[一]

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 [一]

 わたしは何を誤ったのか。  何に躓いてしまったのか。  いつから失敗していたのか。  今この瞬間、タイムマシーンに乗ったネコ型ロボットに『さあ、君の望むシーンに戻れるよ! 自由に過去を改変しよう!』と誘われたら、わたしはどのチャプターへ飛ぶだろう。  八年前のあの日だろうか? 二年前の、あの事件の(きわ)だろうか。  違う。  戻れるとしたら、決まっている。  昨日だ。  間違いなく、昨日の午後三時に戻って、事件の解決などという役目を放り出し、全力でその場から逃亡してみせるだろう。  なぜ自分は探偵を気取るような真似をしてしまったのだろうか。静観していればよかったのだ。装うまでもなく、自分は無関係だったのだから。それなのに首を突っ込んで、この有様だ。  朱星(あけほし)女子高校に入学してからの約二ヵ月。その間、細心の注意と乏しい社交性を振り絞って作ってきた箱庭は、すっかり壊れてしまった。  七限目が終わり、担任が来るまでの間隙の時。  常であれば一日の終わりを互いに労いあうこの時間に、この教室内は話し声一つしない。降りしきる雨が世界を叩く音だけが、ノイズのようにうるさかった。  ……仕方がないのだろう。受け入れざるを得ないのだろう。  傍若無人に、容疑者も被害者も関係者も無関係者も、全部を破滅させるような解決をした後に、重ねてあんなことを言ってしまったのだ。認めざるを得ない。あの時のわたしは、確かにサイコパスだった。  しかし、自分が事件に乱入していった理由を突き詰めて突き詰めて突き詰めれば、結局あの時の言葉に収斂されるのも、また確かだった。  後悔も反省も、自分にする資格はないのかもしれない。  そんなことを考えている間に、担任がやってきた。  帰りのホームルームが何事もなく始まり、何事もなく終わる。  起立。礼。左様なら。  挨拶が終わった瞬間、サッと教室内がグループ分けされていく。個より群れをなした方が、生き物は強い。個のままでいるわたしは、何の太刀打ちもできない。  黙ってカバンを持って立ち上がり、教室を後にする。  わたしが視界から消えた後、彼女たちはわたしの噂話でもするのだろうか。そうであれば、まだ幸せかもしれない。人間は、話題にされるうちが花なのだ。そう心の中で嘯いた。  校門を出て、時折横合いから殴りつけてくる風雨の中を足早に進む。鞄と黒無地のスカートに、斑にシミができていくのを感じながら。  少なからず自暴自棄になっていることは自覚していた。もう何もかもが、どうでもよかった。その気分を天候が後押しする。  後は野となれ山となれ。  痛めつけるなら、徹底的に。  ――だからわたしは、いつもと違う進路を取った。  学校から信号を三つほど先に行ったところにある、普段は入らない、高い天井に覆われたアーケード。数百メートル先まで続くその入口の隅で、わたしは傘を閉じ、水滴を払った。一息吐いて、ポケットからハンカチを取り出し、眼鏡のレンズを軽く拭う。  そして、改めてレンズ越しに見えるのは……予想した通りの人の群れだった。  携帯電話で話しながら進むスーツ姿の男性。  集団で固まって動く茶色い髪の女子高生たち。  飾り立てた服で駅の方面へ向かう中年の婦人。  ベージュの上下で人波を縫って走る配送業らしき青年。  ビルの外壁に寄りかかり言葉なく見つめ合う若いカップル。  くたびれたジャンパーを羽織りつまらなそうに歩く老人。  互いに顔も見ず、すれ違い、通り過ぎていく人々。  悪天候も手伝って、そこは種々雑多な人で溢れ、その誰もが店から漏れる蛍光灯の光に包まれて、石膏の仮面を被っているように見えた。  普段の通学路は、アーケードを四本ほど外れた人通りの少ない小道。時たま塀を歩く黒猫ともすれ違うことができる、素敵な道だ。しかしそんな道を、こんな気分で歩きたくなかった。  そう、痛めつけるなら徹底的に。  わたしは唇を結び直して、群衆の一員に加わった。
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