その手で断ち切って

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その手で断ち切って

「最近、ちょっとミスが多いよ」  三科係長に呼ばれてそう指摘され、私は硬直した。  仕事上の失敗なんて誰でもする。だから彼は「次は同じことのないように」と注意するけれど、俯瞰して叱るのは珍しい。  ここのところ、単純ミスを繰り返している。注意力の散漫だ。係長が警告しなければならないほどの。 「す、すみません。気をつけます」 「体調が悪い? 疲れて見えるときがある」 「いえ……。うっかりミスです」 「有休あるから、いちど休みを取るのはどう?」  その提案はショックだった。  いまの私から仕事を取り上げたらなにが残るの?  分かってる、辞めろと言われたわけじゃない。ちょっと気分転換してはどうか、と勧められただけ。  それでも最終通告を受けた気持ちになった。 「……はい。月替わりの作業が落ち着いたら休みます」  相手はなにか言いたげだったけれど、彼あての電話がかかってきたので「戻っていいよ」と告げた。  私は席に着いてから呆然とした。  仕事の正確さには自信があった。それが崩れている。きちんとしないと、と自らを叱咤してパソコンに向き合った。  自分がしっかりしているのかどうか、本当はよく分からない。  即座に休むべきだろうか。でもダメな状態で仕事を離れると、戻ってこれないのではという不安が先立った。  ひと仕事を終え、隅々までチェックしてわずかに肩の力を抜いた。  ミスをしないよう慎重に作業したぶん、残業を余儀なくされた。  みんなどんどん帰っていく。係長が声をかけてきた。 「根を詰めなくていいよ」 「あと二十分で片付きますから、そこまで」  彼は仕方ないなという顔をして、「お先に」と踵を返した。  帰る面々に乙川くんもいて、何人かと話しながら出ていく。  そばに浅木さんが笑顔でついている。  仕事は十分押しでなんとか終了した。  部屋に残るのは自分だけ。パソコンを落としてため息をつく。  会社をあとにし、駅までの道を辿る。それなりに人が行き交っているが、無性に心もとなかった。  電車に乗り、最寄駅で降りてコンビニで夕食を調達する。  部屋に入り荷物を下ろす。とたんになにもかも面倒になった。  食事を取ってお風呂に入り、それから眠る。そんなすべてを投げ出してしまいたい。  明日も明後日も同じことの繰り返し。  機械になってしまいたい。心なんていらない。  視界が潤んで、私は顔を両手で覆った。 「大丈夫……じゃない」  よろよろと歩き、ベッドの前で膝をついて布団に突っ伏した。  もう限界だ。 「乙川くん、乙川くん……、乙川……くん」  顔を埋めたあたりの布が濡れていく。  いつか気持ちは薄れると思ったのに、これでは前より膨らんでいる。胸を占めて破裂しそうだ。  自分から去ったのに。  彼の優しさをさんざん利用して、相手がどんな思いでそれを受け止めていたか、これっぽっちも考えなかった。泣く資格なんてない。  でも切り替えられない。乙川くんしか考えられない。  笑顔を向けられるのも、穏やかに名を呼ばれるのも、優しく抱きしめられるのも、ほかの誰かなんて想像できない。  私を見つめて嬉しそうに目を細めてほしい。それが叶うなら、ほかのことなんてどうでもいい。  彼には浅木さんがいるのに、あふれる想いを止められない。  こうなったら、乙川くんの手で断ち切られるしかない。 「そんなことを言われても迷惑です」と……。  そのあと会社を辞めよう。引っ越して一からやり直そう。  彼の近くにいてはいけない。  打ちのめされた自分に、それだけの気力が残っているかは分からないけれど、終わりにする。  泣くだけ泣いたら、疲れと眠気が襲ってきた。  服を脱いで下着姿になり、布団に潜り込んだ。明日は休日。アラームをセットする必要はない。  寝床のぬくもりに包まれるとホッとした。  心が決まったことで思考が晴れた。  週が明けたら、想いを伝えよう。  引きずりこまれるように眠りに落ちた。
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