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からん――
グラスの中の氷が涼しげな音を立てて溶けていく。
広々としたリビングルームは、外の熱気が嘘のように涼やかだ。まさに天国である。
千夏さんがひとり暮らしをしているだけあって、リビングルームは整然としていた。森正とふたり暮らしだったときはこうはいかなかったはずだ。なにせ森正ときたら、部屋を散らかすのを己の使命だと勘違いしている節がある。
俺と森正はならんでソファーに座り、千夏さんはひとりがけのソファーに腰かけていた。
「それにしても懐かしいなあ。またシロちゃんに会えるなんて思わなかったよ。シロちゃん、いきなりいなくなっちゃうんだもん。あのときは淋しかったな……」
千夏さんは向かい側のソファーに座り、杏の形をした瞳で俺を見つめている。
いまとなっては淡いものも濃いものも、千夏さんへの恋心はいっさいないと言い切れるが、恋心があろうとなかろうと、これほどまでに美しい人に見つめられて、鼓動が狂わない男はいないはずだ。
「あのときはいろいろと急だったから……すみません……」
俺は千夏さんに嘘をついた。引っ越しの話は少し前に母親から聞かされていた。クラスメートや千夏さん告げる時間は、じゅうぶんすぎるほどあったのだ。誰にも告げずに引っ越ししたのは、俺の意志だった。
千夏さんはふふっと笑った。
「こうやってまた会えたから許してあげる。それにしてもすごい偶然だよね。克のルームメイトがシロちゃんだなんて。おなじ学校に転入してくるだけならともかく、おなじ部屋になるってちょっとない偶然じゃない? なんだか運命を感じちゃうな」
「や、空いてる部屋がなかったから寮長のこいつとおなじ部屋になったってだけなんで。運命とかそういうんじゃないですから」
運命という言葉に焦りを感じて、あわてて説明する。森正との関係が関係だけに、その手の言葉にはどうも過敏になってしまう。
俺と弟さんとの冗談のようだが冗談ではない関係を知ってしまったら、千夏さんはどう思うのか。きっと嘆き悲しみ、絶望の淵へ追いやられるに違いない。俺にとっては世界でもっともふてぶてしい男でも、千夏さんには可愛い可愛い弟だ。
千夏さんにショックを与えないためにも、また俺の名誉のためにも、ふたりの関係を知られるわけにはいかなかった。
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