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可愛いワンコ✦side秋人
「じゃあ後ろからぎゅって抱きしめようか。仲良さそうに。そうそうっ」
撮影用のグレーのスーツに身を包み、俺はカメラマンの指示どおり次々とポーズをとっていく。
写真を撮られながら、俺を後ろから優しく抱きしめる蓮のことを、今日はどうやってかまい倒そうかと密かに企んでいた。
蓮はいつも反応が可愛くて面白い。イタズラを仕掛けるのが楽しみで仕方がない。
「うんすごくいいね。じゃあ次、久遠くん。神宮寺くんに自由に甘えてみてくれる?」
カメラマンが俺に指示を出す。『甘える』という言葉に思わずほくそ笑んだ。さてどうしようかな。
すると、頭の上から「えぇ……これ以上どう甘えるの……」と弱りきった声が降ってくる。
「甘えてだってさ。蓮、どうしよっか」
俺は蓮を見上げ、熱い視線を送った。
その瞬間、蓮の瞳が揺らぎ「また何をするつもりなの?」と言いたそうな顔を向けてくる。
俺はゆっくりと甘えるような仕草で身体ごと後ろにふり返り、首筋にキスをする手前で静止する。そしてカメラ目線。
「あ、秋さん、絶対しないでね」
「何を?」
「それ、それ以上だめだからね」
「んー。だめって言われると、したくなるよな?」
と、目の前の首筋にチュッとキスをすると、蓮の身体がピクリと反応する。楽しくなって俺は笑った。
唇は離さずそのままを維持。カメラマンが回り込んでシャッターを切った。
「だめだって言ったのにっ」
手の甲にかすかにチリッと痛みが走る。むくれてつねってきたらしい。
あまりにも可愛い痛みで余計におかしくて、ふはっと笑い声を上げてしまった。
言うことやること、いちいち可愛いこの男は神宮寺蓮。二十歳。
見上げるほど長身で、穏やかで爽やかでめちゃくちゃカッコイイ男。俺よりも少し濃いめのグレーのスーツがあまりにも似合いすぎていて、負けたな、と思った自分に笑ってしまった。
俳優歴はまだ数年の若手だが、演技力は抜群。でも、その中身は、はっきり言ってワンコのように可愛い。
この見た目と中身のギャップが、俺は最高に大好きだ。
俺たちは今回、同性愛、ボーイズラブが題材のBLドラマでW主演を演じる。
人気コミックスが原作のおかげで、世間の注目度は予想をはるかに上回っていた。
撮影は始まったばかりでまだ放送前にもかかわらず、今日のように雑誌の撮影やインタビューが絶え間なく舞い込んでくる。
カメラマンの指示で、俺は蓮の胸元にすり寄った。腰にも手をまわし、蓮の腕の中にすっぽりとおさまる。
蓮の身体がかすかに揺れたと思った瞬間、早鐘のような心音が耳にダイレクトに流れ込んできた。
「可愛い」とささやくと「何が?」と頭上から問いかけられた。そっと見上げると、耳をほんのり赤くした蓮がきょとんとした表情で俺を見る。
心臓の音を聞かれているとは思ってもいないようだ。きょとん顔が本当に可愛すぎて口元がゆるむ。
「神宮寺くん、バックハグして。そうそう。うーん、顔の高さが同じになるように少しかがもうか。うん、いいね」
指示通りに動いて蓮の顔が真横に来る。俺は再びイタズラ心にかられ、自分の頼を蓮の類にすり寄せた。
でも、蓮はなにも反応を示さない。面白くない。俺はさらに反対側の頬を指でスリスリと撫でてやった。
いつもなら「ちょっとっ」とか「秋さんっ」と文句が出るのに、それでも無反応な蓮に不思議に思った。
チラッと顔を確認すると、なんとかカメラ用の表情を維持しようと必死に耐えている、そんな顔。
やっぱりいつもの蓮だ。可愛いし嬉しいしで思わず笑ってしまった。
「秋さん、なんで笑ってるの?」
「ははっ。可愛い」
「え、また何?」
なぜ笑われているのか分かってない蓮に、俺はさらに笑った。
「本当に仲がいいね。すごく伝わってくるよ」
と、カメラマンが楽しそうに次々とシャッターを切った。
ドラマの撮影では、今はまだ友達以上恋人未満の距離感だ。
でも雑誌の撮影では、今日のように当たり前に溺愛表現を求められる。
恋愛ドラマは初めではないが、これほど毎日べったりくっついての撮影三昧は初めてだ。
BLドラマだと、こうも違うのかと正直驚いている。
このドラマが初主演の蓮には少し気の毒だった。
平気そうなふりをして健気に頑張っている姿を見るたびに、好きだなぁと顔がほころぶ。
「じゃあその距離のまま二人で見つめ合って」
だんだんと指示が際どくなってきた。
蓮の心臓の音は、もうすでにすごいことになっている。この至近距離で見つめ合ったらどうなるのかと、さすがに心配になった。
それでもそこは仕事だ。やるしかない。俺は愛する人を見つめる熱のこもった視線を蓮に送る。
あと数センチでキスができてしまう距離。
蓮の心臓は爆発寸前だろうと思うほどバクバクしていて、頬は桜色で耳も赤い。
役の表情はすっかり剥がれ落ちて、ほぼ素に戻ったワンコの蓮だった。
はたしてこの写真は使えるんだろうか。
蓮の心臓が心配で少し落ち着いてほしくて、俺は心臓のあたりに優しく手を当てた。これで落ち着いてくれるといいのにな。
「蓮、大丈夫か?」
お前の心臓。
「え、何が?」
さっきから秋さんどうしたの? と首をかしげる蓮に苦笑した。
俺がかまい倒したせいでもあるのにそれは棚に上げ、もうそろそろ蓮の心臓にも優しい指示を出してやってほしいと、心の中でカメラマンに訴えた。でも、当たり前だが俺の心は届かない。
その後も俺たちはずっとふれ合ったまま、カメラのフラッシュを浴び続けた。
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