第2話『漆黒のシンデレラ(前)』

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第2話『漆黒のシンデレラ(前)』

放課後、亜矢は魔王先生に呼び出された。 二人きりの職員室。 わざわざ、人が誰もいなくなる時間に呼び出したのだ。 「……なんでしょう、魔王先生?」 職員室に入るなり亜矢は、自席に座っている魔王を冷たく見下ろした。 一応、学校では教師と生徒の関係なので、亜矢はわざと敬語口調で話す。 魔王はニヤリ、と笑うと亜矢を見上げる。 「あんた、今日遅刻したよなあ?」 うっ、と亜矢がたじろぐ。 確かに、今日の朝はいつものごとくグリアに絡まれ、遅刻してしまった。 それを言うならグリアも一緒に遅刻したのに、何故自分だけ呼び出されたのだろうか。 「そ、それは朝、死神のせいで……」 「いい訳はいいんだよ」 魔王は何やら紙の束をドサっと机の上に置いた。 「……なんですか、これ?」 「罰として課題だ。やれ」 亜矢は再びその紙の束を見下ろした。 軽く100枚は超えていそうなプリントの束である。 そんな量の課題を目の前に困った顔をしている亜矢を見て、魔王は少し優しい口調で言う。 「明日までに出来たら、いいものやるよ」 しかし亜矢は嬉しがるどころか、ムっとして魔王を見返す。 「私を物で釣るんですか?」 魔王のくれる物と言っても、期待は出来ない。むしろ、嫌な予感すらする。 彼の言うご褒美と言ったら、『口付け』だの『妃にしてやる』だの言いそうで、むしろ迷惑だ。 だが、次の魔王の一言で、亜矢はガラっと態度を変えた。 「ヒントをやろう。『コランも喜ぶ』ものだ」 「………!!分かりました、やります!!」 この態度の変わりようは見事である。 普段からコランに甘い亜矢は、そう聞くと俄然やる気が出るのである。 自分の苦労よりも他人の喜びを優先する、という亜矢の心理を見抜いた魔王の作戦だった。 (コランくんの為にも頑張らなくちゃ…!) そうして、目的と主旨が完全に変わってしまったものの、亜矢はその課題を持ち帰る事となった。 マンションの一室、亜矢の部屋。 夕飯を済ませ、すでにコランは先に寝てしまった夜の時間。 課題の山をテーブルに置き、それを挟んで向かい合って座る、亜矢とグリア。 「……で、オレ様も手伝えと?」 グリアは不機嫌極まりない顔をして、その課題と亜矢を交互に睨む。 「だって、こんなに沢山、どう考えたって一人じゃ無理だもの」 亜矢は苦笑いしながら、柔らかい口調で手伝いを乞う。 「多分、コレ出来なかったら明日、あたし魔王に何かされちゃうわ。あんたのせいよ、助けてよ」 怨恨なのか懇願なのか分からないが、とにかくグリアを動かす為に思いつく事を言ってみる。 元はと言えば、グリアのせいで遅刻したんだから連帯責任!と言いたい所だが、ここではグっと抑える。 「いいじゃない。今日の夕飯、けっこうご馳走作ったでしょ?」 「どーりで、気合いの入ったメシだと思ったぜ」 必死になっている亜矢を見て、グリアは仕方ねえ、とばかりに小さく溜め息をついた。 お願い、と手を合わせてテーブルの向かい側から身を乗り出してくる亜矢。 そんな亜矢の顔が間近にあるのをいい事に、グリアは正面から軽く口付けた。 「足りない分は、これでチャラだ」 ハっとして、亜矢が一瞬、目を丸くする。 だが、次の瞬間。 バチーーーン!! 思いっきりグリアの頬を叩いていた。 「テメエッ…!本気で叩くんじゃねえよっ!!」 「バカーーー!!人がお願いしてれば調子に乗って!!」 「それが人にモノを頼む態度かよ!?」 「あんたは人じゃないでしょ!それに、今日の口移しはもう済んでたじゃない!!」 「ああ?今のは口移しじゃねえ!何回してもいいんだよ!!」 どうでもいい口論を続けるが、全く意味がない事に気付いた二人は、黙々と課題のプリントに取りかかり始める。 数時間後、時刻は深夜。 課題のプリントは半分近くまで進んだが、先はまだまだである。 「しかし、奴のくれるモンなんて、ろくなモンねえと思うぜ?」 「でも、コランくんが喜ぶ物だって…」 「結局、ガキ絡みかよ」 コランには甘い亜矢。