第2章 『イギリスへ』

1/1
36人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

第2章 『イギリスへ』

 「社長、おはようございます。社長、起きて下さい。霞真くんも朝ですよ」  昨夜は行為のあと、雅哉もすぐに眠りに落ちた。霞真と2人、ぐっすりと眠っていた。  「さあ、さあ。2人とも起きて下さい。泉さんも待っていますし、飛行機の時間になってしまいますよ。それに、お2人とも荷物の支度はできているのですか?」  気持ちよく眠っていたが、清華の声で起こされる。  「う~ん…。清華、もう少し寝かせてくれ…」  数日分の睡眠を摂るかのように雅哉は眠っていた。頭ではわかっていても身体が起きない。雅哉にしては珍しい光景だった。  「社長、それでも起きませんと。霞真くんも」  なかなか起きない2人に溜め息を吐きながら、仕方がないので2人の荷物を支度する。  「これでいいでしょうか。あとは、お2人ですね。――2人とも早くして下さい。荷物は支度しましたよ。本当に早くしないと泉水さんだけではなく、政府の方々にも迷惑を掛けてしまいますから」  あまりに起きない2人の掛け布団を捲った。昨夜の痕跡があるものの、それを気にしてはいられない。ベッド上に残っているゴミ2、3個を各部屋から集めてきたゴミの中に入れ『早くして下さい』を連呼しながら無理矢理起こした。  ―――「雅哉~、清華さ~ん、おはようなの~」  「霞真、おはよう。シャワーを浴びに行くぞ。――清華、悪いな。急いで支度するから」  完全に学生の母親のようになってしまった清華が、これ以上怒らないうちにと起き、雅哉と霞真はシャワーを浴びに行った。  15分程で出てきた2人は水を飲みながら着替え、出掛ける支度をする。その間に清華はベッドの上をキレイにし、長期留守にする片付けをしていた。  「清華、本当に申し訳ない。いくら清華でも、こんなことまでさせられるのは心外だったな」  さすがに事後の片付けまで清華にさせてしまったのは、人として如何なものかと雅哉は自身に呆れていた。  「心外と言いますか、なかなか起きない男子中高生の母親の気持ちがわかりましたよ(笑)。それに、社長がずっと眠れていないらしいと同行した者から聞いていたので、昨夜はよく眠れたみたいで良かったです」  こんな事をされたのに清華は笑っていた。いくら自分と清華との間柄だとしても、笑って済まされる事ではない。それでも『眠れたみたいで良かった』と言ってくれる事に雅哉は嬉しかった。  「清華、ありがとう。俺はお前がいなければ――」  謝るつもりで雅哉がそこまで言うと、  「社長、それ以上は」  とだけ言って、雅哉の言葉を止めた。そして雅哉は、アイコンタクトだけで礼を言った。そのやり取りを霞真は不思議そうに見ていた。  いつもと違う2人の空気があるものの、マンションを出る。泉水を迎えに行き、空港へ向かう。普段使う一般客用ではなく、政府関係者用の方へと手続きに行った。そこへ行くと、先日、雅哉のマンションに来た政府の青木が待っていた。  「この度は、こちらの意向でご迷惑をお掛けして申し訳ありません」  本当ならば、霞真と雅哉だけで行くはずだったが、清華と泉水も同行する事になった。この国よりは一般国民からの理解があるとは言え、国家が関わる研究所。あまり外部の者の出入りはさせたくないと言われたが、今ここにいる青木のおかげで4人で行く事ができるのだ。  「いえ、霞真くんの不安が少しでも取り除けるならば、親しい人も一緒の方がいいですし」  「そう言って頂けると心強いです。私みたいな一般人からすると【政府の】という言葉だけで特別に感じてしまいますから」  「そう固く考えないで下さい。それよりも昨日、帰国されたようですが大丈夫ですか?」  清華から聞いたのか、出入国記録を見たのかわからないが、雅哉の状況を心配してくれているようだった。  「ええ。今回は昨日までとは違って霞真もいますし。仕事もありますが目的が仕事というわけではありませんし、早瀬さんからも色々と話を聞いていますから、少し楽に行こうかと思っています」  「そうですね。と言っても、申し上げにくいのですが、私はあちらの研究所には然程詳しくなくて。それでも電話で話をしているのと、叶城さんと同じように早瀬さんから聞いていますから、その辺りを信用しているといった感じです」  自分たちを信用してもらうには、自分の事を隠すのは反って信用をなくすと思っているのか、青木は自分の状況を話した。  「そうでしたか。まあ、何かあればすぐに連絡をします。早瀬さんを担当していた方は、いつも親身になってくれていたと言うので、霞真もその方にお願いするつもりです」  昨日、雅哉が電話で話をした時に、霞真の担当になって欲しいとお願いをしていた。快く引き受けてくれ、青木のフォローのおかげもあってか、雅哉だけではなく、清華も泉水も同行してくれて構わないと言ってくれた。電話では表情が見えないが、感じはとても良い人だった。  「社長、手続きは終わりました。あとは社長のボディチェックだけです」  青木と話している雅哉の所に清華が来て、ボディチェックを受けて来るように言う。  「わかった。清華は青木さんと話をしていてくれ。霞真も終わっているんだな?」  清華と一緒にいる霞真に聞く。  「うん。色んな所をポンポンされるの。くすぐったくて笑っちゃったの(笑)」  霞真は恥ずかしそうに笑いながら説明をしてくれていた。  「そうか。じゃあ、俺もしてくるな」  青木に頭を下げ、ボディチェックを受けに行く。霞真は、今、清華と戻って来た所に雅哉と一緒に行った。  「雅哉、頑張って~」  雅哉も緊張していると思っている霞真が応援をする。そんな愛くるしい霞真の行動に関係者たちは楽しそうに笑顔でいた。  「可愛らしい方ですね」  雅哉の衣類に入っている物やボディをチェックする人が霞真に感じた事を言ってきた。  「ええ、無垢な子です。一緒に研究所にいた子たちも、あんな感じでした。外を知らない分、無垢なんでしょう」  「そうなんですね」  「はい。私にとっては、神様からの大切な贈り物を受け取った感じです」  霞真に出会った時を思い出す。時々、そんな時間がやってくる。霞真は真っ直ぐ目を見て話してくる。自分を見ているその目は、スッーと心を見透かされているように感じる。そして、霞真の口から出てくる言葉も、雅哉には真っ白なものに見えている。今までの人生で【神】だのとは、そんなに深く信じた事もなかった。神頼み程度。初詣や商売繁盛の縁起を担ぐ程度にしか考えていなかった。しかし、霞真を見た時、本当に神がいて自分が選ばれたと感じた。その事はまだ誰にも話してはいない、雅哉だけの秘密の想いだった。  「はい、いいですよ。あちらに着いたら、再度チェックを受けますけど大丈夫ですので」  「ありがとうございます」  全員、無事にボディチェックを終え、青木をはじめ、他の職員にも挨拶をして飛行機に乗った。  窓の外を不思議そうに霞真が見ている。  「霞真どうした?怖いか?」  「ううん。怖くはないの。ただ、こんな大きな重いのが空を飛ぶのかなって思ったら、不思議だなあって思ったのね」  「確かに、この乗り物だけなら無理だろうな。でも、飛行機にもエンジンっていうのがあって、それで空を飛ぶ事ができるんだよ。あとは羽の部分で調整して風に乗るんだ。今度、飛行機の図鑑を見るといい」  「ふ~ん。エンジンかあ…」  「そう言えば、霞真には鳥の遺伝子は入ってないのか?」  早瀬夫夫と子供たちには鳥の遺伝子が入っていて羽があり、空を飛べると言っていた。