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「だからそういう大事なことをね、他人事みたいに平気で言える人とはね。一緒にいられないなって思って……」
その瞬間、佐奈のおぼろげな記憶の中に、ぴたりと当てはまる欠片があった。
光る包丁の先に、姉が見ていたもの。
――ああ、そうか。
誰にも言えないで、怖かっただろうに。
佐奈は重い沈黙に気づかないふりをして、ちゃかすように切り返した。
「でも男性不信には、ならなかったんだ?」
「そうね。……今の彼は、いいひとだから」
綾姉は胸のつかえが降りたような、清しい顔をしている。その表情を見て悟った。
姉は妹に同じ思いをさせまいと、心に深く穿たれた傷を今、さらけ出してくれたのだ。永遠に隠しておきたかった過去を。
「綾姉ありがとう。気をつける」
思わず泣きそうになって、佐奈はぶっきらぼうに言った。
「でもたぶん大丈夫。亮は青春を部活にかけてるしさ」
あらそう、と笑う姉を見たら、なんだか負けた気がして急に悔しくなったけれど。黄色く葉を残すアジサイの手前、よく周が昔、穴を掘っていたあたりを眺めたら不思議と心が和んだ。
(姉も弟も、変わったな……)
一心不乱に穴を掘るほど幼かった周も、今では勉強にサッカーに忙しく、庭に見向きもしない。本人はあの事件なんてとうに忘れているから、あれは本物だったと信じる佐奈に、話を切り出す機会はまだ一度もやってきていない。
(穴の開いた庭、か)
それにしてもよく掘ったものだ。深さ八十センチはあったかもしれない。結局、たしか母がぶつくさ言いながら、あの穴を埋め戻したんだっけ。
すぎてしまえば、死体が埋まっているかもなんてまじめに空想していたあの夏の日がなつかしい。
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