集場所が目に止まった。  生活感溢れる家庭ごみの上の、静かな住宅街には似つかわしくない、黒い滑り止めグリップの付いた柄の、真っ黒な革製の鞘に入った刃物。 私は魅入られたようにじっと見つめていた。  処分に困った誰かが捨てていったのだろうか? もしかして、なにか犯罪に使われた後なのだろうか? それにしても、もう少し処分場所を考えるべきだろう。  キョロキョロと辺りを覗い、他人が居ないのを確認する。唾をごくりと一度飲み込んだ。心臓が弾けてしまいそうなくらいに早鳴るのを感じる。誰かが来ないうちにと、急いで刃物を掴んで鞄にしまおうとした。しかし、それは予想以上に重く、手を滑らせて落としてしまった。  刃物が地面に落ちた音が耳についた。誰かに気が付かれたかと焦って、私は急いで地面に落ちた刃物を鞄に押し込んで学校まで走った。体育の授業でも見せたことのない、私らしからぬ素早い動きだった。  学校での私はドキドキしっぱなしだった。クラスメイトは私が刃物を鞄に隠しているのを知らないんだという背徳感。もし先生にバレたら、退学とかになってしまうんだろうかという不安。それらが入り混じって、私の心臓は爆発してしまうんじゃないかとすら思った。  結局の所、私から話に出さないのだから、誰にも気が付かれずに帰ったけど。  急いで玄関を開け、お母さんに「ただいま」も言わずに自室へと駆け込む。階段を勢いよく駆け上がったから「こら、バタバタとはしたないでしょう」とお母さんの叱る声が階下から聞こえたけど、返事はしなかった。  自室のドアをバタンと閉める。荒れた呼吸を落ち着かせるために、二、三度大きく深呼吸をした。  少し胸の高鳴りの治まってから、私は勉強机の頑丈な木製の椅子に座った。けれど、鞄から刃物を取り出してゴトンと音を立てて机に置くと、さっきよりも鼓動は早くなった。  獣のような荒い息遣いで、生唾を飲み込みながら革製の鞘から刀身を抜く。怪しい人だ。年頃の娘がこんなことをしているって知ったら、お母さんはどう思うだろう。  黒革のドレスを脱がすと、出てきたのは、これまた真っ黒に黒光りする刀身。刃渡りはだいたい十五センチくらいだろうか。刀身の背にギザギザとした部分がついている。インターネットで調べてみると、サバイバルナイフという種類で、背中のギザギザはロープなどを斬ったりする時に使うらしい。  ふと、刀身に汚れがついているのに気がついて、私は指で撫でてみた。指先に赤黒い汚れが移った。  ――錆? いや、もしかして、血液?  思うよりも早く、私は洗面所へ走った。洗面台で刀身を水洗いし、汚れをきれいに落とす。こびり付いてはいなかったのか、スポンジで磨くと汚れはすぐに落ちた。洗い終わると錆びたらいけないと思い、タオルできれいに拭いた。  ナイフから流れ出た赤黒い液体が、排水口に吸い込まれ消えてゆく。暴力の色。  もし本当に血液だったのなら、このナイフは人を――犬や猫、動物かもしれないが――生物を刺したことがあるんだ。  ――坂音羽も刺せるかな?  頭によぎった想像を振り払うように、私は頭をブンブンと横に振った。 視界の端で鏡に写った私がニヤリと笑った気がした。  洗面所でナイフの血液汚れを落としているなんて、お母さんに見つかったら、どうにも言い逃れできなかったけど、なんとか見つからずに無事部屋に戻れた。
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