だが、それ以上にグリアにとって問題なのは、亜矢があまりにもお人好しで人を信用しすぎる事だ。 亜矢だからこそ、グリアはここまで過剰に気にかけてしまうのだが。 ふと、グリアは時計の針に目を向けた。 「もう2時だぜ?」 言われて、亜矢も気付いた。必死に問題を解いていたら、いつの間にかそんな時間になっていたのだ。 「そうね、夜食作ろうか?」 「肉入りおにぎり食いてえ。作れ」 「分かったわ。ちょっと待ってて」 今日ばかりは、素直にグリアのリクエストに応える亜矢。 そうして、亜矢がキッチンでおにぎりを作っている間も、グリアはプリントを進めていく。 「お待たせ、どうぞ」 亜矢が、おにぎりの乗ったお皿をグリアの前に置く。 その時、グリアは肩をコキコキ鳴らしながら一息ついていた。 「えっ、もう、そっちの分終わっちゃったの!?」 「ああ。言っておくが、これ以上は手伝わないぜ。オレ様の分は終わった」 グリアはおにぎりを1個手に取ると、モグモグと食べ始めた。 この死神は性格や口は悪いくせに、顔と頭はいいなんて悔しい…いや、もう、今だけは羨ましい。 「え~~!!そんな~~!!」 亜矢は涙目になりながら、シャープペンを握ると必死にプリントに取りかかる。 そんな亜矢を、ソファで横になりながら横目で見るグリア。 さらに、それから数時間後。 ふとグリアがテーブルの方を見ると、亜矢はテーブルに突っ伏して寝息を立てていた。 「………やっぱ寝たかよ……」 呆れ顔で言いながら、グリアは立ち上がった。 「よっと」 眠っている亜矢を、いわゆる『姫だっこ』の形で抱きかかえる。 眠りながらも、亜矢はその浮遊感と温もりに、かすかに意識を取り戻す。 (あれ………何だろう……あたたかい……) グリアはそのまま静かに歩き出すと、亜矢を部屋のベッドへと運んだ。 亜矢のベッドではすでにコランが寝ていたが、その隣に亜矢を寝かせ、布団をかけてやった。 グリアは亜矢の寝顔を見下ろしながら、小さく囁く。 「オヤスミ。」 「おい、起きろ」 聞き慣れたその声で、亜矢は目を覚ました。 ハっとして起き上がると、目の前にはじっと無表情で自分を見るグリア。 「あれっ!?ここ…ベッド?それに………朝??」 いつの間にか眠ってしまった事にすら気付いていない亜矢は、寝起きもあって少し混乱気味である。 隣ではコランが布団をかぶったまま、まだ熟睡している。 グリアは少し呆れたような目をしつつも、亜矢の目の前にプリントの束を差し出す。 「ほらよ。昨日のプリントの残り、やっておいたぜ」 え?と、亜矢はグリアの顔を見る。 素っ気無い言い方ではあるが、どこか優しさが含まれている。 「……死神が?」 「他に誰がいんだよ」 亜矢は驚きながらも、プリントの束を受け取る。 まさか、あの死神がここまでしてくれるなんて―。 信じられない気持ちもあるが、今は何よりも嬉しい。 亜矢は、その嬉しさから自然と笑顔を作って、グリアを見上げた。 「…ありがとう!!」 いつもなら素直に出せない言葉が、自然と出て来た。 グリアは照れを隠す為か、少し顔を背けた。 「さっさとメシ作れ。で、とっとと学校行くぞ」 学校に行くと、亜矢は朝一番で魔王に課題の山を提出した。 「へえ、まさか本当にやるとはな。ざっと1クラス分あったんだぜ?」 魔王はプリントの束に目を通しながら、感心と言うよりも驚いている様子だ。 「そんなにオレ様からのご褒美が欲しかったのか?」 魔王は満足そうに笑いながら、亜矢の頭に手を置いて軽く撫でた。 「……コランくんの為です!!」 まるで子供扱いされてるようで、亜矢はムっとして否定しながら魔王を見上げる。 「いいぜ。約束通り、いいモノをくれてやる。今日の夜8時に迎えに行ってやるよ」 「?」 意味が分からず、亜矢はキョトンとした。 ご褒美というのは、何かをくれる訳じゃなくて、どこかに連れて行く、という意味なのか。 結局の所、魔王は亜矢が課題を出来ても出来なくても、同じご褒美を与えるつもりであった。 「楽しみにしてな……」 そうして、その日の夜8時。 