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第3話『漆黒のシンデレラ(後)』
パーティー後、亜矢はコランの部屋に戻り、元の服に着替えた。
あの黒いドレスは確かに素敵なのだが、ドレス自体が着慣れていないので、やっぱり亜矢にとっては動き辛いのだ。
しばらくすると、再び使用人の女性が部屋にやってきて、亜矢を別の部屋へと案内した。
何とも派手な装飾のドアの前に辿り着くと、亜矢は臆せず、そのドアを開けた。
だいたいの予想は出来ている。
「よお、亜矢。来たな」
ドアを開けた瞬間、目に映ったのは、豪華な椅子に座って、くつろいでいた魔王。
椅子だけではない。ベッドも、部屋の内装全てが光輝く金属や宝石で装飾されていた。
ここは、魔王の自室なのだ。
魔王は亜矢が部屋に入ると、腰を上げて近付き、向かい合う。
と、言っても魔王の身長は高いので、亜矢を見下ろす形だ。
「で、返事はどうした?」
「は?」
唐突な魔王の問いに、亜矢は訳も分からず気の抜けた声で返した。
「忘れたのかよ?あんたを妃にする話だ」
「え?え~~~~……ああ!!」
亜矢はようやく思い出してわざとらしく声を出したが、魔王は真剣だ。
魔王は以前、亜矢に向かって「妃になれ」と迫ってきた事がある。
あの時はあまりの動揺と混乱で、まともな返事は出来なかったが。
今、こうして自分を魔界へ呼び、こうやって問いただすという事は…本気なのだ。
その気持ちに対しては、悪い気はしない。それは『好意』であるから。
だが、亜矢はいつもの強気な視線で魔王を見上げた。
「その件だけど、お断りします」
何ともキッパリとした返事だった。
少しも相手を臆する事なく、だからと言って冷たく突き放すようでもなく。
魔王は逆に、そんな亜矢の強さに惹かれた。
今まで、女性というものは自分から行かなくても、向こうの方から寄ってきた。
それなのに、この亜矢という少女は自らが動いても、近付いても、頑に自分の意志を通し、受け入れる事すらしない。
だからこそ、魔王は手に入れたくなる。さらに燃え上がらせる。
全く、魔王とあろう者が、なんとも手強い相手に惚れてしまったものである。
「でも、誕生日ならそう言ってくれれば良かったのに」
亜矢はそう言いながら、すぐにコロっと表情を変えた。
この、目まぐるしく表情を変える亜矢すらも、魔王の目には愛しく映る。
「あたし、何も持ってきてないわ。プレゼントになるようなもの……」
そう言って、少し困った顔をしている亜矢に向かって、魔王は両腕を伸ばした。
「………え?」
魔王は、その腕の中に包むようにして、優しく亜矢を抱きしめた。
「魔王…………?」
亜矢は、突然に全身を包んだ腕と温もりに驚きながらも、静かな口調だ。
「………いらねえよ」
魔王の口調が今までになく優しいものだったから、亜矢はさらに心臓の高鳴りを速めていく。
「何もいらねえから、少しだけこのままでいろ」
正面から抱かれて、顔はちょうど魔王の肩あたりにあるので、彼の表情は見えない。
だが、その温もりは心地のよいものに感じた。
魔王って、普段は不良っぽいし冷酷な悪魔というイメージがあったが、こうやって抱かれていると……彼の温かさが伝わってくる。
「……………ん」
亜矢は小さく返事を返すと、全身の力を抜いて、その身を魔王に預けた。
亜矢の体重が自分の全身にかかった事を感じると、魔王は目を細めた。
亜矢の肩に片手を添えて、静かに繰り返す亜矢の呼吸を全身で感じた。
欲しいモノは手に入れる。魔王はそういう男だ。
なのに、今は何故かこうしているだけでも満たされてしまう。
力ずくで手に入れるのは簡単だろう。だが、この少女だけは――
壊したくないと思った。
だが、しばらくそうしていると、亜矢の呼吸のリズムが微妙に変わった。
不思議に思って亜矢を見ると、魔王に身体を預けたまま、亜矢は眠ってしまっていた。
呼吸から、寝息に変わっていたのだ。
「………オイ」
魔王は小さく呟くと、亜矢を抱きかかえて自分のベッドへと寝かせた。
魔王の優しさに安心してリラックスしすぎた亜矢は、いつの間にか眠っていた。
大した女だ。ここは魔界であり、目の前の相手は魔王だと言うのに。
「やっぱ、人間に魔界はキツかったか?」
魔王はベッドの前の椅子に座り、亜矢の寝顔を見ながら呟いた。
その時、眠っている亜矢の口が「ん……」と僅かな声を出し、少し身体を動かした。