早瀬に関しては事情があって、これから行く研究所に頼み、他の3人よりも大きい羽が出るようにしてもらったと言っていた。  「うん。鳥さんは、優くんの遺伝子にしか入ってないの。月斗ちゃんと李花ちゃんは優くんのクローンだから鳥さん入ってて、有李斗さんは優くんの血をもらったから鳥さん入ってるんだって。僕は猫さんだけなの。雅哉は、僕に鳥さんも入ってて欲しかった?」  聞き方が悪かったのか、霞真が自分にも鳥が入っている方がいいのかと聞いてきた。雅哉は慌てて答える。  「悪かったな霞真。俺の言い方が悪かったな。お前はお前のままでいいんだよ。他の何かなんかいらない。霞真がいいんだ。変な事言って悪かった」  既に離陸準備の段階だったのでシートベルトをしている。雅哉は霞真の手を握り、それを自分の口元に持ってきて、手の甲にキスをした。  「ううん。僕も変な事言ったの。ごめんな、んにゃ!!」  雅哉に謝っていた霞真の様子が急におかしい。出ていなかった猫の耳と尻尾が出てきて、毛が逆立っていた。そして猫の泣き声を出した。  「んにゃ…ムズムズするの…雅哉~」  離陸の圧が霞真には不快らしい。ムズムズすると言って、猫の耳の方を手で押さえていた。  「お耳の奥がムズムズしてモンモンするの…よく聞こえないの…」  「霞真。こうやって鼻をつまんで、口を閉じて、ゆっくりと鼻だけで息を吐いてごらん。できるか?」  雅哉は、霞真の鼻をつまみ、耳の空気抜きを教える。  「にゃ!お耳の中がピキッって言ったよ?あ~、でも聞こえるの~。ムズムズもモンモンもしないの~。雅哉、ありがとうなの」  空気抜きが上手くいったようで、霞真はホッとした顔をしていた。  「上手くできたな。良かった。でも、尻尾の太さは太いまんまだなあ」  「そうなの。お耳は治ったけど身体は変なの」  「そうか。少し経てば慣れると思うが。もうシートベルトも外せると思うから、外したら何か口にするといい」  「うん」  これ以上、霞真が不安にならないように雅哉はずっと手を握っていた。しばらくして、シートベルトを外してもいいと言われ、急いで霞真のを外した。  「雅哉…ん~」  ベルトを外してすぐに、霞真は雅哉に抱きついた。ズボンの腰の部分から尻尾を出してはいるが、怒った時のように太く、毛が逆立っていた。  「少し自由になれたろ?このままいていいよ」  霞真を自分の足の上に座らせ、背中を擦る。  その様子を見ていた清華が来る。  「霞真くん、大丈夫ですか?」  「しばらくすれば大丈夫だとは思うが、初めての飛行機だからな。身体が気圧の変化に追い付いていないらしい。霞真は猫だから、俺たちよりも敏感なんだろう」  「そうですか。何か飲みものをお願いしてきますね。霞真くんは何が飲みたいですか?」  霞真の頭を撫でながら清華も心配そうにしていた。  「いらないの…」  元気のない霞真は、雅哉の胸に顔を押し付けて答えた。  「そうですか。何かさっぱりしたものを口にすると違うと思うんですけど…」  清華はそう言うと何かを思いついたようで、係の人の所まで行き、何か頼んでいた。その間に泉水も来る。  「お前、大丈夫か?」  「ん~」  「霞真くん、レモン水ですよ。これで口の中だけでもさっぱりすると思います」  レモン水を持って来た清華が霞真に渡す。  それを一口、口にした霞真は『ふぅ~』と大きく息を吐いた。  「モヤモヤ少しなくなったの。清華さん、ありがとうなの」  水分を摂り、レモンのさっぱりさで霞真は落ち着いてきたようだった。  「良かったです」  「気圧って、猫は敏感って言うもんな。雨の日とか雷の時とか、野良猫だって、この世の終わりみたいな顔してる奴いるし。地震とかも犬よりも猫の方がわかるって言うもんな。飛行機の圧は瞬間的なものだから普通の人間でも身体に圧が加わる。霞真にとっては辛いんだろうな」  泉水は話をしながら霞真の頭を撫でた。  ―――離陸時に霞真への不安な事が起きたが、そのあとは安定な機内になり、霞真の身体も安定してきたようで元気にいた。  離陸してから2時間程して、花の図鑑を見ている霞真に寄り掛かりながら、雅哉は眠っていた。昨日までの数日間、ほとんど眠れていなかった雅哉は、周りが心配する程ぐっすりと眠っていた。  「清華さん。雅哉、何も食べなくて飲まなくて大丈夫?」  「そうですねえ。座ったままっていうのも良くありませんね。一度起こして、水分を摂ってもらって、寝るのもベッドに移動してもらいましょうか」  雅哉たちが乗っている飛行機は政府のもの。身体を横にできるベッドルームも個室で設置されていた。しかも、個室もファミリー層用もあり、大人4人でもゆったりといられる部屋があった。そこを使わせてもらう事にした。  「はじめから、ここを借りとけば良かったですね。ここの方が気が楽でいいや」  「そうですね。あちらだと何だか監視されている気がして落ち着かなかったですね。社長のおかげでここを借りられて良かったです」  ―――「雅哉、大丈夫?まだ眠い?」  「もう少し寝たいな。いいか?」  「うん。もちろんなの。でも、飲みもの飲んで、何か少し食べないとダメなの」  「そうだな。霞真もな」  「うん」  雅哉は、霞真に身の周りの世話をしてもらい、自分が眠るまで一緒にベッドに入ってもらった。一度起きたからしばらく起きているかと思われたが、霞真の温もりと匂いを纏いながら、すぐに眠りに落ちた。  こんな状態の雅哉を見るのは清華でも初めてだった。普段は何となくヘラヘラしている雅哉。でも仕事には手を抜かず、植物が好きだからか楽しく仕事を熟す。昨日までのように海外にもすぐに足を運び、現地の者の話もよく聞く。そして、このように海外によく行くが、飛行機の中、ホテルなど、何処ででも気にせず睡眠と食事ができる。そこが雅哉の強みでもあった。しかし今回は違った。恋愛とは、ここまで人を変えてしまうものかと清華は考えていた。  「泉水さん、少しいいですか?」  「はい。どうかしました?」  「あの~、人を好きになるってどういう事なんでしょう…。社長は今まで、こんな風になった事がありません。何人かお付き合いをした事もありましたが、こんな社長を見た事がありません。よく考えてみたら、私は誰かを好きになった事がありませんでした。もちろん、お付き合いもないに等しいです。誰かを好きになると変わってしまうのですか?」  清華の話してきた内容に泉水は驚いた。そして普段はビシッと仕事をしている清華が誰かと付き合った事がほとんどなく、恋愛感情に対して混乱している。それを自分に話してくれているのが嬉しかった。  「うん…。そうだなあ。俺も上手く言えないけど、自分よりも大切に思う人ができるとそうなのかも。理屈じゃないんですよきっと。守りたい、笑顔を見たい、傍にいたい、自分だけを見てて欲しい。他にももっと欲が出る。とにかく自分だけを見てて欲しいし、その人だけを見ていたいんだ。今までの人生は何だったんだろうってくらいに、その人の事ばかり考えたりね。傍から見たらおかしいかもしれないけど、恋は盲目って言うでしょ?」  そこまで言って清華の顔をよく見ると、真剣に考えていた。そんな清華の一生懸命さに、泉水は『可愛い』と感じた。そして、自分が清華に話をしながら、やはり自分は清華に惹かれているのだと確信を得た。  「恋は盲目ですかあ」  「うん(笑)。でも、まあ、そんなに難しく考えなくてもいいと思いますよ。きっといつか清華さんにも今の叶城さんのようになる時が来ると思いますし。それに、こればっかりは考えても仕方ないというか」  「はい。泉水さんがそう言っているのですからね。