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 ──週末に、同級生に会うなんて最悪だ。  その瞬間、城崎圭は心の中で額を強く押さえ、大きく吐息をついていた。だがそれは表にはあらわさない。ああ、となるべく普段通りの、少し不愛想でなにげない声を出すように注意しながら、後ろを振り返った。  駅構内、ホームにあがるためのエスカレーターだ。左側に寄ってエスカレーターに乗っていたら、右側を歩いてのぼる足音が突然、斜め後方で立ち止まった。 「……城崎? あれ、城崎だよな?」  一段下から聞こえた声には聞き覚えがあった。 「──ああ、中島?」  振り返ってみれば、グレイのパーカーを羽織った同級生の姿がある。  中島一臣。同じ大学の同じ専攻クラスで──つまり、今通っている大学に入学して約七カ月、机を並べたクラスメートだ。とはいえ特に仲が良いわけでもなく、普段教室で顔を合わせたら挨拶する程度だし、あとはクラスの飲み会で二回一緒になっただけだが。  だから、余計に不快を顔に出さないようにするのが大変だった。親しくもない同級生に胸の内を勘ぐられるなんてごめんだ。おかげで城崎の顔は無表情になる。  逆に中島の方は、思いがけない場所──大学からは離れたところにある駅だ──で同級生に出逢った偶然に興奮している様子で、城崎に声をかけてきた。 「え、マジで城崎? なんだよ、なんで城崎がこんなところにいるの?」 「……それはこっちの科白、」 「城崎ってこの近くに住んでるの?」  すぐにエスカレーターはホームに辿りつき、そのままいつものように城崎はホームを歩き出せば、慌てて中島がそのあとをおっかけてくる。 「なに実家暮らしだっけ?」  土曜五時を過ぎたホームはいつものように混んでもいなければ、空いてもいない。……つまり他人のプライベートを詮索するな! と怒鳴り返すには不向きだ。城崎は今度は現実的に、口からため息を吐き出した。 「実家暮らしじゃないけど、近くに住んでる。──おまえはなんなんだよ」 「俺? 俺はこの近くに兄貴が暮らしてるんだ。都内の会社に勤めてるんだけど。昨日は用事があって泊まりに来てて。で、今からバイトに向かうとこ。あ、ちなみに新宿にある居酒屋ね」  聞いてもいないことまでべらべらと中島はしゃべる。  どうしようかな、と城崎は考えた。「あっち行け」とでも言って彼を追い払うか、それとも適当に彼と会話を交わしながら新宿までの二十分強の旅を楽しむか。……どっちにしてもあまり良い先の展開を想像できなくて、城崎はひそかに顔を歪めた。  だが、中島はそんな城崎の煩悶など気付きもしない。 「っていうかさ、……城崎、なんかいつもと違いすぎない? 一瞬誰かと思ったんだけど」  うぐっと城崎は言葉を飲み込んだ。  もっとも指摘されたくないことをあっさりと口にしただけで終わらず、中島は言葉に詰まった城崎のこともかまわずに、不思議そうに首を傾げて顔を覗きこんでくる。 「あ、しかも眼鏡じゃないじゃん。なに、コンタクト?」 「……だからなに」 「いやー、なんかカッコ良いなーって」 「…………」  いつもの乗車位置に並びながら、慎重に城崎は黙った。  ……なんだろう、この状況は。  この駅は大学の最寄駅とは路線から違う上に、大学自体からも離れていて、本来なら知り合いと顔を合わすような場所ではないはずなのだ。それなのに、ありえない偶然でクラスメートと出会い、親しげに声をかけられて普段と違う姿を見られた挙句、意味不明なコメントを吐かれるなんて、想定外すぎる。 「つーか、マジで今日の城崎、カッコ良くない? なんでいつもはこんな格好してないの?」  だから、なぜそんなことをわざわざ口に出して、指摘せねばならないのか。──というか普通、男同士で相手の格好を褒めたりしないだろう! と胸の内で城崎は唸った。  中島と二人きりで話をするのはたぶん初めてだ。クラスでも中心的な集団の中にいて、その隅っこでにこにこ笑っている姿は見たことはあったが、まさかこんなにも空気が読めない、臆面のない男だったとは思っていなかった。  城崎が反応にあぐねているうちに電車が来て、結局彼を追いやることもできずに、そのままふたり連れだって乗る羽目になる。  混んではないが、空いてもいない車内の出入り口付近に立てば、当たり前のように中島はその前に陣取った。身長百八十センチ以上ある城崎と百七十センチくらいの中島とでは身長差が明らかで、中島がわずか眼差しを上げるような感じになる。  