オメガの博士が見る夢は

1/2
前へ
/2ページ
次へ

オメガの博士が見る夢は

 また同じ夢を見た。  夢にはひとりの男が出てくる。  やわらかそうな髪を、軽く後ろに流して。  男らしく整った目鼻立ちを露わにした、絶対的な存在感の、彼は。  紛う方無き、アルファで。  私の『運命のつがい』なのだった……。  馬鹿馬鹿しい、と自分でも思う。  運命のつがいなど、単なるおとぎ話で。  そんな非科学的な存在、いまどき子どもでも信じてはいまい。  しかもこれほどのイケメンが『運命』だなんて。はて、私は面食いの気があったのだろうか、と首を傾げてしまう。  それにしても今日も驚くほどの男ぶりだ。  私のアルファが、私へと手を差し伸べて、悶えるほど格好いい顔で微笑んで…………。 「……せ、博士!」  肩を揺すられて目が覚めた。なんて無粋な声だ、と私は唸り声を上げて両目をこすった。あの夢を見るときは決まって眠りが深いので、瞼が中々持ち上がらない。  くっつきたがる上下のそれをなんとか引きはがして、ようやくうっすらと目を開いた。  私を見下ろしてくるのは、不愛想な顔つきの白衣の青年だ。  私の助手の、各務(かがみ)という男である。  もっさりと長い前髪に半分隠れた目を、彼が細めた。 「時間ですよ」  淡々と告げた助手に肩を小突かれ、私は渋々ベッドから起き上がった。  伸びっぱなしでついには背中にまで到達してしまった髪を、ぐしゃぐしゃと掻き上げて、私はあくびをひとつ漏らした。 「ふぁ~あ。いいところで邪魔をしてくれたね」 「また例の夢ですか」  各務が半眼のまま、呆れ混じりに問いかけてくる。  私の夢の内容は、この研究室で勤める者には筒抜けだ。なぜなら、私には報告の義務が課せられているから。 「今日もすこぶるいい男だったよ。私の運命のつがい殿は」  小さく笑って、私は洗面所へ移動する。  鏡に映るのは、冴えない中年の顔……だった、はずだ。ほんの数か月前までは。  この世には、男女の性別の他、バースという分類が存在する、というのはもはや常識だ。  人口の八~九割がベータ。つまり、ごく一般的な『ヒト』である。  そして一割ほど存在するのが、アルファ。ヒエラルキーの頂点の存在だ。  オメガは最も希少種で、一昔前までは差別の対象であったが、ヒートの抑制剤などが開発されて以降は、オメガ保護法の施行などもあり人権が確立されるようになった。  現在、国はむしろアルファに関しての研究を熱心に行っている。  アルファを多く輩出した国は、経済的にもパワーバランス的にも上位国に位置することができるからだ。  その為私の所属する研究所では、本国のバックアップを受けて、『人工的にアルファを造る』研究に着手していた。  ベータの中にも秀才や天才と呼ばれる人材が存在し、彼らの遺伝子を調べるとアルファのそれと酷似する部分があることが、最近の分析で明らかになった。  だから私の班は、優秀なベータを更にアルファに近づけるべく、遺伝子の改変を行っていたのだが……。  その、私が。  なんの因果かその私が。  齢四十を目前に、なんと、オメガに変異してしまったのだ。  バース性はふつう、第二次性徴期までに確定し、それが変わることなどまずない。  それなのに。  ある日突然、私のバース性はオメガとなった。  当時私は謎の倦怠感に悩まされており、見かねた所長の手配で人間ドック並みの検診を受けた。そして私は、職場に送付されてきた結果の用紙を見て愕然とした。  氏名欄の右横に、性別と血液型に並んで記されていたバースが、『Ω』という文字だったからだ。  なにかの間違いに違いない。検査技師の入力ミスだろう。そう考えた私は病院に問い合わせを行い、併せてべつの病院へとバース検査を申し込んだ。  結果は三戦三敗。どの用紙にも堂々と『Ω』と記載されていた。   バースの変異など聞いたことがない。私は計り知れない焦燥の中、各国の論文という論文を読み漁り、資料という資料に目を通した。  しかしそれらは徒労に終わった。  つまり私は、まったく前例のない突然変異なのだった。  そんな私を研究所が野放しにするはずもない。  