すみません、変な話をしてしまって」  「変な話じゃないですよ。まあ、俺もそこまでの経験もないから上手く説明できなかったですけど。お互いに、そんな相手が見つかるといいですね」  泉水は最後の一言に想いを託し、清華に言った。  「はい。見ていて素敵です。あんな素敵な空気を私も纏ってみたいです」  ―――恋愛に対する話はここで終わりになった。食事の時間なのか、食事が運ばれて来たからだった。  「霞真、食事だぞ」  眠っている雅哉の隣で図鑑を見ていた霞真に、泉水が声を掛ける。  「は~い」  雅哉を起こさないように、静かにゆっくりとベッドから降りる。  「さすがお偉いさんの乗るものであって、食事も凄いですね。きっと、向こうに行ったら洋食しか食べられないと気遣ってくれているんですね。豪華な和食だ。俺はいつも店の残り物で済ますから、和食って食べる機会が少なくて。有難いです」  「そうですよね。飲食店の方は、自分のお店のものをサッと食べて終わらせてしまいますよね。今日は堪能して下さい。そう、そう。今は社長は家では和食中心なんですよ。霞真くんがいますから。今度、泉水さんもご一緒にどうですか?その時は私も何か泉水さんが食べたいものを作ります」  「本当ですか?」  清華の申し出に泉水は嬉しかった。清華の手作り料理を食べられるなんて思ってもいなかった。  「はい。ぜひ」  雅哉以外の3人で食事をしていたが、霞真は早々に終えた。  「霞真くん、もういいのですか?いつもよりも量が少ないみたいですけど」  普段でも食べる量が少ないのに、今は更に食べなかった。  「あんまりお腹空いてないの。それに雅哉も食べてないし。あとで雅哉と食べます」  〈えっ?〉  いつもと違う霞真の受け答えで、清華と泉水は思わず同時に霞真を見た。  「霞真、お前、敬語使えるのか?」  「敬語?」  泉水に聞かれた霞真は、何の話だかわからなかった。  「お兄ちゃん、敬語ってな~に?」  「何て言ったらわかりやすいかなあ。――今、霞真は『あとで雅哉と食べます』って言ったろ?~です。~ます。って丁寧な話し方を敬語って言うんだよ。霞真は今までそんな話し方はしなかったろ?」  「う~ん、そうなのね。でも、いつも雅哉と清華さんは話すの。だから何となく言っちゃった。エヘヘ」  泉水に言われ、そこで自分の話し方に気づいた霞真は、照れ臭そうに笑った。  「霞真くんは外の事を知らずにいましたからね、幼い子が親や周りの大人の話を聞いて覚える感じになっていたのでしょうね」  泉水の隣に座る清華が、泉水を見ながら言った。  「そうかもしれませんね。俺も話し方、気を付けなきゃなあ」  清華の話を聞いていた泉水が、今度は霞真を見ながら言う。  「子育てって、こんな感じになるんでしょうね。今まで気にせずにいた事が気になり、子供が悪い言葉を覚えないようにするみたいな」  「そうですね。社長も今まではご自宅で料理なんてほとんどした事がないのに、今は霞真くんのために毎日していますし。霞真くんは猫だからお魚がいいだろうって、お出汁もカツオ節からの出汁を使って」  「へえ。しかし、そんな感じで叶城さんは料理ができるんですね。知らなかったなあ」  「そうなんです(笑)。私も驚きました」  ベッドで寝ている雅哉を見ながら清華と泉水はクスクスと笑っていた。  ―――2人の話を霞真は途中までしか聞いてはいなかった。ぐっすり眠っている雅哉の横に座り、図鑑を見る。今の霞真は、清華と泉水の話を聞くよりも、雅哉の傍で雅哉の好きなものを見ている方が良かった。  飛行機が出発して8時間程経った頃(午前10時頃に出発→日本時間で今は午後6時頃)、雅哉が目を覚ました。  「ん~、霞真~」  寝惚けたまま、横にいるだろう霞真を手で探る。  「あっ、雅哉、おはようなの」  霞真の声を聞いた雅哉は、声がする方へ手を伸ばし替え、触れたのがわかると擦っていた。  「アハハハ~。雅哉くすぐったいの~。そこは、お尻なの~」  雅哉が触った所は、霞真の尻付近だった。  「ごめん。何処を触っているのかわかんないまま、ずっと触ってた(笑)。う~ん、おはよう。今何時だ?よく寝た~」  軽く伸びをしてから雅哉は身体を起こした。そして、霞真の後ろから抱き締め、首元にキスをする。  「おはよう、霞真。何を見ているんだ?」  霞真の後ろから覗くと、図鑑を見ていた。  「これ見てるの。みんな食べたり、お茶にできるんだって。今から行く所にたくさんあるって清華さんが言ってたの」  「そうか。霞真は勉強熱心だな。これらはハーブって言うんだぞ。見た目も綺麗だが香りも良い。料理にも使ったりするんだ」  「へえ、お料理かあ。そうだ。これは毎日、お兄ちゃんが使ってるのなの。ほら、これ~」  そう言うと、霞真はバジルのページを開いた。  「バジルだな。ピザの上にのっていたり、パスタと混ぜたりするな。これは簡単に育てられるものだから霞真にもできるぞ」  「そうなの?」  「ああ。プランターでも育てられるから、うちのテラスでも大丈夫だ」  「じゃあ、やる~。僕もお花さんとか育てたい。雅哉、僕やっていい?」  「いいよ。あと2ヶ月もすれば苗も売りに出されるからな。今年は霞真に育ててもらおうか」  「うん。僕やる~。ウキウキするねえ」  バジルを植える話になり、霞真は喜んでいた。  「お2人とも楽しそうですね」  ベッド上で話をしていた雅哉と霞真の所に、清華が飲みものを持って来ながら声を掛けた。  「あのね、雅哉がバジルを育てていいって。今度するの」  清華に図鑑の写真を見せながら霞真が説明をした。  「バジルですか?」  「うん。これなら育てやすいからって」  霞真の説明を聞きながら、清華は雅哉を見る。  「バジルは霞真も泉水さんのお店で馴染みがあるようなんだ。それにマンションのテラスでも育てられるしな」  「そうでしたか。植物を育てるのは良い事です。霞真くんが育てたものを口にするのが楽しみです」  「そうだな。上手くできたら店でも使わせてもらおうかな」  少し離れて話を聞いていた泉水が言った。  「うん。お兄ちゃんが作るお料理に使えるように頑張るの~」  「霞真が育てたのを使うのが楽しみだな」  季節になったら霞真がバジルを育てる事に決めた。霞真にとって1つでも楽しい事ができるのは良い事。それぞれに見守る事にした。  ―――睡眠を十分に摂れた雅哉は起きて食事をした。食事に関しても出張先ではあまり食べなかったが、霞真が傍にいる今は食べなかった量を取り戻すかのように食した。  13時間という長旅ではあるが、清華も泉水も普段は仕事が忙しい。雅哉も昨日までの事があるので、霞真も含め、あっという間にゆっくりとした時間が過ぎていった。  「もう少しで到着しますね」  「そうだな。毎回長い時間だと思っていたが、過ごし方によってこんなに違いがあるとは。ゆっくりできて良かったよ」  「そうですね。お食事も美味しかったですし。ベッドがありましたから睡眠も摂れましたし」  「ああ。――しかし、やはり離着陸の時は霞真に負担が出るな。酔い止めの薬でも飲ませたら少しは違うんだろうか」  着陸時も離陸の時同様、霞真が身体の中がおかしいと言って耳や尻尾を出し、毛を逆立てていた。  「霞真、今はどうだ?少し落ち着いたか?」  「う~ん、よくわかんない。わあ、背の高い人がいっぱ~い。あと綺麗な人がいっぱい」  「そうだな。色が白いから肌が綺麗だし、日本人と違って背も高いな。――さて、色々チェックしてもらいに行こうか」  「うん」  霞真は不思議な気持を持ちながら荷物などのチェックを受けに行った。  日本ではないこの土地でのチェックは、もちろんイギリスの人。