1・三年二組四月

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 とたん、北島の顔から色がなくなる。男子たちとつい先ほどまで、破顔させて大声を出していたのに。 「――そんでさあ」  何事もなかったかのように北島がまわりの連中に話を続ける。  少しかすれた感じの、大きな声。耳に残る声。  その声に続いてわき起こる連中の笑い声。  あたしを見た時のあの、北島のつめたい目。  みじめな気持ちがまた、生まれてきてしまう。  にぎやかにやっている左の席のことは、あまり意識しないことにしよう。そう思いながらカバンをひらき、筆入れや教科書を机の中に入れていく。  その時。  手がすべって、現代文の教科書を床に落としてしまった。  椅子に座ったまま屈んで教科書を取る。  屈みこんだらまた、喉がかゆくなってしまった。ケホケホと咳き込んでしまう。  クリーム色の床。すぐそこにある、いくつもの足。二重線の入ったくたびれた校内用シューズ。  左上から自然に耳に入ってくる北島の楽しそうな声。どんな顔で笑っているのか、容易に想像できてしまう声。  だめ。  意識しないようにしても、だめ。  ものの十秒もしないうちにあたしの決意はけつまずいてしまった。あっけない。  よりにもよって、どうしてこの席に。  現代文の教科書を机にしまいこみ、誰も気づいていないだろう溜息をこぼし、両肘をつけて頬杖する。    黒板はチョークの粉を感じられない、まっさらな状態だった。授業がはじまる前はこんなにきれいなのだ。  担任の近藤が教室に入ってくるのに、まだ五分もある。  受験生だというのに、まったく危機感のない笑顔だらけの教室。参考書を開いている人なんか見当たらない。  席を立ってチカコのところにでも行こう。そうでもしなければ、ごわごわになった気持ちがほぐれない。  でも。  たとえチカコのところに行っても。気持ちは、ほぐれないかもしれない。
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