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楽屋に入ると、用意されている応接セットの二人がけソファに静かに座る。
なぜこんなに動揺しているのか自分でも分からない。血の気が引いていく。視界がグラグラする。見えてるものが現実じゃない感じ。
テーブルの上にある水のペットボトルが目に入り、手に取ってふたを開けると、一気に喉に流し込んだ。
飲みきっても何も飲んでいない感じ。何か現実じゃない感じ。
「…………俺……蓮にきらわれてる……?」
さっきの話は、そういうことだろう。
近づきたくないくらい、演技ができないくらい、キスシーンなんてできる気がしないくらい、きらいっていうこと。
女とか男とかじゃなくて、俺だからダメって……きっとそういうことだ。
俺、何かやらかした……?
「俺は……蓮だからできるって……思ってたのにな」
なぜだろう。彼女に振られたときよりダメージがでかい。気を緩めたら涙が出そうなほどに。
「ニコイチは……蓮がいい」
なんて、あのとき口に出さなくてよかった。
とんだ勘違い野郎になるところだった。
早く気持ちを立て直さないと、このままだと今度は俺が撮影どころじゃなくなる。
顔を上げて時計を見た。残り約三十分。立て直せるのか自信がない。
思いっきり泣いてしまいたい。スッキリしそうだ。
そう思ったとき、ドアのノック音が部屋に響いた。
「…………はい」
「あの、蓮です。今大丈夫?」
「…………っ」
息がつまった。水をかぶったように心臓が冷えた気がした。
「あ……今ちょっと……無理」
震えた声が出た。今蓮の顔を見たら、泣いてしまうかもしれない。
「秋さんっ? 入りますねっ」
「……はっ? ダメだっ……て」
勢いよく扉が開いて、俺を見た蓮は顔色を変えて駆け寄ってきた。
「どうしたの秋さん、具合悪いの?」
足元に片膝をついて、至近距離で顔をのぞき込むように見てくる蓮を、押しやるようにして体を離した。
「……ああ、うん。まぁ……ちょっと」
「大丈夫? 熱は?」
「な……無いと思う」
蓮の手が額にふれる。何か分からない感情があふれて、一気に目頭が熱くなった。
「ほんと、大丈夫……だから」
「でも秋さん、すごくつらそう。救護室に行ったほうが――」
「大丈夫っ、だから。ほっとけば治るから」
「秋さん……」
「……お、お前は? なんか用?」
何も無いなら早く出ていってほしい。
今は一人にしてほしい。
胸の中で何かがぐちゃぐちゃになっている。ものすごく、しんどい。
「あ、うん。その……これ以上撮影止められないし、なんとか克服したくて……それで……」
「…………なに、どういうこと」
それで俺のとこに来るって、どういうことだ。意味がわからない。
「あ、でも今はやめておく。秋さんの体調が戻ってからで」
「……なんか……知らねぇけど、撮影に影響すんだろ。……聞くよ」
「でも……」
「いいからっ。……俺は大丈夫だから」
俺が言い張ると蓮は少し困った顔をして、諦めたようにそろそろとソファの隣に腰を下ろした。
心配そうに俺をじっと見ながら、伸ばした手をそっと頭にのせた。
「…………だ……から」
どうして俺にそういうことをするんだよ、と声を上げたかった。お前は俺をきらいなんじゃねぇの? と立ち聞きしたことを暴露してやりたかった。
目の前で、泣いてしまいたかった。
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