第1話『開かれる扉』

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第1話『開かれる扉』

春野亜矢、17歳。 彼女はマンションで一人暮らしをしている普通の女子高生である。 だが、とある事故がきっかけで彼女の右隣の部屋には『死神』が、そして次には左隣に『天使』が住むようになって。 さらに亜矢の部屋で『小悪魔』も一緒に住む事となり、ついには『魔王』までもが現れたりもした。 まるで、亜矢の魂に引き寄せられるようにして集まる異世界の者達。 それは、一人の少女の『命』を巡る物語。 ―――と、ここまでは、今までの話。 ここからは、新しい命を得た少女の、新しい日々の物語。 マンションの一室、亜矢の部屋。 目覚まし時計の音で目を覚ました亜矢。 同時に、同じ布団の中で亜矢に抱かれるようにして眠る小悪魔も目を覚ました。 薄く目を開けたまま、眠そうにして亜矢の顔を見上げる。 「アヤ……おはよう……もう朝か?」 「コランくん、起こしてごめんね。今日から私、学校なの」 春休みが終わり、今日から新学期なのだ。 「ん………じゃあ、オレも起きる」 コランは、ヒョイっと起き上がった。寝起きはいい方なのだ。 小悪魔・コラン。 見かけは5〜6歳程度の子供であるが、その正体は悪魔。 背中にコウモリのような小さな黒い羽根(普段は隠している)を生やしている。 しかもコランの兄は魔王であり、コランは魔界の王子なのだ。 コランは亜矢と契約を結び『契約者』とし、一緒に暮らしている。 魔界と人間界を繋げる『黒い本』はすでに復活したが、コランは『亜矢の願いを叶える』のと『人間界での修行』という意味も合わせて、一人前の悪魔になる為に亜矢の側にいる事を自ら望んだのだ。 そして亜矢も、コランと一緒にいる事を望んだ。 亜矢とコランはテーブルに座って一緒に朝食を食べる。 朝食を終え、支度を終えると、亜矢は玄関で靴をはく。 そんな亜矢を、じーっと見ているコラン。 いつもコランは、亜矢を玄関の先まで見送るのだ。 「今日は始業式だけだから、早く帰ってくるからね」 亜矢がそう言うと、コランはニッコリと純粋な笑顔で返す。 「うん、行ってらっしゃい!」 ちっとも寂しそうな顔を見せないコランに、亜矢は胸がキュンとなって、思わずコランの頭を軽くなでる。 コランは笑顔のまま『?』という表情で亜矢を見上げる。 本当に、コランを見てると癒される。 さて、今日から新学期! 気持ちも新たに、第一歩を踏み出そう!! 晴れた気持ちで、玄関のドアを勢いよく開けた。 …………その次の瞬間、目の前に映ったモノとは。 亜矢はドアの取っ手を握ったまま、固まってしまった。 なんと、偶然なのか必然なのか、ドアを開けたその目の前に、奴がいたのだ。 その男は顔だけをこちらに向け、ニヤリといつもの余裕の笑いを浮かべた。 「よお、オハヨウ。クク……」 亜矢は第一歩で足止めを食らった気持ちになった。 新学期の朝早々、イヤな奴に会ってしまった……。急に意識が現実に戻る。 むしろ、このまま玄関のドアを閉めてしまおうか? いや、そういう訳にもいかない。 亜矢はようやく玄関の外に歩み出た。いや、実際にはドアを開けてから数秒しか経ってはいないが。 「……あんた、待ち伏せしてたの?」 「ああ?オレ様は右隣の部屋に住んでるんだぜ。偶然だ、偶然」 亜矢と同じ高校の制服を着てはいるが、この男こそ『死神グリア』だ。 人間界では『死神』を名字としている。 色々あって、亜矢はこの死神に毎日キス…ではなくて、『口移し』をしなくてはならない立場にある。 何があったのかは、ここでは語らない……。 「んなコトよりもよ、亜矢」 「……きゃっ?」 