日本語ではない言葉で霞真に話し掛けている。  「ん~。雅哉~、わかんな~い。何言ってるかわかんないよ~」  2人の男女に英語で話し掛けられるも、霞真には怒られているようにしか感じられない。  その様子を見た雅哉は、自分を見てくれている者に説明をする。そして、霞真の傍へ行き、通訳をする。  「霞真、大丈夫だよ。怒っているわけじゃないからな。カバンの中を見たいから開けて欲しいと言っているんだ」  「う~ん。… はい、開けましたなの…」  雅哉に言われた通りにカバンを開け、中を見せる。すると『これは何ですか?』と言うように、1本のボトルを見せた。  「あっ、こ、これはダメなの~。みんなに見せないで~」  急に慌てた霞真を不審に思ったのか、係の者が苦い顔をしながら雅哉を見た。  「ん?霞真、何を持って来たんだ?日本では何も言われていなかったと思うが」  苦い顔で見られた雅哉がカバンの中を見る。  「霞真…。これ持って来たのか…」  「だって~」  霞真が顔を赤くして恥ずかしそうに言う。雅哉も恥ずかしそうにしながら、1つ咳ばらいをして男性の係の者に、そっと説明をした。  「This is what you use on the bed. What to use with your partner.」  (これはベッドの上でパートナーと使うもの)  「Oh~,sorry. You and he partner?」  (すみませんでした。あなたと彼はパートナーなのですか?)  「Yes. He is my partner. My wife.」  (彼は私のパートナー。私の妻です)  「ん~、雅哉~、何をお話ししてるの?僕、怒られるの?」  「怒られないよ。それに、霞真は俺のパートナー、妻だと話しているんだ」  「パートナー?妻?――エヘヘ」  知らない人なのに自分を妻だと雅哉が説明をしている。霞真は嬉しくて笑顔を雅哉に向けた。  ―――到着早々、思わぬ出来事があったが、無事に空港を出て、イギリス政府の迎えの車に乗る事ができた。  「雅哉、ごめんなさいなの…」  「いいよ。しかし霞真があれを持って来てたとはな(笑)。――そんなに欲しいのか?」  後半の言葉は、運転手に聞こえないように霞真の耳元で言った。  「雅哉、意地悪なの~。雅哉とくっ付いてたいのに~」  「ハハハ。ごめん、ごめん。悪かった。ありがとうな霞真」  「うん。僕もありがとうなの。雅哉の奥さんって言ってくれたの」  「だって、その通りだろ?お前は俺の大事な奥さんだ」  「エヘヘ」  雅哉と霞真を乗せた車内は、これから研究施設に行くとは思えない甘い空気だった。  ―――「We arrived.」     (着きました)  空港から40分程車で移動し、研究施設に到着した。  「ここかあ…」  「遠い所よりお疲れさまでした。私は貴方たちを担当します【デイヴィット】です。早瀬さんの担当でもありました。よろしくお願いします。こちらが霞真くんですか?」  到着すると、門の奥から男性が出て来た。電話では話したが会うのはもちろん初めて。雅哉はデイヴィットの前まで行き、握手をする。  「初めまして。叶城 雅哉です。お電話では色々頼み事をしてしまってすみませんでした。これが霞真です。それと、私に会うまで面倒を見ていた泉水さん、私の秘書の清華です」  「初めまして、デイヴィットです。お2人にも色々とお話をお伺いしますが、よろしくお願いします。――長旅で疲れたでしょ。中へどうぞ」  日本を出発したのは午前10時頃。日本時間だと今は深夜2時くらいだが、時差の関係で、ここでは今は夕方の6時くらい。施設の中へ入ると、賑やかに食事をしている人たちもいた。  「まずは、お部屋へご案内します。清華さんと泉水さんには一部屋ずつ用意しました。もちろん、職員から中が見えないようになっています。安心して使って下さい。こちらです」  清華と泉水は研究対象ではなく一般人。そのように対応してくれる事になっている。  「こちらが霞真くんと叶城さんのお部屋になります。お2人には大変申し訳ないのですが、時々、中の様子を見させて頂きます。もちろんプライバシーがありますから、中を見る時には見る前に確認を取ります。よろしいですか?」  「はい。よろしくお願いします」  「霞真くん、今回はありがとうございます」  各部屋を案内したあと、デイヴィットは改めて霞真に挨拶をした。しかし、デイヴィットを前にした霞真は、雅哉の後ろに隠れてしまった。  「おや、怖がらせてしまいましたか?」  「ん~、雅哉~」  「霞真、ちゃんと挨拶をしなきゃな。俺が傍にいるんだからできるだろ?」  自分の後ろに隠れてしまった霞真の手を握り、デイヴィットに会わせる。  「う~ん…」  「か~ずま。頑張れ」  雅哉は、霞真の頭を撫でながら言葉を掛ける。  「霞真です…。僕、猫さんなの…。雅哉~」  雅哉の応援をもらって、とりあえず霞真は自分の名前と、自分の中にある種を言った。  「ありがとう。霞真くん。――今日はゆっくり休んで下さい。食事などは24時間いつでもできます。広間でも部屋でも庭でも大丈夫です。少しでも分からない事、不便な事、用意して欲しいものなどがありましたら遠慮せずに仰って下さい」  「ありがとうございます。私は研究所の事など何もわかりません。逆に、霞真は研究所しか知らないに等しい。ですから恐怖心が先に出るかもしれません。よろしくお願いします」  「わかりました。ところで、叶城さんにとって霞真くんは伴侶で合ってますか?」  デイヴィットは早瀬から話を聞いているのと、雅哉との電話での内容などを考えると、それで間違いはないとは思っていた。しかし、他の職員との事もあるので、しっかりと確認をする。  「はい。そう思って下さって構いません。――実は、霞真の年齢がはっきりとわからなくて。お互いの気持ちは固まってはいるのですが、それをすぐに形にして良いものかどうか迷っています。いい歳した男が変だと思うでしょうが、これが今の私の考えで…」  「そうでしたか。わかりました。日本ではわかりませんが、この国では夫夫として下さって大丈夫です。他の職員にも、そう話しておきます。では、ゆっくりして下さい。施設内を見て回ってもいいですよ」  デイヴィットは、軽い説明をして部屋をあとにした。  「霞真、大丈夫か?」  「う~ん…。でも、お部屋は凄いの。綺麗なの」  「そうだな。ホテルのスイートみたいだ。早瀬さんからは聞いてはいたが、本当に研究所って感じがしないなあ」  「うん。――雅哉~」  「ん?」  「ごめんなさいなの…」  「どうした?」  「だって、僕のせいで雅哉も…」  霞真は、自分のせいで雅哉たちも研究所という所に来させてしまったと思っている。ここに到着してから、その思いが強くなり落ち着かない。  「その事については何度も話をしたろ?霞真のせいじゃない。寧ろ、俺の仕事のせいで霞真をこんな所に来させてしまう事になってしまったんだ。霞真が後ろめたく思う必要はない」  「でも…」  雅哉が説明をするも、それでも霞真は自分のせいだと感じていた。  「霞真、ここに座って」  雅哉はベッドに座ると、霞真に自分の足の上に座るように言った。  「雅哉~」  雅哉の言う通りに座った霞真は、いつものように座ったあと、手を雅哉の首に回し、名前を呼び、ギュッとした。  雅哉は、霞真の背中に手を回し、擦る。  「いいか、霞真。よく聞いてくれ」  「うん」  「お前が今までどんな生活をしていたかは話でしかわからない。言葉では伝わらないくらい大変な思いもしたんだろうと俺は思っている。