予告した通りの時刻に、マンションの亜矢の部屋に魔王が訪れた。 亜矢とコランは、すでによそ行きの服装で魔王を待っていた。 それと、もう一人。グリアも亜矢の部屋に上がりこんでいた。 魔王は亜矢の部屋に上がるなり、グリアの姿を見て睨み付けた。 「……ああ?なんで死神もいるんだぁ?てめえは呼んでねえが?」 「うるせえ、てめえなんかに亜矢は預けらんねえんだよ」 いやいやアンタ、あたしの保護者じゃないんだから…と亜矢は脳内ツッコミを入れた。 いかにもグリアを邪魔者扱いする魔王。 敵意むき出しで、魔王をまるっきり信用してないグリア。 二人とも口調が似てるから、ケンカ腰で言い合うと恐ろしい。 亜矢はちょっと焦りながらも、なだめるようにして魔王に言う。 「本当は、あの課題はほとんど死神がやってくれたのよ。だから…一緒に行かせて?」 亜矢に上目づかいをされると、さすがの魔王も弱くなる。 小さく舌打ちをすると、背中を向けた。 「それで兄ちゃん、褒美って何だよ?」 この状況を分かってるのか分かってないのか、コランは相変わらず無邪気だ。 「ああ、待ってな。今から招待してやるぜ」 そう言うと魔王は突然、亜矢の部屋のクローゼットの両扉を勢いよく開けた。 「ちょっ!何してんの!?」 亜矢は魔王の側まで寄るが、開かれたクローゼットの中身を見た瞬間、別の驚きで声を失った。 クローゼットの中には、闇の空間が渦巻いていたのだ。 それは、飛び込めばどこか違う次元へと繋がるような深い闇。 「ここに、魔界への入り口を繋げた。あんたを魔界へ招待してやるぜ」 魔王は魔界の王らしく誇らしげに言うが、亜矢はポカン、として見ている。 え、えーと……勝手に人の家のクローゼットに魔界を繋げないで欲しいんだけど…。 そんな事を思う亜矢よりも先に反応したのはコランだった。 「アヤと一緒に魔界へ行けるのか!?」 「嬉しいか、弟?」 「うん!!」 嬉しそうにするコラン、満足そうに笑う魔王。 ようやく冷静になった亜矢は、少し疑問に思った。 「あ、でも悪魔って人間と契約してる間は魔界へ帰れないんじゃあ?」 亜矢は、コランにとって初めての『契約者』なのである。 「弟の事か?魔界に帰る訳じゃねえ、一時帰国だ」 ふーん、そういうものなのか……と、どこか適当でこじつけっぽい魔王の回答を深く気にしなかった。 そうして、亜矢はコランに背中を押されるようにして魔界への入り口に飛び込んだ。 一番最後に、グリアがどこか真剣な顔つきで魔界の入り口へと足を踏み入れる。 何か、嫌な予感がするのだ。まして、行き先は魔界だ。 決して、亜矢から目を離す訳にはいかない。 そう思うのは何かの使命感か、それとももっと別の感情か――。 だが、魔界への扉が開かれた瞬間に出来た空間の歪み。 このマンションのオーナーであり、天界の王である天王はその異変を少しも見逃さなかった。 場所は変わって、ここは天界。 薄いカーテンの内側で玉座に座っている天界の王。 その、少しの異変を感じ取った瞬間、天王は僅かに顔を上げた。 『………魔界への扉が開かれた』 声に出す訳でもないその言葉は、人間界に居る一人の天使の元へと送られる。 亜矢の部屋の左隣に住む天使・リョウ。 自室にいたリョウは、僅かに耳に届いたその声に、ハっとして動きを止める。 自分の脳内に直接響く声―――。 『――――魂の器・春野亜矢を監視せよ―――』 確かな言葉として認識は出来ないが、何かがリョウの中に響いた。 リョウは、無意識に歩き始めた。 その声に導かれるようにして、動かされるようにして。 行かなくちゃ――行かなくてはならない気がする。 気が付くと、リョウは亜矢の部屋の中、クローゼットの前に立っていた。 扉が開かれたままのクローゼット。 その中に広がる、闇の空間。 リョウはしばらく、その闇を呆然と見ていた。 だが突然、我を取り戻した。 「これは……魔界への入り口!?」 何故、こんな所に…。そして、何故自分はここに来てしまったのか? リョウは険しい表情になる。 やがて、力強い意志をこめてその闇を見据えた。 「亜矢ちゃん……!!」 気が付くと、亜矢は何か弾力があって柔らかい物の上で倒れていた。 