それだけの仕草でも、今の魔王を刺激するには充分だった。
少しくらい、触れてもいいか……という心が一瞬にして芽生えた。
元々、魔王はそういう男である。
意志が弱いのではなく、我慢はしない男だ。
魔王は、自らの顔を亜矢の顔に近付けると、その唇に視線を落とした。
思えば、一度も触れた事がない、その唇。
そっと、その唇に触れようとした瞬間―――
何かを感じ取った魔王は、勢いよく顔を上げ、周囲を見回した。
「チッ……。何かいるな。誰だよ」
魔王は、何者かの気配を感じたのだ。
再び、亜矢の方へと顔を向けたその時。
魔王の視界の目の前に、小さい何かが浮遊していた。
それは、手の平サイズの天使・リョウだった。
背中の白い羽根で、まるで鳥のようにパタパタと空中に留まっている。
魔王は、そんなリョウの姿を目の前にしても、至って余裕だ。
「天使ごときが魔界に乗り込むとはな。それに、随分と小さくなったようだが?」
リョウはキっと魔王を睨み返す。姿は小さくても、強気だ。
「これは、ボクの分身だ。本体は人間界にあって、そこから操作している」
さすがの天使も、単身で魔界に乗り込む事は出来ないのだろう。
リョウは自分の分身体を作って魔界の入り口から送り、亜矢の後を追って来たのだ。
「てめえ、確か以前は羽根が片方黒かったが、今は白いんだな?面白えヤツだ」
魔王が面白そうにして笑うが、ミニサイズのリョウは魔王の目の前で両手を広げた。
「亜矢ちゃんに手出しはさせない」
魔王は笑うのを止め、真剣な顔つきになった。
「……それは、テメエの意志か?」
「……!?」
強気な姿勢を見せていたリョウが、その言葉に僅かに怯んだ。
「いつもテメエの背後には、天王の影が見えるんだよ。所詮、天使ってのは天界の下僕でしかねえって事だ」
リョウの心が突然に乱れ、冷静さを失いかける。
「……違う…、ボクはっ…!!」
自分は、今ではもう天界に仕えてはいない。何者にも縛られてはいない。
亜矢を守りたいと思うのは、自分の意志。
そう思っているのに。思いたいのに。
心を乱すリョウとは逆に、魔王はリョウを見て冷静に思った。
今、リョウの分身を消し去る事は簡単だ。天使が魔王に力で敵うはずがない。
だが、どうやらこの天使には天界の意志が絡んでいるようだ。
魔王にとって、天界の企みなどは興味がないし、どうでもいい。
やっかいな事に関わりたくもないし、本気で相手をするのもバカらしい。
魔王は笑いながら、わざとらしくフウっと小さく息をついた。
「分かった、手出しはしねえよ。言っておくが、オレ様は亜矢の魂を狙ってる訳じゃねえ」
「…………」
リョウは険しい表情で魔王を見据えている。
そう、魔王が欲しいのは……亜矢の心なのだ。
「だが、側に居るくらいならいいだろ?」
魔王は、眠っている亜矢の頭をそっと撫で、優しい眼差しで見下ろす。
リョウは思わずハっとして、少しベッドから離れる。
魔王のあんなに優しい顔なんて、初めて見たからだ。
(もしかして魔王は………本気で、亜矢ちゃんの事を?)
何をする訳でもなく、魔王は亜矢の寝顔をただ静かに見守り続ける。
やがて、リョウの分身はフっと姿を消した。
その頃、グリアとコランは待合室にいた。
大きなテーブルが真ん中に1つ。
足と腕を組んで椅子に座っているグリア。
そのテーブルを挟んで、グリアの正面に座るもう一人の男。
その男は、魔王に仕える魔獣・ディアだ。
魔獣と言っても、普段は人間の姿をしていて、性格も穏やかで大人しい。
誰に対しても人当たりがいい彼だが、今は目の前にいるグリアをじっと冷たい視線で見ている。
ディアは主人である魔王に従順で、魔王の敵は自分の敵、くらいに思っているのだろう。
だが、ディアがグリアに対し、冷たく嫌うのはそれだけではない。
そんなディアに対抗するかのように、グリアも鋭く睨み返す。
一言も言葉を交わさず睨み合い続ける状態がずっと続いた。
この緊迫感を分かってないのか、コランがディアの横に歩いていき、いつもの明るい調子で話しかけた。
「なあなあ、なんで二人共ずっとしゃべらないんだ?」
ディアは視線をグリアに向けたまま、相変わらずの無表情で答えた。
「あちらが話さないので」
その言葉に、グリアがついにキレた…というか、我慢出来なくなった。
元々、グリアは無言の睨み合いよりも、言葉で言い争う方が性に合う。
「言いたい事があるんなら言いやがれ。ねえなら、この場から消えろ」