でもな、これからは違う。俺と一緒に新しい人生を歩むんだ。それには、霞真が世界中を自由に行けるようにならなくてはいけない。俺としては、ずっと傍に置いておきたいが、これから先、霞真が何かをやりたいと思った時、俺から離れても自由にいられるようにしておきたい。そこでだ。まずはここ。この国では俺の仕事が中心となっている所だ。それに、霞真のような人を国として世界の中心として研究、保護をしている。だからここに来た。霞真のためだけじゃない。俺自身のためでもある。ここなら俺も霞真も気にする事なくいられるからな。霞真がこの地に慣れれば生きやすいとも思っている。そういう事だから霞真、自分のせいだと思わないで欲しい。わかったか?」  霞真の背中を擦りながら、ゆっくりと話しをした。霞真は、雅哉が話す事を聞き、真っ直ぐと雅哉の目を見ていた。そして、その目から突然、涙が溢れてきた。  「僕、雅哉から離れないよ?雅哉から離れてもなんて言わないでなの。そんな意地悪言わないでなの~」  良かれと思って話した事が霞真を泣かせてしまった。雅哉は、まさか霞真がそう取るとは思わなくて困惑した。  「ごめん、霞真。そういうつもりで言ったわけじゃないんだ。ごめん、ごめん。俺だって霞真を離したくはないさ。ただな、これから色んなものを見て経験した時に、霞真にも行きたい所、やりたい事が出てくると思うんだ。その時に俺のせいで諦めて欲しくないんだよ。やりたい事をやって欲しいんだ」  「う~ん、でも~、雅哉からは離れないの~。だって僕は雅哉の伴侶なの~」  「ん?」  さっき、デイヴィットに言った言葉。ここでは日本語でも通じるので日本語で話をしている。しかし、霞真があのような言葉の意味を理解していたのかと思ったら、何処で覚えたのか雅哉は気になった。  「霞真は伴侶の意味を知っているのか?」  「うん。この間、雅哉がいない時に、お兄ちゃんのお店でナンパ?されたの。そうしたらお兄ちゃんが、僕には伴侶がいるからダメですって。お兄ちゃんに伴侶ってなあに?って聞いたら、夫婦である自分との、もう片方の人の事を言うんだよって。僕からだと雅哉の事で、旦那さんの事だって教えてくれたの。僕は、雅哉の奥さんなの~。だから離れないの~」  霞真をなだめながら雅哉は嬉しかった。こんな時に舞い上がっていいものかどうかと思ったが、自分が知らないうちに霞真がそのように思っていてくれていたのかと思うと、緩んだ顔を元に戻せなくしていた。  「そっか。霞真はちゃんと意味を知った上で、俺を伴侶だと言ってくれているんだな。――嬉しいよ。霞真からプロポーズされた気分だ」  「エヘヘ~。雅哉~」  抱きついてくる霞真をきつく抱き締め、雅哉は霞真も同じ気持ちで進んでいてくれているものとわかり嬉しかった。  ―――そのあとは少し身体を休めてから、清華と泉水にも声を掛け、研究所内を見て回る事にした。早瀬から聞いていた通り、研究所というよりはリゾート地のような感じに造られていた。ある程度見てから食事に行こうとなり、初めてなので広間で食べる事にした。  「お~、色々あるなあ」  「そうですね。泉水さんはやはりパイのものを?」  「そうだなあ。一応、夜だしそうしようかな。清華さんは?」  「そうですね。フィッシュアンドチップスにしたいんですけど、ポテトは要らないんですよ(笑)。お願いしたらフィッシュだけにしてくれますかねえ」  「俺が食いますからいいですよ、そのまま頼んじゃって。それに、ポテトなら霞真も食べるんじゃないかなあ。――霞真、お前ポテト食べるか?」  清華が頼もうとしているものにはポテトを揚げたものも付いていて、嫌いではないのだろうが、今はそれを食べる気分ではないようだった。霞真も自分と一緒に食べてくれるかを泉水が聞いた。  「食べる~。じゃあ、僕はポテトを頼まないの。雅哉、ポテトは清華さんのをもらうの」  どうやら霞真はポテトを頼もうとしていたようだった。頼もうとしていたポテトを止め、雅哉とメニューを見直していた。  泉水は、パイ生地にひき肉にマッシュポテトなどが入ったものを。清華はフィッシュアンドチップスとローズマリーのクリームチーズが添えてあるパンを。霞真は魚をハーブと一緒に焼いたもの。雅哉は昨日までもこっちにいたので日本食を注文した。イギリスとは言え、今はどの国でも世界中の料理が食べられる世の中。日本食も言えば出してもらえるくらいだった。  「さて、食べましょう」  清華の掛け声で食べ始める。  「結構、ちゃんとしてるんだなあ。美味い」  「本当ですね。お魚の身もしっかりしていますよ」  「雅哉、お魚、美味しいの~。いい匂いがするの~」  「あ~、これ、これ。さすがに、このあとも更に日本食が食えないのはと思っていたから良かったよ」  それぞれの感想を言いながら食事をする。食べ終わった頃、デイヴィットが来た。  「お食事のところ、申し訳ありません。明日の説明をいいですか?」  デイヴィットが言うには、明日起きたら体温を測り、尿を採る。食事の前に採血をする。そのあとは食事をして、少し落ち着いてからいくつかの検査をしたいという事だった。明日と明後日は色々するが、それ以降は自由にしていて構わないとの事だった。雅哉の仕事も始めても構わないとなった。  「わかりました。その都度、声を掛けて頂ければ、そのように動きますので」    「よろしくお願いします。今日はゆっくりお休み下さい。もし眠れなかったり、何か必要なものがあれば言って下さい」  「ありがとうございます」  デイヴィットとの話も終わり、部屋へ戻る事にした。  ―――「霞真、疲れたろ。シャワー浴びようか」  「は~い。雅哉、お魚美味しかったの。お魚さんの上にあった葉っぱさんがハーブでしょ?」  「ああ、そうだよ。細かくされていたのがバジルだな。細いフサフサしたのがあったろ。あれはフェンネルというハーブだ。味に少し癖があるから苦手な人も多いけど、魚の臭みを取ってくれる」  「そうかあ。僕は大丈夫だったの。美味しく食べられたの~」  霞真は、雅哉が仕事で一番力を入れ、大切にしているだろうハーブを美味しく食べられた事が嬉しかった。  「それなら良かった。霞真は意外にハーブ大丈夫だなあ」  「う~ん、そうだねえ。お兄ちゃんのお店のも大丈夫なの」  「猫は匂いに敏感だからと思っていたが、意外に平気なんだろうか」  「わかんな~い」  「そうだな(笑)。今度一緒に調べてみような」  「うん」  シャワーを浴び、ベッドへ座ると、雅哉は霞真を自分の方へ引き寄せて抱き締めた。  「改めて、ただいま。そして、こんな所に急に連れて来る事になってごめん」  霞真を抱き締めた雅哉は、ここの研究所へ連れて来た事を謝った。  「雅哉、謝らないでなの。急に来る事になったからびっくりしたけど、でも、ここに来る事はこの間聞いてたから大丈夫なの。それに雅哉も清華さんもお兄ちゃんも一緒。1人じゃないから平気だもん」  『エヘヘ』と可愛い顔を雅哉に向けながら言った。  「そう言ってくれてありがとうな。お前から離れないようにするから。お前を1人にしない。それは約束する」  「ありがとうなの。――雅哉~」  雅哉に頭を擦り寄せ始めると、猫の耳と尻尾が霞真から出てきた。  「霞真…」  雅哉は、頭を擦り寄せてくる霞真の顔を自分の方に向けキスをする。  「んん…雅哉…」  「霞真…やっと触れた」  いつもよりも大事そうに霞真を包んだ。霞真もそれに応える。いつもの部屋ではなく、研究所という空間だとわかってはいても、2人の熱い身体はお互いを求めていた。  「お前の尻尾が俺を誘ってるな(笑)」  「言わないでなの。