グリアはいきなり、マンションの壁に亜矢の体を押し付けた。 「な、なにすんのよっ!?」 「オレ様、腹減ってんだけど」 「……っ、だったら朝ご飯食べてくれば!?」 亜矢は自分の顔に迫って来るグリアの顔を払い除けようと、自分の体を拘束するグリアの両腕を掴んで引き剥がそうと力を入れる。 「今日もしてくれんだろ?その為に待ってたんだぜ」 「…!!やっぱり待ち伏せしてたんじゃないっ!」 間近に迫るグリアの顔。亜矢は抵抗しながらも、自らの顔が紅潮していくのが分かった。 目つきが悪いくせに、口も悪いくせに…グリアの顔立ちは、間近で見ると悔しいくらい綺麗なのだ。 亜矢の鼓動の高鳴りは、それだけではないのだろうが。 「やめてよ、いい加減にして…!!」 亜矢が力いっぱいグリアの体を突き飛ばした。 「それじゃあ、しょうがねえな」 グリアは、意外と素直に亜矢から離れた。 「さーて、人間の魂でも喰らいに行ってくるかぁっ!!」 グリアが歩きながら背を向け、いきなりそう言い放ったものだから。 亜矢は一転してグリアの方へと向かって行く。 「ちょっ…!待ちなさいよ、死神!!」 亜矢がグリアの背中まで辿り着いたその時。 「そんな事したらダメ……んっ………!?」 振り向いたグリアが一瞬にして亜矢の顎を掴み、口付けたのだ。 何とも、手慣れたテクニックである。 その数秒間、時間が止まった……というか、凍りついた気がした。 ようやく離すと、グリアは呆然とする亜矢をその場に残し、歩き出した。 勝ち誇ったように笑いながら、ニヤリと笑って振り返った。 「ゴチソウサマ。」 亜矢はその場で立ち尽くしたままだったが、その次には。 「し、死神~~~~っ!!!」 怒りをこめて思いっきり叫んでいた。 う、奪われた…!!色んな意味で。朝っぱらからこんな所で…! グリアは毎日こうやって、『口移し』によって亜矢の命の力を吸い取るのだ。 それは、グリアにとっては人間の魂を狩って喰う代わりの手段であるから、亜矢も完全に拒む事が出来ない。 亜矢の叫びと同時に、すぐ横にある一室のドアが静かに開いた。 そのドアから出て来た少年は、少し驚いた様子で亜矢とグリアを見る。 「どうしたの、亜矢ちゃん?」 亜矢はハっとしてその少年の方を見ると、目を潤ませる。 「リョウくん、助けて……」 リョウと呼ばれた少年は、グリアと亜矢を交互に見た後、ニッコリと笑った。 「あはは、仲いいね。でも遅刻しちゃうよ?」 「リョウくん……そうじゃなくて…」 亜矢は力なくツッコミを入れたが、思わず気が抜けてしまい、グリアへの怒りも収まってしまった。 この、不思議な特殊能力(?)を持つリョウの正体は、『天使』。 見た目のまんまである。 人間界では『天使リョウ』と名乗り、亜矢の部屋の左隣に住んでいる。 いつも笑顔の天使であるが、実は誰よりも暗い影を背負っていたリョウ。 天界に背いた事により天界の王から呪縛を受けたリョウは、その効果によって心を支配され、亜矢に刃を向けた事があった。 今はその呪縛は解け、リョウは人間界に住む事を自らの意志で決めた。 今度こそ、亜矢の魂を―――いや、亜矢の事を守る為に。 そうして、何ともアンバランスで、ある意味調和のとれた3人は共に学校へと向かう。 グリアもリョウも、人間界では亜矢と同じ高校の生徒なのだ。 いつもと変わらない朝、変わらない道。 だが、亜矢が玄関のドアを開けた瞬間から、新しい『変化』はすでに始まっていたのだ。 新学期、今日から高校2年生。 新しい教室に入っても、何だかいつもと変わった気がしない。 「亜矢~、また一緒のクラスで嬉しいわ!!」 亜矢の親友・美保が嬉しそうに話しかける。 だが、亜矢はどうも晴れない表情をしている。むしろ、暗い。 そんな亜矢とは反対に、美保は一人、はしゃいでいる。 