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[九]
土曜日の午後二時。
久しぶりにきれいにのぞいた日差しは、しかし天井に覆われたアーケード内の、しかもブラインドが下ろされたこの事務所の中においてはあまり関係のない話のようだった。陽光は遮られ、クリーム色の照明の光だけが室内に広がっている。
ソファの間のガラステーブルには例によっての紅茶セットと、一冊のファイルが置かれていた。ファイルのポケットはすべてが埋まっている様子で、プラスチックの表紙は窮屈そうに丸みを帯びている。
「真名君はなぜあの張り紙に、あんなにも見入っていたのかな?」
何の前振りもなく突然始まった面接で、真っ先に訊かれたのがこれだった。手に持ったカップの、赤銅色の水面が微かに揺れる。
「すまない、隠れて見ているつもりも隠すつもりもなかったんだが、訊くタイミングがなくてね。
あの日、僕が外出から戻ると階段の入口に誰かいる。それも声を掛けるのが躊躇われるくらい、鬼気迫る様子で。……なぜ君は、あれほど真剣な顔で、冗談にしか見えないあの張り紙を見つめていたのか、聞かせてほしい」
ここで、『変わった張り紙だったので』と言うのは簡単だった。
『真剣に見えたのは、わたしが張り紙の謎を解こうと必死に考えていたためでしょう』
と。
しかし、それはどこか、フェアでないような気がした。
わたしは息を大きく吸いこんでから、一つ一つ説明していった。
あの前日、学校で起こったとある事件を、自分が解決したこと。
それによって自暴自棄になっていたこと。
そんな時に、「探偵」の文字が目に入ったこと。
多分に省略を含みながら、何とか話しおおせた。
「探偵役を務めた翌日なんて、出来過ぎた話のようですが」
〈こんな途方もない偶然は小説の中ではとても受け入れられるものじゃないのは、あなただって認めるでしょう〉
『ジャンピング・ジェニイ』のそんな一節が、頭の片隅に浮かんだ。
「話というのはいつだって、『出来過ぎた』ものだよ。冗談のような偶然が積み重なった結果、語られるに足る話に、物語になる。卵が先か鶏が先か、だね。
……しかし、なるほど、あの真剣な横顔にはそういう理由があったんだね。
でもわからないな。事件を解決したにも関わらず、なぜ真名君はそんな立場に追いやられてしまったんだい?」
不思議そうに言う宗像さんの視線から逃げるように、顔を伏せる。
それはあまり話したくないことだった。あの事件は、忘れたい過去なのだ。
「……要点だけを伝えますと……解決が誰の得にもならなかったんです。被害者も犯人も、関係者も無関係者も、誰もかれもが多かれ少なかれ傷を負うような、そんな結末でした。蓋をしていれば、誰もが平穏に過ごせたはずだったんです。それをわたしは暴いてしまった」
「……素朴な疑問なのだが、そうであるならば、真名君はなぜその事件を解いてしまったんだい? 解いたというのなら、披露の前段階で、そうした結末になることはわかっただろうに」
そう、わたしはわかっていたはずなのだ。解かないままの方が、多くの人にとって幸せだと。しかしその思いに増した別の思いが、わたしを解決披露へと駆り立てた。
「同じことを、学校でも言われました。そしてわたしは、その時、こう答えたんです」
『謎が解かれないのは、寂しいと思ったから』
その感覚がわたし個人だけのものだと気づかされた、誰とも共有できないものだと知ってしまったあの日。
事件の翌日のわたしは、空っぽな自分の置き所を探していたのかもしれない。
だから、普段とは違う道を進んだのかもしれない。
だから、あの張り紙が目に入ったのかもしれない。
だから、宗像さんの誘いに『はい』と言ったのかもしれない。
いや、そんな『かもしれない』を重ねても仕方がない。どう理由づけをしようと、わたしは、ここにいるのだから。
宗像さんの顔を窺うと、それまで柔らかく上がっていた口の端が、真っ直ぐに引き結ばれていた。その顔は、初めてこの人に会った時を、ジッと見つめられたあの時をわたしに思い出させた。
「真名君のことが少しわかった気がするよ。
そうか、君も同じか。僕や、彼女と……。
――余計なお世話かもしれないが……どういった事件があったか、具体的にどんな解決だったか、僕は知らない。真名君も、深く聞いてほしくはなさそうだしね。そして誰かに何かを説諭できるほど、僕はできた人間じゃあない。
でも、これだけは言える。
あらゆる事件は、解決されるべきだ。
それがどのような未来に繋がってしまうとしても、ね。真名君は、決して間違っていなかった。僕はそう思うよ」
言い終わると、宗像さんは空になった自分のティーカップにお湯を注ぎ、アールグレイの封を切ってカップの中に入れた。徐々に沈んでいくティーバッグから、ジワジワと染みが広がるように赤銅色が漏れていく。わたしは黙って、その様子を眺めた。
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