そして彼はなんのためらいもなく、あっさりと言ってのけた。 「城崎、身長高いしスタイルいいし、似合うよね、そういう格好」  そういう格好というのは、城崎がきめているファッションのことだ。  普段、城崎は大学ではなるべく地味に過ごしている。──行動も、格好もだ。だが今は、いつも大学に着て行っている地味なジーンズとパーカーなどではなく、細身の黒のチノパンに胸元を少し開けた白シャツにジャケットを羽織り、胸元や手首や指をシルバーのアクセサリーで飾った、いかにもな格好をしていた。それは、城崎にとってはプライベート仕様の格好なのだ。  ──こんな姿、同級生には見られなくなかったのに。  とにかく今の状況にうんざりして、城崎はこめかみを押さえるように手のひらで顔を覆い、とりあえず顔をそむけて窓の外を見やった。その段になってようやく中島は、城崎の当惑に気がついたらしく、目を何度か瞬かせて、首を傾げてみせる。 「えーっと、城崎、気分悪い? 俺、しゃべりすぎ?」 「……っつーか、男に褒められるの、キモい」 「あ、ごめん」  本当は当惑のポイントはそこにはなく、ほとんど八つ当たりに近い暴言だったのだが、あっさり謝られ、逆に意表を突かれて城崎は目の前の男を見返した。  中島は大学で見るときと変わらない格好で、変わらないのんきな顔をして立っている。 「でも、マジ、正直な感想。かっこいい」 「……っ、」  こいつ絶対バカだ! と城崎は心の中で叫んだ。  城崎が週末だけこういう格好をしているのは、もちろんこういうファッションが好きだからだが、その動機はモテたいからだ。そうして週末にお洒落をして街に出かけ、相手をひっかけたいからだ。──城崎の場合は、しかも〝男〟に。  だから目の前で、同級生の男(それも確実にノンケの男)に褒められるのは、非常に決まりが悪かった。気まずいし、気恥ずかしいし、なんか腹立たしい。大体、〝男〟としてモテたいのはあくまで週末だけのことで、平日の、普段の大学生活ではそんなことまったく望んでいないのだ。 「でもさ、なんでいつもはそういう格好してないの?」 「っ、」  そうやっていろいろ突っ込まれるのが嫌だからだよ! と大声で返したかったが、もちろん返せるわけもない。  まいったな、と城崎は思う。……まさか、このバカ正直さで他の奴らに、今日のこと言うんじゃないだろうか。  そんなおそろしい可能性もあるのだと気づいて、城崎は顔色を失った。  と、その目の前で、なにかに思い至ったのか、あっと中島が声を出す。 「──もしかして、デート?」  お洒落イコールデート、という発想らしい。高校生か! と胸の内で突っ込んでから、なんだかバカ正直を超えてお子様としか言いようのない中島の反応に真剣に悩んで応じるのがバカらしくなってきて、城崎は自分の煩悶を投げ捨てた。 「そう。そういうこと。だから、誰にも言うなよ」  中島は一瞬目を見開いてから、それから、うんと頷く。 「りょーかい!」 「…………」  軽い返事に一抹の不安を感じて、城崎は軽く天を仰いだ。  そして胸の内でもう一度呟く。  ──週末に、同級生に会うなんて最悪だ。  目立ちたくないのだ。  関心を持たれたくない。  特に無遠慮で、空気が読めず、後ろめたさとは無縁のようなやつらからは。 「──圭のそれは、完全に自意識過剰だよね」  突然、バーカウンターの隣からそう話しかけられて、危うく城崎は口に含んだジントニックを噴き出しそうになっていた。  気づけば、いつのまにかカウンターに片肘をつくようにして隣に小柄な男が立ち、その童顔ににこにこと愛想よく満面の笑みを浮かべている。 「っ、ノン、おまえ、他人の話、盗み聞きしてんじゃねえよ!」  カウンター越しにマスターと話していて、まったく隣に気づかなかった自分を心の底で思い切り詰りながら、城崎は顔を歪めて、彼を追いやるように手を払った。 「なにそれ。冷たいなあ、元彼に対してその態度はなくない?」 「どんな態度だろうが、どうせおまえは構わないだろうが。──ってなんで隣に座る!?」 「俺、待ち合わせなの。相手来るまでヒマだから。あ、マスター、俺、彼と同じの」 「別れてからも、君たちは仲良しだねえ」 「冗談はやめてください!」  ふたりのやりとりを聞いていたバーのマスターが、注文に応えながらのんびりともらして、城崎は本気で顔をしかめてみせた。  城崎がいるのはいわゆるゲイバーだった。  城崎圭はゲイだ。自分でもそう自覚している。