「リョウくんもまた一緒のクラスだし、やっぱこれって運命かしら~!」 美保の言葉に、亜矢は低い声で力なく反応する。 「じゃあなに、また死神と同じクラスなのも運命って言うの?」 そんなはずはない。このクラス替えだって、グリアに仕組まれた事だってのは分かりきっている。 結局、高校生活2年目も変わらないメンバーとなった。 美保はキョトン、として亜矢を見る。 「亜矢はグリアくんと一緒のクラスで嬉しくないの?」 「嬉しくないわ」 亜矢は即答した。 「オレ様は嬉しいぜ?クク…」 突然、背後から聞こえてきた声に、亜矢がハっと振り返る。 いつの間にか背後に立っていたグリアに、敵意をこめた視線を送る。 今朝の恨み、忘れるものですか!とばかりに。 亜矢がグリアに向かって何かを言おうとした、その時。 ガラガラガラッ!!! 教室の、教卓側のドアが勢いよく開かれた。 それと同時に、教室内に響いた声。 「オラァ!!テメエら、席に着きなぁっ!!!」 その凄まじい迫力に、何事かと思う前に教室内の生徒はバタバタと慌てて席に座る。 どうやら教師らしいその男は整然となった教室内を見回すと、満足そうに笑った。 亜矢はその男の姿を見た瞬間、ン?と目を見張った。 紫の髪に、褐色の肌。着崩したワイシャツに、緩いネクタイ。 教師にしては、不良っぽい。 その男は堂々と歩き出し、黒板の正面までくると皆の方には向かず、背中を向けた。 すると、いきなりチョークを握るなり、 カカカカカッ☆ ものすごい勢いで黒板に何かを書きなぐった。 それは、黒板一面を埋め尽くすような大きすぎる文字で。 その黒板に書かれた巨大な文字は、『魔王』 男はクルっと正面を向くと、教卓に両手を置いて一同を見据え、ニヤリと笑う。 「オレ様が今日からこのクラスの担任、魔王サマだ!!」 ガクっ☆と亜矢は机に頭を突っ伏した。 ―――――最悪だわ――――。 まさか、あの魔王がこのクラスの担任になるなんて。 以前、教育実習生として彼がこの学校に来た時はただの気まぐれだと思ったのに、一体何を考えているのか。 何とも自己主張が激しい担任教師に、クラス一同は圧倒され、静まりかえる。 だが、魔王先生の主張は続く。 「いいか、魔王『サマ』だ。『サマ』も付けろよ!!」 亜矢は頭を上げると、深く溜め息をついた。 だが、そんな魔王は持ち前の男らしさとワイルドさで、クラスの女子のハートを掴んだ。 ウットリと魔王を見つめる女子もいれば、『ステキ!』と言い合う女子もいる。 元々、教育実習生の時から絶大な人気があったのだから、過熱するのは当然だ。 だが、皆は知らないのだ。魔王の正体を。 魔王オランは魔界の王。本当の意味で『魔王』なのだ。そして、コランの兄。 亜矢に惚れ込んでいる魔王は以前、亜矢を妃にしようと強引に迫ってきた。 ああ、もうこの学校に安全な場所はないのかも…と、絶望的な思いを巡らせる亜矢。 だが、この状況を重く見ているのは亜矢だけではない。 魔王の正体を知る者、グリアとリョウだ。 (チッ…ノコノコ人間界に来てんじゃねえよ) 敵意を向けるグリア。 (魔王をここまで動かすなんて、亜矢ちゃんはやっぱりすごいなあ) 何故か改めて感心するリョウ。 今日は始業式のみなので、下校して自室に着いたのはお昼頃。 亜矢はキッチンで昼食を作りながら、一人呟く。 「ああ……、これからどうなっちゃうのかしら…」 テーブルでは、コランとグリアが席についてご飯を待っている。 亜矢が3人分のオムライスが乗った皿をお盆の上にのせて、やってきた。 目の前のグリアに、冷たい視線を送る。 「それに、なんであんたがここに居るのよ」 「ああ?昼メシぐらい食わせろ」 いつも毎日のように夕飯をたかりにやって来るのに、今日は昼食もか! 