「アヤ、アヤ!!」 自分を呼ぶコランの声に気が付いて、亜矢は勢いよく起き上がった。 「コランくん……!?あれ、ここは?」 「ここ、オレの部屋だぜ」 え?と、亜矢は辺りを見回す。 亜矢が倒れていたのは、大きくて豪華なベッドであった。 そして、亜矢の部屋の何倍もあるだろう、この広い部屋。 ここは、魔王の城の中の一室なのだろう。 「す、すごい部屋ね…」 「そうか?」 やっぱりコランは王子サマなんだなあ、と改めて驚きの目でコランを見る。 亜矢は立ち上がると窓際まで歩き、窓の外を見る。 魔界とは言っても、人間界の風景と何も変わらない気がした。 今は夜なので景色はよく見えないが、樹木や山、それに城下町に灯る様々な色の光。 今日は、何かの祭りでもあるのだろうか。街に沢山の光が灯っているのが見える。 「あっ、そう言えば魔王と死神は?」 亜矢は振り返ると、部屋のドアに向かって歩き出した。 ドアの正面まで辿り着いた時、突然そのドアが開いた。 亜矢は驚いて、反射的に一歩下がる。 そのドアを開けたのは、女性だった。 「亜矢様、こちらのドレスにお着替え下さい」 その女性は、どうやらこの城の使用人であるらしい。 亜矢が驚いたのは、その女性が人間と全く変わらない姿をしていたからだ。 思えば、悪魔である魔王オランも王子コランも、外見はほとんど人間と変わらない。 本来は魔獣であるディアだって、普段は人間の姿をしている。 どこか、魔界は魔物だらけで恐ろしい所…という勝手なイメージがあったが、少し安心する。 促されるまま、亜矢はドレスを受け取ると部屋の中へと戻った。 女性が用意したドレスに着替え終わると、亜矢はコランの方に振り向いた。 「うわ~~アヤ、きれい!!」 「そ、そう…?ありがと」 照れながら微笑み返す亜矢。 そのドレスは、全体的に黒を基調にし、所どころをフリルであしらった豪華で華やかなものだ。 首元と髪に飾られた深紅の薔薇の花がアクセントになり、黒のドレスと髪によく映え、その色彩の美しさを際立たせている。 魔界のお城に、このドレス。まるで、童話の世界にでも入り込んだ気分だ。 「でも、なんで着替えるのかしら?」 コランはニッコリと笑うと、亜矢の片手を握って引張る。 「これからパーティーなんだぜ!兄ちゃんの所へ行こう、アヤ!!」 「パーティー?」 いまいち状況が良く分からないが、亜矢はコランに手を引かれるまま部屋を出た。 少し城内を歩くと、広間に出た。 そこでは沢山の人達が正装をして、賑わっていた。 その奥に、魔王はいた。 そして、いつの間に着替えたのか、スーツ姿のグリアも。 亜矢はコランと手を繋ぎキョロキョロしながら歩いていたが、魔王とグリアの姿を見つけると、早足で歩み寄る。 「魔王!これってなんのパーティーなの?」 そう問いかけても、魔王とグリアはこちらを凝視したまま、表情も変えずピクリとも動かない。 (え、な、なに、どうしたの??) 亜矢は訳が分からず、いつもらしくない二人を目の前に自身も硬直する。 同時に、コランも不思議そうな顔をして亜矢を見上げる。 魔王とグリアは、亜矢のドレス姿に見愡れていたのだ。 黒のドレスに身を包みながらも、輝かしい美しさを放つ少女の姿に。 ようやく、魔王がいつもらしい余裕の笑みを浮かべて亜矢に近寄る。 「似合うぜ。綺麗だ、亜矢」 亜矢はドキっとして少し顔を赤らめる。 コランにも言われた言葉なのに、魔王に同じ事を言われると何故か本気で恥ずかしい。 「これは、オレ様の生誕パーティーだ。存分に楽しんでいけよ」 つまり、今日は魔王の誕生日パーティー、という事だろう。 「魔王の誕生日?あなたって一体、何歳なの?」 「さあな……何千、いや何万だったかな?忘れちまったぜ」 それは、亜矢をからかっているのか。いや、魔王の事なので冗談でもない。 なんていい加減な!と亜矢はツッコミたくなったが、何故かおかしくて微笑んだ。 ふと、広間に優しい曲調の音楽が流れてきた。 ダンスの時間の始まりなのだ。 気付くと、魔王の周りには沢山の女性が集まり、ダンスの相手を求めていた。 魔王は、やはり魔界でも女性を引き付けるのだ。 