オメガの博士が見る夢は

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 ***  迎えに来たよ、とアルファの男が笑う。  鳶色(とびいろ)の瞳をやさしく(たわ)めて。  迎えに来たよ、と『運命のつがい』が、大きな手を差し伸べてくる。  私は必死にその手にしがみついた。  ああ、私のアルファ。  このまま私を連れて逃げてくれ。  雄々しく整った男の顔が、近づいてきて…………。 「……せ、博士! は、か、せ!」  ピシャリ、と頬を叩かれて、私は驚いて飛び起きた。  目の前には、もっさりとした頭の助手が居る。頬がじんじんと痛い。  夢と現実がわからなくなって、私は『運命のつがい』を探して視線をうろつかせた。 「……あ、あれ?」  アルファが居ない。私の、アルファが。 「寝ぼけてんスか?」  いつもの淡々とした口調で、各務が問うてくる。今日もふてぶてしく不愛想な表情だ。  周囲を見渡すと、常夜灯がぼんやりと点る代り映えのしない室内が見えた。  なんだ、夢か。  途方もない脱力感に、私は打ちのめされてうつむいた。  運命のつがいの居る夢の中は、あんなにしあわせなのに。  現実の私には救いの手など伸ばされず、研究所に囚われたままで。  死ぬまでここで暮らさなければならないのだろうか、という暗澹(あんたん)たる予測が、重くのしかかってくる。  項垂(うなだ)れる私の髪が、上から無遠慮に掴まれた。  頭皮の引き()れる感覚に顔をしかめてベッドサイドに立つ助手を睨み上げた。 「痛いよ」 「アンタがまだ夢の中に居るみたいなんで。さっさと起きてください。ここから出ますよ」  一本調子の素っ気ない口調で言われて、うっかり意味を捉え損ねた。 「……は?」 「センサーもカメラも切ってます。警備員は買収済みなんで、エントランスまで行ければこっちのモンです。ほら、立って。行きますよ」 「ちょ、い、痛いってば」  髪を手綱かなにかのようにぐいぐいと引っ張られて、私は悲鳴を上げながらベッドから降りた。  いまは一体何時だろうと時計を見ると、深夜の二時を回ったところだ。  いや、時間などこの際どうでもいい。  彼はいま、なんと言ったのだろう……。  私が呆けていると、各務がまた頬を叩いてきた。  今度は先ほどと違って、てのひらを触れさせるだけのやわらかなちからだった。 「愚図愚図してたら捕まりますよ。アンタ、逃げたいんスよね?」 「……に、逃げたい、けど……なんできみが……」  助手の行動が意味不明すぎて、現実味もなく問いかけた私へと。  各務がうんざりとしたように吐息して、前髪の向こうからじろりと私を見下ろしてきた。 「はぁ? アンタが言ったんだろ」 「え?」 「ここから出してくれたら、俺だけのオメガになるって」  ……言った。  確かに、言ったけれど。  数日前にその話をしたときは、各務は毛の先ほども興味を示さなかったのに……。 「ほら、行きますよ」  伸びてきた男の手が、私の手首を掴んだ。  そのまま引っ張られて、足がまろぶように前に出る。 「で、でも……」 「なんスか」 「きみ……インポだって言ってたのに……」  各務が私をたすけに来てくれた、ということが俄かに信じられずに、混乱した私は至極どうでもいいことを言ってしまった。  すると、存外背の高い、けれど野暮ったい印象の助手が。  いつもは怠そうでやる気のない表情を、不意にくしゃりと崩して。 「は、ははっ」  と、珍しく声を上げて笑ったから。  鼻筋にしわを作って、弾けるように、笑ったから。  私は束の間、彼に目を奪われてしまった。 「信じたんスか、あんな適当な冗談を」  可笑しげに肩を揺すった各務が、私を覗き込み、前髪越しに瞳をやわらかく(たわ)める。 「バリバリ元気だってこと、後で証明してあげますよ」  囁く声音が、耳に吹き込まれた。  膝が震えそうになった。 「ほら、走って」  手首を掴んだまま、各務が私を誘導する。  私が手をずらしておずおずとてのひら同士を重ねると、彼は迷いもなくぎゅっと握ってくれた。  アルファでも、運命のつがいでも、イケメンでもない、ただのベータの男に手を引かれて。  私は走った。  薄暗い研究所の廊下を、各務と二人で走った。  鼓動が乱れている。  繋いだ手と、頬が熱い。  これは、久しぶりに走ったことによる胸の高鳴りなんかじゃない。瞼の裏に、普段は不愛想な助手の笑ったときの顔が焼き付いている。  なんだこの感情は。  この、押し寄せてくる甘く苦しいような感情は。  夢の中の、運命のつがいに覚えたそれよりも、生々しく、体が火照るほどに熱い感情。  それは、隣を走るベータの男に、起因するもので。  ずっと研究一筋だった私には縁遠いはずのもので。  湧き起こるそれの正体を、分析した結果は、つまり。  つまり私は……。  恋に、落ちたのだ。  この、私の手を引いてくれている、ベータの男に。  年甲斐もなく、恋をしてしまったのだった。         ??A Happy Ending??  
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