35人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
第1章 『霞真(かずま)との出会い』
―――街の中にある路地。
「イヤ、止めてなの」
「お前、あの店でこういう事してくれる奴を探してんだろう?しょっちゅう店の周りをうろついてんじゃん。なのに、な~んで嫌がんだよ~。俺たちが相手してやるって」
「違うの~。あそこの人が、いつも食べものくれるから。だから待ってたの~。イヤだ、放してなの~」
小柄の男の子が数人の男たちに襲われていた。
「止めて~。止めてなの~、怖いから止めてなの~」
「怖い?大丈夫だよ~。優しくするからさあ。これをた~だ咥えてくれればいいんだから」
男たちは、自分の下半身にあるモノをその子の顔に押し付けていた。
「ヤダ~、汚い~。放してよ~、放して~。んん~、イヤ~」
男の子は、大きな声で叫びながら抵抗していた。
「口押さえろ。お前も、一々叫んでんじゃねえよ」
「ん~、んん~」
―――「お前たち何をしている。その子を放しなさい。どう見たって友達や恋人にする行為じゃないだろう」
他の通行人は気づいても関わりたくないからか、皆その場を通り過ぎて行った。そんな中、1人のサラリーマン風の男が助けに入った。
「うっせーな。おっさんには関係ねえだろう?こいつは友達。今はさ、友達でもこういう事する時があんの。お前からも言ってやれよ。ほ~ら~」
リーダー的存在の男が言っている間に、もう1人が見えない位置で男の子にナイフを突き付けていた。
「んん~、友達なんかじゃな~い。違うもん。違うの。知らない人なの。助けてなの…」
男の子は、ナイフを突き付けられていても助けを求めた。
その間に通りすがりの誰かが近くの店の者に助けを求めたのだろう。何処かの店主らしき人が慌てて来た。
「おい、お前ら何してる」
「ヤベェ、行くぞ」
その場に来た店主を知っているのか、男の子を襲っていた者たちが急いで逃げて行った。
「こら、待て、お前ら。――お前らみたいな奴らは二度と店に来るな!」
店主は手に持っていたものを振り上げて男たちを追い払った。店主が男たちを追い払っている間に男は襲われていた子の傍へ行き、服の汚れていた箇所を払いながら言葉を掛けた。
「大丈夫か?どうしてこんな事に…」
「あ、ありがとうなの… …」
男の子は大きな目に涙を溜めながら男にお礼を言った。そこに店主が戻って来る。
「お前、だから危ないと言ったろ?ここいらは変な奴も多い。なのにお前ときたら…。人の多いこんな時間にノコノコと」
男の子に呆れ顔を向けながら頭を撫でていた。
「だって、お腹空いちゃったんだもん…」
店主にそう話している男の子と、それを聞いている店主を見て、男は〈この2人はどんな関係なんだ?〉と考えていた。
「えっと、すみません。貴方は、この子を御存知なんですか?」
男は、この状況にどうしていいかわからず、とりあえず店主に話し掛けてみた。
「御存知っていうか、毎日うちの店に食いものを恵んで欲しいって来るんで食べさせているだけですね」
関係を聞かれ、店主はありのままを話した。
「毎日って。――なあ君。家は何処なんだい?それに名前は?」
男は店主の話を聞きながら男の子の目線になり質問をする。
「う~ん…。ずっと1人」
「ずっと?」
男は、今度は男の子の話を聞きながら店主の方を見た。
「もう3年も前ですよ。最初に来たのは」
店主は会った頃を思い出すように、腕を組みながら答えていた。
「そんな前からなのにずっとこのままなんですか?」
あまりの内容に、男は驚いていた。
〈こんな時代にそんな事ってあるのか?何処かに通報するとか警察に届け出るとか。大人なら普通するだろう…〉
「そうは言ってもねぇ。まあ、こいつにも色々あるんですよ。――お前、気を付けろよ。いつも言ってるように、時間も考えて来い。いいな?店をそのままにしているから行くな。本当に明日からは気を付けろよ。あんたも、この子が気になるのはわかるが色々あるから放っておいてやってくれ。じゃあ、俺は店へ戻るな」
店主は、それだけ言うと店へ戻って行った。
〈放っておいてって…〉
店主の言葉の意味に不快感を覚えながら、この場に残された男は男の子を見る。
「君、帰る場所はあるのか?」
「う~ん。公園?この先にあるの」
「公園?」
時計を見ると夜の10時過ぎになっていた。
〈公園って…。警察にでも連れて行くか?〉
このままここにいても仕方がない。男は少し考えてから男の子に言う。
「警察へ連れて行くから、ちゃんと保護してもらえ」
そう男が言うと、男の子は下を向き、頭を横に振った。
「どうして…。ちゃんと保護してもらえれば、ちゃんとした生活ができるんだぞ?」
何度か男の子に言い聞かせてみるが納得しない。このまま無理矢理にでも連れて行けばいいのだろうが、男は何となくそれは違うような気がした。男の子は男の上着の裾をずっと握っていた。
「仕方ない。俺んち来るか?」
そう言うと、男の子は『うん』と返事をした。
「わかった。でも、このまま連れて行くのはちょっとな。さっきの店主の店が何処にあるのか連れて行ってくれるか?」
男は、さすがにこのまま家へ連れて行くのには気が引けた。男は自分を世間体からオブラートに包むかのように、唯一この子を知っている店主に告げてから連れて行く事にした。
―――「いらっしゃ…って、あんたと、…」
店のドアが開き、ドアベルが鳴った方へ顔を上げた店主の目には、毎日店裏に来る男の子と、さっきの男の姿が映っていた。
「申し訳ない。御迷惑かとは思ったんですけど。あ~、まずは水割りくれますか?それと、君は何を食べるんだ?」
最初、カウンターへ座ろうかと思ったが、男の子はキレイには程遠いので店に迷惑が掛かるといけない。店の一番奥の端へと座った。そして、男の子がさっき『お腹空いた』と言っていた事を思い出したので、何か食べさせる事にした。
「食べてもいいの?」
「ああ。腹減ってんだろ?何でもいいから頼め」
男はメニューを見せるが、男の子は店に入った事もなければメニューの内容もわからない。困った顔を男に向けていた。
「何頼んでいいのかわからないのか?う~ん、じゃあ店主、この子に食べられそうなものとジュースをやって下さい。それと、少しお話しがしたいので時間をもらえますか?」
「それはいいけど…。――まずは注文されたものを持って来るよ」
店主は受けた注文を作りにカウンターへ戻り、作り終えるとバイトの子に少しの間、店を任せると言って2人のいるテーブルへ戻って来た。
「はい、こちらが水割り。と、お前はジュースとこれな。これなら食えるだろう?」
男の子の前には、リンゴジュースとサンドイッチが置かれた。
「さあ、食べなさい」
「いただきますなの」
男に食べられる事を勧められると、男の子は嬉しそうに食べ始めた。
―――「で、話とは何です?」
男の子が食べ始めるのを見て、店主は男に聞く。
「まずは、これ。私の名刺です。裏に個人的連絡先と住所を書いておきました。この子を今日はうちへ連れて行きたいと思いまして。――警察に連れて行こうと思ったのですが、この子があまりに嫌がるのと、怪しいと思うでしょうが、何だかそういう所に連れて行ってはいけないような気がしたものですから。しかし、このままこの子が言っていた公園に置いて行くのも危ないですし。まあ、だからって貴方からすれば、俺は安全なのかって話になるとは思いますが…。そこで、とりあえず俺の身の証明になるものを見せ、渡せば少しは違うかと思ったものですから。それで寄らせて頂きました」
正直なところ、店主も安全な人かはわからない。しかし、3年も一日に一度でも、この子に食事をさせていたのなら、少なくとも他の人よりは信頼できるだろうと思った。
「そうですか。まあ、俺もべつにこの子の何ってわけじゃないんですけどね。ただ、親もいなそうだし。それで」
「そうなんですね。それで、もう1つ話があります。――明日からしばらくの間、昼間この子を預かってもらえませんか?もちろんタダとは言いません。う~ん、シッター代?そんな感じとして。お代はお支払しますので。店の手伝いか何かをやらせながら預かってもらえませんか?私は仕事で昼間は留守にしていますから1人家に置いて行くのもね。しばらくと言っても、1週間か10日程でいいんです。俺の方の準備が整うまでという事で。序でに、その間の俺の夕飯もお願いしたい。どうせなら、ここで美味いものを食べて帰りたいので」
男の話に店主は戸惑う。
「なあ、あんた。あんたって言うか【叶城 雅哉(かのしろ まさや)】さん。本当にそこまでするのか?」
「はい」
「何でまた…。だって、さっき、たまたま通りかかっただけだろ?それなのに何で…」
雅哉の名刺を見ながら、店主はジッと雅哉の顔も見ながら聞いた。
「そうですね。自分でもそう思います(笑)。もしかしたら気まぐれだけなのかもしれない。でも、今は何かしてやりたいと思ったんですよ」
雅哉は水割りのグラスを持ち、ゆっくりと揺すりながらグラスの中を見つめ、店主にそう話した。
「そうですか。――今のところはわかりました。だけど2人に言っとく。まずは叶城さん。この子は普通の子じゃない。どんな時に出るのか俺にもわかんないんだけど、あるものを見ても絶対にどっかに置いてくるとかはしないでくれ。それを見てダメだと思ったら、必ず俺の所に連れて来てくれ。これだけは約束して欲しい。――それと、お前な。お前は、例のもん、いつでも出せるってわけじゃないだろ?もし、あれを見られて、この人の所にいられなくなっても、この人を恨むな。わかったな?もし、それができないのなら行くな」
店主は、雅哉と男の子に厳しい顔で話す。
「わかりました。何を出すかはわかりませんが、お約束します」
「で、お前は?」
雅哉の答えを聞いた店主は、男の子の方を見て聞く。
「うん。もし、また公園で暮らす事になっても平気なの」
男の子は店主の顔を見てそう言って、ニコリと笑った。
「ん、それならいい。2人とも、ちゃんと約束守ってくれよ?それと叶城さん、店主って呼ぶの止めてもらっていいですか?俺の名前は【泉水 湧士(いずみ ゆうし)】。名前で呼んで下さい」
「泉水さんですね。わかりました。これからよろしくお願いします。――じゃあ、行こうか。明日、お昼前に連れて来ます」
「11時から営業してるから10時には店にいるから。――お前、叶城さんに迷惑掛けるなよ?叶城さん、明日待ってます」
「はい。では明日。さあ、行こうか」
雅哉は会計を済ませ店を出た。タクシーに乗り、自分の住むマンションへ向かう。
「さあ、降りて」
タクシーを降り、マンションの入り口へ向かう。
「わあ~、大きいの~。こんな綺麗な所、僕入っていいの?僕が入ったら汚れちゃうの…」
入り口のロックを解除しようと雅哉が操作していると、男の子は雅哉の上着の裾を引っ張り、不安そうに言った。
「そんな事を気にしているのか?気にするな。汚れたら掃除をしてくれるから大丈夫だぞ」
「掃除?」
「ああ。汚れた所をキレイにしてくれる人がいるから大丈夫なんだ」
「へえ~、凄いねぇ…」
「よし、中へ入るぞ」
雅哉は手を繋ぎ、中へ入る。入って左側にコンシェルジュがいるカウンターがある。そこに寄り、しばらく男の子が一緒にいる事、今日は床を汚してしまうだろうからと掃除をお願いした。そして、チップを渡した。
「申し訳ない。みなさんでお茶でもして下さい」
「叶城さま。いつもお気遣い、ありがとうございます」
雅哉とコンシェルジュとのやり取りが終わると、雅哉は男の子とエレベーターに乗り、部屋のある階へと上がった。
エレベーターを降り、部屋へ入る。
「わあ。乗り物の前がお家?なの?」
「ああ、そうだよ。だから、これに乗れば部屋を間違えないですむ」
「うん。中もキレ~」
玄関へ入ると、入ってすぐの横壁に、小さなキラキラした電気が付いていた。
「宝石だあ。宝石が電気点いてるの~」
「さすがに宝石が付いている電気は持ってないなあ(笑)。これはガラスでできているんだよ」
「ふ~ん…キレ~」
雅哉の後ろで、キョロキョロしながら男の子は後を付いて行った。
「さてと。まずは風呂だな。お前はいつ最後に風呂へ入ったんだ?」
風呂の準備をしながら雅哉は男の子に聞く。
「う~ん…、わかんない。いつもは夜、公園の噴水の所で水浴びするの」
〈水浴びって〉
4月に入ったばかりの、こんな寒い季節に『水浴び』と聞いて、雅哉は男の子からの答えで胸を痛めた。
〈温かい湯に浸かった事はないのか?じゃあ、今日は温めにするか〉
男の子の肌の感覚に合わせるように湯の温度を下げ、風呂を入れた。
「さて、着替えだな」
今度はクローゼットからトレーナーを出す。
〈あっ、そうだ。下着がないな〉
服を支度している間に思い出し、コンシェルジュへ連絡をする。そして、子供用の下着を2着程、持って来てくれるよう頼んだ。その間に風呂が溜まる音楽が流れた。
「何か聴こえるの~」
風呂が溜まった音楽を耳にした男の子は楽しそうにして聴いていた。
「これは風呂に湯が溜まったと教えてくれるものだよ。さて、湯も溜まったから入るぞ」
雅哉は、男の子が着ているものを全部脱がし、自分も脱いで一緒に入った。シャワーを出し、まずは自分が身体を濯ぐ。そのあとに、男の子が怖がらないよう足元から順にシャワーで湯を掛けた。
「怖いか?」
「ちょっと…」
「そうか。じゃあ、身体だけをこれで。頭はこっちのを使うな」
そう言って雅哉は、男の子の身体をシャワーでよく濯いでから、今度は桶で湯舟の湯を頭に掛けた。
「大丈夫か?シャンプー使うから目を閉じて手で顔を覆ってろ。そうだ。上手いぞ」
髪をよく濯いでからシャンプーで洗い始めた。
「よし。頭は終わりな。次は身体だ」
雅哉は、今までまともに身体も洗ってないのだろうと、状態を見ながら男の子をよく洗った。
「熱くないか?」
「うん。温かくて気持ちいいの~」
「そうか。それは良かった。よし。君はこの中でよく温まっていなさい。今度は俺が洗う番だ」
男の子の汚れが流れた床を洗いながら、今度は雅哉が自身を洗った。
「さあて、俺も入るぞ」
自身を洗い終えてから、雅哉も湯舟へ浸かる。
「そう言えば、君は名前が無いのか?」
「うん」
「じゃあ、いつもみんなから何て呼ばれていたんだ?」
「う~んと~。お前とか、ボクとか…」
「そっか。じゃあ、名前を考えないとな」
そんな話をして、お互いに身体が温まった頃、風呂から上がり着替えをした。
「ほら。着替えはこれな。それと下着、下着っと…。あった、あった。サイズがこれで合ってるといいんだが」
さっきコンシェルジュに頼んでおいた下着が、ドアボックスに入っていたので、それを履かせた。
「どうだ?」
「うん。着れたの~」
着替えが終わった男の子を見ると、雅哉の小さめのトレーナーでもかなりダボッとしていた。
〈細いな…あのトレーナー、小さめのMだぞ。それでもあんなに大きいのか〉
雅哉が出したトレーナーは、何かでもらったものでサイズはM。MでもほとんどSに近いもの。雅哉の身長は170cm後半。自分と比べると、男の子は165cmくらいだと見た。それでもあれだけ大きいという事は、風呂で見た通り、栄養が足りていないのだとわかる。
「今日はこれで我慢な。寒くはないか?」
「うん。寒くない。ありがとうなの」
男の子は、大きな目で雅哉を見ながらニコリと笑ってお礼を言った。
「ここに座って、テレビでも見ていろ。俺はちょっと連絡する所があるから」
「うん」
男の子をソファーに座らせ、テレビを付け、男の子に見せた。その間に秘書へ連絡をする。
「俺だ。こんな時間に悪いな。明日の朝なんだが、軽い朝食を買って来てくれないか。パンと牛乳でいい。ああ。説明は明日する。頼むな」
それだけを伝え、電話を終わりにした。
「さてと。お前の名前を考えないとな。どんなのがいいか…」
雅哉は、男の子をジッと見る。雅哉にジッと見られている男の子は恥ずかしくなって顔を赤くして下を向いた。
「どうした?」
急に黙って下を向かれ、雅哉は不思議に思った。
「だって~。恥ずかしいの…。そんなに見られたら、恥ずかしいの~」
「そっか。ごめん、ごめん(笑)。でも、ほら、名前を考えないとちゃんと呼べないだろ?そうだなあ…」
〈目が琥珀色なんだな。琥珀の石言葉は…と。〔大きな愛〕〔優しさ〕。で、それに似たものが花で何かないかなあ…。優しさ、親切。何か違うなあ。目の色は考えないで…〕
「まだあ…?…」
「待って。もう少しで思い付きそうなんだ」
男の子は恥ずかしいので早く終わって欲しいとモジモジしていた。それでも雅哉はジッと見ながら考えていた。
〈そうか。カスミソウだ。この子はカスミソウなんだ。確かカスミソウは〔清らかな心〕〔無邪気〕だったか?――うん、合ってるな。カスミソウを漢字にすると〔霞草〕。この漢字を使ってっと…〉
「よし。こういうのはどうだ。【霞真(かずま)】。少し難しい字だけど。君はカスミソウに似ている。だから、そこからもらったぞ。花言葉も、清らかな心とか無邪気とかだからピッタリだ。どうだ?霞真」
やっと、自分の感性に当てはまった名前を言う。
「うん。【霞真】…。ありがとうなの。僕の名前は霞真なの~」
名前をもらって余程嬉しかったのか、霞真は自分の名前を嬉しそうに言っていた。
「よし、決まりな。霞真、俺の名前は【叶城 雅哉】」
「まさや?」
「そう雅哉。ちゃんと覚えてくれよ?」
「うん。覚えたの~。雅哉、ありがとうなの。僕に名前をくれてありがとうなの」
名前をもらった霞真は、雅哉に頭を下げてお礼を言った。その霞真の頭を雅哉は撫でていた。
この夜は、かなり遅くに眠った。ベッドは1つしかないので一緒に寝る。雅哉は寝る前に、秘書に『これから寝るから朝は9時頃に来るように』とメールをした。
★
―――「社長、起きて下さい。時間です」
秘書が約束の時間に来ていた。何度か雅哉に声を掛けながら起こす。
「ん~。もうそんな時間か…」
「それよりも、この子は何処の子なんです?」
〈――何処の子?〉
寝起きの雅哉の頭の中でグルグルと思い出す。
「あっ、そうだ。――おはよう、清華(せいけ)。悪い。この子は理由あって今日からここに住むぞ。名前は霞真だ」
「住むぞってどういう…」
言われた時間に来た秘書の清華は、いつものように雅哉を起こしに行くと、知らない小柄の男の子がベッドの上で一緒に寝ていたのを見た。しかも、雅哉がその子を抱えるようにして眠っていたのだ。昨日の一晩で何が起きたのかと驚いていた。
「いや、ちょっとある事に出くわしてな。それで。あとでちゃんと話すよ。――霞真、起きろ」
清華への説明を途中で止め、霞真を起こす。
「霞真、起きて」
「う~ん。まだ眠いの~」
ベッドの中でウニャウニャとしている霞真の布団を捲る。すると、真っ白の綺麗なフワッとした尻尾に、頭には耳が生えていた。
「はっ?霞真?これ何だ?」
雅哉は、清華と顔を見合わせて驚いた。清華にとっては、この短時間で二度目の驚き。本当に雅哉に何が起きたのか心配だった。
「ん~。これ~?――ハッ!何でもないの。何でもない。ごめんなさいなの。雅哉、ごめんなさい…」
自分の尻尾と耳が出ている事に気づいた霞真は、耳を寝かせ、目に涙を溜めながら謝った。
「霞真、大丈夫だ。大丈夫。ごめんな。俺が混乱させたんだな。ごめん。大丈夫だからな…」
飛び起きた霞真に声を掛けながら雅哉は抱き締めた。
「ごめんなさいなの…」
「いいんだ。ごめんなさいは俺の方だ。――霞真、これが昨日、泉水さんが言っていたものなんだね?」
片腕で霞真をギュッと抱き締め、もう片方の手で頭を撫でながら、雅哉は霞真に確認をする。
「うん、そうなの。これなの。――僕ね、人間なのに猫さんあるの…」
「そうか。でも、どうしてあるのかはわからないんだよな?多分」
「ず~っとあるの。でも、これを人に見せちゃうと知らない人に遠い所に連れて行かれちゃうから気を付けなさいって、お兄ちゃんが…」
「お兄ちゃん?」
「うん。お店の」
「ああ、泉水さんか」
「うん」
泉水はいつから知っているのだろう。これを人に見られれば大変な事になると知っているからこそ、あんな約束をしたのだろうと雅哉は思った。
「そうか。そうだな。人に見られたらそうなるな。家の中ならいいが外では出さないようにしないとな」
「うん…」
寝起きから色々あるが時間の事もある。ベッドから起きてリビングへ行った。
「霞真、まずはこの人を紹介するな。この人は俺の秘書。仕事で俺の世話をしてくれる人だよ。【清華 恭(せいけ たかし)】さんだ。それから清華、この子は【霞真(かずま)】。実は本当の名前はわからないんだ。だから俺が付けた。俺にしてはかなり考えたぞ(笑)。カスミソウ(霞草)から付けた。そんな感じするだろ?」
「ええ。そうですね。言われてみれば。さすが社長です。――初めまして。清華 恭です。よろしくお願いします」
清華が霞真の前に座り、挨拶をした。
「霞真です。よ、よろしくお願いしま…す…なの」
霞真も挨拶をするが、猫の耳が寝たまま、雅哉の服を掴み、怯えた感じで言っていた。
「清華。昨日な、霞真は変な者たちに絡まれていてなあ。そこを俺が通りかかったんだ。助けたはいいんだが行く所がないみたいでな。聞くと、そこの近くの公園で1人で暮らしているんだと言っていてな。ただ、ある店の店主が一日一度、食事を与えていたらしい。警察にでも連れて行こうかとも思ったんだが… …何か、それをしてはいけない気がしてな。それで連れて来たんだ。店主の話では、もう3年近くずっと1人でいるらしい。理由はわからない。おそらく店主も知らないんだろうと思う。――それでだ。今日から1週間から10日程は、昼間は店主に預かってもらう事になっている。迎えに行った時の俺の食事も序でに頼んである。その後は一緒に会社へ連れていけばいいと思っていてな。ここに1人で置いておく事も考えたが、今までの霞真の生活を考えると、俺の傍に置いて色々学ばせるのもいいかと思ったんだ。そういう事なんだ」
