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思わず、ぽろりと本音が零れた。
すぐさま、成海は自身の失敗を悟った。
上の空でなんとなく歩いていたので、ものの見事に迷子になってしまったのだ。
それ自体は、もう何度か経験していた。今でこそひっそりとした住宅地だが、その昔糊ノ木は職人街で、狭い区画に重なるようにして問屋や工房が軒を連ねていた。その名残で、今でもひとつひとつの通りは細く、似たような曲がり角ばかりなのだ。
ご近所で遭難しかける憂き目にたびたび見舞われた成海は、帰るときはいつも「新大橋通りから三つ目の筋を右に一、二つ目を左、四つ目を右!」と呪文のように胸の中で唱えながら晴海屋ののれんを目指すのだが、今日はそれを失念していた。
(だ、大丈夫……! あそこに磯崎クリーニングがあるから目印にして、一旦晴海屋の前まで引き戻せばリセットできる……うん、へーきへーき!)
二五歳にもなってまた迷子になったという不甲斐なさを堪えながら、成海は再び歩き出す。だが――ここだと思った角を曲がれど、曲がれど、見事な浅黄色に染め抜かれた晴海屋ののれんは見えてこない。
それどころか、曲がれば、曲がるほど、
どこか知らないところを歩いているような、奇怪な不安がこみ上げてくる。
(見たことがあるはずなのに、ぜんぜん違うところのような……そ、そんなことってある? そりゃ、あたし、ちょっと方向音痴の気はあるけど……ばあちゃん家に住み始めて一か月は経つんだし、そのご近所に見覚えがないっていうのは、さすがにおかしくない……?)
そうしてかれこれ一五分以上、成海はさまよい歩いた。既に夕刻に向けて太陽は傾いていたが、日に照らされたアスファルトからはもうもうと熱気が立ち上り、身体中から汗が噴き出してくる。さきほどの水分補給では足りなかったのか、熱が内側にこもって頭をぼうっとさせた。
その段階になって、近所だからと躍起にならず地図アプリを頼ればいいのだと気づいたが、自分を責めるより先に涼を求めた。
(だめ……とりあえず、どこか、日陰を探して……)
そうしてうっそうと頭を上げると、
火照った頬を涼やかな風がひとつ、撫でていく。
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