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翌日、佐奈が家に帰ると玄関の扉に鍵がかかっていた。合い鍵で中に入ると、はたして周のランドセルが廊下に転がっていない。
(そう言えば今日、友達の家に遊びに行くって言ってたっけ)
冷蔵庫と時計の音だけが妙にうるさく響いている。
佐奈はため息をつくと洗面所に行き、手洗いとうがいを済ませた。茶の間の隅にある勉強机で宿題を済ませ、家族の帰りを待つ。
周、いつもこんな気持ちだったのかな。
庭から動こうとしない弟の背中を佐奈は思った。やせぎすで、押したら倒れそうに小さな背。こうして考えると、周が自分なりの幼い世界で精一杯、毎日を生きているのがよくわかる。
(帰ったらおやつのどら焼き、譲ってやろうかな)
窓の外で揺れるヒメシャラの若緑を目で追いながら、佐奈は腹に力をこめた。
ところがその日にかぎって周の帰りは遅かった。空が茜に染まり外が薄墨を塗ったような闇に溶けても、家にいるのは佐奈だけだ。玄関前でうろうろしていると、最初に帰ってきた家族は綾姉だった。
「ごめん。今すぐ夕飯作るね」
中学の紺ブレザー服を着た綾の手には、学生鞄とスーパーの袋が握られている。せわしなく靴を脱いで台所にむかう頬は緊張していて話しかける隙がなかった。
佐奈は幼子が引っ張る木製のあひるのように、つられて台所に入る。機敏に動く若い母さながらの姿を前に立ちつくした。
(……綾姉は、えらいなぁ)
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