時間のない朝のため、かなり簡単に説明をしたが、清華は大体の事を把握しているようだった。
「わかりました。その件については、その都度、考えて行きましょう。まずは2人とも時計を見て下さい。その店主の所に寄るのであれば、早く食べて出ませんと。今日のお昼はTショップさんとの会食です」
清華からスケジュールを言われ、急いで食事をした。雅哉はコーヒー。霞真にはクロワッサンとシュガートーストを食べさせ、牛乳を飲ませた。食事を終え、泉水の店へ向かう。
「おはようございます。叶城です」
「おはようございます。どうでした?こいつ普通の生活、大丈夫でした?」
「ええ。まあ、昨日は遅い時間でしたから、風呂に入って寝たくらいだったので。あっ、そうだ。例のもの、朝見ました。霞真って猫なんですね」
今朝起きた事を泉水に話す。
「霞真?」
昨日まで名前のなかった男の子が、今朝には名前で呼ばれている。泉水は何の事だかわからず、不思議そうにしていた。
「あっ、それもですね(笑)。名前がないと言うので勝手に付けました。【霞真】です。――いいですよね?」
よく考えてみれば、霞真と泉水は3年近い付き合い。霞真と泉水の間で何かあってはいけないので確認を取った。
「本人が良ければ。俺もとくに名前なんて付けてやってませんでしたから。――良かったな、お前。名前を付けてもらったんだな」
「うん。そうなの。カスミソウ(霞草)さんからもらったの。どんなお花かわからないけど、お花さんなの。あとね、見て~。僕、お洋服ももらったの。雅哉のお洋服なの。僕にくれたの~」
昨夜、雅哉にもらった服を嬉しそうに泉水に見せていた。
「そりゃあ良かったな。で、そちらさんは?」
「ああ、すみません。清華と言います。俺の秘書です。もし俺が迎えに来れない時は清華が来ますから。清華には一応、昨夜の事は話してあります。それに例のものも見ています」
「―――初めまして。叶城の秘書をしています【清華 恭】と申します。何かあった時、叶城と連絡が付かなくても私にして下されば大丈夫ですので。こちらをどうぞ」
雅哉が泉水に話をしたあとに、清華は自己紹介をして名刺を渡した。
「こちらこそ。俺は【泉水 湧士】。ここの店主をしています。こいつ、霞真とは、食事を与える程度だったんですけど、昨日からこんな事に…。俺も霞真の事はあまりというか、全然知らないもんですから。お役に立てるかわからないですけど」
「そうなんですね。承知しました。霞真くんの事は追々考えていきましょう。それより、こちらのお店の名前【DNDC】と言うのは、どういう意味なのですか?時々、耳にする店名ですね」
「ああ。イタリア語で〔 Divertente negozio di chat 〕。日本語で〔楽しいおしゃべりの店〕って意味です。でもイタリア語だと長いでしょ。それで頭文字だけ取って【DNDC】にしたんです」
清華はやはり秘書なだけあって(外見のせいもあるかもしれないが)、初対面なのにも関わらず、泉水の態度は雅哉の時とは違っていた。
「そうなんですね。今度、私も食べに来ます。会社の女子社員たちからも美味しいと聞いた事があったもので。まさか社長のおかげで、こちらに来られると思わなかったです」
「そうでしたか。ぜひ、来て下さい。今夜でもいいですよ。叶城さんにも夕飯を頼まれていますから、清華さんも良かったら御一緒に」
泉水に誘われ、清華は雅哉の方を見た。
「清華がいいんならいいんじゃないか?」
雅哉からもいいと言われたので、清華はそうする事にした。
「では、急で申し訳ありませんがいいですか?」
「ええ。2人とも楽しみにしてて下さいね。ちゃんとお腹を空かせて来て下さい」
「はい。――それでは、社長行きましょうか」
「泉水さん、霞真の事よろしくお願いします。霞真、ちゃんと泉水さんの言う事聞いて、お手伝いしてろよ」
「うん。でも… …」
雅哉が行くと言うと、霞真が寂しそうにしてきた。
「どうした?泉水さんがいるから大丈夫だろう?」
「でも、雅哉も一緒がいいの」
「ありがとうな。でも、会社にはまだ連れて行けないんだ。ごめんな。今日から準備をするつもりだから、それまでは泉水さんの所で留守番をしててくれないか?」
「うん。雅哉、ちゃんと帰って来る?」
「ああ。ちゃんと帰って来るよ」
「ほんと?」
「ああ、本当だ。だから霞真は、泉水さんと留守番な」
「わかった。ちゃんと待ってるの」
「いい子だ。――では、泉水さん、よろしくお願いします」
霞真に言い聞かせ、泉水にもう一度頼み、店を出た。
「雅哉~、待ってなの~」
店のドアを閉めた途端、霞真が走って雅哉を追い掛けて来た。
「どうした?」
「行ってらっしゃいなの…」
そう言うと、雅哉の腕を引っ張って、自分の高さまで姿勢を低くしてもらい、そして頬にキスをした。
「霞真??」
急にそんな事をされ、雅哉は驚いた。
「エヘヘ。行ってらっしゃいなの、雅哉」
驚いている雅哉とは違って、霞真は嬉しそうに笑顔を向けてから店の中へと戻って行った。
「社長…(笑)」
雅哉と霞真のやり取りを見ていた清華は、クスッと笑っていた。
★
―――「なあ、清華。さっきのどう思う?」
「さっきのと言いますと?」
「さっきの霞真の」
泉水の店から出たあとの霞真の行動を、どう思っていいのかわからず、雅哉は清華に聞いた。
「そうですねえ。ずっと1人だと言っていましたから彼なりの信頼の表現の1つなのかもしれませんね」
「そうだよなあ…」
「でも、可愛いじゃないですか。社長が霞草をイメージしたのがわかります。男の子なのに可憐な感じがしますね。泉水さん以外とは、ほとんど交流もなかったでしょうから余計でしょうね。ところで、今いくつくらいなんでしょう。20歳前後くらいでしょうか」
「それにしちゃあ、随分幼くないか?話し方とか行動とか」
「まあ、普通に考えたらそうですけど、今までの生活と、あの貓セットを考えると、あり得るのでは?」
今朝の猫の耳と尻尾を思い出す。
「確かに…。しかし、あの猫のはどういう事なんだろうか。あんなのアニメや映画でしかないだろう?現実にいるなんて事あるのか?」
「そうですね。私も初めてな事なので答えが見つかりません。――お話しを変えますが、霞真くんをここへ連れて来るのですか?」
「ああ。そうしようと思ってる。何となくなんだが、教えれば花に詳しくなれそうな気がしてな」
「そうですか。わかりました。では、この部屋に霞真くん用のデスクとイスなどを用意します」
「悪いな。頼む」
「はい。かしこまりました」
雅哉の経営している会社は、ハーブやその他苗など、植物のショップ店をいくつも持っている。ショップの方は花屋や園芸店だが、本社の雅哉がいる所では仕入れや料理店などへの卸しを業務としている。それで、霞真の名前も花から連想していた。
―――そして夕方、一日のスケジュールを終え、霞真を迎えに行く。
「いらっしゃいませ~。あっ、雅哉~」
「ただいま、霞真。ちゃんと泉水さんのお手伝いしてたか?」
「うん。お客さんが来たら『いらっしゃいませ』って言って、お水を持って行くの。お客さんが帰ったら、お皿とかをあっちへ持って行くのね」
「そうか。――泉水さん。すみませんでした。霞真どうでしたか?」
店に入ってすぐ、霞真が雅哉の姿を見つけ駆け寄って来た。今日一日やった事を報告し、雅哉から頭を撫でられ褒めてもらっていた。
「お帰りなさい。お疲れさまです。最初は緊張してたみたいでオロオロしてたけど、少し経つと結構ちゃんとできてましたよ。変な若い奴より出来はいい。反って助かりました。特に昼の時は忙しいから良かったです」
「そうですか。それなら良かったです」
泉水からの話がいいものだったので雅哉は安心した。あとから清華も来るので4人掛けのテーブルに座った。
「霞真、着替えてきな。今日はもういいぞ」
「はいなの~」
霞真は、泉水に今日の仕事は終わりだと言われ、奥へ着替えに行った。
「叶城さん、水割りでいい?」
「うん。ありがとうございます」
霞真と清華が来るまで、雅哉は水割りを飲んでいた。着替え終わった霞真が来た。
「雅哉、ただいまなの~」
ニコリと嬉しそうな顔をして、霞真は雅哉の隣へ座った。
「お帰り、霞真。お腹空いてるだろうが、もう少し待っててくれるか?すぐに清華も来るから一緒に食べような」
「うん。清華さんどうしたの?一緒じゃないの?」
「ちょっと頼み事をしたんだ。すぐに来るからな」
清華が来るまで今日の話を霞真から色々聞きながら待っていた。
「遅くなりました」
店のドアベルが鳴り、そちらに顔を向けると清華が入って来た。
「清華、悪いな。で、どうだった。いいものあったか?」
「はい。こんな感じので良かったでしょうか」
雅哉が清華に頼んでいたのは霞真の服だった。自分よりも清華の方が霞真に合ったものを選んでくれそうな気がしたので頼んでいた。
「霞真、ちょっと立ってみろ。――うん。いいんじゃないか。サイズも良さそうだ」
清華が買ってきた服の一着を袋から出して、霞真に当てがってみる。雅哉が思っていた通り、清華の見立ては合っていた。
「雅哉~、これ僕の?」
「うん、そうだよ。霞真の服がないからな。清華に見てきてもらったんだ」
「ありがとうなの。清華さん、雅哉、お兄ちゃんに見せてくるの~」
霞真は手にしていた服を持って、カウンター奥で料理をしている泉水に見せに行った。霞真はしばらく戻って来なかったが、泉水と料理と一緒に戻って来た。
「お待たせしました。本日のパスタとピザです。それにサラダとスープ。霞真、お前にはジュースと、清華さんは本当にこれでいいんですか?酒ならありますよ?」
「いえ。私は運転がありますから。それより美味しそうです。ボリュームもありますね」
「今度、運転のない時に飲んで下さい。量は、これが売りなもんで。3人とも、たくさん食べて下さい。それと霞真の服、ありがとうございます。今まで碌な服も着てなかったですから。本人も喜んでるみたいだし。――霞真、良かったな」
「うん。大事にするの~。僕、お腹空いた~。食べていい?」
一日、泉水の手伝いをしたからか、今までよりは食べているのにしっかりとお腹が空いたようだった。
「食べなさい。いつもよりも食べていたろうに、ちゃんと空腹になってるみたいだな。良い事だね。霞真」
「そうなの?お腹空くのは良い事?」
「そうだよ。お腹が空くのは元気な証拠だから」
「うん。じゃあ、食べるのね。いただきま~す」
今まで、ほとんど食事をしていなかったり1人で食べていたので、みんなに囲まれて食べる事が嬉しいようだった。そんな霞真の事を見ながら、雅哉も嬉しそうだった。いつもと違い、楽しそうに食事をし、酒も進んでいた。
「社長、大丈夫ですか?少し飲み過ぎでは?」
普段は酔うまでは飲まない雅哉を、清華は心配になる。
「大丈夫だ。清華が思っている程は飲んでないから」
本人はそう言っているが、明らかにかなりの量を飲んでいる。泉水も見ていて心配になり、止めに入った。
「叶城さん。あんた自分が思っているよりかなり飲んでるよ。もう止めときなって」
「そうか?霞真、俺はそんなに飲んでるか?」
気持ち良さそうにしながら、霞真に聞いた。
「う~ん、たくさん飲んでるとかはわかんないけど何か違うの。ヘラヘラしてるの。雅哉、みんなが言うように、もう飲まない方がいいのね」
霞真は、雅哉の傍まで来ると顔を覗き込みながら、手にしていたグラスを取った。
「霞真。もう少し飲ませて?今日はさ、霞真がたくさんご飯を食べてくれてるから嬉しいんだよ。霞真に出会えて乾杯!」
霞真に取り上げられたグラスを返してもらって、霞真のジュースの入ったグラスに軽く打ち鳴らしていた。
「清華さん。もう連れ帰った方がいいですね。叶城さんってこんな人なの?もっと固い人なのかと思ってました」
昨日話した時とは全然雰囲気が違うので、泉水は戸惑っていた。
「今まではこんなには飲んだ事ありません…。それと、このような感じになったのは…」
清華と泉水の話しているのを聞いて、霞真は心配して雅哉に声を掛ける。
「雅哉?もうダメなの。清華さんもお兄ちゃんも心配してるの。だからもうダメ。僕も心配。ね?雅哉、もうこれダメなの」
雅哉の手にあるグラスを取り、雅哉より離れた所に置く。
「霞真、ダメ?」
「うん」
「どうしても?」
「うん…。みんな心配してるの」
「霞真も心配してくれる?」
「うん。僕も心配なの…」
「そうか。じゃあ、終わりにしよう。清華、今日はもう終わりだ。霞真が心配してるから」
雅哉から終わりという言葉が聞けて清華はホッとしてはいたが、長年一緒にいて、こんな雅哉の姿を見た事はなかった。しかも、自分と泉水の言う事は聞かなかったのに霞真の言った事は素直に聞いていた。昨日からの雅哉を見ていると、彼が何を感じて変わったのか疑問だった。
「泉水さん。私、車を回して来ますね。申し訳ありませんが、2人をお願いします」
「はい。さあ霞真、帰る支度をするんだ」
「は~い。雅哉、帰るって。ちゃんと立てる?僕に掴まってなの」
足元が不安定な雅哉を霞真が支えて外まで連れて行こうとする。
「霞真、俺、重いからいいよ。大丈夫だ。1人で歩けるから」
酔っているとは言え、霞真の事を考えると頭のどこかでストップを掛けているようだった。
バタバタとしていたが無事に車へ乗る。清華は泉水に、毎日請求書を渡して欲しいと言い、謝りながら車を走らせた。
「雅哉、本当に大丈夫?」
「ああ。平気だ」
「ならいいけど。ダメなら言ってなの」
泉水の店から雅哉のマンションまではそんなに離れていない。車だったのですぐに着いた。
「雅哉、お家着いたの。起きてなの。――清華さん。雅哉、寝ちゃったの」
途中までは起きていた雅哉だったが、いつの間にか眠っていた。
「まあ。社長、起きて下さい。着きましたよ」
清華が何度か声を掛けてみたが、返事はするものの起きない。
「雅哉、車から降りようなの」
霞真は、雅哉の腕を引っ張りながら車を降り、雅哉の事もどうにか降ろした。自分の肩に摑まらせ、ゆっくりとマンション内に入る。
「霞真くん、ここで少し待っていて下さい。車を移動してきますから」
「はいなの」
霞真はウトウトしている雅哉と、清華に言われたマンションのロビーで座って待っていた。
「雅哉、頑張って起きててなのよ?」
「ああ。それよりさ。霞真、こっち向いて」
「うん。どうしたの?」
酔いながら雅哉はずっと考えていた。自分はどうしてこんなにも霞真が気になるのかを。酒の力を借りて今試してみようと、ある事を思った。そして、自分に向くように言うと霞真にキスをした。
「ん~、雅哉~」
「しっ~。霞真、お喋り禁止」
そう言うと、今したものよりも深いキスをした。
「んん…ん~」
途端に、霞真の目がトロンとした。そして頭に猫の耳が2つ、ピョコンと現れる。
「んにゃ!!」
ロビー横には2人、マンションコンシェルジュがいる。霞真は急いで耳を手で隠した。それを見た雅哉は自分のスーツの上着を脱ぎ、霞真の頭の上から掛ける。そして、自分もその中に入った。
「雅哉、ダメなの。こういうのは好きな人としかしちゃダメなんだよ?」
「そうだな。でも、霞真は俺の事嫌いか?」
上着の中の空間で雅哉は霞真をジッと見る。
〈綺麗な目だ。琥珀色の猫目。この目を見ると堪らなくなる〉
そう思うと、再度キスをした。
その間に清華が戻って来た。
「何をしているんです?社長」
上着の中に雅哉と霞真、2人で入っている姿がある。
「ちょっとな。少し酔いも醒めたし部屋へ行くか。霞真、大丈夫か?」
清華には普通に装うも、雅哉の心内は普通ではない。それに上着をかぶっている霞真も耳を寝かせたまま何も言わずにジッとしていた。そんな霞真の事を雅哉は上着を軽く捲って覗いてみた。ジッとしていた霞真が雅哉を見る。琥珀色の猫目にキラキラした涙が溜まっていた。その霞真を誰にも見せたくないと雅哉は思った。自分だけのものにしたい。自分にしか見せないで欲しい――。こんな事は人生で経験した事がない。昨日初めて出会った霞真。名前もなく、何処から来たのかもわからず、何年も前から1人公園にいたという。不安になれば自分の服の裾を握りしめ、嬉しければキラキラした笑顔を自分に向けてくれる。まだ出会って1日目で霞真を何も知らないのに、それでもそのような感情が沸き上がってきた。
〈霞真は誰にも渡さない…〉
そう思うと、かぶせた上着にそのまま包むようにして抱き上げ、エレベーターへと向かった。エレベーターに乗ると『そのままでいろ』と霞真に囁き、部屋へ入った。傍にいる清華は戸惑ってはいたが何も言わず、雅哉の後ろを付いて行った。
部屋へ入り、霞真を寝室へ連れて行く。
「清華、悪いが、今日はこれで帰ってくれないか。色々世話をしてもらったのに申し訳ない。でも、今は…」
いつになく真剣な表情で、雅哉は清華に言った。
「はい。かしこまりました。明日、朝9時頃伺います。冷蔵庫に簡単に食べられるものが入っておりますから霞真くんと食べて下さい。今日もお疲れさまでした。では、失礼致します」
雅哉に言うと、清華は部屋を出て行った。
雅哉は寝室へ戻る。ベッドにいる霞真の傍に座る。
「雅哉?どうしてあんな事したの?ああいうのは本当に好きな人としかしちゃいけないんだよ?」
「そうだ。お前の言う通りだよ。――俺にもまだわからない。でも、そうしたかったんだ。霞真にそうしたかったんだよ。まだ一日しか一緒にいないのに変だよな。でも、それでもそうしたかった。お前を誰にも渡したくないと思っている」
そこまで言うと霞真にキスをする。
「んん…雅哉、変な感じする~。あとね、雅哉にこれされると、ここがムズムズして痛いの…」
霞真は、雅哉にキスをされたあと、自分の異変を話す。そして、自分のモノをズボンの上から指さした。
「霞真、ありがとう」
「ありがとう?僕、何かしたの?」
「キスは好きな人とするだろ?でな、それをすると男はみんなこうなるんだ」
「どうして?アッ、雅哉、触ったら汚いの~」
霞真が質問していると、雅哉が霞真のモノに触ってきた。
「汚くなんかない…」
「ん~、アッ、アッ…変な感じ…」
「それは気持ちいいんだ。されてて、もっとって思わないか?」
霞真のソレをゆっくりと手で扱く。
「気持ちいいの?僕、気持ちいいの?」
「ああ、そうだ。だから、自分が感じるままになってごらん」
「うん…んん…アッ…んん…ダメ何か出ちゃうの…ん…」
霞真は雅哉が言ったようにしているが、自分が感じた事のない感覚に襲われ、どうしていいのかわからず雅哉にしがみ付いていた。
「いいよ。そのまま出したいように…」
霞真のモノから出る透明の液でクチュクチュと音がする。その音がまた恥ずかしくて、霞真は猫の耳はペタリと寝かせていた。
「んん…出ちゃうの…雅哉~出ちゃうよ…んん…アッァァ~」
我慢していた霞真だったが、雅哉が激しく擦るのですぐに達した。霞真の荒い息が寝室に響く。
「霞真…」
達したばかりの霞真を雅哉は抱き締める。
「霞真…怖いか?」
自分の腕の中にいる霞真に雅哉は聞く。自分でもまさか、こんな事をするとは思わなかった。性の事など知らない霞真を怖がらせてしまっていないかが気になる。
「もう怖くないの。でもよくわかんなくて、それが…」
「そうか。怖がらせてごめんな。でも、誰も知らないお前の姿を見たかった。お前を俺だけのものにしたくなってしまったんだ。ごめん…」
本当は、こんな事をしたくて霞真を連れて来たのではない。もっと普通に手を差し伸べたいだけだった。しかし、酒の力もあったからか、このようになってしまった。いや、酒のせいにしてはいけない。雅哉は、そう自分の胸の内で格闘していた。
「ううん。――雅哉、ありがとうなの。雅哉には僕がどう見えてるかわからないけど、僕ね、本当は少し知ってたの。でもした事なかったから…。その先もあるの知ってるの。結婚してもいいって思う人とするんでしょ?昨日のもそう。――ちょっと驚いちゃったけど、僕は嬉しいの。雅哉になら嬉しいの」
雅哉にギュッとしがみ付いた霞真は、ニコリとしていた。雅哉は、自分の軽率な行動に霞真のその笑顔に救われた思いだった。
―――風呂に入ってから、またベッドに入る。
「今日はごめんな。こんな事、霞真は戸惑うよな。――お互い何も知らないけど、俺は霞真の事、さっきみたいな事を一緒にしたい相手だと思っていい?」
風呂に入り、かなり酔いも醒めた雅哉は、改めて霞真に自分の想いを話した。
「僕…何て言っていいかわかんない。でも雅哉とは一緒にいたいの。それにチューされてもイヤじゃなかったよ?凄く嬉しかったの。僕の雅哉なんだって思ったの。僕も…、僕もそう思っていい?」
昼間の霞真とは違う。もっと大人びた感じの空気を放つ霞真が、雅哉と同じように自分の思っている事を話した。
「ありがとう。こんな気持ちは初めてだ」
「うん。僕も。きっと神様が会わせてくれたんだね」
「ああ、そうだな。こんな普通では考えられない出会い、神様でもなければ、お互いの気持ちが同じになる事なんてないもんな」
「うん。きっとそうなの」
2人はそのあとも話をしながら過ごした。しばらく話をしていたが抱き締め合っているうちに眠りについた。
★
―――翌朝、雅哉が先に目を覚ました。昨日、清華が冷蔵庫に食べられるものがあると言っていたのを思い出す。冷蔵庫を開けると、パンや卵、ベーコンなどが入っていた。そして、車から戻って来た時にマンションロビーでサラダを買ったのだろう。それも入れてあった。
霞真が起きてすぐに食べられるようにスクランブルエッグだけ作る。
〈そう言えば、猫はバジルを食べても平気なのか?〉
スクランブルエッグにバジルを入れようと思った雅哉だったが、霞真には猫が入っている。スマホで調べてみた。
〈量を多くしなければ大丈夫そうだな。そうだ。パセリはどうなんだ?――パセリは問題なさそうだ。パセリに少しバジルを入れて作るか〉
パセリとバジルを入れたスクランブルエッグを作っていく。同時にベーコンも焼いた。
冷蔵庫には他にクロワッサンがあった。それをトースターに入れておく。火はまだ付けない。寝室へ行き、霞真を起こす。
「霞真、おはよう。朝ごはんだぞ。起きられそうか?」