すると、ディアはようやくグリアに向かって口を開いた。
「なら、言わせて頂きます。……亜矢サマの命を救ってくれた事に関しては、感謝します」
グリアは少し瞳を開いた。が、表面上は鋭く睨み据えたままだ。
「てめえに感謝される筋合いはねえよ」
なんだ、コイツ何を言ってやがる?と、グリアは心で詮索しても、相手の表情からはまったくその心は読めない。
ディアは、一切の感情を出さないのだ。
「亜矢サマは、大切なお方だからです。ずっと妃をとらなかった魔王サマが、ようやくお決めになった一人の女性ですから。それに、今は王子サマの契約者でもある」
その一瞬、ディアの瞳が少し揺れた。
グリアはその一瞬を見逃さなかった。
「それは、魔王でなくてめえ自身の感情だろ?」
「!!」
ディアの瞳が大きく開かれる。
図星か……と、グリアはまるで優勢な立場に立った気分で言葉を続ける。
「今、ここにてめえの主人はいないぜ。言ってもいいんだぜ、『亜矢に惚れてる』ってな」
ディアは、口を閉ざした。目を伏せると、再び感情を自分の中に押し込めた。
そして、静かに席を立った。
「………おしゃべりが過ぎました」
そう言うと、ディアはグリアに背中を向け、部屋から出ていこうとした。
ディアの背中に向かって、グリアが言葉を投げる。
「亜矢に手出すんじゃねえぞ」
ディアは一瞬足を止め、振り向きもせず言葉を返す。
「ご安心を。私は手など出しません」
―――いえ、手を出さないんじゃない、手が出せないんです――――
自分自身にそういい聞かせ、ディアは部屋を出た。
魔王の敵は、自分の敵。
魔王の大切な人は、自分にとっても大切な人。
そう思っていたいのに、いつでも半分は自分の意志が存在している。
魔王に忠誠を誓う魔獣・ディアには、自分の感情を殺してでも主人に従う道しか選べない。
「ディアっ!!」
後を追ってきたコランが、パタパタと走り寄ってくる。
「どうしたんだよ?さっき…すごく悲しそうな顔してた!!」
ディアの、ほんの一瞬の表情の変化をコランは見逃さなかったのだ。
幼いながらも心配そうに見上げるコラン。
冷えた魔獣の心に、かすかな温もりが生まれる。
ディアは身を屈めると、コランに優しく微笑んだ。
「ありがとうございます、王子サマ。私は平気ですよ」
だが、コランは表情を曇らせたままだ。
「ホントか?オレ、ディアが元気になるなら、何でもするぜ?」
コランは、ディアを家族のように慕っている。
ディアもまた、自らが仕える主人の一人としてコランを魔王と同じように敬い、慕っている。
「では、お願いです。先程の話は内緒にして下さい」
「え……?」
「出来れば、無かった事にして下さい」
幼いコランには、先程の会話を内緒にする意味が分からなかった。
「なんで?」
不思議そうにしてコランが聞き返すが、ディアは理由を口にせず、少し困った顔をして穏やかに笑うだけだ。
「私のお願い、聞いて頂けますか?」
「う、うん……分かった」
本当は分かっていないのだが、コランは頷いた。
「ありがとうございます」
ようやく、ディアはいつものように明るく笑った。
だが、コランの心には疑問が残ったままだ。
(オレが大人になったら分かるのかな……)
どこか、取り残されたような気がして寂しくなったコランは、ディアの片手をギュっと握った。
「王子サマ、少し手が大きくなられましたね?」
「そうか?……へへっ」
そうして、二人は手を繋いだまま、城の廊下を歩いて行った。
亜矢はゆっくりと瞼を開いた。
ボーっとして天井を見つめていたが、顔を横に向けると、そこには椅子に座った魔王が優しい目でこちらを見ていた。
「やっとお目覚めか、お姫サマ」
亜矢は身を起こした。
もしかして眠っている間、魔王はずっとこうして、自分を見ていたのだろうか。
だが、亜矢はある事を思い出した。
「そういえば、今何時!?」
「もうすぐ12時だな」
亜矢は急いでベッドから下りて立ち上がった。
「もう帰らなきゃ!明日も学校だし」
すると、魔王は今思い出したかのように言う。
「ああ、そう言えば、あんたの部屋に繋げた魔界への入り口は、今夜12時になったら消滅するからな。そうなったら、明日の朝まで再び繋ぐ事は出来ねえ」
それを聞いた亜矢は固まった。
だが、魔王は楽しそうに笑っている。
「心配いらねえよ。今夜はオレ様の部屋に泊めてやるぜ、クク…」
そんな下心全開な魔王の言葉を、もはや亜矢は聞いちゃいなかった。
