世界に独り

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世界に独り

 それから私たちはただの同僚に戻った。  個人的に連絡することもなければ、二人きりで会うこともない。  同じ課で働いているのだから、偶然に目が合ったり言葉を交わしたりする。乙川くんはいたって自然体だ。  私は動揺を必死に隠す。  紅茶の差し入れがなくなったので、なにかあったと周りからも一目瞭然なのだろう。  浅木さんは以前にも増して、乙川くんに話しかける。  私は仲のいい女性陣から「どうかしたの?」と心配された。けれどこちらが黙り込むので、彼女らは触れるまいと決めたようだ。  課内の空気に圧迫されて、息が詰まる。  気分転換に飲み物を用意しようとして、自分のカップがないことに気付く。  そうだ、わざと割ったんだ。  自販機でカフェオレを購入したものの、いやに味気なかった。  仕事を終えて家に帰る。  前なら、彼から電話やメッセージが入るかもしれないと思って、べつべつに過ごしても独りじゃなかった。いまは――。  ぽっかり空いた穴をどう埋めればいいのか分からない。 * * *  しばらくして友人から合コンに誘われたけれど、その場で断った。  気の合う相手が見つかれば、前に進めるのかもしれない。でも同じことの繰り返しだ。  三科係長への想いを断ち切るために、乙川くんを利用した。  今度は乙川くんを忘れるために、誰かを利用するのだ。  そんなひどい真似は一度で充分じゃないか。  大切な存在を失うことが、自分への罰だと思った。  けど違う。  自らのエゴで人を傷つけるほうが耐えがたい。バカだったと反省したところで、取り返しはつかない。相手が承知の上でも。  一人で生きて、一人で死んでいきたい。歳を重ねる上でそれは無理かもしれないけれど、いまは誰とも深く関わりたくなかった。  なにも見たくない、なにも聞きたくない。  そうして過ごす夜は、気が遠くなるほど長かった。 * * *  ある日、仕事帰りに駅の近くのディスカウントショップに入った。日用品と軽めのチューハイを買って、駅に向かう。  途中で、先を行く見慣れた背中が目に入った。  乙川くんと浅木さんだ。  二人は談笑しながら一軒の居酒屋に入っていった。  私は道端で立ちすくむ。  いつか彼らが親密になるかもしれないと思っていた。浅木さんの気持ちはハッキリしているし、フリーになった乙川くんがあんなかわいい子からアプローチされて嬉しくないはずがない。  でも、こんなに早く目の当たりにするなんて。  しばらく呆然としてから我に返り、駅へと歩き出す。  頭の中はゴチャゴチャだ。  けれど、これでよかったんだ。二人が楽しそうに食事するシーンを想像して、お似合いのカップルだと思った。  乙川くんがずっとフリーでいれば、私は、彼のなかに気持ちが残っているかもしれないと期待しただろう。  私が淋しさに負けてすがったら、相手はきっと撥ねつけられない。  そうなるまえに、互いの世界は遮断された。  帰りの電車に揺られながら、連絡先を削除した。別れを告げた日にこうすべきだったのに、ズルズル引き伸ばしていた。  弱くてずるい自分。  流れていく夜景を眺める。  世界に独り、ポツンと取り残された気持ちになった。 * * *  ひとつの案件にチームで当たることになり、メンバーに私と乙川くんも選ばれた。ほかにも何人かいるけれど、私はうろたえた。  彼はとくに変わらぬ態度で「よろしくお願いします」と笑いかける。  なんとか同じように返事をした。  それでも一対一で話すときはきちんと目を見られず、隣で作業する際はひときわ緊張した。  チームはパーテーションで区切られた場所に集まっている。浅木さんの視線を感じることがないのが救いだった。自分の席に戻るときは彼女のほうを見ないようにした。  二人は兄妹のように仲良く接している。  浅木さんは私のことなどなんとも思っていないだろう。  こちらが気にするのは、心の整理ができていないからだ。
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