あれよあれよという間に私は捕らえられ、かつて私の研究室であったこの部屋に幽閉されることとなった。  オメガは法律で保護されるが、国に登録されている私のバースはベータ。だから私に保護法は適用されない。そのことを研究所は上手く利用したのだった。  博士、という呼称だけは皮肉のように残されたが、いまの私は単なるモルモットだ。  二十四時間カメラで監視され、排泄ですらも管理されている。  あ~あ、とため息が漏れた。  憂鬱だ憂鬱だ。  夢の中の、運命のつがいとの邂逅(かいこう)だけがオメガとなった私の楽しみなのに、それさえも毎朝、助手のあの不愛想な声で取り上げられるのだから。  あ~あ。  これ見よがしな嘆息を聞きつけた各務が、広げたタオルを差し出しながら問うてきた。 「そんなにいいもんですかね? アンタの妄想の中の、運命のつがいとやらが」  私は彼の手からふかふかのそれを取り上げ、洗顔で濡れた顔を拭いた。 「そりゃあ、きみたちに比べれば百倍もいいよ。私の『運命』は私を研究材料にしたりはしないからね」  私の返事を、各務が鼻先で冷たく笑い飛ばす。 「仮にも研究者のくせに、随分とロマンチストだ」 「いまの私はただのオメガだよ」  自嘲に唇を歪めて、私はチラと鏡面に視線を走らせた。  肌の仄白さなどに変わりはなかったが、オメガホルモンのせいだろうか、なんとなく顔つきが女々しくなったように思う。  それともこれは単なる私の被害妄想か。  これまで自分の顔の美醜など頓着したことなどなかったのに、一重の目元がうっすらと紅潮していて、そこに思いがけぬ艶を見つけてしまい、私はうんざりとタオルで顔を覆った。  そろそろ発情期が近い。  日常的に脳波だ採血だと全身を研究されているというのに、発情期になるとそれは尚一層ひどくなり、白衣の連中に周りを囲まれ、ヒートの間中、昼も夜もなく体を弄り倒されるのだった。  ああ嫌だああ憂鬱だ。  私は精一杯の媚を意識して、各務へと流し目を送った。 「ここから出してくれるなら、きみの言うことをなんでも聞く、きみだけのオメガになるけどね」  私の誘惑を、助手はあっさりと跳ねのけた。 「俺、ベータだしインポなんス。だからこうしてアンタの世話役に抜擢されてんだけど」 「……各務くん、きみ、いくつだっけ?」 「歳スか? 二十二」  若いのにインポなんて可哀想に……と思ったけれど、当の各務は飄々とした態度で、インポであることを気に掛けている様子はまったくなかった。  しかしそうか……ベータはアルファほど鼻が利かないから、オメガのヒート時のフェロモン香にあてられても理性を失う程ではないし、インポなら尚のこと色仕掛けなど通じないだろう。  尤も、二十二歳の若者が四十のおじさんに(なび)くはずもなかった。  各務にしてみればとんだとばっちりだろう。  バース研究をするために配属された先で、助手として担当していた博士が数か月後に突然オメガになんてなったのだから。  それ以降彼は、私の世話役として食事や風呂などの面倒を見てくれている。  オメガに変異した私の体は、他の研究員たちによってすみずみまで『研究』されているのだけれど、下っ端の各務はそれに加わっていない。  少し離れた場所で、不愛想でやる気のなさそうな表情のまま、こちらを眺めているのが常だった。  いくらオメガとはいえ私のようなおじさんが、同性に嬲られてアンアン言ってるのを見せられるのは、さぞ苦行だろう。  研究対象として過ごす日々に限界を覚えたからと言って、迷惑をかけている助手を誘惑しようとしたのだから、自分の愚かさが心底嫌になってしまう。  あ~あ、と何度目かもわからないため息がまた口から飛び出した。  発情期が来る前に、誰か私をここから救い出してはくれないだろうか。  運命のつがいじゃなくても、イケメンじゃなくてもいいから、誰か、たすけに来てはくれないだろうか。  そんな私の願いも虚しく、今日もモルモットとしての一日が始まった。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

203人が本棚に入れています
本棚に追加