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自分から来いと言ったくせに、なんて奴。
口をとがらせる。そのとおりに一歩後退して離れてやった。
それを受けて奥村が「ふはっ」と笑い、困ったように下を向く。
両脇に松葉杖を挟み、左足を庇うように立った姿勢で、紙パックのストローを器用にはがしていく。青い真四角の牛乳は200ミリリットル入り。
あまり長くないストローが紙パックに突き刺され、向かいの唇がくっついた。
すぐに白く変化する透明だったストロー。ごくごくごくと飲み込むたびに、はげしく動く喉ぼとけ。
はっきりして欲しい。
「牛乳なんか飲んでないで。言ってよ、なんか」
向かいの男はなんともいえない表情だった。真面目ともとれるし、ふざけているようにもとれる。
ものすごい速さで牛乳を飲んでいき、あっというまに200ミリリットルを空にしてしまう。何もなくなってしまった紙パックから、ガラガラガラと乾いた音。
談話室は本当に静かだった。二人きり。部屋の前を通っていく足音が伝ったりはするものの、誰も入ってこない。
いまの奥村はとても清潔だ。口まわりのヒゲはしっかり剃ってあるし、髪も短く切りそろえてある。
そのこぎれいになった男が、ストローから唇を離していく。
「小笠原は俺のこと、好きだろ」
ずるい。
ここにきて、逆に突き返してくるなんて。
目頭がかあっと熱くなってくる。もどかしさと、図星を指された恥ずかしさで。あっという間に涙が浮かんできてしまう。
そこにとつぜん、奥村の手がのびてきた。
軽く、頭を押さえられていた。
「なんでそんなこと言えるかって? だって俺、めっちゃめちゃ小笠原のこと見てるから。隙あらば見てるから」
呆れるくらい見てるよ、小笠原のこと。
奥村の発言のおかげで、涙はこぼれるぎりぎりのところで踏みとどまった。
押さえつけられていた手が、頭から離れていく。
「……ふつう、好きでもない奴にキスなんてさ。できないから。髪だってさ、洗ってもらったりさ、しないから。どうでもいい奴なんかに」
奥村が青い紙パックをたたみはじめている。
「いま考えるとバック宙なんてアホな真似、よくしたよね。なあんかね、なんか。あの時の俺は変だった。本当に変だった。ガキんちょでした」
いまさらながら、また思い出す。
奥村とのキス。こめかみにされるよりももっとドキドキしたキス。唇でのキス。
どう言えば、どういう態度を取ればいいか分からない。きまりが悪くて手元の黄色い紙パックに目を落とす。
バナナのイラストが載った、バナナ・オレ。
「小笠原の前では俺、どうもバカになっちゃうんだわ、恥ずかしい」
恥ずかしい。と言われてそっと顔をあげてみる。
目が合ったとたんに溜息をつかれてしまう。奥村の手にある紙パックは硬いらしく、綺麗にたためていない。たたんだというより、いびつになっただけだった。
詩織もなあ。
「あいつ、なんでいきなりあそこで余計なこと言うかなあ」
俺にだって心の準備ってもんがあるんだけどなあ。
首をかしげてぼやきながらも、奥村は笑っていた。
(終)
O&O #3 SHAMPOO
ありがとうございました。
第4章に続きます。
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