はざまの駅

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はざまの駅

「お姉ちゃん、起きて」 杏珠(あんじゅ)が目を開くと、目の前には切り揃えられた黒髪に、ぱっちりとした目に背丈が小さな少女が立っており、杏珠を見つめていた。 杏珠は今の状況に戸惑った。杏珠の最後の記憶は暗い道を一人で歩いていたからだ。それ以降は覚えてない。 杏珠は周囲を見た。見る限りは駅の待合室のようで薄暗く、不気味な雰囲気を漂わせている。自分と少女以外に人はいない。 疑問が沸き上がる中、杏珠は少女に話しかけた。 「……あなたは?」 「わたしは雪音(きよね)、はざまの駅の案内人なの」 雪音と名乗った少女は聞いていないことも淡々と答える。 「はざまの駅?」 杏珠は聞いたことのない名前に首を傾げた。雪音は口を開く。 「お姉ちゃんは死んだんだよ、はざまの駅は死んだ人間が来る場所なんだ」 初対面の少女に率直に自分の死を告げられ、杏珠はショックというより、信じられない気持ちになった。 「……う……嘘だよ」 杏珠は絞り出すように言った。 「本当だよ、お姉ちゃんは自分が死ぬ瞬間を覚えてないだけ、そういう人は結構いるよ」 雪音は言った。確かにここに来るまでの経緯がすっぽりと抜け落ちているのは不自然だ。 「わたしの手を握ってみて、思い出せるから」 雪音は真剣な声色で言うと右手を杏珠に伸ばした。杏珠は少し悩んだが、疑問を解消するためにも雪音の手をそっと掴む。 雪音の手はひんやりしていて冷たかったが、それは些細なことだと杏珠は気づいた。何故なら途端に杏珠の脳内に記憶が流れ込んできたからだ。 暗い道を歩いている途中で杏珠の真横から物凄い速さの車が突進してきた。杏珠は避ける間もなく意識が飛んだ。 「いやあっ!」 杏珠は叫び、雪音の手を離して後退りて、尻餅をついた。 最後に感じた全身の激痛が蘇ったからだ。 「……私……本当に死んだの……」 杏珠は消え入りそうな声で言った。自分の死を受け入れるのは容易ではない。 「大丈夫だよ、お姉ちゃん」 雪音の声が頭上から降り注ぐ。 「何がよ……」 「お姉ちゃんは生きてて辛かったんだよね、だからようやく死んで楽になれたんだよ、後は天国に行くだけだよ、このはざまの駅は天国に繋がる電車が出てるんだよ」 雪音は柔らかく言った。 確かに杏珠はこの所私生活が上手くいってなかった。杏珠が反抗期もあってか母とは顔を合わせれば喧嘩になるし、家の中に安らげる場所が無かった。学校では仲の良かった友人が別のグループに行ってしまい、杏珠は教室では一人で過ごすことになってしまった。 とはいえ、杏珠は辛くても死にたいとまでは思ってはいなかった。 「天国に行く人はお姉ちゃんを除いて全員乗ったの、天国は凄く良い所だよ、苦しみも悲しみもなくて、皆仲良しなんだよ」 雪音は更に続ける。 「大丈夫、怖くはないよ、天国はとても楽しい所だから」 どこか安心する言い方に、杏珠の中にある不安感はほんの少し引いた気がした。 自分の死を完全に受け入れた訳では無いが…… 杏珠は静かに立ち上がる。 「……納得はしてないからね」 「それで構わないよ、もしもこのまま天国に行かなかったら悪霊になって地上の人に迷惑をかけるの、だから天国へ行った方が良いんだよ、天国行きの電車に案内するよ」 雪音は朗らかに言った。杏珠に背を向けて歩き始めた。 杏珠は雪音についていく形で足を動かそうとした矢先だった。首元に蜂に刺されたような痛みが走る。 杏珠は痛さに足を止め、首元にぶら下げているロケットペンダントを手に持つ。 「杏莉(あんり)……」 杏珠は十年前に病で他界した双子の妹の名を呟く。このロケットペンダントには杏莉の写真が貼られている。 杏珠は杏莉のことを忘れないようにと、ロケットペンダントを肌身離さず持ち歩いている。 何故急に痛みが走ったのか、杏莉が何か伝えようとしているのか。 「どうしたの?」 雪音がこちらを向いて、杏珠に声をかけてきた。 考えるのをやめ、杏珠はロケットペンダントを慌てて制服のポケットにしまった。 「何でもないよ」 杏珠は言うと、雪音について行った。 「着いたよ」 雪音と共に歩き五分ほどで、電車が止まっているホームに辿り着いた。 電車の中にはオレンジ色が灯り、多くの人影がいる。雪音が言っていた天国に行く人達なのだろう。 「あの電車に乗れば天国に行けるのね」 「そうだよ、お姉ちゃんは幸せになるよ、だから早く乗って、お姉ちゃんが乗らないと発車できないから」 「う……うん」 杏珠は雪音に急かされ、仕方なく電車に足を進める。さっきも雪音には言ったが内心では自身の死に納得はしてなかった。 それでも人に害をなす存在になるのは嫌だった。 (お父さん……お母さん……海輝(かいき)……) 杏珠の脳裏には両親と弟の顔を浮かんだ。 仲が悪かったとはいえ家族には変わりはない。こんな形で家族と別れるのは悲しい。 「この電車に乗っては駄目」 よく知る声が杏珠の目の前からして、杏珠は足を止める。 杏珠の前にいたのは、妹の杏莉だった。その姿は死に別れた六歳の時のままだった。 電車に乗らせまいと立ち塞がっているようだった。 「……杏……莉……?」 「杏珠はまだ生き返るチャンスはある。