でも、雅哉と…」  こんなに幼さが残る霞真でも、雅哉との時は色気が出て、目も潤んで、それを目にする雅哉の身体は増々熱くなる。  「霞真…焦るな。少しずつな」  霞真にそう言ってはいるが、雅哉も同じように早くと焦ってしまいそうになる。自分にも『焦るな』と言い聞かせながら霞真を抱く。  「ンアッ…」  「っと…可愛い声が出たな」  「言わないでなの~。んにゃ…んん…アッ…」  霞真の中にある猫の遺伝子は濃く入っているようだった。寝起きや甘える時だけではなく、雅哉との行為の最中も時折、猫の言葉を発するようになった。霞真と出会う今までは猫の鳴き声が気になった事もないし、もちろん特別何かを思った事もない。だが、霞真のは違う。霞真が可愛らしく啼くと、雅哉の中の何かが刺激された。  「んっ…霞真、煽らないでくれ…」  自分が暴走しないように抑える。  今までとは違い、研究所だと忘れそうになる程、霞真の反応が雅哉を刺激する。  「霞真、お前の中に入るな…んっ… …痛くないか?」  「ンアッ…い、痛くないの…でも…ニャッ…ん~…アッ…」  「んん…最後まで入ったぞ…」  「うん…雅哉がいっぱい…アッ…アッ…そこ…」  雅哉ので霞真の良い所を擦る。その度に霞真からは甘い声が漏れ出していた。  「ここか?ンッ… …」  「雅哉…ヤッ…ンッ…ダメ…速く動かないで…」  雅哉が少しずつ速度を上げていく。  「悪い、その要求は呑めそうにない…ンッ…ンッ…」  「ニャッ…んん…アッ…雅哉~…大好きなの~…ずっと一緒~」  「ああ、ずっと一緒だ…ハッ…ハッ…霞真とずっと一緒だ…」  「ありがとうなの…ダメ…アッ…アッ」  「イキそうか?…いいぞ…イって…ンッ…ンッ…」  「雅哉…ギュッてして…ンアッ…ニャッ…アッ…アッ…もう…」  「こうか?俺にしがみ付け…身体が思うままにしていいぞ…それとも怖いか?」  「ちょっと…アッ…雅哉… …アッ…ンッ…アッ…アッァァ~」  霞真は雅哉の首にしがみ付きながら身体を跳ねさせた。雅哉は、それを感じながらも、そのまま止まらずにいる。  「ダメ…動かないで…なの…ん~ニャッ…」  「もう少し俺に付き合ってくれ…ハッ…ハッ…んん…いくぞ霞真…」  「ヤッ…ダメなの…よ…ンアッ…アッ…」  「ハッ…ハッ…霞真…霞真…クッ…ンッ…イクッ…クッ…ンッッ…」  「ンヤッ…ンアッァ~」  霞真の名を呼びながら雅哉も達した。霞真もまた、雅哉に合わせるように再び達した。  雅哉は息を荒げながら、しばらく霞真に覆いかぶさるようにいた。  「ごめん。霞真、少し重いだろうがこのままで…ハァ…ハァ…」  「う…ん…」  雅哉の言葉に答えている霞真は小さい声で頷いた。その霞真の目は半分閉じながら涙を伝わせていた。雅哉はその涙を指で拭い、ペロリと舐めた。それを見た霞真は『へへ』と可愛い笑顔を雅哉に向け、目を閉じた。  「霞真、愛してる…」  目を瞑った霞真の耳元で呟いた雅哉は、霞真の中から自分を抜き、タオルを温かい湯で濡らして霞真をキレイに拭いた。ベッドの上を整え、研究所の職員が朝一で来ても大丈夫なようにした。一通り部屋を見て回ってから水を飲んで霞真の元へ戻った。既にぐっすり眠っている霞真を自分の腕の中へ収めてから、雅哉も目を閉じた。                 ★  ―――「ん~、今何時だ?」  先に目を覚ましたのは雅哉だった。頭の中がスッキリしている。目を開けると、自分の方を向き、丸まっている霞真の姿がある。  〈おはよう、霞真。遠出で疲れていたろうにごめんな。どうしてもお前を前にすると抑えが効かなくなる〉  心の中で眠っている霞真に言った。自分の腕の中へ収め直し、強めに抱き締めてから、頬やおでこにキスをしてベッドを出た。霞真が起きたら一緒にシャワーを浴びようと支度をする。合間にスマホを見ると、何度か清華からメールと着信があった。電話をすると霞真が起きてしまうのでメールをする。  『何度も連絡申し訳ない。今起きたところだ。霞真は眠っている。もう少し寝かせてやりたい。朝食は泉水さんと先にして欲しい。悪いが、霞真と一緒にいたいと思っている。俺と霞真の事は気にせず、泉水さんと観光をして楽しんでくれ。仕事の話はメールで頼む。どうしてもの時だけ電話で。ここまで連れて来て勝手を言ってすまない。よろしく頼む。それと、ないとは思うが、もし清華と泉水さんにも何か検査を持ち掛けられた時は断ってくれ。しつこいようなら大声で断っても構わん。検査は俺と霞真の問題だからな。だから何か要求されるようなら断ってくれ。    雅哉』  今日は初日で、霞真はいくつかの検査をする。雅哉は霞真から離れたくないと思っている。  ここは、それぞれの行動を軽く見ているだけで、一般的な内科検診程度の検査しかしないと言っていた。今の医療は進んでいるため、血液や細胞などを使って何でもすぐにわかるらしい。身体の機能も大体が本人からの話し通りで、時々変わる事もあるらしいが、それは感情が高ぶった時に出るのがほとんど。それを黙っている人も少ないので特に何もしなくても見ていればいいだけと言っていた。それでも、霞真の中で研究所というのは苦痛と寂しさの場所で、そんな所に1人ではいさせられないと雅哉は思うのだった。  清華にメールを送って数分後、返信が来た。  『おはようございます。今日は霞真くんの検査をいくつか行うと私も聞いています。怖がるといけませんから傍にいてあげて下さい。それと社長にお願いがあります。今日は私も休暇を頂いてもよろしいでしょうか?泉水さんと色々見に行きたいと思っています。田舎の方へと足を延ばすと思いますので夕飯も外で食べて来ます。何かあればすぐに連絡をお願いします。  清華』  清華の要望にはすぐに了承した。清華と泉水には霞真の不安を少しでも取り除くために無理に来てもらっている。自分と霞真のように、ここに閉じ込めるわけにはいかない。清華も長い年月、雅哉の傍にいるので、こんな時は遠慮をせずに話した方が良いことをわかっているのでそうしたのだ。自分と霞真を気にせずに出掛けてくれる事に、雅哉は良かったと思っていた。  スマホを閉じる時に時計を見る。もうすぐ10時になろうとしていた。  〈随分と遅い時間になっていたんだな〉  昨夜は何時頃寝たのだろうと思うと、時間よりも最中の霞真の表情が頭に浮かんでしまった。  ベッドの上の霞真を見る。そのままベッドに入り、霞真の後ろから抱き締める。首元にキスを落とし、霞真の手を握りながらもう片方の手は霞真の身体を撫でるように触っていた。  「ん~、雅哉?おはようなの」  自分を触ってくる雅哉の手の上に霞真は手を置き、起きた事を知らせる。  「おはよう。身体は大丈夫か?」  「力が入らないの。まだちょっと寝たい…」  意識は覚めたようだったが、他はまだ眠っているようだった。  「じゃあ、もう少しこのままで」  まだ眠いという霞真に合わせ、雅哉も一緒に寝る体制になった。しかし、ドアをノックする音がする。  「はい――」  雅哉が返事をする。ドアの向こうにいる人が名乗る。  「おはようございます。叶城さん。デイヴィットです」  デイヴィットの声を聞くと、雅哉はドアまで行った。カギを開け、顔を出した。  「おはようございます。すみませんが霞真はまだ寝ていまして。起きて支度ができましたら声を掛けます」  「そうですか。ですが1つだけ検査をしたいのです」  そう言えば、寝起きですぐに1つだけ行いたいと昨夜言われていたのを雅哉は思い出す。  「わかりました。――霞真、悪いが起きてくれ。デイヴィットさんが来ていてな。