理由すらないグリアの自分勝手さに亜矢はムっとしたが何も言わず、グリアの目の前にお皿を置く。 ちょっと形の崩れたオムライスだった。 「あんたには、失敗したやつね」 「オイ、ふざけんな」 亜矢は構わず、次にコランの目の前にお皿を置く。 「ハイ、コランくん」 「わーい!」 コランには笑顔を向ける亜矢。まあ、こんな風景もすでにいつもの事。 「なあ、兄ちゃんがガッコウに来てるのか?」 コランが亜矢を見上げる。 「そうよ、しかも担任!魔王って忙しいんじゃないの?大丈夫なのかしら」 大丈夫じゃないのは自分の学校生活と、自分の身…とは口に出さない。 「う~ん、そういえば最近、よく兄ちゃんが魔界からいなくなるってディアが言ってたぜ」 ディアとは、魔王とコランに仕える魔獣の事だ。 とは言っても普段は亜矢よりも少し年上の人間の姿をした青年で、性格もクールで大人しい。本来の姿は巨大な魔獣であるらしい。 コランはスプーンをテーブルに置くと、ポンッ☆という音と共に『黒い本』を手の中に出現させた。 真っ黒な表紙に、目のような紋章が書かれたその本は、魔界と人間界を繋げる扉。 コランはペラペラとページをめくると、ある1ページを開いて亜矢に見せた。 「ホラ、ここに書いてある!兄ちゃんがいないから、仕事がいっぱいで大変なんだって!」 この『黒い本』に書いた文字は、魔界にある相手の『黒い本』にも書かれるのだ。 メールのような通信手段の役割をしているのだ。 魔界の文字は亜矢には読めないが、ディアの苦労は目に浮かぶ。 「コランくん、今度『ご苦労様』って書いてあげて……」 「……うん?」 ディアさんも苦労してるのね、と何故か共通するものを感じる亜矢。 「あ、死神。あたし、これからリョウくんの部屋に行くから、食べ終わったら帰ってね」 黙々と食べ続けていたグリアはピクっと反応し、手を止めた。 「……リョウの所だと?」 「そうよ。リョウくんって料理とか得意じゃない?最近、よくお菓子作りとか教えてもらってるの」 「アヤと天使の兄ちゃんが作ったケーキとかクッキー、うまいんだぜ!!」 コランが無邪気に言うが、グリアは何か重く、鋭い眼で亜矢を見る。 え、なに?あたし、なにか怒らせるような事言った…? 「亜矢」 「え、な、なに……?」 急に真剣な顔になって言うものだから、亜矢は思わず恐る恐る聞き返す。 「リョウには、気を許すな」 グリアの口から出た意外な一言に、亜矢は再び聞き返す。 「それって、どういう意味?」 グリアは少し目を伏せた。どうやら、真面目な話らしい。 「あいつにかけられていた呪縛の事、知ってんだろ?」 それは、リョウを一年間苦しめた『呪縛』の事。 「ええ。でも、その呪縛ってもう解けたんでしょ?」 何故、今になってその話が出て来るのだろう? あんなに辛く悲しい出来事、グリア自身も話したくないだろうに。 「あの呪縛の本当にやっかいな効果は、呪縛が解けた後にあるんだよ。まあ、全てはリョウの心次第ってコトだがな」 グリアには、思う所があった。 確かに、リョウの呪縛は解けたのだろう。 だが、心を支配する『呪縛』は『魂の器』と同じく、365日の月日をかけて完成される禁忌の術。簡単に解放されるとは思えない。 亜矢には、遠回しに話すグリアが何を言いたいのか分からない。 「大丈夫よ。リョウくんはもう、前みたいに悲しい顔はしてないわ」 「また、惑わされてんのかもしれねえぜ?」 亜矢は小さく息をついた。 「あんた、もう少しリョウくんの事を信用してあげたら?友達なんでしょ?」 その言葉に、グリアは鼻で笑った。 「トモダチ?ふざけた事言ってんじゃねえよ」 だが、少し間を開けてから再びグリアは口を開いた。 