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なかなか気持ちを立て直せない俺を、役が抜けきれていないだけだとみんながそう判断した。
撮影はまだ残っている。みんなはいやな顔一つせず、俺が撮影できる状態に戻るまで待機をしてくれた。
俺はもちろん、マネージャーの榊さんも何度も頭を下げて回ってくれていた。
監督もみんなも、あんなに役に入り込めば仕方がない、それよりもおかげで最高のシーンが撮れたから気にしなくていい、と言ってくれた。
慰められると余計につらかった。俺は演技すらできなかったのに。
なんとか取り繕い予定通りの撮影を終わらせたが、解散したのは深夜だった。
俺のせいで申し訳なくて、最後まで頭を下げ続けた。
榊さんが運転する車の後部座席に、鉛のように重たい体を深く沈めた。
無理やり仮面を貼り付けた表情をこれ以上維持できそうにない。すごくつらい。榊さんに見られないように、俺はタオルを頭からかぶって仮面のはずれそうな顔を隠した。
整理しきれない気持ちと自己嫌悪でいっぱいで、とにかく早く一人になりたかった。
「秋人」
運転席から、榊さんが静かに俺を呼んだ。
「…………もう、引き返せないのか?」
問われた意味が全く分からない。
働かない頭の中で、榊さんの言葉がグルグルとまわった。
「なんの、ことですか……?」
深夜の車の中はすごく静かで、エンジン音がやけに耳障りだった。
榊さんの放つ言葉に、打撃を受けるまでは。
「お前はストレートだと思っていたが。違ったのか?」
意味を理解してギクリとした。血の気が引いて、心臓がいやな音をたてた。
「あれは、演技じゃなかったな」
「…………なんの、話……」
「お前が神宮寺くんを見る目だ。あれは本気で恋をしてる目だ」
「…………なに……言ってるんですか。ただの演技ですよ」
絶対に認めるわけにはいかない。知られてしまったら俺はどうなるのか。
怖くて全身に震えが走る。
「……榊さんにまでそんな本気に見えるとか、俺すげぇ演技上達したのかな。監督にも……褒められたしさ」
「秋人」
「オンエア……楽しみだなぁ。もう大根とか言われないで済むかな。はは」
「…………オンエアされれば、お前の本気のキスが世間にさらけ出されるな」
「…………しつこいですよ、榊さん」
「お前の神宮寺くんへの執着は、最初からおかしかった。ずっと警戒していた。だから分かった。あれは……本気の目だった」
「…………最初から……警戒……って。だから違うって……言って……」
「秋人。俺は心配しているだけだ。お前を否定はしない」
「…………っ」
そんなことを言われても、だからといって話せるわけがない。認めるわけにはいかない。
車内が沈黙に包まれた。
タオルのすき間から窓を見ると、すでに車はマンションの地下駐車場に入るところだった。
なんとか誤魔化してさっさと車を降りなければと、震える手をにぎりしめて思考をめぐらせた。
いつもならエレベーターの入口前で停止するのに、今日は来客用スペースに榊さんは車を停めた。
すぐに帰る気はないという意味だろう。
二人とも黙り込んで、車内の空気がズンと重くなる。
何を言えばいいのか、何も浮かばない。言えないことばかりで、知られては駄目なことばかりで、取り繕う嘘も思いつかなかった。
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