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「加賀山。お前が被害者の顔を噴水へと沈めたんだな」
対面に座るスーツ姿の男は、眉間にシワを寄せて目を細めながら言い放った。
別に隠そうとは思っていない。
むしろ景観の邪魔になるゴミを片付けただけだ。
あんな心地が良い天気の下、みんなの憩いの場である公園のベンチにゴミが横たわっていた。
何て邪魔なんだと一目見て感じた。朝から何度も起きてはトイレに行き、口元をシャツの袖口で拭いながら戻ってくる。
誰かが座っていてもお構い無しで、ベンチの端の空いているスペースへ座ると徐々にずれていき、結果としてベンチを独占していた。
だから退けることにした。
「最初は起こして退かそうとしたんですよ。でもあいつは起きなかったんです。だから水に浸けて起こそうとしたんですよ。そうしたら死んだんです。直ぐに起きて帰っていれば、そこまでやりませんでしたよ」
そう。あいつは勝手に死んだんだ。珍しく俺が周りの事を考えて動いてやったのに、邪魔をしてくれた。
「お前には罪悪感なんてものは無いんだな」
言ってる声が震えてる。声を震わせるってのはこういうことなんだろな。もう、今にも殴り掛かってきそうだ。いっそのこと殴ってくれれば早く出られるんじゃないかなぁ。
しかし、それ以上取り調べが行われることはなかった。
「おいっ、極刑ってなんだよ。俺はゴミを片付けただけだって。死んじまったけど、それはあいつのせいだろ」
冗談じゃない。こんなんで終わってたまるか。きっと今回判断したヤツがおかしいんだ。次だ。今回よりも上のヤツになるんだからシッカリと判断してくれるに違いない。
何でわからないんだ。どいつもわかろうとしない。くそっ。全部あいつのせいだ。ちくしょう…ちくしょう…いや、これまで間違えた判断をした全ての人間も同罪だ。正しく裁く事が責任でもあるにも関わらず間違えているのだから、それは罪だ!極刑と言っても今では死刑が無い。何年掛かろうが生きて出て、絶対に償わせてやる。そう考えると今掛けられている容疑はどうでもいい。早く服役して早く出所してやる。
「では、今回確定された『加害状態投影体験受信法』における措置を説明する」
8畳ほどの部屋の真ん中には、刑務所の面会室に見られるアクリル板の壁がある。何かのドラマで見たままだ。結構忠実に作られてるんだな。
アクリル板の向こうには白衣姿のいかにも科学者みたいなヤツが座って話し始めていた。
「あなたには1日1回VR機を取り付けていただき、あなたが加害者の方に与えた状態を擬似体験することとなります。1ヶ月経過された場合には特別な措置がとられますが、これは法的に許可された措置となりますのでご了解下さい。」
淡々とプリント用紙に書かれているだろう説明を読み上げた。
とりあえずは1ヶ月耐えきれば何かあるわけだ。とにかく耐えてやる。
目を開けると視界が横に倒れていた。
にしても気持ちが悪い。頭は重く、胃の辺りは違和感の塊がのし掛かっている。木の板の上に横たわっているせいか体のあちこちが痛い。だが、日差しは暖かく、心地好い風が吹いていて、横になる環境としては申し分はない。暫くはハッキリしなかったが、やっと状況を理解できた。
あぁ、これがやられたことを体験するってやつか。
良くできている。まぁ所詮は作り物だ。耐えきってやる。とりあえずは寝てればいいんだろ。
んっ?前から歩いて来るのは…俺だ。
体験するんだからそういうことか。皮肉が効きすぎてる。徐々に近づいてくると目の前に立ち、見下ろすその目は見覚えのあるものだった。表情は無く暗闇に沈みきったろうな目だった。
静かに振り上げられた右の拳が、勢いよく今の俺の顔面めがけて振り下ろされる。
上からの殴られた衝撃とベンチに叩きつけられた衝撃は想像以上だった。ただただ、のたうち回るしかなかった。
「おっさん、目障りなんだよ!ここは公園で公共の場だ。お前だけの場所じゃ無いんだよ」
そう言い放つと更に拳を叩き込んでくる。
わかっている。俺がやったことだ。
まだ執拗に続く。鼻血が鼻の奥に流れ込み、喉へと染み込んでくる。度重なる衝撃で痛みが麻痺してくる。早く終わればいいのに…そう考えたことことにハッとした。これは俺じゃない。俺はこんなことを考えない。違うっ!