「オレ様は、どうでもいいヤツの事を考えて時間を割いたりはしねえ」 その言葉に、亜矢はちょっぴり安心した。 グリアは、リョウを信用してないのではない。彼なりに心配しているのだろう。 グリアとリョウにどんな過去があって、どんな関係なのかは亜矢は知らない。 だからこそ、自分には踏み入れない絆がそこにあるような気がした。 その頃、リョウは自分の部屋のキッチンで、シュークリーム作りをしていた。 (う~ん、やっぱり生クリームはこのくらいの甘さだよね) 指先にチョイと付けた生クリームを舐め、リョウは真剣に味見をしている。 その時、来客を知らせるインターホンが鳴った。 (あっ、亜矢ちゃんが来たのかな) リョウは玄関まで行くと、鍵のかかっていないドアを開けた。 だが、そのドアを開けた瞬間、目の前に立っていたのは。 リョウはその人物を目にするなり、顔色を変えた。一瞬、呼吸すら止まった気がした。 次に、身体の内側から湧き起こるような震えが全身を襲った。 「………天王…様……!!」 ようやく、震えた声でその一言を発するのがやっとだった。 ドアの前に立っていたのは、スーツ姿の天界の王だった。 天界の王、すなわち『天王』。 天王によって受けた呪縛によって、リョウはずっと苦しめられた。 それなのに…、呪縛も解け、天界から離れたリョウが天王を目の前にした今、湧き起こった感情は怒りでも憎しみでもなく、堪え難い『恐怖』だった。 あの、呪縛を受けた時の苦しみの記憶が脳内に鮮明に甦る。 身動きも取れずに立ち尽くすリョウに、天王は静かな口調で言う。 「天使・リョウよ。」 「……………」 「入れてくれるな?」 「………は、はい………」 何かを思うよりも先に出て来た言葉。 グリアが言っていた、呪縛が解けた後の効果とは、この事だ。 天王に対する『恐怖心』。呪縛は解けても、心を縛るそれからは逃れられない。 リョウの部屋のテーブルに、二人は向かい合って座る。 リョウは正座をして、緊張しながら顔を下向きにしている。 まさか、天王が自らの足で自分の元へと来るとは。 この重い空気に堪えきれなくなったリョウは、パっと顔を上げると、無理矢理明るい笑顔を作った。 「…シュークリーム、食べますかっ!?」 言ってから、リョウはハっとした。 こんな時に、自分は何を口走っているのか。動揺はあからさまである。 「頂こう」 天王は真顔で答えた。 そんな訳で、テーブルの上にはリョウの手作りシュークリームが置かれた。 だが、こんな物でこの緊張した空気が和らぐはずもなく。 ようやく話を切り出したのは、天王だった。 「今日から、私がこのマンションのオーナーになった」 「え………?」 リョウは恐る恐る顔を上げ、天王を見る。 「この意味が分かるか?リョウよ」 「……分かりません。ボクはもう……天界に仕える身ではありませんから…」 元々、天使でありながら天界に不信感を抱いていたリョウ。 今では天界に仕えるのを辞め、フリーの天使になったのだ。 リョウは自分の拳にグっと力を入れ、瞳に強い決意をこめた。 「だけど、亜矢ちゃんの魂は決して渡す事は出来ません」 それが、リョウの決意。今度こそ、自分の全てをかけて亜矢を守ろうと思った。 天王は少しも動じる事はなく、相変わらず静かな口調で言う。 「いや、春野亜矢の魂を奪う事はしない。だが、『魂の器』が完成した今、その強大な力を宿した魂を野放しにも出来まい?」 つまり、このマンションは天王の監視下に置かれる、という事だろう。 しかし、天王の目的は亜矢の事だけではない。 それによって同時に、リョウの身柄は天界に拘束されたのも同じ。 「天使・リョウ。春野亜矢の魂を奪おうとする者が現れれば、お前が排除せよ」 それは、以前に天王がリョウに与えた使命とは全く逆のもの。 