今すぐに1つだけ検査をしたいらしいんだ」  ベッドの中で猫の耳を寝かせ、尻尾をゆっくりと揺らしながら、自分の傍にある雅哉の匂いの付いた枕に、ウニャウニャとしながら、霞真は起きようとしていた。  「雅哉~、トイレ~」  霞真は目を擦りながら、その一言を発してきた。それならと、検査の紙の容器を渡す。トイレの中には病院のように、それを置く棚のような場所があった。寝起きで大丈夫かと雅哉は心配だったが、そこは研究所育ち。慣れているようで、紙の容器を受け取ると、何でもないようにトイレへと向かった。  しばらく待っていると、『終わったの~』と言いながら霞真はトイレから出てきた。  「それでは霞真くん、すみませんが横になって下さい」  デイヴィットは、トイレから戻って来た霞真に、再度ベッドへ横になるように言った。  「では、血を採りますね。痛かったら言って下さい」  「は~い…」  この採血も慣れているようで何も言わず、黙って天井を見ながらジッとしている。しかし、霞真は注射が嫌いだと言っていた。雅哉は、針が入っていない霞真のもう片方の手を握っていた。  「大丈夫か?」  「う…ん。でも、雅哉、そんな顔しないでなの」  雅哉は、折角、研究所から離れ、こんな事をされない生活をしていたのに、自分のせいでこのような事をさせていて、選択を間違えているのではと思っていた。  「ごめんな、霞真。俺のせいだな。これだけしたら日本に帰るか」  悲しそうな顔をした雅哉が霞真に言う。  「雅哉?どうして?」  「折角、研究所生活から抜け出せたのに俺のせいでこんな事。俺が勝手に決めただけだ。こんな事をさせてしまうなら仕事なんて――」  そこまで言うと、霞真は雅哉の手を握り返した。  「雅哉、ありがとうなの。でも、僕もこうやって雅哉と一緒に色んな所行きたいよ?雅哉と、清華さんとお兄ちゃんと楽しく色んな所へ行きたい。だからいいの。だから謝らないでなの」  悲しそうな表情をしたままの雅哉に、霞真はそう言った。  「俺こそ、ありがとうな。でも、お前が辛かったり痛いのは耐えられない。その時は我慢をしないでちゃんと言って欲しい。そこで止めてもらうからな」  「うん」  昨日は長旅だった事と、今日はまだ食事をしていない状態なので、デイヴィットは2人の会話を聞きながら採血をゆっくりと行っていた。  「霞真くん、気分は悪くなってないですか?」  「大丈夫なの」  大丈夫と答える霞真の様子を見ながら数分後に採血を終えた。  「10分くらいはこのまま寝ていて下さい。そのあとはゆっくりと起きて車椅子で広間へ行くか、部屋で食事をして下さい。これ以外の検査は午後2時くらいから始めたいと思います。よろしいですか?」  「はい。よろしくお願いします」  「では、後程また」  今日のこれからを軽く話して、デイヴィットは部屋を出た。  ―――「霞真、気分は悪くないか?」  「お腹空いちゃった(笑)」  「そうか。食事は部屋でするか?」  「う~ん…、お外で食べたい」  施設内には園庭があり、イギリスというだけあって綺麗だ。今日は天気もいい。霞真は早瀬から聞いていたようで、園庭で食事をしたいと言ってきた。  「じゃあ、そうしようか。霞真は何食べたい?ここにメニューがあるぞ」  設置されている電話機の横に、施設内の説明が書いてあるものや、食事のメニューなどがあった。メニューを霞真に見せる。  「う~ん。何がいいかなあ。これにする~。でも、本当は雅哉が作ったお味噌汁飲みたいの」  雅哉は霞真と暮らしてから、なるべく家で料理をする。しない時は泉水の店で清華も一緒に食べていた。霞真が来る前は、作れなくはないが仕事も忙しいのもあって外食がほとんどだった。そして今、家で作る時は、霞真は猫が入っているので魚ものを作る事も多く、味噌汁もカツオ節から出汁を取るようにしていた。  「わかった。あとでデイヴィットさんに言って、数日の間に作らせてもらおう。材料は何処かで清華に買って来てもらおうか」  「うん。ありがとうなの~。早く、雅哉のお味噌汁飲みたいなあ~」  先週は留守にしていたから食事を作ってやれていない。それを、このように待っていてくれる事に雅哉は嬉しかった。  園庭で食事をしてから散歩をした。最初の採血だったので多めに採った。食事はしたものの、何かあってはいけないので、霞真を車椅子に乗せたまま散歩をした。そのあと、少し早かったが2時近くになったので検査室へと向かう。  検査の内容は身長、体重など軽いものと、CTとMRIなどの撮影ものと、他にいくつかを行った。それに、霞真の髪の毛を少し切って渡した。本当にこれだけで大丈夫なのかと雅哉は疑問だった。  部屋に戻り、雅哉がボソリと言う。  「髪の毛でなあ…。化学も凄いもんだ」  その傍で霞真がジッと見つめる。視線を感じ、雅哉が霞真に顔を向けると、霞真が不思議そうな表情をして見せた。  「雅哉?」  「ん?」  「何を考えてるの?かがく?」  「ああ。化学な。医療だったり、生物の遺伝子とか色んな情報を調べたり、身体の状態がわかったりする。それらを元に病気を治したりもできる。まあ、それを利用していじられたのが霞真たちだ。そして、ここにいる人たち」  「そうなのかあ。病気を治してもらえるのはいいけど、僕たちみたいになるのは良くないの。僕たちも本当は人間なの。雅哉たちと同じ。でも――同じじゃない…」  霞真は涙を零し、そう答えた。その言葉を聞いた雅哉は抱き締める事しかできなかった。何を言葉にしても、それは表面的なものでしかないように思えたからだ。  〈軽い、軽すぎる。霞真の話に返す言葉なんて見つからない〉  しばらく言葉も発しないまま霞真を抱き締めていた雅哉が、その腕を緩め、霞真の顔を見る。  「霞真。見た目は少し違うかもしれないが、お前は俺と同じだよ。何も変わらない。見た目なんて、自分と同じ人なんていないんだ。世の中に自分は1人しかいないんだよ。だから、… …だから同じじゃないなんて言うな。言わないでくれ」  今度は、雅哉の目から涙が零れた。霞真は、まさか雅哉の目からそのようなものが零れてくるとは思わなかった。  「雅哉…イヤッ…、ダメなの…雅哉~、泣いちゃヤダ~」  雅哉の涙を見た霞真が叫んで泣き出した。  「霞真…」  自分の涙を見て、こんなにも取り乱してくれる人がいるのかと、雅哉は霞真のその姿を見、そして再度抱き締めた。  「ありがとう。俺のために。もう泣かなくていいよ。俺は大丈夫だ。だから泣かなくていい…」  この時も雅哉はそれしか言えなかった。あとで、もっと何か言った方が良かったと思いもしたが、でもこの時はそれしか言えなかった。                 ★  ―――夜になる頃、ようやく霞真が落ち着いてきた。デイヴィットに霞真の状況を説明して、気分転換に外出したいと申し出た。状況を見たデイヴィットはすぐに了承をしてくれた。  「お外行くの?」  「そうだよ。今日は外を歩いてみよう」  タクシーに乗り、洋服屋や雑貨屋などを見て回ってから飲食店へ行った。  「たくさんお買い物しちゃった。清華さんに怒られちゃうのね」  「気にするな。折角こっちへ来たんだ。日本にないものを買う事に何も言わないさ」  「うん。――ここ?」  話をしている間に飲食店に着く。  「ここなら静かに食べられる」  店の外装をキョロキョロと見る霞真の手を取って、雅哉は店内に入った。  「I have a reservation under Kanoshiro.」   (叶城という名前で予約しています)  「This way , please」   (こちらへどうぞ)  霞真は、雅哉が英語で話すのを聞きながら後に付いて行く。  「綺麗な所なの。僕、いていいの?」  