[七]

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 くぐもった「どうぞ」という声に扉を開けると、宗像さんはソファに座って読書の最中だった。判型は文庫。カバーは外されており、ここからではレーベルの判断はつかなかった。 「おや、いらっしゃい」 「……驚かないんですね」  身勝手ながら、もう少し、何かしらのリアクションがあるものだと思っていた。喫茶店のマスターが常連客に向けるようなトーンに、些か拍子が抜ける。 「いや、これでも大分驚いているよ。本当に。まさかまた、しかもこんなに早く再会できるとはね。  昨日は帰りがけにあんなことを言ってしまって、てっきり女子高生好きの妄想変態探偵と思われたに違いないと、ずっと自己嫌悪に陥っていたんだ」 「女子高生好きの不審者だとは思っています」 「ああ、女子高生の罵倒が痛い」  宗像さんは肩を竦めて笑顔でそう言うと、立ち上がりながら自分をソファへ促した。そのまま衝立の向こうに入っていく宗像さんに、わたしは「お構いなく」と声を上げる。  ガラステーブルの上には、先ほどまで宗像さんの手にあった文庫本が置かれていた。勝手に手に取るのも不調法であるので、首を傾けて表紙と背を見る。  探偵小説のようだが(殺人事件と付いているのだから、この推測はそう間違っていないだろう)、知らないタイトルだった。  というか、ここは探偵事務所ではないのか。  職場ではないのか。  仕事はないのだろうか。 「仕事、ないんですか?」  衝立から出てきた宗像さんに訊いてみる。宗像さんは苦笑しながら、昨日同様のお茶のセットをテーブルに並べる。 「鋭利な刃物で斬りつけるがごとき質問だね。僕じゃなかったら泣いているところだよ?  まあ仕事が無いのは事実だけどね。扱う事件の特殊性から、僕の事務所はとびきり仕事が少ない。だからこうして読書に耽ることも真名君とお話しすることもできる。  そもそも一緒に働いてくれるという奇特な人が見つかるまでは、開店休業中みたいなものだからね」  宗像さんは向かいに座り、机上の文庫本を取り上げて、片手でパラパラと捲る。 「突然だが……真名君は、最近の探偵小説についてどう思う?  本屋に行く。すると、平積みされている本の帯には『衝撃の結末』だの『驚異のどんでん返し』だの『最後の一行に貴方は戦慄する』だのという文句が仰々しいフォントと色使いで書かれ、並んでいる。  あれを見ると、どうにも僕は目がチカチカしてしまうんだ。  もちろん、衝撃も驚愕も戦慄も、探偵小説には欠かせない要素だ。だがそう大上段に振りかぶられてしまうとこちらも身構えてしまう。  どうにも辟易してしまって、結局昔読んだ作品をこうして引っ張り出して読むことになる。自分の本来の楽しみ方から一歩離れて、ね」  宗像さんの本来の楽しみ方……『自分の推理を端から否定される快楽』、だったか。確かに、結末を知った上での再読では、その快楽は味わえない。 「一昔前の探偵小説は、それは見事に、居合の一閃のように鮮やかに切り伏せてくれたのだが、昨今の探偵小説は大声で技名を叫びながら飛びかかってくるかのようだ。驚きのバーゲンセールだね。  ……例えばそうだね、カバーも帯もなく、タイトルに探偵小説と角書(つのがき)は付いているが、その実、事件がまったく起こらない探偵小説というのはどうだろう。何事もなく、ただ探偵と助手が静かに会話をするだけで終わる、そんな探偵小説があってもいいんじゃないかな」 「それはもはや、探偵小説ではありません」  ジャンルの定義に関してそれほど頓着をしないわたしでも、流石にその意見には首肯しかねる。すると宗像さんは「そうかい?」と笑みを浮かべた。 「読者が探偵小説に求めるのは知的興奮だと僕は思うんだ。自分の想像を超える何かを、読者は求めている。  以前、本の半分が白紙でできている探偵小説の同人誌があったが、あれは最たる一例だったね。ご丁寧に、白紙の部分は袋とじになっていたよ。 『犯人は、物語の最後に登場するものだ。真相は袋とじの部分に隠されているはずだ。だから、それまでに指摘された犯人らしき人物は、決して犯人ではない』  そんな読者の心理を逆手に取った良作だった」  それは……面白い試みかもしれないが、クレームが殺到したのではないだろうか。自分が実際にそんな本を掴まされたら、怒りか呆れの感情が先に来るだろう。 「……まあ、確かにね。僕も心理的な余裕がない時期に読んでいたら怒りもあったかもしれない。しかしあれを読み終わった時は、探偵小説という枠組みそのものを否定される快感が味わえた。  世にいうところのトリックなんて大半がやりつくされているんだ。『探偵小説のすべてのトリックはクリスティとクイーンに収斂される』と指摘した評論家は誰だったかな。奇抜なトリックをメイン、というか売りにしてしまうと、『この作品は、あの作品のトリックを参考にしていますね』とか、『このトリックは他で使われています』とか『探偵小説家なのにあの作品も読んでいないんですか? 死ねばいいのに』なんて言われて終了だ。  世のすべての作品を読むことなんて不可能なんだから、期せずして被ってしまう可能性からは逃れられない。  このご時世で考えるべきは、探偵小説という枠組みの中で、いかにするりと、その枠から魔法のように抜け出せるかだと思うのだがね。  ……なんて、僕が偉そうに語ることでもないのだけれど。  いや、真名君が同好の士とわかっているだけに、ついつい話し過ぎてしまうな。こういう自分理論を振り回す年齢に自分もなってしまったんだな、と感慨もひとしおだ。まったくもってお恥ずかしいことだよ。  ……ところで、今日はどのような用件かな?  まさかの一目惚れからの愛の告白かい? だとすると僕も嬉しいが、果たして世界がそれを許してくれるかどうか」  用件。  そう、わたしはそれを伝えるためにここに来たのだ。 「責任を、取ってもらおうと思いまして」
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