天王は静かに立ち上がった。 静かながらも、何か強い力を秘めた冷たい眼でリョウを見下す。 リョウは口を閉ざしたまま、何も返せない。 自分はもう、天界に仕えるつもりはない。それなのに――。 動けなかった。拒めなかった。 天王は小さく笑みを浮かべると、背中を向けた。 天王は部屋から出て行った。 リョウは一人、座ったまま呆然としていた。 確かに、亜矢の魂を守るという意味では天王の目的と自分の目的は一致している。 結局の所天界は、強大な力を宿した魂が他の者の手に渡らなければ、それでいいのだ。 天界にとって脅威になりえるものは、排除する。それが天界のやり方。 だが、リョウが亜矢を守ろうと思ったのは、自分の意志だ。 決して、自分は天王の意志に捕われている訳ではない…と思いたいのに。 玄関を出た天王は、そこでバッタリと亜矢と会った。 ちょうど亜矢は、リョウの部屋に行く所だったのだ。 亜矢は天王を見ると、何か不思議な感じがしてピタっと足を止めた。 (リョウくんの部屋から出て来たみたいだけど、誰かしら?) 天王は亜矢に笑いかけた。不思議なくらい綺麗な人だな、と亜矢は思った。 「私は今日からこのマンションのオーナーになった、天真(てんま)だ」 天王は、人間界での自らの名を、そう名乗った。 亜矢は慌てて頭を下げた。 「あっ!春野です!お世話になります」 天王はそのまま、スっと亜矢の横を通り過ぎた。 「魂の器・春野亜矢…」 天王は小さく呟いた。 亜矢が頭を上げた時、目の前に天王の姿はなかった。 (大家さんが変わったなんて、知らなかったわ) それに、あの声……どこかで聞いた事があるような? 亜矢はふと思ったが、気を取り直してリョウの部屋へと向かった。 次の日の朝、リョウが玄関のドアを開けると、目の前にはグリアが腕を組んで寄り掛かっていた。 リョウは少し驚いたが、すぐにいつもの笑顔を向ける。 「おはよう。今日はボクを待ち伏せ?」 だが、グリアはリョウを睨み据えたまま、少しも表情を変えない。 そして、小さく口を開いた。 「オレ様は、いつか天界をツブすぜ?」 リョウは眼を見開いた。笑顔が消える。 「その時、てめえが再び立ちはだかるなら……今度は斬るぜ」 グリアの言葉に嘘はないだろう。真剣味を帯びた鋭い瞳。 グリアは、知っているのだ。 天王の目的と、彼がリョウを手放したくない本当の理由を。 リョウはその言葉に含まれた意味に気付き、穏やかな笑いを返した。 「また、ボクに忠告してくれるんだね。ありがとう」 グリアは少し顔を背け、小さく舌打ちをした。 やっぱり、リョウと話していると調子が狂うのだ。 それは天使の特性なのか、リョウの特性なのか。 その時、リョウの部屋の右隣の部屋のドアが開いた。 「行ってらっしゃい、アヤー!!」 元気に見送るコランの声と共にドアから出て来た亜矢。 グリアは亜矢に気付くと、ニヤリと笑ってようやくいつもの彼らしい表情になった。 「よお、亜矢。…なんだよ、その構えは?」 「きゃー、近寄らないでよっ!!」 迫り来る死神から逃げようと、必死に抵抗する亜矢。 ふと、亜矢はリョウの姿に気付いた。 「リョウくん、おはよう!…っていうか助けて……」 リョウはクスっと笑った。 「遅刻したら、魔王先生に怒られちゃうね。グリアだけ。」 その一言に、一瞬だけグリアの動きが止まった。 その隙に亜矢はグリアの腕から逃れ、走り出した。 「てめえっ!待ちやがれ!!」 グリアも同時に走り出す。 そんな二人の背中を見送りながら、リョウも歩き出す。 新しい日々の始まり、新しく開かれたいくつもの扉。 一人の少女を巡る物語が、再び動き出す。
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