そう考えていると髪の毛を捕まれた。
この後だ。公園の噴水に突っ込まれるのは。
わかっていても、今の俺には振りほどく力も、逃げる力も出てこない。
髪の毛を引っ張られていることに抵抗出来ず、どんどん死ぬ場所に近づいていく。
噴水にたどり着いた。微かに波立つ水面に映るおっさんの顔。浅黒く腫れ上がった顔の奥にある表情は、今の俺の感情に近いと思った。
絶望。
その二文字だけで埋め尽くされていた。
間髪入れずに髪の毛を掴んだ手が、噴水の水の中に沈んで行く。その後を追って俺の顔は頭から水に入っていく。
上を向いていた鼻の穴からは水が入り込み、鼻の奥に痛みを与える。
次の瞬間には、血と胃酸が絡み合った嘔吐物が食道を一気に駆け上がり、鼻の奥の噴水の水とぶつかり合う。
行き場の無くなった圧力で口が開くと、そこからも水が入り込んで、あっという間に顔の全ての空洞を埋め尽くした。
それから肺の中まで埋め尽くされると、呼吸が出来ない苦しさと鼻の奥で感じる気持ち悪さを味わいながら意識は途切れた…
はっ!
唐突に意識が戻った。
血の味も酸っぱさも顔付近を覆っていた痛みが無くなっていた。
ただ、意識が無くなる前の感覚は鮮明に残っていた。残るというより、こびりついているといった感覚の方が正しいに違いない。
それから寝る度に、その苦しみだけを繰り返した。
俺が言い渡された刑は、最初の刑執行から1週間の間にランダムで、寝ている間にVR機を装着され再度刑が執行される。
いつもの夢だと思った時は、必ずおっさんの死ぬところを鮮明に体験させられた。
何度も死んで、死んで、死んで…生きている。俺は本当に生きているのか…
「金井様、ここまでが加賀山受刑者の1ヶ月です。希望があれば執行されている状況を拝見いただくことも可能ですが、希望されないということでしたので執行のご報告のみさせていただきました」
スーツ姿の男がそこまで話すと、うつ向いていた女性は静かに発言した。
「夫の苦しみを知ることは出来ないでしょう。亡くなる前日に娘から元気な男の子が産まれたと連絡がありました。その日は会社の同僚の方とお祝いを兼ねて食事に行き、翌日、一緒に行くことになっていたんです」
徐々に声は小さくなり、最後の方は聞き取りにくかった。
身体の前で右手に添えて組まれていた左手に力が入り、微かに震えていてはいたが姿勢は崩れることはなかった。
「どれだけ辛かったのか…娘に『おめでとう』も…孫を抱くことも出来なくて」
誰も同じように共感することなど、できはしない。
ただ気持ちが落ち着くまで待っているしかなかった。
少し時間をおいて女性に向けて語り掛けた。
「金井さん、お辛いところ申し訳ありませんが、1つ確認しなければなりません。加賀山受刑者への措置に対する承認です。加賀山受刑者には1ヶ月間での刑執行後、投薬による自命放棄の権利が与えられます。ただし、金山様の承認が必要になるのです。承認をいただけない場合には毎月定期的に確認させていただくためにお伺いさせていただきますことをご了承いただきます。どうなされますか?」
そこまで聞くと、彼女はこちらを向いて答えた。
「あなた方は私にも罰を与えるのですか?承認しろというのであれば承認はします。だから、もう来ないでください。ただ…静かにいさせて」
必要事項にチェックを入れてもらったあとで金井さんから書類を受けとると会釈をして、その場を離れた。
今回の受刑者は何回まで耐えられるだろうか?
「死」への恐怖と死ぬ間際に感じる苦しさの無限連鎖。
リアルな苦しみと傷つかない身体との矛盾。
そのストレスに壊れないで、どれくらいまで残るのか数えるのが私の楽しみ♪
そう自覚しただけで、私の口元は僅かにニヤけていた。
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