布団を捲ると、耳と尻尾が出ている霞真が丸まっていた。
「か~ずま」
なかなか起きられない霞真を雅哉が優しく起こす。
「う~ん~、雅哉~」
眠気が取れないらしく、雅哉に抱き付き、頭をこすり付けていた。
少しの間そうしていたが、頭を上げ、雅哉を見る。雅哉は霞真のおでこにキスをして『ご飯だよ』と言った。
霞真は眠い目を擦りながら雅哉に手を引かれリビングへ行く。テーブルには雅哉が作ったスクランブルエッグと焼かれたベーコンが用意されていた。霞真に顔を洗ってくるよう言い、その間にクロワッサンを軽く焼いて温める。霞真用にミルクを温めた。自分にはコーヒーを淹れる。
「洗ってきたの~。雅哉、おはようなの~」
霞真はそう言うと、食事の支度をしている雅哉の頬にキスをした。
「おはよう」
雅哉もまた、霞真のそれに答える。雅哉にキスをされた霞真は嬉しそうにニコニコしていた。そのあと食事をしながら話をしていたが、雅哉は思う。
〈今日は会社に連れて行く〉
昨日の今日だからか、どうしても自分から離したくないと思ってしまう。清華や泉水に何を言われるかとも思うし、霞真を迎え入れる準備もできていないが、それでも今日は離したくはなかった。
そうしている間に清華が来た。
「おはようございます。社長、霞真くん」
「おはよう。昨夜は悪かった。かなり飲み過ぎたな」
「そうですね。社長でもあのようになるなんて思ってもいませんでした。今朝はご自分で?」
「ああ。霞真がいるからな。今までみたいにコーヒーだけとはいかないだろ?久しぶりに料理をしたよ(笑)」
雅哉は料理ができないわけではなく、仕事が忙しくなる前は学生時代から自炊もしていた。部屋で1人という事もあって、時が経つにつれてしなくなっていた。
「というか、社長はお料理をなされたんですね。知りませんでした」
「そうだったか?俺、社長になる前は結構、自炊で頑張って生活してたんだぞ。だからそこそこできるんだ」
「そうでしたか。今度私にも御馳走して下さい」
「そうだな。時間が取れた時にでも一緒に食事をしようか。――話が変わるが、今日は霞真を会社に連れて行く」
起きてからずっと思っていた事を清華に話す。
「急に、どうされました?準備がまだできていませんが…」
雅哉の話に清華は驚く。準備をしている間は泉水に預けるという話になっていたのに、急に何を言い出すかと思っていた。しかし昨夜の事もある。霞真を連れて来た時から雅哉の行動に予測が付かない。今朝のこの料理にしても、こんな場面を見せられた事はなかった。よく考えてみれば、今までは付き合った女性を部屋に入れるなどという事もした事がなかった。雅哉に付いて5年くらい経つ。その前の雅哉は既に会社に携わってはいたが、まだ学生で、雅哉の父親を介してしか接点がなかった。それに当時の清華も雅哉とは歳がほぼ同じなので、見習いまでにもなっていなかった。――大学を卒業してから今の会社を設立。学生と両立していた父親の会社を辞めて、若いのに自分だけでこの会社を大きくした。そんな雅哉だっただけに、忙しくしているところしか見ていなかった。
「ちょっと思う事があってな。今日は連れて行きたいんだ。悪いが泉水さんには今日は霞真を休みにしてもらってくれ。明日は行かせると伝えて欲しい。夕飯もいらないと言ってくれ。でも、今日の分のは食事分も合わせて請求してもらってくれ。それで頼む」
「かしこまりました」
こうして会社にも連れて行くと言い出し、もっと砕けて言ってもらえたら何か聞けたのかもしれないが、いつものキリッとした話し方で言われたので、清華は何も言えずに応えるしかなかった。
―――食事を終え、着替え、支度をして会社へ行く。車内での会話。
「霞真、耳と尻尾しまえたか?」
「うん。しまえたの。良かった~。雅哉のお家に来てから、寝てる間に何か出ちゃうのね。今まではそんな事なかったのに…」
今まではほとんど出なかった霞真の猫の耳と尻尾。出るとすれば、泉水がくれていた食事の時くらい。それも毎日ではなくてたまにだった。
「きっと、ちゃんとした所で寝ているから安心しているんだろう。外と違って誰かに襲われる心配がないからな。気が緩むんだろう。――まあ、これからは俺が襲うかもしれないが(笑)」
雅哉は最後の一言だけ、清華に聞こえないように霞真の耳元で小声で言った。その言葉をもらった霞真は顔を赤くして俯いた。
「雅哉~、恥ずかしいの~」
霞真も、清華に聞こえないように雅哉に答える。その仕草が雅哉には可愛く見える。霞真の肩を抱き、自分の方へ寄せ、頭を撫でた。
「ほんと、お前は可愛いな」
そう言って、霞真の頬にキスをした。
その部分が運転席にあるバックミラー越しに映り、清華の目にも入った。やはりそういう事かと思いながら運転をしていた。
―――会社に到着する。車を降りると霞真が上を向いて建物を見た。
「わあ~、大きいの~。雅哉、凄いねぇ。こんな大きな会社の偉い人なの?」
「建物が大きいだけだ。中身はそうでもないんだよ」
「でも大きな会社だから建物も大きいんでしょ?前に公園に住んでたおじさんたちが言ってたもん。… …僕、入っていいの?みんなに怒られない?」
こんな大きな所に自分が入っていいのか不安になった霞真は、雅哉の服の裾を掴む。
「建物が大きいから大きな会社ってわけではないよ。それに、霞真が入ってはいけない場所なんてないんだぞ。もっと自分に自信を持ちなさい。さて、行こうか」
「う、うん」
雅哉は、不安になっている霞真の手を握り、社内へ入って行く。中へ入ると社員が歩みを止め、一礼する。雅哉の横にいる霞真は、キョロキョロと社内を見渡しながら歩く。時折、自分の傍にいた人が頭を下げるので、思わず霞真も頭を下げていた。
エレベーターに乗り、不安そうな霞真に雅哉が優しく手を肩に掛けた。
「大丈夫か?」
「うん。雅哉がいるから…。でもみんなお辞儀してたの。僕も一緒にしたの」
『エヘヘ』と笑いながら霞真は雅哉を見た。社長室の階へ着く。エレベーターを降り、社長室へ向かう。部屋へ入るとデスクが並んでいた。そこには清華のような柔らかい感じの人たちがいた。
「「おはようございます。社長」」
みんな一斉に雅哉の方を向き、挨拶をする。
「おはよう。みんなに紹介するよ。霞真だ。俺にとって大切な人だからそのつもりで。理由あって知らない事が多いんだ。何かの時は頼むな。あっ、それと、1週間か10日したら霞真もここに出社するようになるからそのつもりで。では業務に戻って下さい。今日もよろしくお願いします。それと、清華は一緒に来て」
「はい」
みんなに霞真を紹介し、社長室へ入る。
「凄いねぇ。雅哉のお部屋なの?」
「そうだよ。俺はここで仕事をしているんだよ。まあ、清華もほとんど一緒にいるけどな。今日は霞真も一緒だ」
「僕も?難しいのはわかんないの…」
「大丈夫。霞真ができそうなのをお願いするから。――ところで清華。君に報告する事がある。霞真との事だ。気づいているだろうが、何て言っていいだろう。言葉では上手く言えないなあ…。一昨日の今日でおかしいと思うだろうが… …その…うん…霞真をな…なんだ… …」
いざ清華に伝えようとするが、恥ずかしくてなかなか言葉にできない。それを聞いていて、痺れを切らせた清華が言う。
「はあ、恋人ですか?年下の」
クスリと笑いながら雅哉を見た。
「笑わないでくれ。まあ、そうなんだが…なんだ…そうハッキリ言ってもいいもんか迷ってな」
「そうでしたか。――霞真くん、いいのですか?まだ2日しか経っていませんし、何よりこう見えて社長はおじさんの域に入りかけてますよ?霞真くんなら、もっと歳の近い方がいいのではないですか?それに、よく知らない人とで大丈夫ですか?社長も、霞真くんの本当の年齢を御存知ないのでしょ?未成年だと、場合によっては犯罪になってしまいますよ?」
雅哉を信用してないわけではないが、清華は笑顔でいながらも一応、常識的な面の話をした。
「あのね、清華さん。ありがとうなの、心配してくれて。でもね、僕は雅哉を危ない人とは思ってないし、思えないの。だって、こんな僕をあんな綺麗なお家に入れてくれて、こんな大きな会社にも連れて来てくれてる。お兄ちゃんにもちゃんとお話しするし。それに清華さんがいるでしょ?だから…。あとね、僕、雅哉が大好き。昨日ね、雅哉とずっとギュってしてたの。チューもしてもらったの。その時ね、凄く安心したの。雅哉に助けてもらった時の人たちにはそんな風に思わなかったのに。それにお兄ちゃんとも、そういう風にされたいって思った事がないの。でも雅哉は違うの。いつも一緒にいたいし、ギュッとしてもらいたい。こんなの僕、初めて…。だからね。清華さん、僕、雅哉の傍にいたいの」
清華の話を聞いて、霞真は自分の想いを話した。雅哉が最初に言っていた通り、他の人から見たら一昨日の今日でこのような事を言うのはおかしいかもしれない。でも雅哉だけではなく、自分も同じように想っている事を清華にはわかって欲しかった。
「そうですか。――霞真くんは偉いですね。社長よりもしっかり自分の事をお話しできて。社長はどうですか?今ならお話しできますか?」
清華は、揶揄うように雅哉に話を振る。言われた雅哉はバツが悪そうにしながらも口を開いた。
「そう言うなよ…。確かに清華が言うように霞真の本当の年齢を知らない。体型を見ても20歳を超えていればいいが、もしかしたら違うかもしれない。でも、それでも一緒にいたいんだよ。今まで、このように思った事がないんだ。もちろん、これからどうするか色々と調べ、考えて行くし、会社に迷惑がかからないようにする。社会的にも考える。だから清華、お前には認めて欲しい。お願いします」
雅哉は真剣な表情で清華に言った。これから問題も出てくるだろう。それでも霞真とは一緒にいたいし、清華には認めてもらいたいと改めて思っていた。
「わかりました。人の恋路を邪魔する輩は何とかとも言いますし。仕方ありませんね。その代わり約束をして下さい。――まず、朝はきちんと食事をして下さい。今日のようにです。社長は今まで朝はコーヒーだけでした。そのおかげで忙しい時など倒れた事が何回もございます。でもこれからは霞真くんもいます。今までのような事ではいけません。社長が倒れたら霞真くんはどうするのですか?ですからきちんと朝は食べて下さい。霞真くんも、社長がきちんと朝を食べるよう、お願いしますね。――次に霞真くん。霞真くんにはここでも社長の身の回りのお世話をお願いします。このような感じの方ですから、私は傍を離れらません。そのせいで他の業務を先程の方たちに全てお願いしている状況です。ですので、霞真くんにはそれをお願いします。社長は仕事に夢中になってしまうと休憩も忘れてしまいます。午前中は良いとしても、午後は必ず休憩を入れて下さい。お願いします」
清華からの約束に、雅哉も霞真も返事をした。
話が終わると、雅哉は自分の仕事を始めた。書類に目を通し、パソコンで何かを調べたりしながら誰かと電話をする。
「雅哉、大変そうなの…」
雅哉の仕事ぶりを見た霞真は、ジッとその姿を見ていた。
「いつも、こんな感じなんです。ですから霞真くん、先程の件、お願いしますね。そして霞真くんにはこちらを見ていてもらいましょう」
清華が霞真に渡したものは、世界中の花や植物が載っている本だった。
「まずは、こちらを見てて下さい。できれば覚えて欲しいのですが、今は見て下さればいいです」
「うん。綺麗~。色んなお花があるんだねぇ。公園にもたくさんあるよ。偉い人たちが植えたのもあるし、自然に生えてるのもあるの。あと実になる木もあるよ。だけど、本にはもっとあるね~。これなんて見た事ないの」
最初は清華に話をしていたが、段々と無言になり、夢中になって見ていた。清華は霞真をそのままにして部屋をぐるりと見渡してから、ドアの向こうの秘書課の方へ行った。
朝の一通りの連絡を終えた雅哉は霞真の姿を探した。少し離れた場所にあるソファーに座って本を読んでいた。イスから立ち上がり傍へ行く。そっと、霞真が読んでいるものを覗いて見ると、花と植物の図鑑に近い本だった。
〈清華が渡してくれたんだな。こういうのを見せたらどんな反応をするかと思っていたが楽しそうに見ているみたいで良かった〉
雅哉が見せたいものが清華にもわかっていたらしく、渡していたので有難かった。それに、花などに興味がなかったらどうしようかとも思っていたので、真剣に見ている姿を見てホッとしていた。しばらく様子を見ていたが、それを霞真が気づいた。
「エヘヘ~。清華さんに借りたの。色んなお花さんが書いてあって楽しいの。ねえ、雅哉のお仕事はお花のお仕事なの?」
いつから自分の傍にいたのか。雅哉が傍にいたのを気づいた時、霞真は少し恥ずかしかった。
「そうか。読んでて退屈してないか?」
「ううん。楽しい」
「うん、良かった。俺の仕事はな、この会社の系列の花屋さんや園芸店へ卸す花や植物を買い付ける段取りをするんだ。その契約ができたら会社の他の人たちが毎日買う段取りをして、各お店に送ってもらうようにするんだよ。国内のものは会社の人たちに任せる事が多いけど、海外のものについては俺がほとんど1人でやってる。そういう仕事だ」
「ふ~ん。何だかお話し難しい…。ごめんなさいなの、雅哉。僕は頭が良くないから…」
雅哉の説明の途中から理解ができなくて、霞真は悲しい顔で謝っていた。
「そんな顔しないでくれ。わからなくて当然なんだ。俺だって時々、自分で何をやっているかわからなくなる時がある。それにな、少しずつわかるようになるから。まずは、世界中には色んな植物があるっていうのを知って欲しい。――カスミソウ(日本字…霞草)。この霞草から霞真の霞の字を選んだんだよ。霞真は霞草のように小さいけど可憐で、でも力強い。そう、俺には見えたんだよ」
霞真に説明すると、雅哉は自分の足の上に霞真を乗せた。
「雅哉?」
「ん?」
「ううん。ギューしてもいい?」
「ああ」
少し不安を見せた霞真。雅哉に抱きついて、その不安を取り除いていた。
「大丈夫か?」
「うん。雅哉。…フフッ…ん~、雅哉~」
霞真はやはり猫。雅哉にしがみ付くと、途端に猫の耳と尻尾が出た。そして音までは聞こえないが、猫特有のゴロゴロ音が聞こえるかのようにすり寄ってくる。
「霞真…お前は可愛いなあ。俺もギューしていいか?」
「うん。ギューして~」
雅哉が抱き締めると、嬉しそうに耳をピクピクとさせ、尻尾を振っていた。
―――コン、コン
「失礼します。社長、…」
清華が何か用があったらしく、いつものように入って来る。すると、正面に座っているのかと思った雅哉が、横のソファーで霞真を足に乗せ、2人で抱き締め合っている姿が目に入った。
「あ、悪い。霞真と仕事の話をしていてな。でも途中から霞真の頭の中が一杯になってな。それで少し休憩がてら労っていたんだ」
「それはわかりますが、ここは会社です。私以外の者が入って来たら驚きますから控えて下さい。そういうのは御自宅へ戻ってからお願いします」
清華からのお叱りを受け、霞真は雅哉から降り、雅哉は自分のデスクに戻った。
「社長…。お気持ちはわかりますけど、ここでは我慢して下さいね」
「はい…。すみません。――で、清華は何を言いに来たの?まさか、俺たちを見に来たわけではないよね?」
なかなか本題を言わない清華に、さっきのをやり返すかのように聞いた。
「うふん。では仕事に戻ります。先程〇社から連絡がありまして――」
雅哉に皮肉を言われ、少しカチンとしながらも、清華はメモをしたものを見ながら雅哉に要件を伝えた。
「そうか。やはり見に行って来ないとダメか。まあ夜にでも連絡してみるよ。今はなるべく国内を離れたくないからね」
「国内ではなく霞真くんですよね?」
「・・・・・」
清華がちょいちょい何かやってくるが、雅哉は答えを返さずに黙っていた。
〈何とでも言ってくれ〉
―――今日は霞真もいるからか、珍しく社長室にいたまま昼食もここで摂り、午後も同じような感じで1件の連絡以外の仕事は終えた。
「さて、霞真帰ろうか」
パソコンの電源を切り、デスクを片付けてから霞真の傍へ行く。
「もう終わりなの?」
「そうだよ。今日の会社での仕事は終わりだ。霞真はまだ読みたかったのか?」
「うん。面白いの。綺麗だし。見ているだけで楽しいのね」
「そうか。その本は家にもあるから、帰ってからまた見るといい」
「本当?――お家でも読む~」
家にあると聞いて、霞真は読んでいた本を雅哉に渡した。
霞真も帰る支度ができ、会社を出る。車に乗り、マンションへ帰る。
―――「お荷物はこちらに置いておきます。明日も朝9時頃にお迎えに上がります」
「悪いな。それと、今日一日付き合わせて申し訳ない。でも、清華にはちゃんとわかって欲しいから…」
「はい。わかっていますよ、社長。貴方はずっと1人で頑張って来られました。もうそろそろ、社長を見てくれる方を傍に置いてもいいかと思っていましたし。ただ、あまり独占しますと霞真くんが窮屈になってしまいますから。お気を付け下さい(笑)。では、私はこれで」
清華は、最後はニヤリとしながら話をした。
「そう言ってもらえて良かったよ。〇社へはあとで連絡するから。――それとな、」
雅哉は清華を別室へ連れて行き、小声で言う。
「霞真の事、少し調べてもらえないか。何年も公園にいて誰も保護をしなかったのが気になる。普通に考えても誰にも見られないようにいるのは難しいし、霞真の話の中には生活困難者たちとも付き合いがあったみたいでな。それに3年前って言えば、ほら、世界中を騒がした事件があっただろ?厚生大臣の亡くなった娘の夫が変な研究してて、孫も実験台になってたって事件。あの猫の付属。あの事件の孫は確か鳥が入っていて、旦那さんになった人も何かがあって同じ鳥が入った人間になったって。あんな感じの子で、猫耳だの尻尾がある子が1人ってどう考えてもおかしいし、何より似てるだろ?その人たちに。俺も調べてはみるが清華にも調べてもらいたい。仕事を増やして申し訳ないが頼むよ」
「はい。かしこまりました。確かに、そのような事件がありましたね。調べてみます。わかり次第、ご報告致します。では、その件についてはそういう事で。あとは〇会社に連絡をお願いします」
「うん」
2人で話が終わると、清華は帰って行った。
清華が帰ったあと、霞真と夕飯を作った。
―――「さあ、できたぞ。食べようか」
雅哉は何を作ろうかと考えたが、泉水の所ではイタリアンになるので、敢えて今日は和食にした。材料は1階のコンシェルジュに聞いているとあったので、それを買って作る事にしたのだ。
このマンションのコンシェルジュと言われる人たちは、ロビーの受付みたいな所にいて、人の出入りの確認はもちろん、宅配などの受け取り、保管をしてくれている。その他に、食材や雑貨、簡単な衣類などをスーパーやコンビニのように買う事ができる。部屋からも内線で連絡をすれば部屋まで持って来てくれるのだ。
「霞真、これは和食な。泉水さんの所では洋食になるから、ここではなるべくこういう和食にしようかと思ったんだけど、霞真の口に合うか?」
「さっき食べた時、美味しかったの~」
霞真は、料理の途中で味見をした時の事を言った。
「そうか。もし、食べてみて苦手なものがあったら教えてくれな」
「うん。食べてもいい?」
「ああ。食べよう。いただきます」
「いただきま~す!――ん~、美味しいの~。和食って、優しい味がするの~」
「そうか。それは良かった。たくさん食べなさい」
「は~い」
霞真は猫が入っているので何を食べさせて良いものか迷った。本来、猫にはネギ類はダメと言われているようだったが、泉水に確認すると、何でも食べていたし、それで具合が悪くなった事もなかったので、おそらく何を食べても問題ないだろうと言われていた。なので、今夜は肉じゃが中心に考えて作った。
〔肉じゃが、ほうれん草のお浸し、小エビと人参のかき揚げ、大根の漬物〕が今日のメニュー。
〈俺は日本酒でも飲むか〉
久しぶりにしては品数多く作れたので良かったと雅哉は思いながら食べていた。
食事も終わり風呂にも入って、ゆっくりな時間を過ごす。霞真は花の図鑑がいいらしく、雅哉に借りて見ていた。雅哉はさっき清華に話した3年前の事件を調べる。
〈う~ん…。『厚生大臣の娘の夫、H容疑者。人間に動物遺伝子を組み込み、動物の特性を人間に――』これだな。『現在、H容疑者の息子Yは、ある大手企業の元副社長と結婚。M病院の職員専用マンションにて生活。同病院、副院長の口利きで新しく仕事をしているよう』――そうか。このM病院へ行けば何かわかりそうだな。その前に、霞真にもう少し教えてもらわないとな〉
パソコンで見ていた記事をコピーする。そして本を見ている霞真の横に座った。
「霞真、少しいいか?」
「うん。な~に?」
「あのな。きっと話しづらかったり、思い出したくなかったりするかもしれないけど教えて欲しいんだ。色んな感情が出たり、不安になったりするかもしれないけど、これだけは覚えていて欲しい。過去にどんな事があったとしても俺は霞真の傍にいる。絶対に離れたりしない。それだけは覚えていて欲しい。わかったか?」
「はいなの」
雅哉が今までで一番真剣な顔をして話をしてくる。『過去に――』の言葉で雅哉が何を知りたがっているのか。霞真は何となくわかった。
「霞真はずっと公園で暮らしていたって言ってたけど、その前は何処にいたんだ?」
「・・・・・」
「もしかして、Hさんっていう人の研究所?」
雅哉が『Hさん』『研究所』という言葉を出すと、霞真はビクッと怖がり始めた。雅哉がすぐに抱き締める。
「大丈夫。俺が傍にいるからな。――霞真はそこにいたんだね?」
「うん。僕たちはあの研究所で育ったの。でも、ある日、ゼロが逃げ出して、しばらくすると偉い人たちがたくさん来たの。捕まった人、僕みたいに逃げた人、みんなバラバラになっちゃったの。僕はたくさんの人が怖い言葉で大きな声で言ってるのが怖くて外に逃げたの。でも初めてのお外でね。どうしていいかわからなくて。気づいたらあの公園にいたの。それからずっと1人。僕たちはご飯は食べないの。サプリとお薬だけ。でも研究所から僕は逃げちゃったからサプリもなくて…。お腹空いちゃって。でも、その時はお腹が空くっていう事がわからなかったの。その時に、お兄ちゃんに会ったの。お兄ちゃんがパンをくれたの。美味しかったんだあ。初めて食べたよ、パン」