魔王という地位によるものだけではない。彼そのものの魅力が、人を引き付ける。 それはまるで、不思議な魔力のよう。 そんな魔王を驚きの目で見ながら、亜矢は圧倒されて少しだけその場から離れた。 すると、誰かがふいに亜矢の手を取った。 驚いて正面を見ると、そこには自分を見下ろすグリアの姿。 「え……?死神?」 「一曲、踊れ」 そう言うとグリアは少しばかり強引に、でも優しく亜矢の腰を引いた。 「え?あんた踊れるの?」 「人並みにな」 「あんたは人じゃないでしょ」 今までの緊張が解けた気がして、小さく亜矢は笑った。 何故だろうか。 不思議なくらい素直に、導かれるままに亜矢はグリアの肩に手をかけ、踊り始める。 口調こそ乱暴だが、スーツを纏ったグリアはいつもよりも紳士的に見える。 踊り始めてしばらくすると、グリアは亜矢の耳元に顔を近付け、小さく囁いた。 「このまま庭へ行くぞ」 「え?」 亜矢はグリアを見上げるが、グリアは変わらず平然とした顔をしていた。 音楽に合わせて踊りながらも、グリアの歩む方向に誘導され、少しづつ広間の端へと行く。 そうして、完全に外に出て庭に辿りついた時、グリアはようやく腕を解いた。 「死神、どうしたの?なんで、庭に?」 夜の時間とは言え、庭に設置された灯りによって充分すぎる程の視界。 ライトに照らされたグリアの顔。その鋭い瞳に反射した光が、不思議なくらい綺麗だ。 ――なんで、そんな真剣な顔をしてあたしを見るの? ――やめてよ、調子が狂うじゃない。……ホラ、早く何か言って! 亜矢が、高鳴り始める自分の鼓動に戸惑っていると、グリアがようやく口を開いた。 「いいか、ここは魔界だぜ。誰にも気を許すな」 それは、力強い口調だった。 「特に魔王だ。ヤツは、あんたを狙ってるぜ」 ああ、そういう事か……と、亜矢は少し肩の力を抜いた。 「大丈夫よ。魔王には女の人のお相手が沢山いるみたいだし」 先程の魔王の姿を思い出しながら、亜矢は軽い気持ちで笑った。 だが、グリアは真剣な眼差しだ。恐いくらいに真直ぐで、力強い。 「そういう事じゃねえんだよ」 亜矢は思わず息を飲む。グリアは、本気で心配してくれているのだ。 「あんた、そればっかり言うのね。人を信用するなって」 グリアは言葉で何も返さない。 代わりに、亜矢の片腕を強く掴んで、引き寄せた。 向かい合う形になって、互いの視線が重なる。 亜矢は抵抗しないが、少し目を伏せた。 「それなら、あんたの事だって信用しないわよ…」 どこか上の空で、感情のこもっていない言葉。 戸惑いを隠す為の強がり。 「珍しく抵抗しねえんだな?」 グリアは亜矢の顎にそっと手を添えた。 「今日の口移し、まだよね。………早くして」 グリアは少し驚いた様子で、僅かに目を見開いた。 亜矢の方から口移しを促すなんて、初めての事だ。 『促す』というか、『早く終わらせて』というのが正しいニュアンスであるとも言えるが。 それでも、グリアにとっては充分だった。 「お姫サマの気が変わらねえうちに、頂くぜ」 ちょっとキザでふざけた言い回しも、今は受け止められるから不思議だ。 亜矢は、今なら許せる気がしたのだ。 普段は抵抗のある『口移し』でさえも。 この時間がどこかへ消えてしまわないうちに。魔法が解けないうちに。 亜矢は目を閉じた。 そっと、触れられた感触と温もり。 気のせいか、その『口付け』はいつもよりも優しいものに思えた。 再び視線を向かい合わせると、亜矢はどこか放心状態のような目でグリアを見る。 「死神が死神っぽくないわ。スーツを着てるせいかしら」 グリアはようやく、その口元に笑いを浮かべた。 「あんたも、ただの女子高生には見えねえな。ドレスのせいか?」 おかしくなって、亜矢は小さく笑った。 そんな二人の様子を瞳に映し、見下ろす男がいた。 ちょうど、ダンスの相手の女性と共にテラスに出ていた魔王。 グリアと亜矢の姿を目にしたその一瞬、目を細めた。 何を思うのか、その鋭い瞳に強い意志と野望を宿して。
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