はっきりとそうだと認めたのは中学の頃で、それからの思春期は城崎にとって、本当に居心地の悪いものになった。  たとえば思春期特有の、恋話に下ネタ。  自分の性向を隠すことにはなんの疑問もなかったが、隠すためにつかざるをえない嘘はひどく緊張感を孕み、城崎の精神を消耗させた。ゲイだと自覚して以来、嫌が応もなく感じずにはいられない後ろめたさや、のんきな顔をして恋話とやらを聞きたがる同級生への苛立ち、恋人どころか仲間もいない孤独に欲求不満まで──なにもかもがうんざりだった。  だから、城崎は進学するとき、迷わず東京の大学を選んだ。地方にも、たとえばゲイバーなど、そういう世界がないわけではないが、広い都会の方がよほど安心して羽根を伸ばせる。  ……本当はすごくモテたいわけでも、相手をひっかけて一夜の相手を見つけたいわけでもない。ただ〝普通に〟話ができて、息が抜ける場所が欲しかった。  そういう意味で、この店は城崎にとって、ほどよく居心地のいい店だった。  カウンターとテーブル席がいくつかあるだけで、騒ぐというよりも落ち着いて飲むような店。女性禁制ではないらしいが、とにかく店の看板がさりげなさすぎて見つかりにくく、知っている人──つまり常連しか入ってこない。相手を見つけるための場所というより、デートを楽しむ場所、または仲間同士のコミュニケーションを楽しむ場所になっている。  が、それゆえに会いたくない常連とも顔を合わせることになるのが難点だった。 「たかが二丁目に飲みに行く途中で同級生と顔を合わせたからってなんなの。そうやってびくびくしてる方がばれるよ。本当にそういうの、圭の悪いところだよ」 「……ノン」  手加減なく言い放つ彼に反駁する気力もなく、ただ城崎は彼の名を呻いた。  まるで知ったような口を利く。だがそれも仕方がなかった。  通称〝ノン〟こと西嶋理文は、いわゆる〝元彼〟だ。彼と出会ったのは東京に出てきてすぐのことで、こことは違う店で知り合い、手慣れた彼に絡め取られるように部屋に連れ込まれ、押し切られるかたちで付き合うことになった。それこそ学生と間違われるような可愛い童顔をしていながら、城崎より六つも年上の彼は、あらゆる意味で経験値が高く、東京にもゲイコミュニティにも慣れていない城崎をその強引な陽気さであっという間に馴染ませた。  そういう意味では、感謝すべき相手なのかもしれないが。  ──あ、ごめん! 他に好きな人ができた、別れてもらっていい?  あっさりとその関係は、ものの二ヶ月で終わった。押し切られた関係を惜しむ間もなく彼は去っていき、そして向こうが一方的に別れを言い渡したくせに、顔を合わせても平気な顔をしているだけでなく、なぜかそのたびに城崎のことを非難してくる。 「ねえ、マスター。だって圭ってさ、日中にデートしてくれないんだよ。ひどいよね」 「おまえが昼日中なのにベタベタするからだろう!」 「昼か夜かなんて関係ないよ。若いうちにもっと青春楽しまなきゃ損じゃん。圭って大学生なんでしょ。せっかく格好良いんだから、おしゃれいっぱいして、もてればいいじゃない」 「……大学で〝誰〟にもてればいいっていうんだ」 「だって、いっぱいいるでしょ、いい男」  いっぱいいるのはノンケの男だ、と言い返しかけて城崎はやめた。恋多き男──というべきなのか、手当たり次第に彼氏を変える男といくら話しても、不毛な会話にしかならない。  どうしてこんなふうに楽天的に生きていられるのだろう。それはある意味うらやましいくらいののん気さで、城崎は深く息を吐いた。  彼は怖くないのだろうか。  ゲイだとそしられること。揶揄され、軽蔑され、嫌悪の眼差しで見られることが。  ──もしかして、デート?  不意に、行きの電車内でそう尋ねてきた中島のことを思い出して、城崎は顔を歪めた。  子どもじみたあの同級生は、もし城崎のデート相手が(今日はデートではなかったが)男だと知ったら、どんな反応をするだろうか。城崎がお洒落をして出かける場所がゲイバーだと知れば、〝格好良い〟だなんて無邪気に言った彼でさえ、嫌悪に顔を歪めるのではないだろうか。  ……ダメだ。  気づかれたくない。知られたくない。知られるわけにはいかない。どうしても。  黙り込んだ城崎の隣で、理文はあきれたような声を出した。 「本当に圭って、意気地なしだよね」  うるさい、と口の中だけ返して、城崎はグラスに半分残ったジントニックを一気に呷った。
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