入った事のない高級感のある店で、霞真は不安そうに聞いた。  「霞真が入っちゃいけない所なんてないんだよ。それに、ここなら個室になっているから誰にも邪魔されないからな」  「うん」  雅哉が選んだ店はイギリス料理の他に、軽いフレンチも出す店だった。イギリスの郊外ではハーブを育てている家庭も多いが、食事に関してはフレンチよりも利用しない。イギリスでは、食事でというよりは香りづけに利用したり、飲みもの、家庭薬として利用する事が多い。そこで、フレンチがあり、個室で誰かに邪魔される事のないここを選んだのだ。  「雅哉~」  「どうした?」  「何書いてるのかわかんないの…」  メニューを広げて見ている霞真が、困った顔をして雅哉に言う。  「霞真は魚と肉のどっちがいい?」  「う~ん。昨日はお魚食べたからお肉~」  「肉な。あとはお任せのコースでいいか?」  「うん。雅哉が選んだものにする~」  霞真が途中で魚にすれば良かったとなるといけないので、雅哉は魚料理にした。コースなのでサラダもデザートも付いてくる。足りなければ別注文をすればいいかと思ってそうした。  注文したあと、メニューを霞真に説明したくて、下げずにそのまま置いて行ってもらった。それを見ながら料理を待つ。料理は一品ずつ持ってきてくれて、それに合わせ会話もゆっくりできた。いつもと違うペースの食事。雅哉の目からは、この速度での食事の方が霞真には良いような気がした。いつもの感じでは急いで食事をさせていたのではないかと思った。  「なあ、霞真。毎日の食事の時、もっとゆっくり食べるようにしようか。このペースの方が食べやすいだろう?」  「そうだねえ。ゆっくり食べられていいねえ。食べる時の速さとか考えた事なかったの」  「そうか。今までは食べるのに必死だったからかもな。これからはゆっくりとした食事の仕方にしような」  「うん。ありがとうなの」  霞真のペースに合わせ堪能できた。デザートも色合いが綺麗で、霞真はとても喜んでいた。霞真は写真を撮り、それを清華と泉水、そして早瀬の妻である優に送っていた。  「優くんの所にも送ったのか?」  「うん。ハーブ育ててるって言ってたの。だから色々写真を送るお約束してたの~」  「そうだったのか。どんなのを育てているんだろうなあ。そう言えば、一ノ瀬先生は畑をやっているって言ってたな」  「あっ、そうだった。先生が今度、お野菜くれるって言ってたの」  「それは楽しみだなあ。うちもそういうのをやってみようか。――なあ、霞真、聞いてくれるか?」  デザートも食べ終わり、コーヒーを飲みながら雅哉が真剣な顔で言う。  「――今は、世界中のあちこちで環境が変わっていると話をしたろ?」  「うん」  「変わりつつある環境に合わせての育て方をしなければならないんだが、うちの会社は植物の産地の農家さんに敢えてお願いをしているんだ。今の日本ではどんな植物でも栽培できる。だから本来ならコスト…、お金がかからない事だけを考えるなら日本で育てればいいいんだが、俺はそこには植物本来の国にお願いをしてきた。それは、そうする事で植物本来の姿や味をそのままにできると思っているからなんだ。それに、その国の人たちへの収入源にもなる。古い考えなのかもしれないが、生き物とはそういうものだと思っている。そこは、生物も植物も同じだと思う。だけどな、だけど――。…ごめん。霞真には退屈な話だな…」  途中まで話すと雅哉は突然、話を止めてしまった。話し始めたはいいが熱くなってしまい、霞真が面白くないのではないかと我に返ったのだ。  「雅哉、いいの。お話ししてなの。楽しいの。それに、雅哉のお話し、僕わかるよ。お花さんも動物さんも暑い国のは暑い国、寒い国のは寒い国にいないとダメなのね。じゃないと枯れちゃったり死んじゃったりするの」  霞真は、話を止めた雅哉に、話を理解している事を伝えながら、もっと聞きたい態度を示した。  「そうか?ありがとうな。退屈になったら言ってくれていいからな」  「はいなの」  霞真からの了承をもらって、様子を見ながら話を再開した。  「じゃあ、続けるな。――今までは全てを農家さんにお願いをしていた。そこは、これからも続けようと思っているが、会社側の人間がその大変さを知らないんだよ。会社の人間はあくまで電話、パソコン、スマホなどでしか知らない。もちろん、自分で何かを育てている人もいるだろうし、自分の家が農家だという人もいるだろう。それでも全員ではない。俺自身ですら、ほんの少し手伝う程度でしかやった事がない。そこでだ。会社の各部署で何か植物を育ててもらおうかと思ったんだ。ちゃんと植物という命に向き合って仕事をして欲しいと思っているんだよ」  雅哉は自分の考えている事を話した。そして更に続ける。  「でな、まずは会社の者より先に、俺と霞真とで始めようと思うんだ。でも、俺たちのはみんなと違う事をしようと思う。何種類か育ててみたいんだ。育てながら観察もしたい。序でに、一ノ瀬先生みたいに野菜を育てて家で使おうか。――霞真はどう思う?」  雅哉は、自分の話に霞真がどう反応するのか気になりながら霞真を見る。すると、霞真は目を輝かせていた。  「雅哉は凄いの。色んな事考えてるのね。僕やる~。僕、雅哉とやるの~」  「やってくれるか?」  「うん。雅哉と一緒に育てるの~。わ~い!」  霞真は喜びながら雅哉の手を取り、ブンブンと振っていた。霞真の反応を見た雅哉はホッとしていた。  ―――食事をした店から研究所までは然程、遠くない。ロンドンの夜の街を歩きながら戻る事にした。ロンドンの中心部から少し離れた所には、いくつか大きな公園がある。その中の1つの公園の端に研究所はある。『こんな所に?』と思うような所にあるのだ。意外と観光客にはわからない。地元の人には、そこにあって当たり前で、霞真のような人は自分たちの進化のためにいるものだと理解している。日本なら異常に見られ大騒ぎになるが、ここではそのような目で見る者はほとんどいない。子供の時や、稀に色眼鏡で見る者もいるが、それを注意したり躾をするのが大人の役目だとされている。そして、法でも保護をされ、生活も保障されている。  それに、ロンドンと言えば、昔から魔法使いのようなおとぎ話がある。この研究の対象者からきているものだという説もあるくらいなのだ。  「霞真、あそこに寄って行こうか」  霞真の手を引き、雅哉はある教会へ入って行った。  「わあ~。キラキラしてるの~。凄~い」  「ここは教会だ。ここには神様がいて、みんなの祈りを聞いている。ここでは皆、平等なんだ。祈りだけじゃない。自分の行いを反省する所でもある。霞真は何かあるか?」  「ある~。――神様、雅哉と会わせてくれてありがとうなの。それで、ずっと雅哉と一緒にいたいの。お願いしますなの。あとね、世界中の猫さんたちが幸せになりますように。神様、僕は猫さんだからお願いなの」  霞真は、ローソクを灯したあと元気な声で祈りを捧げた。ここでは皆、平等だと聞き、猫の耳と尻尾を出し、自分が猫である事を神に見せ、世界中の猫の幸せも祈っていた。その姿を見ていた御老人は『フフッ』と和らい笑みを浮かべていた。  雅哉もローソクを灯し、祈る。  〈この先ずっと霞真と共に生きたい。今まで酷い事をされてきた霞真が幸せになれますよう、お守り下さい〉  霞真のようには声を出さないが、深く祈った。  自分がこんなに神に祈る時が来るなんて考えてもいなかった。心から神に祈る程、霞真を想っている事を改めて実感していた。  
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!