「それを早く言ってよ~!!えっと、コランくんは!?死神はどこ!?」
慌てて走りだし、部屋を出て行く亜矢。
ようやく、亜矢はグリアとコランと合流し、人間界への扉が繋がっているコランの部屋へと戻って来た。
亜矢が、コランの部屋のクローゼットの扉を開けた。
その中には、人間界へと繋がる闇の空間が渦巻いている。
制限時間が近いせいか、その闇は来た時よりも小さくなり、消えつつある。
亜矢は振り返った。
そこには、亜矢を見送る為か、魔王が立っていた。
「魔王は人間界へ行かないの?」
「ああ、オレ様は魔界から直接、人間界に通ってるんでな。それに、これから魔界での仕事を少し済ませておくつもりだ」
やっぱり魔王は忙しいんだ…と、人間界と魔界での仕事を両立している魔王を見直した気持ちになって見る。
「それじゃあ、魔王…先生、また明日、学校で」
亜矢は笑顔で魔王に向かって言う。
「ああ、明日は遅刻すんなよ」
ふと、亜矢は魔王の後ろにディアの姿を見つけた。
「ディアさん!」
亜矢は、後方のディアに向かって叫ぶ。
「魔王みたいな人が主人で大変だと思うけど、頑張って!!」
その言葉に、ピクっと眉をつり上げて反応した魔王だった。
ディアは、亜矢に向かって丁寧に頭を下げた。
「はい。ありがとうございます」
その口元には、微かな微笑みがあった。
「兄ちゃん、ディア、じゃあなー!!」
コランが元気一杯に手を振る。
だが、その時、グリアが叫んだ。
「出口が閉じるぜ!!」
ハッとして振り返ると、クローゼットの中の闇が収縮し、消えかかっていた。
「チッ……!!」
グリアが突然、その手に死神の鎌を出現させた。
思いっきり振り上げると、その僅かな闇を切り裂いた。
それによって作られた亀裂により、闇の空間が再び大きく広がった。
だが、それも束の間で、どんどん塞がっていく。
「早く飛び込めっ!!」
グリアのその声を合図に、亜矢は闇に向かって走り出した。
だが、いきなり体勢を変えて走り出したせいで足元のバランスを崩した。
「あっ!」
つまずいて前のめりに倒れたまま、亜矢は闇の空間へと飛び込む形になった。
そうして、亜矢達を見送った魔王とディアのみが、部屋に残された。
クローゼットの前には、亜矢がつまずいた時に脱げてしまった片方の靴が落ちていた。
魔王は、その靴を見ながら、小さく笑った。
「………らしくねえな、ディア?」
「何がですか?」
ディアは相変わらず、表情を変えない。
「まあ、しらを切るならそれもいいぜ?クク……」
魔王は、ディアとグリアのあの時の会話を聞いてはいない。
だが、全てを知っていた。
何も言わずとも、魔王はディアの全てを知っている。
「………お許し下さい、魔王サマ」
だが、魔王は深刻に思っている様子ではなく、余裕の笑いを浮かべている。
「いいぜ。いずれ亜矢はオレ様のモノになる。そのくらい許してやるぜ」
ディアは、頭を下げた。
「……はい」
そうして、無事に人間界へと帰る事が出来た亜矢。
魔界でのパーティーは、まるで夢のような時間だった。
だが、どんな夢でもいつかは覚めるし、どんな魔法もいつかは解ける。
一晩眠ればまた、いつもの朝が訪れる。
亜矢は大きなあくびをしながら、学校への道のりを歩いていた。
(そういえば、靴を片方落としてきちゃったわ…。気に入ってたんだけどなあ…)
そんな事を思いながら、高校の校門まで辿り着いた時。
校門の横に、魔王が立っていた。
昨日とは別の顔をした、魔界の王が。
「よお、今日は遅刻しなかったな」
笑いながら言う魔王。亜矢は、わざとらしく軽く頭を下げる。
「おはようございます、魔王先生」
そう言って、再び顔を上げた時。
亜矢の目の前に、差し出された魔王の手。
その手には、亜矢が昨日落とした、まだ新しいお気に入りの靴の片方があった。
「これは、ご褒美だ」
亜矢は魔王を見上げる。
朝日が目に入って、魔王の顔が眩しく見える。
「落としモノだぜ、お姫サマ」
亜矢は、思わず笑った。
その場で顔を見合わせたまま、二人は意味もなく笑い続けた。
愛しいお姫サマを自分の腕の中で抱けるのは、12時までの一瞬の魔法。
壊れやすいのに、決して壊したくない。
扱いが難しいのに、どうしても触れてみたくなる。
魔王が手にしたのは、片方だけのガラスの靴。
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