研究所から逃げ出してから泉水と会った時の事を話した。
「そうか。泉水さんに会えて良かったな」
「うん。それから、人の少ない時間にお店の裏に行くと、ご飯食べさせてくれたの」
「なあ、話の中に出てくるゼロって誰なんだ?」
「H所長の息子さんだって言ってた。研究の最初のお兄ちゃん。僕たちには名前がないの。番号なの。僕の番号は8番。でもゼロには名前あるって言ってた。けど番号で呼ばれてた。ゼロはね、所長の息子さんだけど、僕たちよりも色々されてたの。どんな研究も一番最初にされるの。可哀想だったの。僕たちには優しかったんだあ。あとね、ゼロのクローンがいるって研究所の人たちがお話ししてたのを聞いた事あるの。クローンってね、ゼロと同じ人間なんだって。ゼロの細胞から作るって言ってた」
1つの事を話し始めた霞真は、思い出しながら次々と雅哉に話し始めた。
〈クローン…。そんな事もやっていたのか〉
霞真の話を聞けば聞く程SF映画のようで、雅哉は現実には思えなかった。
「色々、話してくれてありがとうな。イヤな事をたくさん思い出させて悪いな。そうかあ。研究所にいたのか。サプリだけだったのに、よく食べものが食べられたな。その時、体調を崩したりとかはなかったのか?」
「うん。お兄ちゃんが毎日見に来てくれたの。もしお腹とか痛くなったら、お店に来なさいって」
「そうだったんだね」
「うん」
やはり、あの記事に出ていたHの研究所から逃げ出した子だった。記事にはゼロと呼ばれるHの息子は、今は普通の暮らしをしているようだ。彼も研究所を出てから色々あったようだった。今は夫となっている人も色んな事に巻き込まれて、霞真やゼロと呼ばれていた子と同じような変化をしているらしかった。彼らがいる病院のマンションなどの事も詳しく載っている記事を見つけた。ゼロの夫の友人のM氏の病院だと言う。それに、その友人の恩師だという医師も一緒に住んでいるようだった。できる事ならば、明日その病院に連絡を入れてみようかと雅哉は考えていた。
「霞真、色々ありがとうな。話をして疲れただろう?ココアを飲むといい」
雅哉は温めのココアを作り、上にはマシュマロを浮かべた。
「わあ~。甘い匂いがするの~」
カップの中のココアの匂いを嗅いでから、一口飲む。
「甘いねえ~。美味しいの~」
「喜んでもらえて良かった。ゆっくり飲んでてな。俺は1本電話をするから」
そう言うと、雅哉は昼間、清華から言われていた海外の会社へ電話をした。日本の言葉ではないもので話をしている。そんな雅哉の姿を霞真はジッと見ていた。
―――電話をしている最中、霞真の視線が来る。霞真を見ると、やはり自分をジッと見ている。スマホを耳に当てながら霞真の傍に寄り、頭を撫でる。撫でられた霞真の頭から耳が出て、気持ち良さそうな表情で見上げてくる。そんな霞真の表情に、電話の向こうの相手には見えない微笑みを霞真に見せた。
1時間程して電話が終わる。大きく一呼吸してから霞真の方を見て、抱き締めた。
「ん~、疲れた~。さすがに日本語じゃない1時間の電話は疲れるな」
そう言いながら霞真にキスもする。
「霞真~、少し充電させて欲しい」
霞真を抱き締めたので、霞真も雅哉をギュッとした。
「エヘヘ~。雅哉~、ギュ~」
〈この表情、癒されるなあ…〉
「霞真、ベッド行こうか」
「はいなの」
霞真の返事を聞いてから、雅哉は霞真を抱き上げ、寝室へ行く。
「霞真…」
ベッドに寝かせた霞真の上から、雅哉はキスをする。初めは軽く、次に霞真の口の中に自分の舌を入れた。霞真の舌に絡め、時々、霞真の舌を吸う。そうすると、霞真の猫の耳が倒れていく。その代わりに尻尾が少し上向きになる。
「んん…」
霞真の甘い声が漏れ始める。それが合図だというように、雅哉はその先に進む。霞真の首や耳、色んな所にキスを落としていく。
「ンアッ…雅哉~」
「ん?怖いか?」
「ううん。でもね、変な声出ちゃうの…」
「変じゃないぞ。可愛い声な(笑)。俺に、その声をもっと聴かせて」
「んん…可愛くないの~、アッ…」
雅哉の言葉の意味を考えようとする霞真だったが、頭の中がピリピリして何も考えられない。
「アッ…ンアッ…」
「霞真、今日は少し先に進んでもいい?」
「先?わかんない~、アッ…アッ…」
わかんないとは言っているが、いい声を出すので雅哉はそのまま続ける。――霞真のズボンを脱がし、モノを優しくゆっくりと扱く。霞真は更に甘い声を出す。今度はそれを口でする。最初は先だけをチロチロと舐め、次にその周りをペロリと舌で一周舐める。
「ンアッ…アァ…」
「霞真のこれ、硬くなってる。そのまま自分の感じるようでいいぞ」
霞真の反応を見ながら先に進める。途中のくぼみの所まで口に含み、下で舐め、吸う。唾液が増えてきたところで、それを使いながら口の奥まで霞真のモノを含んだ。
「アァ…んん…」
含んだあと、ゆっくりと上下に動かす。そして、その部分と後ろの境を指でなぞった。
「アァ…ンアッ…アッ…ダメ…出ちゃう…それダメェ~」
指でなぞられ始めると、霞真は一気に上り詰め、達した。『ハァ、ハァ』と荒い呼吸をしながら天井の一点を見ていた。その間に雅哉は、ベッドの引き出しからローションを出す。冷たくないように手の平に垂らし、手の中で温める。呼吸が整ってきた霞真に、再度深いキスをする。一度達した事もあり、猫目のままトロンとしている。それを確認すると、手の中で温めたローションを霞真の後ろに塗った。
「アッ…そんなとこダメなの…そこは…」
まさか、普段出す場所に何かを塗り込んでくるとは思わなかった。霞真は慌てて身体を起こそうとする。
「霞真、大丈夫だよ。男同士では、ここを使うんだ。だから大丈夫。怖いならこうしようか」
少し怖がる霞真を片腕で抱き締め、後ろをもう片方の手を伸ばしながら解す。
「これならどうだ?少し違うか?」
「うん。ありがとうなの…アッ…んん…ンアッ…雅哉~」
「ここか?」
霞真の良さそうな所を見つけ、そこを攻める。
「アッ…んん…んん…アッ…アッ…んあ…ヤッ…」
雅哉が攻めると、自分でも出した事のない声が漏れ出てくる。
「ヤッ…そこダメ…アッ…アッ…んん…ダメ…何か変…アッ…アッ…アァ~」
大きな声が叫ぶように出ると、霞真の身体が大きく跳ねた。さっき出したばかりの霞真のモノから、再び白液が勢いよく飛び出した。
荒い息も再び起こり、天井を見つめ、半分瞼を閉じていた。
白液が掛かった霞真の腹の上を拭く。そして、入り口を慣らすように、雅哉は自分のモノの先だけを当て、そこだけを擦るように少し出し入れする。自分と霞真が繋がるのを見ながら、霞真の表情も見る。
〈霞真の中に入りたい…〉
そう思いながらも、慌てず我慢しながら霞真の様子を見る。
少しずつ覚醒していくのか、霞真から甘い声が出てきた。
「アッ…」
「霞真、顔をよく見せて。お前の可愛い顔を見せて」
雅哉に言われ、霞真は無意識に雅哉を見た。霞真の目に入って来た雅哉は、とても苦しそうに見えた。
「雅哉?んん…アッ…どうしてそんな顔をしているの?アッ…苦しそうなの…」
「ああ、苦しい。霞真の中に入りたいからな」
「僕の中に入る?アッ…それなあに?」
「霞真のここに、俺のこれが入るんだ」
霞真に見えやすいように態勢を変え、見せる。
「えっ?そんなの入らないの…ダメ…」
「大丈夫。ちゃんと入るから。――だから入っていいか?霞真の中に俺を入れて?霞真を感じたい」
もう我慢をするにも限界だった。霞真からはハッキリと了承をもらったわけではないが、解した霞真の中に少しずつ入る。
「クッッ…」
「アッ…苦しい…お腹が…アッ…でも…いっ…雅哉…」
初めての行為。雅哉も同性との関係は霞真が初めて。人には言えないが、それなりに調べて勉強をしていた。
〈やはりキツイな〉
「霞真、痛いか?」
「少し…でも…アッ…そ…ンアッ…アッ…まさ…や…」
このまま恐る恐る挿れても霞真も辛いだろうと思い、雅哉は少しの間、自分のペースで進む事にした。霞真は痛みは少しと言っているが、やはり痛そうな表情をする時がある。
「霞真、俺のここに手を回して。そうそう。力一杯、ギュッとしてていいからな」
雅哉は、霞真に痛みを逃すために自分にしがみ付くよう誘導した。そして、霞真の奥へと進み入る。
「クッッ…んん…」
「ンアッ…んん…アッ…い…たっ…」
「痛いか?もう少し我慢して」
痛がり始めた霞真にキスをしながら、片手で霞真のを扱く。
「アッ…ンア…」
少しずつ2人が繋がっている場所が霞真の声とともに解れてくる。身体でタイミングを感じながら一気に全部を挿れた。
「ンアッ~」
霞真の声が寝室に響いた。
「入った。霞真、わかるか?お前の中に俺が全部入ったよ。お前の中、熱い。霞真を感じる…クッ…」
「雅哉、お腹が…お腹が雅哉でいっぱい…」
解れ、一瞬緩んだ霞真の部分が、雅哉の言葉でキュッとなる。雅哉のソレが全て入ると、霞真の下腹部がそれで満たされた。
「俺を感じて…少しずつ動くな…ンッ…ンッ…」
雅哉はゆっくりと動く。
「ん…ん…ん…アッ… …」
初めは苦しそうな声の霞真だったが、次第に甘いものへと変わっていく。
「アッ…アッ… …ンアッ…ん~アッ… …」
「ンッ…ンッ…霞真…ずっと…一緒に…ンッ…ンッ…いよう…な…」
「うん…雅哉と一緒にいる…ンアッ…」
「ありがとう…俺の霞真…ンッ…ンッ…」
「アッ…アッ…ヤッ…んん…アッ…ダメ…そこ…アッ…」
雅哉は話しながらも動きを速める。霞真のいい所に擦れるようで、雅哉に回している手に力が入る。
「ここか?」
霞真の言葉を聞きながら何となくニヤリとする。雅哉自身、こんな感情は初めてだ。愛おしいと思う相手が自分でいっぱいになり、感じてくれる事が嬉しくて、もっともっとと思い、グチャグチャにさせたいと感じてしまう。そんな初めての感情に身体が増々熱を帯びてくる。
「ンアッ…ダメ…アッ…アッ…頭が…変な感じする…アッ…雅哉~…んん…アッ…アッ…アッ…ダメ~」
雅哉は自分の名を呼ばれ、動きを速くする。霞真は途中から何も考えられずに雅哉に身を任せながら達した。
「霞真、もう少し我慢して…ンッ…ンッ…ンッ…イクッ…アッ…ンッ…イクッ…アッ…アッ…イッ…クッ… …ンッッッ…」
先に達した霞真に一言言ってから雅哉は自分を打ち付ける。何度かそうしながら今までに味わった事のない快楽で達した。
「ハァ、ハァ、ハァ――」
霞真もだが、雅哉の荒い呼吸が凄い。息が上がった状態のまま、頭を霞真の胸の上に置く。
「少し重いかもしれないけど、ごめんな…」
雅哉に言われるも、霞真は意識が遠くへ行っていて『うん』と小さい声で返事をした。
「ん~、暑い。俺の汗で気持ち悪いな。ごめんな霞真」
呼吸が整ってきた雅哉は身体を起こし、自分のモノを抜く。そして、自分の汗で濡れてしまった霞真の上を拭く。
霞真は、ほとんど目を瞑っていた。それを見て雅哉は大切な者への実感と、これからの事を考えていた。
自分と霞真自身と周りを簡単にきれいにしてから飲みものを持って来る。まだ完全に眠ってはいない霞真を支えながら起こし、飲ませる。
「少し飲んでから眠ろうな」
「うん…雅哉…」
「ん?」
「フフッ」
霞真は、雅哉の名を呼ぶと小さく微笑んで眠った。
★
―――翌朝、7時頃に雅哉の目が覚める。横を見ると、一度収まっていた霞真の猫の付属たちが現れていた。それを見て安心しているとわかる。起こさないようにそっとベッドから出てシャワーを浴びる。風呂場から出て、そのままキッチンへ立ち、コーヒーを淹れる。何口か飲んでから冷蔵庫を開け、朝食の支度をする。昨夜は和食にしたので今朝はパンにする。そう思って支度をするが、よく考えたら昨日の朝もパンだったと思い出す。誰に言ったわけでも見られたわけでもないのに『フフッ』と笑ってしまった。そんな事をしている自分にまた気づく。
〈完全に今までとは違うな〉
そう思いながら続きを始めた。30分程で支度が終わる。洗濯機をかけてなかったと思い、洗濯も始める。今までは仕事から帰った夜にしていたか、休日にまとめてやるか、面倒な時はコンシェルジュに頼んでクリーニングに出していた。明るい時間にする、このような事も新鮮に思えた。
「霞真、おはよう」
ベッドで眠る霞真に声を掛ける。
「ん~、雅哉~…痛っ」
雅哉に起こされ、声がする方へ向こうと体勢を変えた霞真だったが、腰から尻に掛けてズキッと、今までに味わった事のない痛みが走った。
「大丈夫か?ゆっくりでいいぞ」
「おはようなの。でも痛いの…。それに… …」
霞真は恥ずかしそうに雅哉に顔を見られないよう、手で顔を隠した。
〈何だこれ。可愛い過ぎるだろう…〉
素の霞真だけでも可愛いのに、そこに猫の付属が付いている。ましてや、手で顔を隠すなどと可愛い仕草の連続で、雅哉の背中にザワッとくすぐったいような感じが走った。
「うん。俺も恥ずかしい。というか照れ臭い(笑)。そんな感じで、霞真と同じように思っているよ」
霞真を軽く抱き締め、おでこにキスをする。
「霞真、シャワー浴びようか」
痛みで1人では歩けなそうな霞真を抱き上げ、風呂場へ連れて行く。さっき1人でシャワーを浴びたが霞真を洗うために一緒に裸になる。
「ここに座って。ゆっくりでいいぞ」
「ごめんなさいなの、雅哉。こんな事、雅哉にやってもらって…」
イスに座ってシャワーを掛けられながら霞真は雅哉に言う。
「何で謝るんだ?謝らなくていいんだぞ。霞真が動けないのは俺のせいだからな。俺こそ、無理させてごめんな…」
雅哉は霞真の身体を労わるように答えた。霞真の泡を流し、抱きかかえて浴槽に入る。
「この辺りが痛いのか?」
霞真が辛そうな部分を擦る。
「うん。ありがとうなの」
「ああ。今日は泉水さんの所でゆっくりさせてもらうか?」
「う~ん…」
「俺も浅はかだった。今日は行かせると言ってしまったからな。事情は俺から話すから、泉水さんの所でゆっくりして待っていてくれるか?」
「うん。ありがとうなの、雅哉」
昨夜、自分の感情だけでしてしまった事に雅哉は反省をした。清華にまた小言を言われるのを覚悟していようと思った。
朝食を摂り、清華を待っている間に洗濯も終え、支度をして待つ。
―――「おはようございます。2人とも今日はちゃんとしていますね」
「まあな」
「では、支度ができているならば行きましょうか」
「ああ。――霞真、大丈夫か?俺に摑まってていいからな」
「うん」
寝起きよりは随分動けるようになってはいるが、それでも身体がギシギシして動きづらいのと、時々痛みがあるのか、霞真は顔をしかめていた。
「霞真くん、何処かケガしたんですか?」
霞真の表情を見た清華は雅哉に確認をする。
「ケガではない。ん~、でもケガって言っておいた方がいいか?…」
「言った方がいいとは?霞真くん、どうしましたか?」
自分の身体の事を聞かれて、恥ずかしくなった霞真は顔を赤くしながら歩いていた。
「ううん。大丈夫。僕、大丈夫だから。雅哉…、自分で歩くの…」
このまま雅哉に支えられて歩くと清華に色々聞かれてしまうので、霞真は1人で歩くと言って手を離した。
「アッ…」
「っと。霞真、無理しなくていいよ。ほら、これなら楽だろ?」
エレベーターを降り、1人で歩き出した霞真の足元がよろけて転びそうになった。それを雅哉が抱き上げ、そのまま歩き出した。
「雅哉、恥ずかしいの~」
「大丈夫だろう(笑)。恥ずかしいならこうしてればいい。さあ、行こうか」
恥ずかしがる霞真を少し揶揄い、雅哉は自分の上着の中に霞真の顔を入れるようにして、そのままスタスタと歩き出した。その後ろで清華は溜め息を1つ吐きながら歩いて行く。マンションを出て、前に停めてある車のドアを清華が開け、雅哉は霞真を乗せる。
「ありがとうなの」
雅哉は、霞真の腰に響かないようにゆっくりと座席に下ろした。反対側に行き、自分も乗る。清華は運転席に乗り、エンジンを掛ける。バックミラーに映る2人をチラチラと見るが、明らかに昨夜一線を越えたのだとわかる。そのまま何も言わずに泉水の店へ行った。
「さっ、霞真」
マンションの時と同じように抱きかかえようとするが、霞真が言う。
「自分で歩くの。ゆっくり歩くから」
「そうか?無理しなくても…」
「うん。ありがとうなの」
笑顔を雅哉に向け、ゆっくりと歩く。
「おはようございます。昨日は急にすみませんでした」
「おはようございます。いいえ、会社大丈夫でした?って、霞真、どうしたんだ?」
先に挨拶をしながら入って来た雅哉と話を始めると、動きがギクシャクしている霞真が目に入る。
「何でもないの。大丈夫なの。お兄ちゃん、おはようなの」
「あ、ああ。おはよう。叶城さん、霞真どうしたんですか?」
「その事なんですけど、2人だけでお話しできますか?」
「いいですよ。じゃあ、こっちに」
「霞真、清華とここで待っててな」
「はいなの」
霞真に泉水と話をしてくるからと伝え、店の奥へと行く。
「で、話って?」
「その前に。一昨日は申し訳ありませんでした。飲み過ぎたとは言え、随分と御迷惑をお掛けしたみたいで」
「ああ。まあ、面白いもん見れたし(笑)。叶城さんって、普段は少し硬めなのに酔うとあんな風になるんですね」
「普段は酔うまで飲みませんから。本当に申し訳なかった」
「いいよ、あのくらいで。で、話ってそれ?」
雅哉の謝罪に笑いながらコーヒーを淹れ、泉水は話の内容の確認を取る。
「いえ、それとは別件で。――実は霞真の身体の事なんですけど、今日は一日あんな感じだと思うので、すみませんがゆっくりさせてやってもらえませんか?」
「それは構わないけど、あれ、どうしたの?」
「泉水さん、お恥ずかしい話なんですが俺ね、霞真とそういう事したんですよ。恋人同士がする事… …」
最後にちゃんとした言葉を出そうかと思ったが、そこは敢えて出さないで雰囲気でわかるように話した。
「恋人がする事って、ん~、あれですよね~?」
「はい…」
「う~ん。叶城さん、俺にどう言って欲しい?」
泉水は少し苦笑いをしながら雅哉に言う。
「いや、どうって…」
「叶城さんさあ、まあ、そうなったのは2人の気持ちの問題だから仕方ないんだろうけど、知っての通り、あいつは普通じゃない。それに年齢だってわからない。それは叶城さんもわかってますよね?」
「ええ。それでも俺は霞真を愛おしいと思ってしまうんですよ。一目惚れ…。う~ん、何か違うな。何だろう。そういうんじゃないんですよ。もっと不思議なもの。言葉では言い表せない。そんな感じです。でね、誤魔化してるわけじゃなくて、話の流れで聞いてもらいたいんですけど、霞真は、3年前のあの大きな事件の子じゃないかと思ったんですよ。それで霞真に聞いてみたら、やはりそうでした。少し調べたのですが、その主犯の息子さんがいるという病院が同じ都内なので行ってみようとも思いまして。そこに行けば霞真の事がちゃんとわかるかなと。今のままでは年齢もわからない。それじゃあ、色々な書類も作ってやれないんです。俺の仕事は海外へも行く事が多い。霞真を連れて行きたい。――連れて行ってやりたいのは違うかな。一緒に行きたいですかね。仕事も生活も霞真と一緒にいたいんです。だからその病院へ行って来たいと思っています」
最初は軽い感じで話していた雅哉だったが、段々と真剣になり、自分の想いを泉水に話していた。
「ん~。あんたは変わってるね、叶城さん。でも、人の気持ちなんて本人にしかわからないですもんね。それに、今思い出したんですけど、その病院にいる息子?確か、あの子も何処かの大企業の人が相手じゃなかったかな~。で、その相手も叶城さんみたいな事を言ってたような。――きっと、その子にしても霞真にしても、そういう相手が運命何でしょうね。――わかりました。その話は俺も受け止めます。でも、何があっても霞真をお願いしますよ?まあ、3年前のような事にはならないだろうけど、それでも何かは起きるかもしれない。霞真を絶対に手放さないで下さいね。あいつには食事しか与えてやれてなかったけど、今は弟みたいなもんだからさ」
泉水もまた真剣に雅哉に話をした。
【―――3年前の事件。
それは突然の出来事だった。日本だけではなく世界中で騒がれた事件だった。
現職、厚生大臣の娘が20年程前、ある遺伝子研究をしているH氏と結婚。その後、男の子を授かる(ゼロ=Yく)が、生まれて数日後に父親であるH氏に連れ去られた。そして姿をくらました。すぐに特別捜査を開始。捜査をしたがすぐには居場所がわからなかった。そして、数週間過ぎたあたりからショックからか、母親の体調が悪くなり、亡くなってしまった。その後、娘を追うかのように祖母も他界。悲しみの中、祖父である大臣は1人でも調べていた。居場所はわかったものの、国としては世間には公表できない事実もあり、大臣は孫を取り戻す事ができなかった。過去、世界各国で同じように、秘密兵器としての研究・実験が行われていた事実もわかったのだ。――連れ去られてから20年程経ち、孫であるYは研究所を脱走。大企業Hグループ代表取締役社長の息子A氏と出会った。その後は色々とあった。最近の週刊誌ではYくんのクローンである子供2人をA氏が引き取り、Yくんとの子供として養子にしたと報じられている】
そして、霞真と一緒にいるには大きく一歩を踏み出さなければと雅哉は思い、覚悟をしていた。
「で、話は戻って、霞真は今日はゆっくりさせといた方がいいんですね(笑)」
深刻な話を破るかのように泉水は、笑いながら雅哉に確認をする。
「笑わないで下さい。どんな顔していいかわからないじゃないですか。でも、まあ、お願いしたいのはそういう事です。よろしくお願いします」
場の悪そうな表情をしながら雅哉は泉水に霞真をお願いした。
「はい、はい。お預かりしますね(笑)。叶城さんは、しっかりお仕事してきて下さいよ。夕飯、作って待ってますから」
「楽しみにしています」
―――泉水との話を終え、霞真と清華の所へ戻る。
