第5話『桃色天使降臨(前)』

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第5話『桃色天使降臨(前)』

ここはマンションの一室、リョウの部屋。 亜矢の部屋の左隣であるこの部屋では、今日もお菓子作りが行われていた。 その日に、リョウと亜矢が作っていたのはクッキー。 「後は、焼き上がるのを待つだけね」 「亜矢ちゃん、お茶にしようか」 一通りの作業を終え、リョウと亜矢はテーブルに着いて一息入れた。 亜矢は最近、お菓子作りを教えてもう為にこうやってリョウの部屋に行く事が多いのだ。 それは純粋に、リョウの腕前に憧れているから。 女友達よりも…いや、プロのお菓子職人よりもリョウの腕の方が勝るとさえ思う。 「リョウくんって、本当にすごいわね。昔から料理は得意だったの?」 亜矢は紅茶を一口飲むと、ティーカップを両手で包んで顔を上げた。 リョウは、何か昔の事を思い出しているかのように、どこか遠くへ視線を向けた。 「……うん。ボクはよく、手作りのお菓子を天王様に献上していたんだ」 「天王様?」 聞き慣れない人名に、亜矢が聞き返す。 「その人って、リョウくんが仕えていた天界の王サマの事よね?」 だが、リョウはハっとして口を閉ざした。 今はなるべく、天王の事については口に出したくなかった。 思わず口走ってしまったが、リョウはごまかす事なく再び口を開いた。 「亜矢ちゃんがもし、天王様に会ったらどうする?」 唐突なリョウの問いかけ。 だが亜矢は少しも迷う事なく、強い意志をこめた瞳で堂々と言う。 「その人が、リョウくんに呪縛をかけてずっと苦しめていたんでしょ?平手打ちの一発くらいお見舞いしてやりたいわ」 天王を恐れもしない亜矢の発言にリョウは目を丸くしたが、すぐに笑った。 「あはは、亜矢ちゃんは強いね」 天王様と亜矢ちゃんを会わせたらいけないな、と思いながらリョウは苦笑いをした。 だが、これこそが亜矢の強さであり、リョウが亜矢に惹かれる理由の1つ。 天王はリョウを苦しめただけでなく、亜矢の魂を奪おうとしたのだ。 それを知っていながら、亜矢はそれを怒りの理由にしなかった。 亜矢という少女は、いつも自分の事よりも他人を優先して考える。 だからこそ、リョウは亜矢を守りたいと思う。側に居たいと思う。 「そういえばこの前、天真さんに会ったわ。このマンションの新しい大家さん」 「え?」 リョウの心臓が大きく動いた。 『天真』とは、天王が人間界で名乗っている名だ。 (亜矢ちゃんと天王様は、すでに会っている…?) 表情には出さないが、リョウの心が戸惑いに揺れ始める。 天王が、わざわざ人間界に足を運び、リョウの部屋に訪れた事。 そして、天王が亜矢に接触した。 何かが、起こり始めているのだ。 「天真さんはリョウくんの部屋から出て来たけど、知り合いなの?」 事情を知らない亜矢は何気なく話し続けるが、リョウには答える事が出来ない。 「あ………うん。ちょっとね……」 言葉を詰まらせて、リョウはそれだけを返した。 亜矢は、天真の正体が『天界の王』である事を知らない。 亜矢は、天真の事を『このマンションの新しい大家さん』としか認識していない。 表情を曇らせたリョウを見て、何か聞いちゃいけない事情でもあるのかと思った亜矢はそれ以上の事は聞かず、気を取り直して明るく笑った。 「ねえ、そろそろクッキー焼けたかしら?」 そうして出来上がった、大量のクッキー。 部屋の中が、甘い香りに包まれる。 「美味しそう!ううん、リョウくんと一緒に作ったから、味は絶対よね!」 クッキーの出来よりも亜矢の喜び様が嬉しかったリョウは、一緒に笑顔になる。 沢山作ったので、袋に詰めて皆に配ろう、という事になった。 「コランくんの分でしょ、魔王の分と、ディアさんの分…」 数を確認しながら、亜矢はクッキーを小さな袋に詰め、リボンで結んでいく。 「あれ?亜矢ちゃん、これだけ袋の色が違うけど?」 テーブルに並べられた袋の数々の中で、1つだけ色の違う袋がある。 亜矢は作業を続けながら答える。 「ああ、それは死神の分よ。アイツは甘いのが好きじゃないから、それだけお砂糖控えめにしたの」 リョウはその袋を手に持って、眺めた。 いつの間に、グリア用のクッキーを作っていたんだろう。 一緒に作っていたのに、気付かなかった。 「すごいね。グリアの事、良く知ってるんだね」 どこか感情のこもってない口調でリョウは言った。 逆に、亜矢は何も気にする様子もなく、明るく笑った。 「嫌でもアイツの好みは覚えちゃうわ。それにね…」 亜矢は手を止め、少し照れながら視線を落とした。 「死神は、あたしが作った料理やお菓子を『美味しい』とも『不味い』とも言わないけど、目の前ですぐに全部食べてくれるの。