だから電車には乗らないで」 杏莉は神妙な顔つきだった。 十年振りに再会できた喜びよりも、現状の方が杏珠には大切だった。 「で……でも、私は確かに車にはねられたのよ」 「そうだけど、現世の杏珠はかろうじで生きているわ」 杏莉は言うなり杏珠の手を握る。 「走るわよ」 「えっ……ちょっと」 「大丈夫、私を信じて」 杏莉の力強い言葉に、杏珠は走ろうと決めた。 「邪魔をする気?」 雪音が不快感混じりに口走った。杏珠と話していた時とは対照的である。 「杏珠は私の姉なの、悪いけど乗せられないわ」 杏莉は雪音に言い返して杏珠と共に走り出した。 「ねえ、まだ暗いままだよ」 「大丈夫、このまま真っ直ぐ走れば現世に繋がる場所があるから」 杏莉の言葉には強い意思を感じる響きがあった。二人はホームから降りて、暗闇に包まれた道を突き進む。 杏珠は杏莉から離れないように真横についていく。 「さっきも、杏莉が教えてくれたの?」 杏珠は訊ねた。ロケットペンダントのことである。 「そうよ、私の存在を知らせたかったの、あの子に知られると何かと面倒だからすぐに杏珠の前に出られなかったの」 「あの子って雪音のこと?」 杏珠の問いかけに、杏莉は「うん」と短く語る。 杏莉は苦手な女子をあの子と呼ぶ癖がある。雪音も杏莉にとってその類に入るのだろう。 「一応言っておくけど、あの子とは何も関係は無いからね、私はあの子の目から逃れ続けて、天国行きを避けてきたの……苦労はしたけどね」 「何で?」 「何でって……それは杏珠を守るために決まってるでしょ、死んだ私の分も生きて欲しいから」 杏莉の言葉が、杏珠の胸を締め付けた。魂になっても杏珠を想っていることが嬉しかったからだ。 うううう……という声が聞こえてきたのはその直後だった。周囲から黒い影が蠢く。 二人は一旦足を止める。 「あの子もタダではいかせてくれなさそうね」 杏莉の声色には震えが含まれていた。 この黒い影達は雪音が杏珠を逃がさないために放った刺客なのだろう。 「雪音本人は来ないのかな」 「あの子は駅を守るのが第一だからね、きっと来ないわ」 二人が話している間にも黒い影はこちらに近づいてくる。 「……増えてきたわね、これに捕まったら私達は終わりよ、避けつつ走り抜けるわよ」 杏莉に言われるがままに、二人は黒い影を回避して再び走り始めた。 黒い影の動きも活発になってきた。左右から走ってくる者や、いきなり目の前に出てくる者もいた。しかしギリギリの所で回避する。 杏莉は鬼ごっこが上手で、最後まで鬼に捕まらなかった記憶がある。魂になってもなお杏莉の特技が活きてるなと杏珠は感じた。 黒い影を避けながら走り続けていると、一筋の光が見えてきた。 「あそこよ!」 杏莉は高い声を出した。 「あの光に行けば私は生き返るのね」 「ええ、そうよ」 その時だった。突如杏莉が転倒する。 「杏莉!」 杏珠はすぐに杏莉の元に近寄る。杏莉は地面に現れた黒い影に足を掴まれ動けずにいる。 「私に構わず行って!」 「で……でも……」 「掴まったのが私で良かった。私はもう死んでるからね」 杏莉は言った。 黒い影は次々に集まり、杏莉の体に絡み始め、体が黒に覆われていく。 何もできずに見ているだけなので杏珠は辛くなった。 「杏珠が生きててくれないと困るの……だから早く!」 「……っ、杏莉……ごめんね!」 杏珠は杏莉に謝ると光に向かって再度走り始めた。黒い影の妨害はあったが、上手くかわした。 杏莉の想いを無駄にしないためにも杏珠は生きようと思った。 やがて光は大きくなり、杏珠はその中に入った。黒い影も追って来なかった。杏珠の意識は途絶えた。 「……ん」 杏珠はゆっくりと目を開いた。そこには両親と海輝の顔があった。 「お父さん……お母さん……海輝……」 杏珠は三人の顔を見て呟いた。両親の顔はやつれ、海輝は不安そうな表情をしている。 「杏珠……」 「良かった……」 父は震えた声で名前を言い、母は泣き崩れた。 「お姉ちゃん、ずっと寝てたから心配したよ」 海輝は不安な顔を崩さずに言った。 それから、母から聞いたが、杏珠は交通事故に遭い病院に運ばれてきて、その地点で意識不明だったという。意識不明になってから約三週間後の今日、杏珠は目が覚めたのである。 家族が心配する姿を見て、杏珠は生還して良かったと感じた。母は喧嘩していたにも関わらず杏珠を献身的に面倒を見て、父は杏珠の好物であるメロンパンを買い、海輝は日常で起きた出来事を話してくれたりもした。 家族の明るい様子を見て、自身が体験したことは胸にしまうことにした。両親は杏莉を失った悲しみが消えていないからだ。 リハビリを経て、杏珠は退院してから家族には散歩と告げて杏莉のお墓へと向かった。 杏珠はお墓に花と線香と持ち歩いているロケットペンダントを添えて手を合わせる。 「杏莉……助けてくれて有難う、杏莉が守ってくれた命は大切にするよ、家族とも仲良くするし、学校も頑張って行くから」 杏珠は決意を口にした。 杏莉がどうなったかは分からないが、杏莉が杏珠に生きてほしいという願いを想いを大切にしたい。 杏珠は生死のはざまの駅での体験を通し、しっかり生きようと思ったのだった。
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