「待たせて申し訳ない。霞真、泉水さんにはお願いしてあるから今日はゆっくりいなさい。何かあれば連絡くれていいから。――清華」
「はい。こちらに」
清華に用意をさせていたようで、霞真に携帯を持たせる。今はスマホが主流だが、このような類を使った事のない霞真にはスマホではなく携帯を持たせる事にした。
「霞真、これは携帯電話って言うんだ。ここを押すと、ほら。俺の電話に繋がる。耳に当てて。――もしもし霞真?」
雅哉は、霞真の耳に携帯を当てているように言うと、自分はカウンターの奥に行き、霞真に電話を通して話し掛ける。
「はい…。もしもしでいいの?雅哉ですか?」
初めて使う機械に、恐る恐る話し掛ける。
「俺だよ。ちゃんと俺の声、聴こえる?」
「うん、聴こえるの。雅哉、ありがとうなの。これ、大事にするね」
「ああ。いつでも掛けていいよ」
「うん」
最後の霞真の返事を聞いて、雅哉はカウンター奥から戻って来た。
「わかったか?これで大丈夫だな」
「うん。ありがとうなの」
「じゃあ、俺は会社に行くな。霞真、留守番しててな。無理しちゃダメだぞ」
「は~い」
「泉水さん、よろしくお願いします。泉水さんも何かあったら、すぐに連絡下さい」
「はいよ。お預かりします。清華さんも夜来るでしょ?」
泉水は清華が気に入ったらしい。雅哉は何となくそう感じていた。
「ええ。お願いしてもいいですか?」
「はい。お待ちしています」
霞真の事は泉水にお願いし、雅哉と清華は会社へと向かった。
「社長、何か仰りたい事はありませんか?」
車を走らせ少し経つと、バックミラー越しに雅哉を見ながら清華が一言そう言ってきた。
「ん?何をだ?」
清華が聞きたい事は雅哉にもわかっている。しかし、そのまま受け取るのは何となくイヤで、わからないフリをした。
「霞真くんの事です。昨夜、社長のお気持ちはわかりましたと申し上げましたが、その日のうちにそうなるのは如何なものかと。少しお気持ちを抑えませんと霞真くんが追い付けませんよ?」
清華に突かれるが、当たっている事だけに言い返せない。雅哉は何も言わずに窓の外を見ていた。
―――会社に着き、社長室へ行く。いつものようにイスに座るが、一度霞真と過ごしてしまったその部屋に、その姿がないというのは寂しいと感じてしまう。溜め息を吐いてスマホを見る。今日の何処かの時間で霞真が電話をしてきてくれないかと考えてしまう。仕事を始めようかと思ったが、スマホを手にしているのだからと、そのまま例のM氏の病院へ連絡してみる事にした。
最初はかなり慎重に話されたが、気さくで元気な人だった。霞真には猫が入っている事、3年前から公園にいた事、泉水が食事を与えていた事。そして、自分が霞真を想っている気持ちまでの話をした。M氏は医師なだけあって、話の中で雅哉が自分の気持ちを話しやすいように誘導していった。雅哉が来た時にはA氏とも話をしてみてはどうかと言ってくれた。
「清華、悪いが来てくれるか」
社長室の向こう側の秘書課にいる清華を呼ぶ。
「はい。何か」
「例の霞真のいたかもしれない研究所の話しな、霞真に聞いたら話してくれたよ。やはりそうらしい。それで犯人の息子さんがいるという病院へ連絡をした。日曜日に会ってくれるそうだ。悪いがお前も来てくれるか?」
イスに座ったまま話す雅哉は、清華を見上げるようにして話をする。
「そうでしたか。霞真くん、よくお話しになりましたね」
「そうだな。それだけ信用してくれているのかと思ってはいるが、それは自惚れかとも思うけどな…」
「何を今更。もう自分のものにしてしまわれたのでしょう?誰にも渡さない覚悟をして、そうなさったのでしょう?それを霞真くんはわかったから、お話しになったのではないですか?自惚れではなく社長もちゃんと霞真くんから想われているじゃないですか。自信を持っても良いかと思います」
自信なさげに話す雅哉に、清華はハッキリと言った。
清華と相談をし、明後日の日曜日にM氏の病院へ行く準備をする事にした。
★
―――日曜日になり、清華の運転でM氏の病院へ向かう。
「霞真、大丈夫か?」
朝から不安なのか、いつもは元気な霞真が静かにいる。
「僕が行ったらゼロ怒らないかなあ。新しい家族がいるんでしょ?そんな所に僕が行ったら…」
「大丈夫だ。俺も清華もいる。それに事前に会う事を約束しての今日だからな。向こうだって、それなりに準備をして待っていてくれてるさ。それに、もし霞真に何か言ってきたら俺が守るからな。こうやって俺の傍にいればいい」
雅哉は不安がる霞真の肩を寄せ、頭にキスをした。
「うん。こうしてずっと手、ギュってしててなの」
「ああ。ずっとこうしてる」
霞真の不安を取り除きながら、話をしているうちに病院へ着いた。
【国立特別指定 村岡総合病院】
国立でも特別だからなのか、思っていたよりもかなり大きな病院だ。
車を降り、受付へ向かう。
「叶城と申しますが、今日、副院長の村岡先生と約束をしているのですが」
「少々、お待ちください」
約束の確認をしたあと、村岡先生の所へ案内される。
「雅哉…」
「大丈夫だ。清華も一緒にいるからな」
「うん。清華さんも手、ギュってして?」
空いている片方の手が不安なのか、霞真は清華にも手を繋いで欲しいと言った。
「はい。これでいいですか?そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。私も社長もいますからね」
「うん」
―――受付の人に案内された副院長室は、病院の上の方にの階にあった。
「初めまして。先日は突然のお電話で失礼致しました。私、叶城と申します」
雅哉は名刺を出し、村岡に渡した。
「いえ。わざわざ来て頂いて申し訳ないです。ここの病院の副院長をしています村岡です。早瀬家族の主治医をしています。こちらの先生は一ノ瀬先生。この方も主治医を兼任してもらっています」
「初めまして。僕は一ノ瀬です。先生ってみんなに呼ばれてるから、君もそう呼んでね。お名前は何て言うのかな?」
一ノ瀬先生が、霞真に声を掛ける。
「雅哉~」
霞真は一ノ瀬先生に話し掛けられるも、雅哉の後ろに隠れてしまった。
「ごめん、ごめん。怖がらせてしまったかな。じゃあ、慣れたら僕とお話ししてね」
一ノ瀬先生は、こういう患者に慣れているのか、すぐに一歩下がってくれた。
「申し訳ありません。名前は霞真と言います。名前と言っても元は名前がありませんでした。私が付けたもので本当の名前ではなく――」
そこまで言うと、横の方にいた1人の可愛らしい男の子が寄って来た。霞真よりも大人びている。
「えっと、確か8番?」
霞真の前まで来ると、霞真が言っていた霞真の番号、8番と呼ぶ。
「ゼロ?――ごめんなさいなの。ここに来て。あっ、翔(しょう)ちゃん。――ごめんなさいなの…」
やはり知った仲だったのだと雅哉は見ていた。相手から番号を呼んでいたし、知った仲であれば大丈夫かと思われたが、霞真は謝るばかりで雅哉の後ろへ行き、雅哉の背中に顔を押し付け、周りを見ないようにした。
「霞真、どうした?」
「ううん。僕、帰るの。雅哉、帰ろ?清華さんも帰ろ?」
急に帰ると言い出し、雅哉と清華の手を引っ張る。
「霞真、待って。大丈夫だから。俺がいるから、な?」
「う~ん、帰るの~。僕、もういいの~。早く帰ろうなの~」
霞真の何にそう不安がらせるのか、まだ番号を呼ばれただけなのに、異常にイヤがる霞真を雅哉は抱き締めるしかなかった。
「しっ~。か~ずま。大丈夫だ。俺がいる。絶対に1人にさせないって約束したろ?それに、お前に何かをしようとここに来たわけじゃないからな。――すみません、みなさん。少し時間を頂いてもよろしいですか?霞真の混乱を解きたい」
雅哉は霞真に落ち着くように話をするが、みんなを待たせるわけにはいかないので一言申し出た。
「いいですよ。こっちの事は気にしないで下さい。研究所の子は、最初はそんな感じなんでね。焦らずゆっくりで大丈夫ですよ」
村岡先生が笑顔でそう言ってくれたので、雅哉は時間をもらう。
「社長、私もよろしいですか?」
傍にいた清華も霞真に言う。
「霞真くん、私の事も見て下さい。社長と私と、ちゃんと傍にいます。大丈夫です。――社長がどうして、こんなにすぐにここへ来たかわかりますか?社長は、お仕事で海外に行く事も多いんです。だから霞真くんも一緒に連れて行きたいんです。でも、今のままでは必要な書類がないのでパスポートも取れません。それだと霞真くんだけマンションで1人か、泉水さんの所で何日もお留守番になってしまいます。それでもいいですか?」
清華の話の最後は、少しニヤリとして霞真を見ていた。
「ん~。清華さん意地悪言うの~。僕も雅哉と行きたいの。お留守番イヤ~」
「そうですよね?では、お話しが終わるまでここにいましょう。海外には霞真くんが見ていた本の中のお花や植物たちが見られます。写真よりもずっと綺麗です。香りも良いです。それから、食べものも国によって違いますし。風景も素敵な所がたくさんあります。楽しみですね。私も、社長と霞真くんと一緒に行きたいです。もう少し、ここにいてお話しをね?」
「は~い。清華さん、雅哉、僕待ってるの。お話し終わるまで待ってるよ。――ゼロ、翔ちゃん。お久しぶりなの。僕ね、雅哉の恋人なの。僕の名前は8番じゃなくて霞真って言うの。雅哉に付けてもらったの。でね、霞真は霞草さんからもらったの。雅哉は、お花の会社の社長さんなの。清華さんはね、雅哉の秘書さんなの。雅哉と僕の事を見てくれるの。あとね、お兄ちゃんもいるの。泉水さんって言うの。美味しいご飯屋さんなの。僕が公園で暮らしてからずっと、僕に美味しいご飯くれたの。――雅哉~、僕、ちゃんとお話ししたよ~」
霞真は、清華との話で楽しみが増えたからなのか、自分から元研究所の子たちに話し掛けに行った。
「霞真くん、よく今まで無事だったね。公園で暮らしてたって言ってたけど、研究所を出てからずっと1人だったの?」
霞真が呼ぶゼロという子と話を始める。その様子をみんなで見守る。
「うん。僕、怖かったの。研究所に怖い人たくさん来たでしょ?声も大きくて、怖い事言ってたの。鉄砲を持っている人もいたの。僕はこれだから、ああいうのは怖かったの――」
霞真は、自分が研究所を出た時の話を始めた。そして、猫の耳と尻尾を出す。
「えっ?彼は猫なの?尻尾もある。月斗(つきと)くんたちは尻尾はないよねえ。へえ、尻尾がある子もいたのかあ」
霞真の姿を見た一ノ瀬先生が目をキラキラさせていた。その光景に、雅哉は疑いの目を向けた。それに気づいた村岡先生が言う。
「(笑)叶城さん。心配しないで下さい。一ノ瀬先生は人間の医師でもありますが、獣医でもあるんですよ。だから我が家にはいない霞真くんの猫が可愛く見えるんですよ。他意はないですから心配しないで下さい」
「はい。先生は獣医でもあるんですか?」
「はい。――ところで霞真くんの猫は、何か攻撃性のようなものはありますか?」
「今のところは見た事がありません。でも、猫特有の甘えたさはありますね。特に寝起きでしょうか。人間の部分がほとんどなので実際は聞こえませんが、グルグルと聞こえてくるような感じはあります」
「そうですか。猫も可愛いねぇ」
一ノ瀬先生はそう言うと、また霞真の事を見ていた。
霞真とゼロと呼ばれている子と話が続いている間に、雅哉はゼロの夫だという早瀬と話をする。
「早瀬さん、今日は時間を設けて頂いてありがとうございます」
「いえ。彼のような子がいるかもしれないとは聞かされてはいましたが、本当にいたとは私も驚きました。先程はうちの優が驚かせてしまったようで申し訳ない。話によると3年以上も1人で公園にいたとか」
「ええ。ただ、ある飲食店の店主がずっと食べものだけは与えていたようで。私は、ある日たまたま霞真と出会いました。霞真が若い子たちに襲われていましてね。そこに偶然、私が通りかかったんですよ」
霞真と出会った時を雅哉は思い出す。
「通りかかっただけで、どうして連れて?」
「… …お恥ずかしいですが、理由はありません。言葉にするのが難しいのですが、霞真が襲われていた時に手を差し伸ばしただけのはずなのですが、何故か離れたくないと思いました。初めて会ったのにです。ただそれだけ。それだけなんです…」
そう話す雅哉の表情は、とても優しいものだった。
「そうでしたか。――実は私もそうでした。優。いや、貴方方が呼んでいるゼロとは偶然でした。道端に倒れていたんです。そこに私が通り掛りました。すぐにこの病院に連れて来て、その時には既にあいつを、優を離したくないと思いました。それから色々ありましたが、今もこうして一緒にいる。家族になって一緒にいます」
早瀬も雅哉同様、当時の事を思い出しているようだった。
しばらく霞真は優(ゆう)と名を呼ばれているゼロと、翔(しょう)という男の子、月斗(つきと)、李花(ももか)という幼い子供たちと話をしていた。
雅哉は早瀬を中心に、村岡先生と一ノ瀬先生とこれからの事などを話していた。
この他に多田という早瀬の秘書で、村岡先生のパートナーでもある人がいた。清華は秘書談話と言いながら多田と話をしていた。
それぞれに打ち解けられた頃、優からの提案で、副院長室だとゆっくりできないから家に来てはどうかと誘いを受けた。初めは断りをしていたが、霞真がもう少しみんなといたいと言うので、言葉に甘えてお邪魔する事にした。
マンションにしてはかなり広い。元々はファミリー使用ではなかったらしいが、子供たちが来たので隣の部屋と繋げ、広くしたらしい。来た時に不安がっていた霞真は、今は元気で楽しそうにいた。
「やはり家族みたいなものだからでしょうか。霞真くんのあんな表情、初めて見ました」
「そうだな。研究所ではあまり話せなかったと言ってはいたが、同じ環境で育ったからだろう。自分の辛い事を同じように経験していたから素直な心でいられるのかもしれないな」
雅哉と清華は、霞真を見ながらそう話をしていた。
―――「では叶城さん。手続きはしてもよろしいんですね?」
話しの流れで、早速、村岡先生と霞真の手続きの話を進めていた。まずは身元引受人になるために政府の調査を受けなければならないようだった。
「はい、お願いします。政府からの調査も構いません。早目にお願いします」
「わかりました。――しかし、早目になんて、そんなに海外に行く事が多いんですか?」
「ええ。世界中から植物を輸入しています。植物は自分の目で見てみないとわかりません。育った環境などで、それぞれ違いますから。それらを感じるために現地へ行きます。まあ、あとは取引の交渉ですね」
「へえ。花の会社も大変なんですね。有李斗(ありと)も以前は、――有李斗って早瀬なんですけど、あいつも以前は父親の会社で副社長をしていたから海外の会社と色々仕事をしていたみたいなんですけどね。今は優と静かに暮らしたいからと俺の仕事を手伝う感じになってますよ。最近は時々、父親の会社の手伝いもしているみたいですけど」
「そうなんですね。本当は、霞真にはそれの方がいいのかなあ。――でも、霞真には色んな国の綺麗な植物と景色を見せてやりたいんです。研究所で世の中を知らないまま育ち、公園で1人寂しく暮らしていた。だからこそ、外の世界を見せてやりたいと思ったんです」
霞真が優や翔たちと打ち解けるのが楽だったように雅哉もまた、同じ思いを持つであろう村岡先生や早瀬と話していると、胸の内を隠さなくてもいい、安心感があった。
雅哉と村岡先生との会話を聞いていた早瀬が言う。
「わかりますよ。叶城さんの気持ち。私もそうでした。――あいつには世の中の色んなものを見せてやりたかった。でも反面、自分の中に閉じ込めたいとも思っていたんですよ。いや、今も思ってる。みんなには笑われていますが、そう思ってしまうんですよ。それを考えると、叶城さんは世界を見せに行こうとしてるんですから。俺と比べるとできた人です」
早瀬も雅哉同様、気を許したようで胸の内を語った。話の途中からは『私』ではなく『俺』と言っていたので、雅哉は嬉しかった。
「(笑)。そんな事ないですよ。俺も早瀬さんと同じです。色んなものを見せてやりたいんですよ。でも、あくまでも自分が付いての事です。1人でなんて行かせられませんし、何より俺だけ向こうへ行って霞真をこっちで留守番させるなんてできない。離れたくないから連れて行くと言った方が正解かもしれません…」
早瀬と自分は同じように、この子たちに落とされたと雅哉は思った。早瀬たちとは違い、自分たちはまだ始まったばかりだが、早瀬と優のように静かに楽しく暮らしていきたいと思っていた。
―――この日は夕飯まで御馳走になり、楽しい時間を過ごす事ができた。今度はうちに来て欲しいと伝え、帰宅した。
「霞真、疲れてないか?」
「うん。雅哉、ありがとうなの。みんなに会えて楽しかったの。小さい頃からずっと一緒にいたけど、お話しすると怒られるから小さい声でちょっとしかお話しした事がなかったの。でも今日はちゃんとお話しできた。僕、お話し変でしょ?もう大きいのに…。でも、みんなが『最初はみんなもそうだった』って。『少しずつ覚えられるから大丈夫』ってそう言ってくれたの。優くんがね、テレビとかネットとかを見てごらんって。朝と夕方のテレビはB番を付けるといいよって」
霞真には何も確認をしていなかったが、自分の話し方に疑問を持っていたようだった。今回、村岡先生からは、霞真の話し方は研究所で愛情を注がれずに育ったからだと説明された。この先、雅哉の愛情で変わっていくとの事だった。
「そうか。俺は霞真の話し方好きだけどな。柔らかくて優しい気持ちになれる。別に無理に直さなくていいよ。ずっとこのままでいい」
雅哉は霞真の話を聞いて、話し方1つでも成長しないで、このままでいて欲しいと思っていた。
★
―――あれから数日が経ち、政府から霞真の事での訪問の話が来た。その旨を村岡先生に伝え、今日は立ち合ってもらう事になっている。
「お忙しいのにすみません。どうぞこちらです」
村岡先生を清華が出迎え、部屋に通す。
「お邪魔します」
「先生、申し訳ありません。さあ、どうぞ」
村岡先生を迎えた雅哉の表情が硬い。
「叶城さん、緊張してます?大丈夫ですよ。そんな難しい話にはなりませんから。向こうとしても自分たちの所に来られるよりも幸せにしてくれる人と暮らして欲しいと思っていますから」
「そうでしょうか」
「ええ。大丈夫です。それに、なんつっても優のおじいちゃんが厚生大臣でね。何かあっても問題なしです」
雅哉の緊張と取ろうとしているのか、村岡先生は少し大きめな声で笑っていた。
村岡先生と話をしている間に政府担当者も来た。村岡先生の立ち合いの元、話し合いもほとんど問題なく終わった。霞真の主治医を村岡先生、一ノ瀬先生とし、担当病院も村岡病院にするという事になった。ただ1つ問題があった。それは海外へ行く事。国内であれば何かあってもすぐにフォロー体制が組まれるが、海外へ行ってしまうと難しいと言う。――海外へ行くのはヨーロッパがほとんどだと説明すると、早瀬が1年半いた研究所と接点を持つべきだとの話になった。先日の早瀬の話では、とても快適だったと言っていた。でもそれは元々1人身である又は、家族と一緒の場合であって、家族や恋人と離れるとなると極度な不安に陥る可能性は高いと言っていた。しかし、何かあった時を考えれば、政府の言う通りにした方が間違いないと雅哉も思う。
「私も一緒にその研究所に行くというのはダメなんでしょうか?」
霞真が不安になり寂しくなってしまうのなら一層の事、自分も一緒に研究所にいればいいと雅哉は思った。
「そうですねえ。それはあちらと交渉をしてみませんと…」
「普通の人間ではダメでしょうか?――霞真が1人にならないのであれば私の身体も研究対象にしてもらって構わない。私が傍にいる時の霞真の違いとか、早瀬さんのように霞真の何かを私に入れるとか。構わない。私を使って一緒にいられるならそうしてもらって下さい」
雅哉の申し出の内容に、その場にいた者全員が驚いた。
「雅哉?何言ってるの?そんなのダメなの。ダメだよ、そんなの。雅哉にそんなのダメなの。雅哉は雅哉のままだよ?僕の何かをなんて、僕たちのように実験なんて、そんなのダメ。そんなのするなら僕、行かない。お兄ちゃんと待ってる。お兄ちゃんちでお留守番する~」
霞真はそう言って走って寝室へ行った。
「霞真、待って」
走って行く霞真の後を雅哉は追い掛けた。
「霞真、待って」
「僕、ヤダもん。実験なんて僕だけでいいのね。雅哉は雅哉のままだもん」
ベッドの中で、霞真は包まって言う。
「うん。ありがとうな、霞真。でも聞いて欲しい。――俺はさ、何処に行っても霞真と一緒にいたいんだよ。それにな、早瀬さんの話を聞いて思ったんだ。早瀬さんが優くんと同じになったように、俺も霞真と同じになってもいいなって。霞真には血の繋がった家族がいないだろ?本当は何処かにいるんだろうけど、政府の話だと探しても見つからないだろうって言ってたしな。それにもし見つかったとしても、その人たちも今の霞真と同じではない。猫が入ってないからな。だから俺だけでも同じでいたいとも考えているんだ」
「ダメ!ダメなの~。そんなの僕、嬉しくない。嬉しくなんかないよ。僕は雅哉が好き。雅哉に僕と同じになんてなって欲しくないの」
雅哉の話を聞いても霞真には納得ができなかった。もちろん雅哉にも霞真の考えている事はわかる。逆の立場なら自分も同じように思うから。
「霞真、わかった。霞真の言う通り、一緒には研究所に行くけれど傍にいるだけで何もしない。それならいいだろう?」
とりあえず、今は一緒に行くだけの話に持って行く。
「本当?雅哉は何もしない?僕と一緒にいるだけ?」
「ああ。そうする」
「じゃあ、いいの」
「うん。ありがとうな。お前は本当に可愛いなあ」
少し機嫌を元に戻す霞真に、雅哉は頭を撫でた。みんなを待たせているリビングへ戻る。
「すみません。申し訳ない。あちらの研究所へは私は同行だけする方向でお願いします」
「はい。わかりました。そう伝えます」
霞真の事もあり、その後の話はあとで雅哉の方から改めて連絡する事にした。
