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「ま、とにかくさ。その日も僕は仕事に一生懸命、精を出していたわけ。僕の仕事だって他の仕事と変わんないよ。額に汗して働いて、ようやく成果が出てくるってところはね。そりゃあ椅子に座ってどっしり構えて、向こうから不思議が急に飛び込んできてくれるんなら僕だってもちろんそうするけれど、世の中ってそんなに甘くないんだよ。不思議に出会いたけりゃ、自分の足で探さなきゃ」
いずなは酒の入ったグラスを置いて、大げさな身振り手振りをつけて話しはじめた。
「でも僕の仕事って結構運に左右されるから。がんばっても全然成果が出ないときってあるんだよねえ。その日も朝から空振りで。こう言っちゃナンだけどさ、日本ってなんだか困った国だよね。不思議な国で不思議な風習と不思議なモノに満ちているはずなのに、そこに住んでいる人間だけが妙に平凡で。ねえ、そうは思わない?」
きらきらした瞳でいずなが同意を求めてきた。
「汗みずくになっているはずなのに絶対にネクタイも紺の上着もはずさないサラリーマン、負けると分かっているはずなのに銀色の玉を機械に吸い込ませるために早朝から並んでる大学生、背中にぬいぐるみだかリュックだかわからない機能性のかけらもなさそうなもこもこした何かを背負って高下駄みたいな靴履いた金髪のお嬢さん。ひとりひとりはまったく理解不能なんだけど、それぞれある種の型にはまってるって意味じゃあ、平凡。僕の興味の対象外なんだ」
なるほど? だとすると私もいずなの興味から外れそうな気がするが。
私の疑問をよそに、いずなの話は続いた。
さっきから噛みもせず、実によく回る口だ。
「その点、彼女は最初からなんだかいい感じだったな。あ、かわいいとか好みのタイプとかそういうんじゃなくて、なんていうかなそう、興味を引かれるタイプってこと。そもそも僕はちょっと気の強い年上の女性が好みなんだけど、彼女は見るからに年下だったからね」
いずなの異性の好みなどまったくもってどうでもいい。
そう思って私は彼にばれないよう笑いを噛み殺した。
いずなはすでに自分の話に夢中になっていて、こっちの反応にはあまり興味がないようだった。
「大学生にもなってないように見えた。高校生か、下手すりゃもっと下。きょろきょろあたりを見回しちゃって、目に映るものがみんなもの珍しくてたまんない、でもやっぱり怖くもあって、路地へなんかに入っていったりお店を冷やかしてまわる度胸はない、って感じで。ああこりゃおのぼりさんかな、って僕は当たりをつけたんだ」
僕、おのぼりさんって好きなんだ。といずなは言った。
そんな意地の悪い台詞もいずなが言うと嫌味がなく聞こえる。
「だってせっかくだから楽しんでもらいたいじゃない。僕にとっちゃあくび連発しちゃうような日常のこの街が、彼女の目を通してみたら物珍しく見えるなんて素敵だし。それにやっぱりスレてないひとってなんかいいよね。だから僕は彼女に声をかけてみたんだ。いい子だったらこの街を案内してあげてもいいかな、なんて思ってさ」
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