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 宗像さんの笑顔が、固く強張った。ゆっくりと右手の人差し指をこめかみに当て、頭の中で昨日のやり取りを反芻しているようだった。 「……………………ええと……昨日は何事もなくお互いが平和的に別れたと記憶しているんだが……」 「宗像さん。貴方はわたしを、可愛いとおっしゃってくれましたね?」 「うん、言った。それは間違いない。え、あれかい? 『髪を切ったね』と同様、『可愛いね』もセクハラ扱いに」 「外の張り紙の募集、まだ有効ですか?」  要件の一つが、『可愛い女子高生』だった、あの募集。もちろん、と宗像さんが頷くのを見て、わたしは続けて言った。 「採用試験を、今からしていただけませんか?」  宗像さんはそれを聞き、左手に持ったままだった文庫本をテーブルにポンと置くと、ゆっくりと天井を仰いだ。 「………………………………――――――いや、まさかこんなことが現実に起こり得るのか?  可憐なジト目のメガネっ子女子高生が採用希望だって? 壮大なドッキリ企画なのか?  僕が喜んで了承したら、常陸(ひたち)君が出てきて飛び膝蹴りを食わせた後、嬉々として僕を檻の中に連れていくんじゃないのか?  落ち着け、可能性を考えよう。想像は僕の得意分野じゃないか。  可能性一、先ほどはスルーされたがそれは照れ隠しで、彼女はやはり僕に一目惚れを」 「していません」  盛大な独り言にストップを掛けると、宗像さんはカップを手に取り、まだ湯気の立つ紅茶をグイと一息で飲み干した。  ……熱くないのだろうか。試しに自分のカップを触ってみるが、とても喉を鳴らして飲める温度ではない。こちらの心配を余所に、宗像さんは火でも吹くかのように、フウと大きく息を吐いた。 「いや、申し訳ない。脳がオーバーフローしていた。どうにもこういう突発的な事態に弱くてね。夢と現の判断ができているか自信がない。念のため、もう一度用件をお願いできるかな?」 「採用試験を、お願いできませんか?」  一字一字、噛んで含めるようにわたしは言った。宗像さんは開いた足の間で両手を組むと、ジッとわたしの瞳を見つめた。こちらの意思を窺うように。 「……なるほど、どうも先ほどのは幻聴じゃなかったらしいね。  質問と要望に答えさせてもらおう。  真名君は応募条件を十分に満たしている。だけど、採用試験に関しては、こちらでも多少の準備がいる。これからすぐに、というわけにはいかない。  それに、服装から察するに、真名君は学校に向かう途中だ。『学校には必ず行くべきだ』と言う気はさらさらないけれど『無断欠席の少女を事務所に連れ込んだ』なんて風評が出回ると、僕は裁判を待たずに処刑される恐れがある。そうだね……今度の土曜日、時間はあるかな?」 「午前中は授業ですので、午後からなら」  悲しむべきか喜ぶべきか、今の自分には学校以外の予定は一切ない。 「それでは午後二時に、ここで試験を行わせてもらおう。  そうだね、二、三時間を見積もって空けておいてほしい。採用如何はその結果で判断させてもらうことになる。  ああ、結果に関わらず、試験時間分のお給料は渡すから、判子を忘れず持ってきてほしい。……いやいや、遠慮されると困る。このお金には、試験に関する秘密を守ってもらう意味も含まれていると考えてほしい」 「……試験の内容は、どのようなものでしょうか?」 「ああ、それも説明しておくべきだね。僕が求めている人材については覚えているかな?   僕の推理を片っ端から否定する力があるか否か。その能力を計るための問答試験を受けてもらう。実際に起こった事件を用いて僕と対話し、真相に至れるかどうか。  それと、履歴書は差し当たり不要だが、簡単な面接はさせてもらうから、そのつもりで」  わたしは「わかりました」と言って、宗像さんに気づかれないように鼻から深く息を吸った。  これで、何かが始まるのだろうか。  わたしが初めて探偵役を務めたのは、二日前。  もう二度とそんなことはするまいと思ったのも、二日前。  こんな僅かな時間で撤回することになるとは思わなかったと、心の中で自嘲する。舌の根も乾かぬうち、だ。いや、探偵助手ならば、その限りではないだろうか……などと、まだ採用されたわけでもないのに考える自分を頭から追い出して、立ち上がる。 「今日は、突然失礼しました。それでは、土曜日に」  学校には、走れば間に合うだろう。というより、走りたい気分だった。思い切り、全力で。  ……――扉の前で一礼し顔を上げると、宗像さんは、なぜだろう、『深刻な愁いを帯びた苦笑』とでもいったような、とても複雑な表情を見せていた。
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