―――政府の人も村岡先生も帰ったあと、清華が心配をして霞真に聞こえないように小声で言ってくる。
「社長、本当にそうするおつもりなんですか?」
「向こうの回答次第だろうな。ただ一緒にいるだけでも構わないのなら、それに越した事はない。しかし、向こうだって国家の秘密を見せるんだ。ただ付いて行くだけでは納得しないだろう。俺の何処までを要求してくるかはわからないが俺の意思は変わらないよ。霞真と同じ種にされても、それは構わない。寧ろ、早瀬さんが言っていたように、世界で俺だけが霞真と同じ種になれるならそっちの方がいい。俺は早瀬さんの気持ちはわかるよ」
早瀬の話では、思わぬ事で優と同じ種になったが今も後悔はないと言う。同じ種になって同じように感じる事ができて、寧ろ喜ばしい事とさえ言っていた。ただ、今も優は気に病む時があると言う。それはきっと、自分の想いに対しての罰なんだと受け止めていた。自然の法則に逆らった者の罰なのだとそう言っていた。それでも早瀬は、仮令、神か何かの意思に背いて地獄へ呼ばれたとしても後悔はない。優を天国へ連れて行ってくれるのなら自分は地獄でも何処へでも行くとそう言っていた。雅哉はその話を聞いて、自分も同じだと思った。霞真がこれから幸せに暮らせて、あの世でも天国へ行けるのなら自分はそれでもいいと思っていた。
―――「社長、このあとは如何なさいますか?午後から出勤なさいますか?」
「そうだなあ。今日は霞真を連れて行ってもいいか?」
「はい。泉水さんには説明をしてありますので、もし行くのなら、その時に連絡をすればいいようになっています」
「そうか。このまま社に言ってもいいが、昼を泉水さんの所で摂るというのはどうだろう」
「そうですね。泉水さんも毎日霞真くんが来るのを楽しみにして下さっていますし」
「うん。霞真~、泉水さんの所で食事をしてから会社へ行くぞ~」
寝室で何かをしている霞真に声を掛ける。
「霞真はあっちで何してるんだ?お~い、霞真~」
呼んでも来ない霞真の所へ行くと、ベッドの上で雅哉の枕に顔を埋めていた。そして、耳と尻尾が出ている。
「霞真、どうした?」
「う~ん…。雅哉の匂い~」
「ん?」
「あのね。雅哉の匂いを嗅いでフウッ~ってなってるの。それでね、もうお家に偉い人イヤなの。村岡先生はいいけど偉い人は怖いの。大きな声で怖い事を言うの。だから、もうここにはダメ」
〈政府の人がそんなに怖いのか?その恐怖から逃れるために俺の匂いを…か〉
怖がる霞真の横に座る。
「霞真、枕よりもこっちの方がいいと思わないか?」
雅哉は柔らかい笑みを向けながら霞真を足の上に座らせる。そして強く抱き締める。
「雅哉~、怖いの。偉い人は怖いんだよ?」
「なあ、霞真。もしかして研究所に警察とかが来た日、俺が知っている事以外の怖い思いがあったのか?」
しがみ付いている霞真の背中を擦りながら話を聞く。
「う~ん…。あのね、大きな声でね、伏せろって。動くなって。白い服の人たちにも優しい人がいてね、その人にも鉄砲で伏せろって。僕たちにもしたの。僕、怖くて逃げたの。僕はね、猫さんだからそっと走れるの。だからそうしたの。でも、お外に出てからも鉄砲の音が凄かった。僕は猫さんだから白い服の人よりよく聞こえるの。だから怖いの…。う~ん、雅哉~… …」
雅哉に話ながら当時の事を思い出しているのだろう。霞真の身体が緊張しているのがわかる。
「霞真、こっち向いて…って、ちょっと待っててくれるか?」
「うん」
一度、霞真をベッドで待たせ、雅哉は清華の所へ行く。
「霞真くんはどうでしたか?」
「その事なんだが、政府の者が来たせいか、研究所から逃げた時の事を思い出したようだ。それでベッドの上で怖がっててな。少し時間が掛かりそうなんだ。正直、出社できるかもわからない」
「そうですか。では先に泉水さんのお店でお待ちしています。既に連絡をしてしまいましたし。来れそうならタクシーで来て下さい。ダメそうなら連絡を。私は16時くらいまでお待ちしていますので」
「悪いな」
「いえ。ちゃんと話を聞いてあげて下さい。きっと相当怖い思いをしたのだと思いますから」
「ああ。泉水さんにも申し訳ないと伝えてくれ」
「はい。かしこまりました」
泉水への対応は清華に頼んだ。雅哉は霞真の所へ行く。
「お待たせ霞真。さ~て霞真はどうしたい?」
霞真を足の上に乗せ、まずはギュッとしてからキスをした。
「んん~雅哉~」
「ん?耳、寝ちゃったな(笑)」
「雅哉~、チュ~」
霞真は甘えた声で自分から雅哉にキスをする。雅哉は、そのままくるりと方向を変え、霞真をベッドへ寝かせた。
「なあ、霞真。しようか」
「ん~、する?何を?それに雅哉、お仕事は?」
「今日はもう少しあとでも問題ない。霞真とこうしていられるぞ。だからな?俺と繋がろう?」
「う…ん。僕、ずっと雅哉に触りたいの。今日はそうしたい…」
本当に怖かったのだろう。初めて霞真からもその意思を示してきた。
「じゃあ、霞真のお言葉に甘えて…」
雅哉は霞真の頭の下に腕を回し、深いキスをする。途端に霞真の表情が溶け、倒れていた猫の耳がこれ以上はという所まで倒れていった。
〈俺の安易な考えのせいで霞真を怖がらせているんだな。自分が同じにさえなればいいとか手続きをすればいいとか、そんな簡単なものじゃないんだ。早瀬さんが言っていた『自分の想いだけで』というのはこういう事なんだろうか。――いや、きっとこんなのは、ほんの最初の段階なのだろう。これを突き進めれば、もっと霞真に負担を負わす事になるんだろうか〉
雅哉は、霞真を抱きながら自分の想いと、霞真の想い、そして早瀬の言っていた事を考えていた。
―――「霞真…ごめんな…でも一緒にいたいんだ…ンッ…ンッ…」
「アッ…アッ…雅哉~…僕も…ンアッ…一緒にいたいよ~…」
「ああ…ありがとう…ンッ…霞真、俺…イキたい…」
「うん…アッ…アッ…」
「霞真…いくぞ…ンッ…ンッ…アッ…イクッ…イッ…クッ…ンッッ…ッッ」
「雅哉…アッ…アッ…ダメ…ンアッ… …ハァァッ~」
感情が溢れてのものだったからか、霞真も達してはいたが、雅哉の方が先に行為の終わりを迎えていた。
「霞真、ごめん…な。今日は…俺の方が…もたなかった…よ…ハァ…ハァ…」
霞真の中から自分を離した雅哉が、息を荒くしながら霞真に言う。
「ん~。僕、ダメ~。目がくっ付いちゃうの…」
雅哉の思いとはうらはらに、霞真は可愛い声を出して眠ってしまう事を告げた。
「我慢しなくていいよ。ゆっくりおやすみ」
「うん」
ほぼ目を閉じている霞真の瞼に、雅哉が軽いキスをして、眠るように言った。霞真はどうにか雅哉の言葉に返事をして眠りについた。
「今日はごめんな。お疲れさま」
眠った霞真にそう一言言った雅哉も、横で眠りについた。
★
―――「雅哉~、お腹空いたの~。ンフフ~、んにゃ~」
先に起きた霞真が、雅哉の上に顔を埋めながら起こす。
「雅哉~」
「う~ん…。霞真、早いなあ。もう少しこうしていよう?」
自分の上にいる霞真を、雅哉は抱え込むように抱き締め、自分の眠りの時間に誘う。
「雅哉、ギュ~(笑)。雅哉の匂い、いい匂い~。僕のもの~(笑)」
「ああ。お前のものだよ。――霞真の匂いもいい匂いだ。俺のもの~」
「ん~。アハハハ~。ん~」
雅哉も霞真の真似をする。こんないい歳の男がとも思うが、霞真の前では素直にそれができる。誰かと一緒にいて、こんなにも心地良い事はなかった。
「霞真、お腹空いたな」
「うん。お腹空いた~」
「よし。シャワーを浴びてから泉水さんの所に行こうか」
「うん。お風呂~。――わあっ、あれっ?」
雅哉の言葉を聞き、楽しそうにベッドから降りようとした霞真は、床に足を着いて一歩踏み出そうとすると立てずに、崩れるように倒れてしまった。
「霞真!大丈夫か」
勢いよく態勢が崩れたのを見て、雅哉は飛び起き、霞真の傍へ寄る。
「雅哉~、身体へ~ん」
「ごめんな。俺のせいだ。激しくしたからな。ごめんな」
「???何の事?激しく?どうして雅哉が謝るの?」
雅哉が謝ってくる理由を霞真はわからなくて、不思議そうな表情を雅哉に向けた。
「ん?それはな…。俺が霞真に激しく…×××…したからな。それで霞真の身体が思うように動けないんだ」
途中の部分だけ霞真の耳元で囁き、クスッと笑いながら雅哉は説明をした。霞真は、その説明を聞き、少し間を空けてから理解ができたようで、顔を赤くして俯いた。
「・・・・・」
「ハハハ。さあ、シャワーを浴びような」
雅哉は霞真を抱きかかえて風呂場へ行く。霞真は黙ったまま雅哉に身を預けた。
シャワーを浴び、着替えて出掛ける支度をする。その間に清華に連絡をし、今から泉水の所へ行くと伝えた。
マンション前からタクシーに乗り、泉水の店まで行く。
「遅くなりました」
ドアを開け、清華の姿を探しながら店内へ入って行く。
「いらっしゃい。清華さんがずっと待ってましたよ」
ドアベルの音を聞いて、泉水が雅哉と霞真の姿を見る。傍に行き、出迎えた。
「すみません。何だか慌ただしくて。これからでも食事大丈夫ですか?」
「そりゃあ。――霞真、何か静かだなあ。どうした?」
雅哉の後ろにいる霞真は、いつもの賑やかさがなく静かにいる。
「ううん。何でもないの」
「そうか?ならいいけど。まあ、2人とも座って待ってて。今、支度してきますから」
泉水は、2人を清華がいる席に案内して、カウンター裏のキッチンへ入って行った。
「社長、霞真くん」
「清華、遅くなった」
「いえ。霞真くん、お腹空いたでしょ?さあ、ここに座って下さい」
雅哉の後ろにいる霞真をイスに座らせる。
「霞真くん、どうしました?随分と静かですね」
「そんな事ないの。ただ、ちょっと身体が…」
恥ずかしそうに俯いて清華に話した。
「清華、悪いな。それ以上は…」
「はい(笑)」
「笑うなよなあ」
霞真の話を聞いた清華は、雅哉に静止され、そして笑いながら返事をした。雅哉も清華の態度に照れ臭そうに返した。
―――「お待ちどう。霞真、たくさん食べろよ。しかし、こう霞真が静かだと変な感じだな(笑)。本当にどうしたんだ?」
理由を知らない泉水が霞真を心配する。
「何でもないの。――雅哉~」
泉水に聞かれ、霞真はどう話していいのかわからず、隣にいる雅哉の服を引っ張って助けを求めた。
「色々ありましてね。まあ、俺が悪いんですけど。少し混乱させてしまったんだと思います」
「そうなんですね」
「ええ。今度、日を改めて詳しくお話しします」
「わかりました。――まあ、とにかくたくさん食べろよ」
2人は食事を始めたが、あまり食べないまま霞真が雅哉の服を引っ張り、今日は家に帰りたいと言い出した。
「雅哉~、僕、お家で待ってるの。今日は、もうお家に帰りたい」
「どうした?食事もあまり食べてないし。さっき、お腹空いたって言ってたろ?」
「う~ん…。――あのね、雅哉とギュッとしてたい…」
雅哉の耳に近づき、清華と泉水に聞こえないように小声で言う。
「んっ…。そ、そうか。――じゃあ、少しだけ会社に顔を出してからな。みんなが頑張って仕事しているし、折角ここまで出てきたんだから顔を出さないとな。だから少しだけ会社に行くな。霞真も来るか?」
「う…ん。一緒に行くの。――お兄ちゃん、ごめんなさいなの。今日は雅哉の会社に行きたいの…ごめんなさい…」
雅哉から一緒に会社へ行くか聞かれ、霞真はそちらを優先した。
「いいよ。今日の霞真、元気ないもんな。だから叶城さんと一緒にいた方がいい。気にしなくても大丈夫だ。ここの仕事は霞真ができる時だけでいいんだよ」
「ありがとうなの。――雅哉、いい?」
「ああ、いいよ。――泉水さん、申し訳ない。もっときちんと来られると思っていたんですけど。何だか来たり来なかったりで」
「気にしないで下さい。霞真が普通の暮らしに馴染むのには時間がかかると思うんですよ。だから最初からきちんとできなくて当然。それは俺、わかってますから」
泉水からの言葉ももらい、霞真は雅哉と一緒に会社へ行く事にした。
―――泉水の店を出て、会社に来た。着いたと同時に秘書の1人からメモを受け取る。まずは、そこに連絡をしなければならない。
「霞真、ここで待っててな」
「うん」
「清華。悪いが、霞真を見ててもらえるか?俺はここに連絡をしなければならない。少し時間がかかりそうだから頼む」
「はい。かしこまりました」
霞真の事は清華に頼み、雅哉は取引先との電話を始めた。ソファーに座っていた霞真は、雅哉の電話姿をジッと見ていた。
「霞真くん、どうしました?」
「雅哉、格好いいのね。僕、雅哉のあの姿好き」
霞真の目が雅哉の姿から離れない。清華はニコリとして『そうですね』とだけ言葉を返した。
雅哉を見ていると電話での話が進まない感じだった。やはり取引相手の国へ行かなければならないのか、電話の話がすぐには終わらないでいた。
「清華さん。雅哉、外国に行かないとダメ?」
「そうですね。電話の話し具合だとそんな感じですね」
「そうかあ。ありがとうなの、教えてくれて」
清華に話を聞いた霞真は、そのまま雅哉の電話が終わるのを待っていた。そして、電話が終わるのがわかると傍まで行った。
「雅哉、お仕事、外国のお仕事行って来て。僕、待ってる。お家で待ってるの。パンがあれば大丈夫だから。僕を気にしないで行って来てなの」
雅哉の傍まで行くとそう話し、清華の方も見た。
「でもな、霞真…」
「大丈夫。だって今まで1人だったんだもん。ちゃんと待てるよ?それよりも雅哉のお仕事が困る方が心配なの」
霞真の大きな猫目で雅哉を見る。
「霞真、いい方法を考えるからな。お前を1人には絶対にさせないから」
「ありがとうなの」
今は霞真に何か言っても、反って心配させる気がして、霞真の答えを聞いてから、その話は終わりにした。
雅哉の仕事が終わり、マンションへ戻る事にした。
「霞真、帰ろうか」
「うん。雅哉~。さっきはごめんなさいなの。でもね、お仕事大切でしょ?雅哉がお仕事しないと、ここのみんなが困るのね。だからね、お留守番しようって思ったの…」
さっきの話をまたするのはどうかと思った霞真だったが、このまま家に帰って気まずいのはと思い、思い切って言った。
「ありがとうな、心配してくれて。――霞真、聞いてくれるか?」
「うん」
清華が他の件で社長室を出たのを確認してから、雅哉は霞真に話し始めた。
「あのな。霞真がどうのと言うよりは、俺なんだよ。俺が霞真と離れたくないんだ。前にも言ったが、誰かにこんな風に感じたのは初めてなんだよ。――この間な、早瀬さんとも話をしたんだが、早瀬さんも優くんに同じように思っていたらしい。いや、今もかな。俺は早瀬さんのように真面目ではないから、少しは他人との楽しい時間もあるけど、でも、霞真に対してのような気持ちはない。きっとな、俺も早瀬さんも人の暗い部分の中で生きてきたのがほとんどだから、霞真や優くんのような人に光を当ててもらって、それでやっと人らしくいられるようになったんだと思うんだ。だから、その霞真から少しでも離れるという事は暗い中に戻るという事。そこの戻るのが不安というか恐怖に近いんだと思う。だから離れたくない。そういう事なんだよ…」
途中、霞真の頬や首筋に軽くキスをして、最後には抱き締めて雅哉はそう言った。
「僕はそんなに良い人じゃないよ?研究所にいた時も、他の子が白い服の人と仲良くしているのを見て、いいなあって思ってたし、いいなあって思い過ぎて無視しちゃった事もあるの。意地悪さんの時もあるよ。今もそう。雅哉が誰かと仲良くしてる時、僕を見てって思うし、僕にもっと触ってって思っちゃうの。だから本当は僕だって…僕だって…」
霞真はそこまで言うと泣き出してしまった。
「僕だって本当は雅哉と行きたいの。雅哉が教えてくれたお花とか一緒に見た~い」
「泣かなくていいよ、泣かなくていい。お前は意地悪なんかじゃないし、触って欲しいなんて言ってくれて俺は嬉しい。一緒に行きたいな。ありがとう。俺の事想ってくれて」
雅哉はワンワンと泣き出した霞真の背中を擦り、泣き止むまで抱き締めていた。
〈静かだなあ…ん?〉
泣き止んだと思うと静かになった。
「霞真?」
霞真を呼んでみたが、よく見るとスース―と寝息が聞こえてきた。
〈まあ、そうだよなあ。あのあと、少ししか眠らないで泉水さんの所へ行ったし、たくさん泣いたしな。何より、自分の想いに我慢してたんだろうし〉
少し考えたが、このままいても休まらないだろうと思い、座ったまま眠ってしまった霞真を抱きかかえて部屋を出る。ドアの向こうにいる数人の秘書が雅哉のその姿を見て驚いていた。そして、そこには清華もいる。雅哉の姿を見てすぐに傍に来た。
「社長、どうしました?」
「ああ、話をしていたんだけどな、疲れて眠ってしまったんだ。今日は色々あったからな。霞真の中がいっぱいになってしまったんだろう。このまま連れて帰る。それとな、さっき来た政府の担当者に連絡をして、俺が先に言ったように事を進めて欲しいと伝えてくれ。できる事なら誰も通さず、向こうと直に話をしたいとも言っておいてくれ」
「はい。しかし本当にいいのですか?霞真くんは反対していましたよ?」
確かに反対はしていた。しかし、ある程度こちらも負担を伴わないと話しは進まないだろうと雅哉の考えも変わらなかった。
「確かにな。でもこれに関しては仕方ないだろう。向こうだって国家の秘密を見せるというリスクを伴うんだ。こちら側だけクリーンのままというのは無理な話だろう」
「そうですね。でも、他に方法があるかもしれませんよ?少し、向こうの出方を見てからでも遅くはないかと思いますけど」
清華は、雅哉の気持ちを自分が抑えなければ危険のような気がしていた。
「まあ、今はいい。とりあえず家へ戻る。ちゃんとしたベッドで寝かせてやりたい」
「はい。では、お送りします」
「いや、いい。タクシーで行くから。清華はこのまま社で仕事を続けてくれ」
清華を会社に残し、雅哉は霞真を連れてマンションへ戻った。
霞真をベッドに寝かせる。軽くキスをしてリビングへ行く。このあとは出掛ける予定はないので水割りを作り、ソファーに座って飲み始めた。――今日の話し合いの内容と会社での清華の言葉と、霞真の言葉、そして取引相手の話を思い出す。
〈俺はどうすればいい?霞真も納得できて向こうも納得できる。そんな何かはないのか…〉
しばらく考えていたが、どうしても自分の何かを差し出す事しか思い付かなかった。考えている間に何回か水割りを作った。自分が思っていたよりも飲んでしまっていたようで、そのままソファーで眠ってしまった。
〈…哉、雅哉…、こんな所で眠ったらダメなの…〉
〈霞真?――ごめんな。お前の言うようにはならないかもしれないんだ〉
〈雅哉…、僕のためにごめんなさいなの…〉
〈お前が謝る必要はないんだ。俺が不甲斐ないから思い付かないだけだ〉
〈うん。でもね、雅哉…起きて…〉
雅哉は、ずっと夢の中での事だと思っていた。しかし、それは夢ではなく霞真と実際に話をしていた。夢と現実の境にいる感じがする。段々と夢から覚め、現実の感覚が蘇る。
「う~ん…霞真~?」
「雅哉、おはようなの。でも、ここで眠ったら風邪ひくの。眠るなら、あっちに行きましょうなの」
目を覚ました雅哉の手を引いて、寝室へ行こうと霞真が言う。雅哉はそれに付いて行く。
「雅哉、大丈夫?」
霞真は、ベッドにゴロリとなった雅哉に不安そうな顔を見せる。
「ああ。飲み過ぎたみたいでな。そのまま寝てしまったんだな」
「僕は雅哉の会社で寝ちゃったの。雅哉が連れて来てくれたんでしょ?ごめんなさいなの。エヘヘ」
霞真から、いつもの可愛い笑顔がやっと出た。それを見て、雅哉は安心する。
「やっと笑った。今日は途中から、この顔がほとんど見られなかったから心配だったんだ。やっと見られて良かった…」
霞真の頭を撫でながら雅哉はジッと見た。頭を撫でられた霞真は、雅哉の手に擦り寄った。
「雅哉の手、気持ちいいの。温かくて優しいの。もっとって思っちゃうの」
今にもグルグルと喉を鳴らすかのように、霞真は擦り寄っていた。
「俺も霞真をもっと触りたいって思うよ。でも、この先はな。――霞真、お腹空いてないか?泉水さんの所で、ほとんど食べてなかったろ。今、何か支度するな」
身体を起こし、雅哉はキッチンへ行く。そのあとを霞真も行く。
「僕、お皿出す~」
気づけば夜も遅い。うどんがあったので温かいうどんを作る事にした。
―――「わあ~。ホワホワしてるの~」
「これは【うどん】って言うんだ」
「うどん?」
「そうだよ。泉水さんが作ってくれるのはパスタ。外国でよく食べられてるものな。今は日本でも普通に食べられているけど、元は外国のものなんだよ。うどんは日本の食べもので、こうやって温かくして食べたり、夏は冷たくして食べたりするんだよ。熱いから、よく冷まして食べろ」
テーブルにうどんと箸、フォークを置く。霞真は今まで箸をあまり使った事がないらしく上手く使えない。熱いものでも火傷をしないように清華が木製のものを買っておいてくれたので、それを出した。箸は雅哉が使う。
「ホワ~、ホワ~。ん~、いい匂い~。あっ、木のフォークなの」
「こういうものを食べる時、いつものだと火傷するかもしれないと清華がそれを支度しておいてくれたんだ」
「明日、ありがとう言わなきゃなの。――雅哉、食べるね~」
「ああ、食べなさい」
「うん。いただきま~す」
まずは、雅哉が食べる姿を見る。霞真はそれを真似て食べ始めた。
「フ~、フ~」
うどんにフウフウしてから口に入れる。
「美味しい~。柔らかいねぇ。お兄ちゃんが作るのと全然違うの。いつもはお兄ちゃんのが元気出るけど、こっちのは優しいの。雅哉が作るお醤油の味のものは優しい感じするの」
「そうだな。日本のものは胃に優しいものが多いからな。それに俺はカツオの出汁を使うのがほとんどなんだ。カツオは魚だから、きっと猫の霞真には合っているのかもしれないな」
「お魚?お魚好き~」
「うん。明日の朝は魚を食べようか」
「やった~」
「うん。さあ、うどん食べような」
