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ヴィトンの鞄から携帯を取り出すと、ディスプレイに表示されていたのは「自宅」。早歩きしながら携帯を耳にあてた。
「はい?」
「陽子? お母さんだけど」
「知ってるよ」
「あんた今どこにいるの?」
「ああ、帰るとこ。そろそろ家着くよ。コンビニの近く歩いてる」
「ほんと? コンビニってローソンよね? ちょうどよかった。あのね? お父さんが食べるキムチ切らしてるのよお。あとビールも。悪いんだけど買ってきてもらっていい? お父さんさ、そこのコンビニのキムチ好きでしょう」
正直、面倒くさかった。
「……うーーん。うん、分かった。お父さんもう帰ってるの?」
「うんもう帰ってる。今お風呂に入ってる。じゃあ、頼むね?」
「おかぁさあん?」
「あ? なに」
「別にさあ、いきなり電話くれても、いいんだけどさあ」
「なに」
「もしもだよ? もしも、娘がいま彼氏と一緒にいて、すんごくいいムードだったらどうしようとか思ったりしないもん? ちょっとはさ」
「あー思わない思わない。じゃあキムチとビール、よろしく」
ブチリと電話を切られてしまい、舌打ちしながら携帯電話を鞄にしまいこむ。
けれどすぐ、ふざけた質問をしてしまったことを後悔する。情けなくなり、恥ずかしくもなる。
彼氏なんていないことを、母は分かりきっているからだ。
奥村との縁談がダメになったのを非常に残念に思っているらしく、母は見合いから一ヶ月経った今でもねちねち言ってくる。
こちらに対する態度も、気のせいかそっけない。
結婚するのはこっちで、母じゃないのに。
苛立ちをぶつけないで欲しい。
溜息まじりで回れ右をし、コンビニへ逆戻り。
靴のかかとの音が、コンビニ前に停車している車のエンジン音にかき消されていた。黒のシビックに。
その助手席で、女の子が今もおとなしく座っていた。長い髪の女の子が。
さっき運転席から出て行ったのは彼氏なんだろうなと思いながらコンビニへ。
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