初恋は遠くにありて想うもの

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「おまえってほんとすぐ赤くなるよな。なーに考えてそんなに赤くなってんだよ」  森正は手の甲を俺の頬に押しつけてきた。いつもは俺よりも森正のほうが体温が高いのに、いまにかぎってはひんやりとして感じられる。 「な、なにって、なにも考えてねえよ!」  思わず怒鳴った次の瞬間、玄関ドアが内側から開いた。  ドアから出てきた人を、ハッとして見つめる。サンダルをつっかけて出てきたのは、美しいストレートロングの黒髪と、美しい目鼻立ちをした、世にも美しい人だった。  千夏さんだ。 「克、帰ってきたならさっさと家に上がりなよ。玄関から話し声が聞こえてきたから待ってたのに、ちっとも入ってこないんだもん」 「こいつが千夏に会うのに緊張しちゃって、家に入らせてくんなかったんだよ」  森正は俺のこめかみに指をぐりぐりと押しつけてきた。千夏さんの瞳が、森正の斜め後ろに立っている俺へ向く。 「……シロちゃん? やっだー、シロちゃん、私より背が高くなってる」  千夏さんは花が咲くように破顔したかと思うと、ふいに懐かしそうなまなざしになって俺を見つめた。  この上なく繊細で、この上なく美しい顔立ちなのに、DNAとはすごいものだ。森正と千夏さんの血のつながりがはっきりとわかる。まったく似ていないのによく似ている。 「最後にあったときは、まだ私より低かったよね。……そうだよね。あれからもう六年も経ったんだもんね」  千夏さんを最後に目にしたのは小学校六年生の一学期。夏休みに入るのとほぼ同時に、俺は他県に引っ越した。きっともう二度と会えないだろうと思っていた。千夏さんにも、森正にも。  それなのにふたりともこうして目の前にいる。 「お久しぶりです、千夏さん。今日から夏休みの間お世話になります」  俺が頭を下げると、千夏さんは俺の髪をぐしゃぐしゃにするように撫でてきた。 「そんな風にちゃんとした挨拶ができるようになったんだ。大人になったんだね……。あ、ふたりとも中に入りなよ。疲れたでしょ?」  千夏さんの顔を目にするまではあれほど緊張していたのに、いまは不思議なほど穏やかな気持ちだった。千夏さんのまとっている雰囲気が、昔のままのせいかもしれない。  森正の後ろをついて部屋の廊下を歩いていくと、千夏さんはリビングのドアを開けながら振り返った。 「あ、そうだ。克、お客様用のお布団をベランダに干してるから、もう少ししたら自分の部屋に運んでおいてね」 「こいつに布団なんかいらねえよ」  森正の返答にムッとする。  繊細にできているこの俺に床で寝ろと言うつもりか。いくら居候という立場とはいえ、布団くらいは提供してくれてもいいのではないか。  しかし、俺が文句を言うよりも先に、千夏さんが弟をたしなめた。 「克、あんたねえ。小学生じゃないんだから、そういうくだらない意地悪を言わないの」 「布団なんかあっても使わねえよ。どうせ一緒のベッドで寝るんだし」  そうそう、どうせ一緒のベッドで――っておい!  思わず心でノリツッコミをしてしまったが、いまはそれどころではない。  確かにこのところ一緒のベッドで休むことが多かったが、それを実の姉の前で暴露してどうしようというのだ、この馬鹿は。 「克のベッドじゃ、ふたり一緒に寝るのにせまいでしょ。シロちゃんはまだいいけど、克は無駄に大きいんだから」 「寮のベッドは――」  もっとせまいけどふたりで一緒に寝てるぞ、と言おうとしたんだろうが、俺は皆まで言わせなかった。 「千夏さん! 布団は俺が取りこんでおきますから!」  森正の尻を思いきり蹴飛ばしながら、叫ぶように言った。 「いってえな。なんでいきなり人の尻を蹴るんだよ」  おまえがとんでもないことを口走ろうとしたからだ、と言いたいが、千夏さんの前で言うわけにもいかない。 「脚を上げたら、偶々そこにおまえの尻があったんだよ」 「おまえは横に脚を振り上げながら歩くのかよ」 「そうだよ。文句あるのか?」  千夏さんは俺たちのやりとりを微笑ましそうな表情でながめていたが、 「克もシロちゃんも、そういうところは小学生のころからぜんぜん変わらないね。ふたりとも大きくなったのは身体だけみたい。さ、お茶を飲んでひと休みして。アイスティーを作ってあるの」  俺たちふたりを促して、リビングルームへ入っていった。 
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