自分が作るものを、こんなにも喜んで食べてもらえる事が嬉しいのかと雅哉は初めて知った。自分が作ったのを誰かと食べるのはあまりなかったからだ。こんなに喜んで食べてもらえるのなら、これからもなるべくは家で食べようと思った。
―――食事を終え、霞真はテレビを見ている。雅哉はスマホのメールを確認した。清華からのものがあった。内容は、政府からの回答で、もしできるならば先に霞真の血液が欲しいと相手側は言っているとの事だった。まずは血液というデーターをもらってからの話だと言う。
〈霞真の血液かあ。早瀬さんは優くんのを渡さない代わりに、自分のをって言ってたなあ。俺にはそれがない。霞真を出さないとならないのか…〉
テレビを見ている霞真を見る。そして、遅い時間とわかっていたが、明日見てもらえればいいかと思い、村岡先生にメールをする。すると、すぐに電話が来た。
『もしもし、こんな遅い時間にすみませんでした。明日でもいいと思ってメールしたのですが』
『いえ。そこは気にしないで下さい。まだ寝てもいなかったので。それで叶城さん。本気で言ってるの?』
『ちょっと待って下さい。場所を替えます』
電話での話になったので、霞真に聞かれないように場所を変える。
「霞真、仕事の話で大事なものだから場所変えるな。俺が呼ぶまでは入って来ちゃダメな」
「は~い」
―――『すみません。先程の話ですが、早瀬さんはたまたまでも、自分だけで了承を得たんですよね。俺もそうしようかと思います。でも俺は普通の人間ですから、霞真には調べるためにと言って霞真の血を採ってもらい、それを俺に入れて下さい。そうすれば…』
『叶城さん、そう焦らないで。理屈的にはそうだけど、優の血液は霞真くんのとは多分違うんですよ。優のは他の子に何かあった時のためのもの。そう造られています。だから基本、誰にでも与えられる。でも、おそらく霞真くんは違うでしょう。同じ血液型なら多少できるかもしれないけど、それでも優とは同じようにはならない可能性が高い。それにね、これを霞真くんが知ったらどう思うか。俺的には、そっちの方が心配なんですよ。早瀬の場合は仕方なかった。早瀬の命を助けるために優本人の意向でしたし。それでも今も後悔する事が多い。早瀬本人はそう思っていないのにです。それなのに、何も問題のない叶城さんの身体に霞真くんのを使ったら霞真くんはどう感じるかな。さっきだって反対してたでしょ?彼らは本当にイヤな時や相手を守りたい時は、さっきの霞真くんのように身体全部で抵抗します。だから霞真くんは本気で貴方の身体を使うのがイヤなんだと思います。色々思う事があるんだろうけど、血液だけで済むなら霞真くんのをそのまま出せばいいかと思うんですよ。その先、もし霞真くんに何かするようなら、俺らも力になりますから。それじゃダメですか?』
村岡先生の言っている事はもっともだ。雅哉の言っている事は霞真も反対している。黙って行えばいいかと安易に思ったが、3年以上経っても優が後悔する事が多いと聞くと、この先何年、何十年も霞真が後悔を背負うのなら焦らずゆっくりと交渉をした方がいいかと考え直した。
『そうですね。この先何十年も霞真が後悔するのは見たくないです。先生の仰る通りです。まずは霞真に話してみて、本人が了承するようなら採血をお願いします』
『それの方がいいですよ。採血したものはこっちの政府も把握するために欲しいと思うし、俺の方もそうしたいんで。どっちにしても必要だからさ。しかし、早瀬にしても叶城さんにしても研究所の子と一緒になると、どうして同じになろうとするかねぇ。まあ早瀬の話を聞くと、俺も同じように思うだろうなとは思うけど順番ってのがあるでしょ?早瀬より叶城さんの方が他人とコミュニケーションあるみたいだから、もう少し余裕があるかと思ったけど同じだったし(笑)』
村岡先生は呆れたように笑っていた。村岡先生からの言葉もあって、霞真の血液だけを出す事にした。――電話が終わり、霞真の所へ行く。
「霞真、少しいいか?」
「はいなの」
「あのな。向こうの研究所にまずは霞真の血液を送って欲しいと言われてな。――血液って、たくさんの身体の情報がわかるんだよ。その人の色んな事がな。だから、それを欲しいって話になったんだ。で、その採血の時に、昼間来た政府の人と村岡先生にも渡して、霞真の事をきちんと把握してもらった方がいいんじゃないかって、村岡先生とそんな話になったんだ。採血は簡単なものだから大した事はないけど、研究所で色々されてきた霞真にとっては採血1つとっても重大な事だと思ってる。だから、霞真がイヤなら違う方法を考えるけど、今のところ、それが一番簡単で早いんじゃないかってなってな。霞真はどうだろう。今すぐに答えるのは難しいからな。数日考えてみてくれないか?」
村岡先生と話した事を霞真に伝えた。それを聞いた霞真は黙って聞き、考えている。
「う~ん…。村岡先生と雅哉のお仕事の国の人にはいいよ。でも今日来た偉い人たちにはヤダ。僕ね、怖かったの。本当に怖かったんだよ。あそこにいた人は悪い事をした人もいたけど、そうじゃない優しい人もいたの。なのに、その人たちにも鉄砲をこうして、怖い事を言ったの。大きな声で怒って言ったの。だからヤダ。あげないの。あげない…」
話の途中、手で鉄砲の形を作り、その時に見た状況を雅哉に再現して説明した。そして日本の政府には自分の血液は渡さないと頑なに言っていた。
「わかったよ。霞真が思っている事を村岡先生に話して、偉い人に伝えてもらうからね」
「うん。いつ村岡先生の所に行くの?明日?明日の何時?」
霞真が急に、いつ行くのかと急かしてくる。霞真の中では明日行く事が決定になっているのか、小さい子供のように雅哉に聞いてきた。
「どうした霞真、急にそんな。それに明日は行かないよ。先生の都合もあるから相談してからな」
「明日は行かない?――良かった~」
雅哉が明日は行かないというと、ホッとしたように胸に手を当てていた。
〈これって、もしかして…〉
「なあ、霞真。もしかして採血がイヤなのか?注射とか苦手なのか?」
「う~ん、言わないでなの~。注射イヤなの~」
やはりそうだった。何となくそんな感じがしたのだ。研究所でたくさんされていたからというのもあるだろうが、この嫌がり方は元々のものだろうと雅哉は思った。
〈注射って、いつもされたからって慣れるもんではないんだな(笑)〉
そんな事も思っていた。
「そうか(笑)。霞真は注射が嫌いなのか。でも村岡先生ならきっと痛くないようにやってくれると思うぞ。それに、月斗くんと李花ちゃんだってやってもらってるみたいだしな。あんな小さな子が頑張ってできてるんだ。霞真だってできるだろ?」
「う~ん。そうなんだけど~」
「(笑)。霞真がされる時はちゃんと傍にいるから。俺が傍にいるからな」
「絶対?」
「ああ、絶対に傍にいる」
雅哉のこの言葉で霞真は納得したようだった。
★
―――翌日、昨夜の村岡先生との話の内容を清華に話した。
「そうなんですね。わかりました。私の方から村岡先生に確認を取って、政府には先生の方から説明してもらうよう改めて、お願いしておきます」
「そうしてくれ。それで、今回の例の件だが、さすがに間に合わなそうだから霞真を置いて行く。向こうには違うものを同行させるから、申し訳ないが清華は霞真とここにいてもらっていいか?それとも、君がイヤじゃなければ君の家に連れて行ってもらっても構わないんだが。ここで好きなようにいてもらっても全く問題ないが休まらないかと思ってな。どちらでも構わないぞ。とにかく霞真と一緒にいて欲しい。その間は出勤せずに在宅での仕事をお願いしたい。霞真には俺から話すから」
数日前から話し合いをしている取引先との内容が電話だけでは無理そうなので、イギリスまで行かなければならなくなった。霞真の事があるので、行かずに済むようにしていた雅哉だったが、電話だけでは無理と判断せざるを得なかったのだ。
「かしこまりました。――それで社長が留守の間は、こちらでもよろしいですか?時々、外の空気を吸いに行く感じで家の方へ行かせて頂きます。部屋に空気を入れたいので。それ以外はこちらで。それと、泉水さんを招いてもよろしいですか?」
「そうか。そうだよな。泉水さんだ。――俺もダメだな。自分がいないからと思ってここにいてくれと言ってしまった。昼間は泉水さんの所での方がいいな。気分転換にもなるだろうし。清華も普段通り仕事もできるしな。悪い。それでいこう」
「はい(笑)。社長、変わりましたね。いつもは抜け目なくいられる方なのに霞真くんの事になると…(笑)」
雅哉のオロオロしたような態度を見て、清華は笑っていた。
「笑うなよなあ」
「失礼致しました(笑)。では、社長が出張中は、昼間は泉水さんの所へ、夜に私が迎えに行き、こちらで寝起きをするという事でよろしいですね」
「ああ、そうしてくれ。頼むな」
「はい」
―――夜になってから霞真に急な出張で留守にする事を伝えた。今回は清華と泉水と一緒に留守番をしていて欲しいと説明をし、霞真は寂しそうな顔をしつつも理解した。
★
―――2日後の雅哉がイギリスへ行く日。
「霞真、留守番頼むな。清華と泉水さんの言う事を聞いて待っててな。ごめんな、一緒に連れて行けなくて。この次は行けるようにするから」
「うん。大丈夫なの。ちゃんと清華さんと待ってるの。お兄ちゃんのお手伝いもするよ」
「ああ。――清華、頼むな。何かあったら時間関係なく、すぐに連絡くれ」
「はい。――さあ、早く出ませんとタクシーが待っています」
清華に時間を急かされ、マンション下へ降りる。清華と霞真も一緒に来た。
「社長、おはようございます」
「ああ。荷物はこれな。――霞真~。ほんとごめんな。清華、大丈夫かあ?」
もう1人の秘書がいるにも関わらず、雅哉は最近の霞真用の表情を出し、霞真を抱き締めながら清華を見る。
「社長。お気持ちはわかりますが、ちゃんと社長の顔になって下さい。あの者が困っています」
「あの者?ああ、そんなの気にするな。ここは俺んちの前だ。会社ではない。霞真、キャリーケースに入らないよなあ…」
本気で言っているのか、一度トランクにしまわれたキャリーケースを出し、霞真の前に置いてサイズを見る。
「雅哉、みんな困ってるの…。それに僕、これには入らないのよ…。僕、清華さんとちゃんと待ってるよ。お兄ちゃんとも待ってるの。だからちゃんとお仕事ね。じゃないとみんな困るの。――ん~、でも~。雅哉~」
途中までは我慢していた霞真だったが、我慢できずに雅哉に抱きついた。
「んん… …」
雅哉に抱きつくと、雅哉がキスをする。
「霞真、ごめんな。すぐに終わらせて戻るな。それにメールもするからな。お前も、いつでも電話してきてもいいんだぞ。俺の行動を気にせず、電話でもメールでも何でもしてきていい。わかったな」
「うん。ありがとうなの。雅哉、気を付けていってらっしゃいなの」
「ん?そんな言葉、何処で覚えたんだ?」
「清華さんに教えてもらったの」
「そうか。ありがとう。霞真は勉強家だな。――じゃあ、行って来るな。清華、頼んだぞ。一日に一度は魚料理を食べさせてやってくれよ。じゃなきゃ、和のものでカツオ出汁が効いた料理が良い」
「はい。そう何度も言わなくても大丈夫です(笑)。さあ、さあ。本当に乗って下さい。飛行機の時間に間に合わなくなります」
「わかたって。――じゃあ、行って来るな。霞真、もう一回」
そう言うと、窓越しで霞真にキスをした。
「行ってくる」
早目に出てきたのに、かなりの時間が過ぎていた。やっとタクシーが走り出す。
「雅哉~、いってらっしゃいなの~。早く帰って来てね~」
走って行くタクシーの後ろから、霞真が手を振って大きな声で言っていた。
〈仕事したくないなあ…〉
「早瀬さんの気持ちがよくわかる。会社は誰かに譲って辞めようかな…」
霞真と別れて数分後、タクシーの中でボソリとそう呟いていた。
―――空港に着き、手続きをする。時間はまだある。
「悪いが俺はあそこへ行って来る」
秘書にそう伝えると、答えも聞かないまま土産物屋へと向かった。そこで、お菓子やら清華や泉水と遊べそうなボード-ゲームなどをたくさん買い、会計場所から今日の夕方には清華に届くよう会社の秘書課へ送る手続きをした。その様子を同行した秘書が見る。
「社長、ここ、まだ日本ですよ?なのにこんなに送るんですか?しかも会社にですよねぇ」
あまり事情を知らない秘書は驚く。今までにこんな事をした事がないのもあるが、国内で、しかも清華宛てに、今日の夕方までに着くように送るのだ。何がどうなっているのか秘書の頭にはハテナがいくつも浮かんでいる状態だった。
「いいんだ。これは清華にじゃない。霞真にだ。霞真は世の中のものを何も知らないからな。だから色んなものを食べさせたいんだ。それに、こういうのだって初めてだろう。清華や泉水さんと遊ぶのに丁度いい。だからいいんだ。お前、清華に荷物が届く事をメールしとけ」
真面目な顔をして送り状に記入する雅哉の姿。秘書は『はぁ…』とだけ返事をして、言われた通りに清華にメールをした。
土産物屋での手続きを終え、ラウンジで時間を潰す。スマホを出し、霞真へ電話をする。
「もしもし、霞真か」
「雅哉~。もう外国に着いたの?」
「(笑)。まだ日本の空港だよ。これから飛行機に乗るところなんだ。今な、清華に色々送ったものがあるからな。夕方には清華に届くから夜受け取ってくれ。それで、霞真と清華と泉水さんで楽しんでな。ゲームもあるから。また向こうに着いて良さそうなものがあったらすぐに送るから。あっと、もう行かなきゃだ」
「ありがとうなの。でも、そんなに気にしないでなの。あんまりお買い物すると清華さんに怒られるよ?」
「怒られたら怒られただ(笑)。霞真が気にする事はない。霞真に色んなものを食べてもらいたいし、遊んでもらいたいからな。ごめん、もう行くな。またあっちから電話するから。こっちからだと13時間くらいだから、夜中に着くんだ。もう霞真は寝てしまっている時間だから明日に電話するようになるな。少し時間が空くけど、必ず電話するから」
「うん。僕、待ってるよ。雅哉、頑張ってね」
「ああ。じゃあ飛行機に乗るからな。行ってきます」
秘書から『走って下さい』と言われてしまう程、霞真と電話をしていた。秘書は出発前から、いつもの雅哉と違うので戸惑っていた。
―――無事に飛行機に乗り、呼吸を整える。
「申し訳ない。清華は知っているが君は知らないな。霞真がいるから色々と生活が変わってな。――霞真は俺の大切な人なんだ。普通の人生を歩んでいなかったから幼いまま大人になっているが、俺にとっては大切なんだ。将来的には結婚も考えている」
「結婚…ですか?」
「ああ。あの子は世の中を知らないから真っ新な目で色々見るんだよ。綺麗なものは綺麗、不快なものは不快だと隠さず言う。俺の仕事にはとても大切で、でも仕事だからこそ忘れてしまう。それをあいつは持っているんだ。仕事だけじゃない。俺の事を身体全部で想ってくれている。作られた言葉ではなく、霞真だけの言葉や態度で示してくれる。それがいいんだよ」
飛行機の席に座り、離陸して落ち着いた頃、雅哉は秘書にそう話した。
「そうですか。社長が夢中になってしまう方なんですね。でも、仕事はお願いします。タクシーの中で言っていた『辞める』などは言わないで下さい。社長を引き継げる者なんていませんから」
「そうか?俺以外の奴の方が良い会社になるかもしれないぞ(笑)」
雅哉はそう笑っていた。
イギリスのロンドンは飛行機で13時間くらいかかる。途中、いつものように眠ってみるが、最近は霞真と寝ていたからか眠れない。
〈これなら楽しそうに何かしている霞真の動画でも撮っておけば良かったな〉
と、思いながらいた。ここではやる事もないので、まずは清華にメールをする。
『悪いが今夜にでも、霞真の楽しそうに何かしている動画を撮って送って欲しい』
そう打った。そして、すぐに返信が来る。
『動画ですね。わかりました。空港から送られたもの開ける時に撮ります。ただし、これからはあまり送らないで下さい無駄遣いはダメです』
やはり最後は小言を言われてしまった。
『今回だけは許せ。向こうへ着いてからも送る予定をしているから、そのつもりで…』
『本当に今回だけですよ?』
『了解』
そこで話は終わった。同行した秘書にとっては、雅哉の態度以外はいつもと変わらぬ出張なので、隣で慣れたように睡眠を摂っていた。雅哉は自分の座席の前にあるテレビ画面で映画を観る。しかし、これも面白くない。何をしても、霞真がいなければ楽しくない事に気づく。自分にとって、これ程の事になるとは雅哉自身思ってもいなかった。
―――退屈な時間を頑張って過ごした雅哉は、ようやくロンドンへ着き、飛行機を降りた。無事に荷物も受け取れ、その足で土産物屋へ行く。秘書に『清華さんに怒られますよ』と言われながらも、日本の空港と同じように清華宛てに送った。
一度宿泊先のホテルへ行き、身体を休める。数時間してから今回会う事になっている会社へと行く。いつものように社長の仕事をし、無事に契約をする。そのあとは数件の店を回り、霞真へのものを買う。今回は買い物もあるのでレンタカーを借りた。
「社長、お腹空きませんか?」
「そうだな。君の行きたい店に行ってくれていいぞ。ずっと俺の買い物に付き合ってくれているからな。食事くらいは俺が付き合うよ」
「そのような事は気になさらないで下さい。これも仕事ですから」
「まあそうだろうが、今回の行動はさすがに俺だって気にはしてるんだからな。だから、君の食べたい所へ行ってくれ」
「そうですか。では、お言葉に甘えさせて頂きます」
雅哉の申し出を受け取り、秘書は行きたかった店へ向かった。
昼食を摂り、店を出る。食事をしながら電話をと思ったが、自分たちのいる所が午後の2時くらい。だとすると、日本は朝の6時くらい。まだ寝ているだろうと思い、清華のスマホに霞真宛てのメールを送っておいた。
食事を終えた雅哉と秘書は、賑やかな中心地から静かな田舎の方へと向かう。契約している農家の所へと行く。今は日本に限らず、世界中の気候の状況が毎年変わる。そのために自分の目で確認に行く。そして、新しい品種などがあれば、それに対しての話を聞く。
雅哉の会社で契約しているものについては問題がなかった。今年の分については大丈夫そうだったので安心した。
翌日も残りの農家へ行き、状況を確認する。こちらも今年の分については問題ないようだった。しかし、昨年のように今年も気温が高くなるようならば、来年は暑い地域のものを栽培しなくてはならないと相談をされ、それについては日本に戻ってから改めて考え、答えを出すと説明をして、その翌日に日本へと戻った。向こうで買ったものは日数短縮のために、自社の配送所から送った。
飛行機で13時間。日本の空港に着く。そこからタクシーでと思っていたが、飛行機を降り、表へ出ると清華と霞真がいた。
「あっ、雅哉~。雅哉いたの。清華さん、雅哉いた。雅哉~、僕、ここなの~」
大きな声で雅哉を呼ぶ声がする。
〈ん?霞真?〉
自分を呼ぶ声の方を振り向くと、霞真が呼んでいた。
「霞真、迎えに来てくれたのか?」
「うん。清華さんにお願いして、お迎えに来たの。お帰りなさいなの。雅哉~、お帰りなさいなの~」
雅哉の顔を見た霞真は、雅哉の方へ走って胸に飛び込んだ。
「ただいま。霞真…、霞真。ただいま。ごめんな、留守にして」
「ううん。清華さんとお兄ちゃんが一緒にいてくれたから。でも、雅哉がいなくて――」
霞真は、最初の一言目は普通に装ってはみたが二言目には隠せなくて、寂しかった事を言ってしまった。
「俺の方が寂しかったよ。次からは一緒に行こうな。霞真がいなくて何食べても美味しくないし、眠れないし。あ~、お前がいなくて、おかしくなりそうだったよ。さあ、おいで」
雅哉も自分の気持ちを話し、改めて両手を広げて霞真を迎え入れてから抱き締めた。そして、周りを気にせずキスをする。
「霞真…」
「んん…雅哉。雅哉の匂いなの…」
「ああ。霞真の匂い。これがなくて苦しかったよ」
「うん、僕もなの…」
2人が抱き合い、キスをしている。雅哉に同行した秘書は顔を背けていたが、いつもなら厳しめな言葉を言う清華は何も言わずに安心した顔をして2人の事を黙って見ていた。
「雅哉、早くお家帰ろうなの~」
「ああ、そうだな。――清華、悪かったな。忙しいのに」
黙って見ている清華に、雅哉は少し恥ずかしそうにしながらもそう言った。
「いえ。急な出張でしたからね。今までとは違う中での急な出張でしたから。さすがに大丈夫かと心配していました。でも、そんな中でも、きちんと仕事をされていたようですし。それに霞真くんも、少しでも早く社長に会わせてあげたかったですし」
「ありがとう。霞真は大丈夫だったか?」
「はい。でも、やはりふとした時に、寂しそうな顔をしていましたよ。随分と我慢をしていたと思いますので、あとでたくさん褒めてあげて下さい」
「ああ、わかった。――そうそう。数日後、うちの配送会社から荷物が届くからな。清華宛てにしてあるがーー」
「霞真くんのですね(笑)。わかりました。最初に送られてきたものでは随分と楽しませて頂きました。泉水さんと3人で遊びました。それと、美味しいお菓子も頂きました。社長のおかげで今週は、楽しい毎日を過ごさせて頂きました。ありがとうございます」
いつも固い清華が、ニコニコとしながら言ってきた。
「そうか。それは良かった。霞真も楽しかったか?」
「うん。清華さんとお兄ちゃんとゲームしたよ。お兄ちゃん、借金って言うのがたくさんになちゃって、現実にならないように気を付けなきゃって言ってたの(笑)」
「そうか(笑)。人生ゲームしたんだな」
「そう、そのゲーム。僕は、たくさん赤ちゃんができちゃって車に乗り切れなかったの(笑)。清華さんは凄いお金持ちになった~」
昔からあるボードゲーム(ポケットバージョン)が売っていて、それも送っていた。3人でそれで遊んでいたらしい。楽しそうに話をする霞真を見て、雅哉は嬉しかった。
「さあ、そろそろ行きましょう。一度、会社に行かれますか?」
話が尽きない間をぬって、清華が言葉を挟む。
