『ありがとう』『さようなら』

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 この海。この砂浜。  なるほど。確かに最終地点にぴったりだ。  途端に視界にかかる(もや)は消え、朝日登る水平線とそこから溢れ出す海、取り囲んでいる様な防波堤、その奥に佇み、ようやく深い眠りから目覚め始めた街。  最期の最後に見る景色にしては上々ではないか。 「では、参りましょう」  ふと、右から声が聞こえた。男性の声。いいや、違う。これは、死神の声だろう。 「さぁ、こちらへ」 はい。 「これ以降は、あなたの全てがなくなります」 はい。 「よろしいですね?」 はい。 「では、こちらへ」  そう隣から聞こえた声に身を委ねると、ゆっくり身体は光に溶けていく。そして、空高く舞い上がった。  見下ろすこの景色、ここに居る人達、その全ては僕のなくし物なんだ。遠く離れた病院でくたばった僕のなくした物。  『残り香を探したい』なんて願いは最初から意味を履き違えられていて、これは単に『なくし物巡り』だったわけか。  なら、やっぱり一番のお目当ての物は見つかるはずもないよな。  彼女は別になくしたわけじゃないんだから。彼女の中にいる僕はなくなっていないんだから。  それでも……。 「その卒業証書は持っていかれますか?」 はい。みんなからの最後の贈り物なので。 「分かりました」  意識は段々と揺れ始め、不思議な感覚が全身を襲う。怖い。勿論、怖いさ。それでも。 「もう時期着きますよ」 ……はい。 「どこに、とか聞かないんですね」 えぇ。  きっとこれは、何かの始まりなのだろうから。  そう。小さい頃、彼女は僕に一つ教えてくれた。 『死んじゃっても、終わりじゃないんだって。神さまが新しい世界に連れて行ってくれるの。だから、もし大人になって、おじいちゃんおばあちゃんになって、死んじゃってもね、一緒だよ?』  そんな言葉を真に受けて、信じる僕も僕だろう。が、それでいい。それでもいいのだ。  ただ、脳裏に浮かぶ彼女の顔さえも段々と消えて行く。  途端、一気に後悔の冷たさが足から滲み上がって来た。  あの時、たった五文字、『ありがとう』『さようなら』のどちらかさえ言えていれば。本当に憎らしいよ、自分が。 「何か忘れ物は御座(ござ)いますか?」 いっぱいありますよ。 「左様(さよう)で。では、何か他になくしたものなんかは?」 そりゃ……、僕は。  もう浮かばない、思い出せない彼女の顔。  僕の一番の宝物。  そして、一番のなくし物。 ––––大切なものをなくしました。
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