「そうだな。一度、社に行くか。霞真、会社に行くけどいいか?」
「うん。雅哉と一緒だから何処でも行くの~」
『エヘヘ』と言いながら、霞真は雅哉の腕にしがみ付いて言った。
霞真からの了承をもらい、清華の運転で会社へと向かった。
社長室へと向かう。
―――「あ~、さすがに疲れたなあ」
社長室に着くと、雅哉はソファーにドカリと座った。
「雅哉、お疲れさまなの」
「ありがとうな。でも、少しこうしてれば疲れも飛ぶと思うから」
自分の横に霞真を座らせ、そして自分の方へ寄せた。
「雅哉、みんな見てるの…」
清華と、同行した秘書が出たり入ったりするのでドアが開いたままの状態になっている。雅哉と霞真の状況が丸見え状態だった。
「俺が疲れて帰って来てるんだ。少しの癒しを求めてて文句言われる事はないし、何よりも… …相手は霞真だ。俺が愛する者とここでこうしてるんだ。文句は言わせないさ」
自分で言ったのにも関わらず、雅哉は途中、照れながら言葉を返した。
「社長、お疲れさまでした。コーヒーです。霞真くんには紅茶を」
「ああ、悪いな。それで、これが契約書類だ。あとな、農家回りもしたんだが、この数年の気候がおかしいだろ。今年の分は大丈夫そうなんだが、もしかしたら来年からは暑さに強い種類に変えていかないとならないだろうとの話になった。そうなったとしても、うちと仕事をしたいから品種の事などを一緒に考えて欲しいと言われたよ。俺としてはその意見に賛成だ。今回の所だけではないと思うから、他の地域にも確認して欲しい。今後の事は清華も少し考えてみてくれないか」
雅哉は、今回の向こうでの状況を清華に話した。清華は渡された契約書類やメモを見ながら話を聞いていた。
「そうですか。色々と問題はありそうですけど、それでも我が社とそのまま仕事をしたいと言ってくれるのは有難い事です。こちらも、それに応えないといけませんね」
「そうだな。近いうちに、いくつかの部署を集めて話し合いをしよう」
「かしこまりました」
雅哉の言葉を聞いて、すぐに清華は自分のスマホで各部署のスケジュールを確認し始めていた。
「雅哉、お花さん、違うのにするの?」
雅哉と清華の会話を聞いていた霞真が、話の内容を理解していたのか質問をしてきた。
「そうなんだ。今は世界中で気候が変わりつつある。寒い国が暑くなったり、暑い国が寒くなったりな。だから、今まで育てていたものが育てられなくなったりしているんだよ」
「そうかあ…。お花さんたち、可哀想なの」
雅哉の話を聞いた霞真は、悲しい顔をしながら答えた。
「霞真は優しいな」
「う~ん。そんな事ないよ?だって、寒い所のお花さんが暑い所にいたら喉乾いちゃうし、暑い所のお花さんが寒い所にいたら風邪引いちゃう。可哀想でしょ?」
「そうだな。――なあ、霞真。少し、俺の仕事を手伝ってもらえないか?」
霞真の顔をジッと見た雅哉が、ソファーから立ち上がり、本棚に行きながらそう言った。
「僕が雅哉のお手伝い?」
「ああ、そうだよ。――このあたりのでいいか」
何冊か本を持ち、それを霞真の前へ置く。
「まずは、この中のものから気候に合ったものを選んで、そのあと詳しく調べてから再度考えるんだ。それをやってもらえないか?」
雅哉が説明をしている所に、少しの間、席を外していた清華も座り、霞真と一緒に話を聞いていた。
「社長、それは良い考えですね。霞真くん用のデスクも届いておりますし、いいんじゃないですか」
「届いているのか?」
「はい。一昨日に」
「そうか。じゃあ、この部屋に一緒に置いてくれ。――霞真、霞真の机、どの辺りに置くか?」
「雅哉?机って?僕、ここでお仕事するの?」
雅哉と清華の話がどんどん進み、霞真は少し戸惑いを見せた。
「あのな、霞真。霞真は今までずっと研究所で育ち、そして公園で暮らしていた。学校も行ってなくて、仕事もしていなかっただろ?もちろん、そんな暮らしも悪くない。でも、もっと色んなものを見て、経験して欲しいと思っているんだ。1人だと不安でどうしていいかわからないだろうが、俺や清華と一緒なら平気だろ?――まず、泉水さんの所で1つ経験した。俺がいない間、泉水さんと清華と遊ぶ事も経験した。そこで、次の新しいことを1つ。俺と清華と仕事をしてみてくれないか?やってみて、もし霞真に合わないようなら途中で辞めてもいい。こんな仕事もあるんだとわかってくれればいいからな。そのくらい軽い気持ちでいいんだ。やってみないか?」
雅哉は霞真と会った時から思っていた。最初は、ただ一緒にいられればいいかと思ったが、一晩一緒に話している間に一緒に仕事をしたい。霞真の純粋な心と目で自分の手掛ける植物を考え、その栽培の地へ一緒に行きたいと、そう思っていた。
雅哉が話す事を真剣に聞き、少し間を空けてから霞真が口を開いた。
「そんな凄いお仕事、僕にできる?」
「ああ。俺や清華と一緒ならできるさ」
「雅哉が言ってくれている事はわかるの。でも、何て言っていいかわからないの…。ごめんなさいなの…」
霞真は雅哉に返事をしながら、雅哉が待っている答えを言えない申し訳なさで下を向いた。
「いいんだよ、すぐに答えを出さなくても。ゆっくり考えて欲しい。とりあえずは、この本たちを見てくれないか?今回、俺が行って来た国の代表的なものなんだ。今まではこのようなものを育てていたんだと知ってくれればいい」
「うん。本を見るのは楽しいの。ありがとうなの、雅哉」
ほとんどの事が初めての霞真。ここで無理に言うのはいけないと雅哉は思った。もっとゆっくり、もっと楽に自分の仕事を見てもらおうと思い直した。
―――「社長、政府機関から連絡がありました。あちらの研究所から、霞真くんのデーターが欲しいと話しが来たと。1週間程、あちらの施設で霞真くんを預かりたいとの事です」
雅哉が霞真と話をしている間に突然、清華の元に例の話が来た。
「1週間預かる?血液だけを渡すというのはダメなのか?――向こうの研究所に直に連絡をしても問題ないのか?問題ないなら直接連絡をする」
「確認致します」
血液だけを送るはずだったのに急に話が変わった。しかも、1週間も知らない国の、知らない研究施設に霞真を1人で行かせるのは雅哉も頷けない。間に人を通すと時間もかかる。自分の耳で直接、確認をしようと思った。
「社長、あまり感じのいい返事ではありませんでしたが、何とか了承は取れました」
「そうか。じゃあ、すぐに連絡をする」
雅哉がそう言うと、清華は今聞いた連絡先へすぐに電話をした。そして、雅哉に替わる。
30分くらい話をしていたのだろうか。最初はこちらの提示した事に拒否をされたが、話をした者よりも明らかにもっと上の者と話をする事になり、事がスムーズにいった。とても感じの良い人で早瀬とも交流があるらしく、既に早瀬から話が行っていた。雅哉が向こうに行き来する仕事で、向こうの生活にも馴染みがあるのなら、雅哉も一緒にいる上で本人の霞真をそのまま診たいとなった。もちろん、雅哉が滞在中は、その研究所で通常通り仕事をしても構わないとの事だった。霞真自体を使う事には反対だったが、この先、細々と要求されるよりは自分も一緒にいた上で、その場限りの方が後々いいだろうと思い、了承した。仕事をする話もしたので、秘書で霞真の世話もしている清華も同行してもいいと許可をもらった。
「清華、話がついたぞ。急で申し訳ないが、明日こちらを発つ」
「明日ですか?だって社長は先程戻られたばかりですよ?」
「そうなんだが、こちらの融通も聞いてくれたからな。なるべく向こうの言い分も聞き入れたい。今後の事もあるからな。それに、今回、霞真のデーターをやればあとは放免になるんだ。俺も清華も一緒にいてもいいと言ってくれたし。さっさと終わりにして自由に行き来しようじゃないか。それに、この1回でこの先の霞真の安全が保障されるのなら安いもんだろう」
「まあ、そうですが…」
さっき帰国したばかりで明日また行くというのを聞いた清華は心配だった。今までも何回かはあったが、今回はいつもよりもかなりの疲労姿に見える。もう少し日数を空けてもいいのではないかと思った。
「とにかく約束は明日出発だ。政府に連絡をしてくれ。霞真はパスポートもないから普通には行かれない。それに、霞真の身体で飛行機に乗っても大丈夫なのかもわからないしな。俺は村岡先生に連絡をして、そのあたりを確認するから、清華は政府に行ける段取りをしてもらってくれ」
「かしこまりました」
不安そうな表情を浮かべる清華は社長室を出て連絡をし、雅哉は気にしつつも霞真に話を始めた。
「霞真。明日な、飛行機に乗ってイギリスへ行くぞ。さっきまで俺が行っていた所だ。それで、あっちの研究所に1週間いるからな。俺も清華も一緒だし、簡単な検査だけで、あとは普通の生活をしてて構わないそうだ。仕事もしていいと言っていた」
「僕、飛行機に乗るの?研究所に行くの?… …研究所・・・」
霞真は【研究所】という言葉を聞いて固まってしまった。
それを見た雅哉は霞真を足の上に乗せ、強く抱き締めた。
「大丈夫だ。俺も清華も一緒だからな。それに、酷い事は何もされないと早瀬さんも言っていたから。もし何かあればすぐに帰ってくればいいわけだし。それに今回の検査をすれば、あっちの国では何も気にせずにいられる」
「雅哉と離れない?」
「ああ、大丈夫だよ」
「だけど雅哉は帰って来たばかりだよ?なのに、また遠い所に行くのは疲れちゃうの」
「それも大丈夫だよ。今回は霞真が一緒だからな。きっと機内でもよく眠れる」
「そうかなあ。――じゃあ、早くお家帰ろ?帰って、雅哉も休まないと。僕、清華さんに言って来る~」
いつもよりもバタバタした霞真は、社長室の向こう側にいる清華の所へ行ってしまった。その間に雅哉は村岡先生に連絡をした。
―――電話を受けた村岡先生は急な事で驚いていたが、瀕死だった早瀬が大丈夫だったのだから飛行機に乗るくらいは問題ないだろうと言っていた。それに、何か気になる事があれば向こうサイドも軽く引き受けたりはないだろうと言っていた。途中、何かあればすぐに連絡をするという事になった。
「清華さん、早く~。早く、お家帰るの~」
村岡先生との電話が終わった頃、霞真が清華の腕を引っ張りながら社長室に連れて来ていた。
「霞真、清華、どうした」
「社長、か、霞真くんが…」
「清華さん、早く帰るの~」
明日出発と聞いて、霞真は清華を呼び、早く帰ると騒いでいる。清華は困った顔をしているが、雅哉はそれが愛くるしく見えて笑みを浮かべた。
「社長?」
雅哉の表情を見て、清華が不思議そうな顔をした。
「あ、ああ。いや、いい空気だと思ってな。――さて、霞真の言う通り帰るか。あとは他の者に任せればいい。それとも清華は何か都合が悪いか?それなら明日は俺と霞真で行くから無理をしなくてもいいぞ。向こうでのんびり仕事をさせてもらう。清華にもプライベートがあるんだから、無理なら無理とちゃんと言ってくれ」
よく考えたら自分に霞真がいるように、清華だって大切な人がいるはず。今までは仕事中心だったから然程気にも留めなかったが、今回は仕事ではない。唯でさえ、ずっと霞真に付いていてもらった。更に1週間も自分たちに付き合わせるのはいけない事だと思った。
「いえ、特に何もないので問題はありませんが、一度着替えなどの支度に自宅に戻らないとと思いまして」
「そうだな。今日までも家にはあまり帰っていなかったんだろう?――それと、本当にいいのか?清華にも家族や友人などと付き合いもあるだろうし」
特に問題はないという回答が気になった。仕事に尽くしてくれるのは有難い事だが、だからと言ってそればかりになるのはいけない。
「お気遣いありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから。元々、家族ともそんなに深く付き合いがありませんし、友人も、その時だけの付き合いしかしていませんので。社長や会社の方との方が深くお付き合いしているくらいですから…」
〈そう言えば…〉と雅哉は思った。自分も清華と似たように生きてきた。お互いに仕事と見えている部分以外の事は話した事がなかったから気にも留めなかったが、〈そうか。だからいつも自分と、この会社の事を第一にいてくれたのか〉と思った。いつか、清華が話してもらえそうな時に色々聞いてみようと雅哉は思った。
「もし、誰かと約束があるようなら言ってくれよ?」
「はい。まあ、あるとすれば泉水さんとのお約束でしょうか。社長が帰って来たらゲームをしましょうとお約束をしていたので…」
〈ん?〉
そう話す清華の表情が何だかいつもと違う。間違っていなければ、家族とも友人とも付き合いがない清華にとって、泉水さんは初めての深い付き合いになる人になるのではと雅哉は思った。
「そうか。それは悪い事をした。帰りに泉水さんの所で食事をして、それから帰ろうか。霞真、それでいいか?」
「うん。お兄ちゃん待ってるの」
「そうだな。お礼もちゃんと言いたいし。よし、会社の事は他の者に任せて、霞真、清華、行こうか」
「は~い」
今回の契約書類のコピーを他の秘書に渡し、明日から再度、向こうの様子を見て来ると伝え、今回は清華を同行させる手続きをして会社を出た。
―――「お兄ちゃん、ただいまなの~。雅哉、帰って来たけど、明日から雅哉と清華さんと僕も遠い国へ行くの~」
店内に入るとすぐに、霞真が泉水に話を始めた。
「お帰りなさい、叶城さん。今帰って来たばかりで明日から3人で遠い国って?」
「うん、そうなんですよ。先日お話しした向こうの国の研究所から、霞真のデーターが必要だと連絡が来ました。不安ではあったんですけど、霞真がいた研究所の息子さんの御主人から、普通にのんびりいられる所ではあるから問題ないだろうと聞きましてね。何かあった時は、この国の政府と彼らが手を貸してくれると言ってくれてて。それに、俺の会社の仕事はあっちへ行く事も多い。向こうで何かあった時を考えると後ろ盾もあった方がいいと思いますし。多少、協力をせざるを得ないかと思いまして」
雅哉は泉水に話しながら座り、泉水は雅哉の話を聞きながら飲みものを出す。そして泉水は、あとの事をバイトの子にお願いをして清華の隣へ座った。
「ああ、あの話ね。しかし、随分と急な話じゃないですか。大丈夫なんですか?本当に」
「一応、この国の政府も関与していますから問題はないとは思います。まあ確かに、どんなことをされるのか心配な部分もありますけど、俺も清華も一緒にいられますし、仕事も普段通りにしていいと言うので…」
「そうなんですね」
「ええ。――ところで、泉水さんの店は1週間程、休む事はできないですよね?もちろん、1週間分の売り上げ分はこちらがお支払するとしてなんですけど」
雅哉が、またもや突然言い出した。清華へ顔を向けてニヤリとした。会社を出るまでは考えていなかったが、清華の言葉と態度を見て、泉水も一緒に行った方が良いような気がしたのだ。
「まあ、叶城さんの好意がなくても1週間くらいなら問題はないですけども…」
泉水がそこまで答えると、清華が口を開いた。
「社長、さすがにそれは泉水さんに申し訳ないと言いますか、失礼だと思いますよ?」
「いや、いや、そういう意味で言ったんじゃないんだ。――泉水さん、俺の言い方が失礼でした。申し訳ありません。ちゃんとハッキリ聞けば良かったですね。急で申し訳ないのですが、明日から泉水さんも一緒に行って下さいませんか?霞真も泉水さんが一緒の方が安心だろうし、俺と清華にとっても泉水さんがいてくれた方が心強い。それに行先はイギリスですから、ハーブが馴染み深い国です。泉水さんにも楽しんで頂けるかと思いまして」
雅哉は、清華に指摘された部分を泉水に謝り、改めて一緒に同行して欲しいと話した。泉水は少し考えて、
「本当に俺なんかが言ってもいいの?叶城さんの会社の人間でも、霞真の身内でもないし…」
そう答えた。
「そんな事ないですよ。泉さんは霞真にとって保護者みたいなものでしょ?俺たちにとっても大切な人です」
雅哉は、泉水の目を真っすぐ見ながら言った。
「保護者なんて、おこがましいと思うんですけど」
「泉水さんがいたから、霞真がこうして生きていられたんですから。霞真そうだろ?泉水さんがいたから生きていられたんだよな?」
泉水は恐縮するかのように雅哉に答えるが、雅哉は霞真の頭を撫でながら、霞真が今いる事への敬意を払うかのように話をした。
「うん。お兄ちゃんがご飯くれたからなの。研究所にいる時はよくわからなかったけど、公園にいた時はお腹空いて困ったの。お兄ちゃんが毎日ご飯くれたから、僕生きてるの~」
ニコニコしながら霞真は泉水を見て言った。言葉の最後に『ありがとうなの』と言って頭を下げた。しかし、泉水は暗い表情を浮かべて話し出した。
「本当は三食与えたかったんだ。だけど叶城さんと会うまでは俺自身、霞真に何処まで手を伸ばしていいかわからなかったんだ。普通の人間じゃない事も知ってたから、あまり深く付き合って変な事に巻き込まれたらどうするかとか、自分の事ばかり考えていたのが本当なんだ。俺は、叶城さんが思っているような人間じゃない」
「―――話してくれてありがとうございます。泉さんが言っている事、決して間違っていません。当たり前の事です。でも、泉水さんは霞真に食事をさせていたじゃないですか。俺が初めて霞真と、この店で食事をした時、霞真が食べても大丈夫なものをきちんと把握していた。それに、人間じゃない部分を知っていたのにも関わらず、黙って世話をしていた。霞真が襲われた時だって来てくれたじゃないですか。俺が霞真を連れて行った時も、もし面倒を見れなそうなら、ちゃんと自分の所に戻して欲しいと言ってたじゃないですか。泉さんは霞真の保護者ですよ」
自分が霞真を目にした時からの泉水の事を、雅哉は1つ1つ思い出しながら言った。そして、泉水が自分を責めているのを見て、霞真が傍に行き、抱き締めながら言う。
「お兄ちゃんは、お兄ちゃんなの。僕のお兄ちゃんなの」
霞真に抱き締められながら言われた泉水は『ありがとうな』と言って、霞真の頭を撫でていた。
―――そのあとも色々話した。霞真に一緒に行こうとグイグイ来られたのもあって、泉水も一緒に行く事に決まった。関係各所からも許可をもらったので、無事4人で行く事になった。
食事をし、雅哉と霞真はマンションへ、清華は準備もあるので今夜は自宅へと戻った。
「霞真~」
ソファーに座った雅哉が、霞真を自分の足の上に乗せ、抱き締めた。
「雅哉~。寂しかったの~。雅哉がいないから楽しいのも半分だったの」
「そう言ってくれると嬉しいなあ。俺も楽しくなかったし、眠れなかったよ。霞真の、この甘い匂いがなくて飛行機でもホテルでも全然眠れなかったんだ。あ~、俺だけがわかる匂い。俺だけの霞真…」
霞真の首元に顔を埋め、匂いを嗅ぎながらキスを落とす。
「ん~、雅哉ダメなの~。匂い嗅がれると恥ずかしいの~。でも、ギュ~」
恥ずかしいと言いながら、霞真は雅哉に抱きつく。
「霞真…」
抱きついてきた霞真と自分の間を少し開け、雅哉は再度キスをした。
「んん…雅哉、お帰りなさい…」
「ああ、ただいま。やっと触れた…。俺の可愛い霞真…」
「雅哉…」
「ん?」
キスをされ、雅哉の懐に顔を埋めていた霞真が不安そうな表情で雅哉を呼んだ。
「明日行くでしょ?みんなで行くから楽しみだけど、でも研究所怖いの…」
公園暮らしの前はずっと研究所で育っていた霞真。その時の記憶が蘇るのか、雅哉の横辺りの一点を見つめたまま、そう言った。
「そうだな。正直、俺も研究ってどんなことをするのかわからないし、行った事もないから不安ではある。ただ、早瀬さんが言うには、のんびりできる場所で窓からの景色も良くて、食事も美味しいと言っていたから、それを信じるしかないかと思っているよ」
霞真の不安を考えると、どう言っていいのか迷ったが、自分も不安な事があると、雅哉は隠さずに話した。
「まあ、そう言っても霞真と一緒にいられるのは確実だからな。何かあれば即、連れて帰るさ」
急な研究所行に不安になってしまった霞真が、自分が話した事で更に不安な表情を浮かべてしまったので、フォローするつもりで雅哉は一言プラスした。
「雅哉と一緒だもんね。大丈夫…」
「ああ。霞真に何かしそうな時は、ちゃんと守るからな。心配しなくても大丈夫だから」
「はいなの」
【研究所】の言葉で不安が拭えないのであろう。霞真は雅哉に返事をしたが、雅哉の背中に手を回し、ギュッと抱きつくようにして顔を胸に押し付けていた。
「大丈夫。大丈夫だよ、霞真。俺がいるからな」
雅哉は霞真の背中を擦りながら、落ち着くまでそのままでいた。
しばらくそうしていたが落ち着いてきたのか、霞真が顔を上げた。
「もうお風呂入って寝たいの…」
雅哉の懐でじっとしていたからか眠くなってきたようで、霞真が眠そうな顔を見せた。
「そうだな。明日もあるから今日は早く寝ようか」
自分の上にいる霞真を、そのまま抱き上げて行った。
ゆっくりと湯舟に浸かり、雅哉は数日分の疲れを取る。
「あ~、やっぱり自宅の風呂の方が落ち着くな。霞真もいてくれるから疲れが飛ぶ」
「雅哉、お疲れさまなの。お仕事大変だった?」
雅哉の顔を覗き込むように、霞真が聞いた。
「内容的にはそうでもなかったんだけどな。飛行機の中も眠れなかったから。――霞真がいなかったから、よく眠れなかったんだよ」
「そうかあ。じゃあ、今日はたくさん寝てね。僕もいるからたくさん眠れるのね」
霞真は雅哉に笑顔を向けた。
「ああ。たくさん眠れそうだ。――さて、上がるか」
風呂から上がり、軽く飲みものを口にしてからベッドへ行く。霞真を寝かせ、その上から雅哉が覆いかぶさる。
「雅哉、ダメなの。ちゃんと…んん… …」
『ちゃんと寝よう?』と言おうとした霞真の口を、雅哉がキスで塞ぐ。
「霞真を愛してからちゃんと寝るから…」
唇を離し、霞真の目を見ながら言った。
キスをされた霞真は力が抜け、言葉を言わずに頷いた。
この間よりも優しくゆっくりと霞真を抱き、終わった時には霞真は目を瞑っていた。
その霞真を抱えるようにして自分の懐に収め、雅哉も眠りについた。
最初のコメントを投稿しよう!