それはちょっと嬉しいかな…」 普段の亜矢は、グリアの目の前ではこんなに素直な表情や言葉は口に出さない。 リョウの中でどこか取り残さたような、寂しいような、今までにない感情が生まれる。 「本当に仲いいんだね」 いつもと同じ事を言ってるはずなのに、リョウの心では別の感情が動いている。 「そんな、やめてよ!死神は自分勝手だし、どこでも迫って来るし、最低なヤツよ!でも、だから……あんな危険なやつ、放っておけないでしょ?」 素直じゃないけれど、リョウはそこに亜矢の本心を見た気がした。 「亜矢ちゃん、今日はグリアの話ばかりするね?」 「え!?そんな事ないわ!!」 コロコロと表情を変える亜矢に、リョウは思わず笑う。 だが、リョウは自分の本当の心に気付いてはいない。 亜矢とリョウが一緒に玄関を出ると、偶然にも目の前に、ある人物が通りかかった。 亜矢はその人物に気付くと、明るい口調で呼び止めた。 「天真さん!」 その一瞬、リョウの呼吸が止まった。 亜矢とリョウの目の前にいたのは、天王。 人間界では『天真』と名乗っている、天界の王だ。 「……おや、今日は二人一緒なんだね」 天王は相変わらず、亜矢に対して邪気のない笑顔を向ける。 だが、リョウにとってはその笑顔が逆に怖かった。 天王と目を合わせようともせず、リョウは亜矢の後ろで視線を泳がせている。 亜矢は自分が持っていた大きな紙袋の中から、小さな袋を1つ取り出した。 そして、天王の前に差し出した。 「これ、リョウくんと一緒に作ったクッキーなんです!良かったらどうぞ」 ニッコリと笑って天王を見上げる。 天王は一瞬、笑顔を消して後方のリョウに視線を移した。 リョウは全く天王と目を合わせない。凍り付いたように動かない。 天王は亜矢に視線を戻すと、再び笑いかけた。 「ありがたく頂こう」 天王はクッキーの袋を受け取った。 「私は、前々から彼の作る菓子が好きなんだよ」 そう言って、天王はリョウの横を通り過ぎた。 すれ違う瞬間、天王はリョウに視線を向けた。 リョウはその視線に気付くが、口をギュっと結んだまま、立ち尽くしていた。 天王がその場から立ち去った後も、リョウは動こうとしない。 「リョウくん、どうしたの?行こう」 亜矢の呼びかけで、ようやくリョウは我に返った。 「天真さんも、リョウくんの作ったお菓子を絶賛してるのね」 やっぱりリョウくんはすごいなあ、と亜矢は感心する。 だが………リョウはその言葉にも答える事が出来なかった。 その頃のマンションの一室、グリアの部屋。 亜矢の部屋の右隣に住んでいる死神グリア。 グリアはベッドの上に仰向けに寝ながら、色々と考えていた。 グリアは、身近な所で起こり始めた大きな変化に気付き始めている。 亜矢は相変わらずだが、リョウの事。そして、今も影で動く天王の事。 今、亜矢とリョウを近付けるのは危険な事だ。 それなのに、亜矢は今日もリョウの部屋へと出かけている。 どちらかといえば嫉妬という意味でグリアはイライラしているのだ。 その時、突然何か軽くて小さな物がフワっとグリアの顔面に落ち、視界を遮った。 グリアが片手で顔面に落ちたそれを手に持って見る。 「………羽根?」 それは、小さな羽根が一枚。 よく見ると、薄いピンク色がかった不思議な輝きがある。 これに似た羽根を、どこかで見た事があるような……。 そう、これはまさしく、天使の……… そう思った瞬間、グリアが仰向けに寝ていた天井から、 ポンッ☆ 軽い爆発音がしたかと思うと、その煙の中から何かが落ちてきた。 それは仰向けに寝ているグリアの体めがけて落下した。 ドサッ!! 「きゃあっ!!」 叫び声を上げたのはグリアではなく、グリアの上に覆い被さる形で落下した人物の方だ。 それは、見た目は中学生くらいの少女だった。 少女は倒れかかった体勢のまま、少しだけ顔を上げた。 すると、目の前にはグリアの顔があった。 もう少し動かせば、唇が触れてしまうくらいの至近距離だ。 グリアは身動き一つせず、その鋭い瞳で少女を見つめ返している。 いや、睨み返していると言った方がいいか。 少女は一気に顔を赤くして慌て出した。 「あっ…!は、離れて下さいっ!!」 逆に、グリアは冷たいほどに落ち着いている。 「あんたがどけよ」 少女がグリアに覆い被さってるので、グリアの方から離れる事は出来ないのだ。 少女は『あっ!』と口を開けると、ようやくグリアから離れてベッドから下りた。 そして自分の胸元を押さえながら、呼吸を整えている。 「ああ~~びっくりした~~……」 突然、天井から降って来た人が言う台詞ではないのだが。 グリアはこの少女を見て、ある人物と共通するものを感じて少々面倒そうに思いながら身体を起こした。 「あんた、天使だろ?勝手にオレ様の部屋に降ってくるんじゃねえよ」 「えっ!?どうして私が天使だって分かったんですか!?」 グリアは溜め息をつきたくなった。調子が狂うこの感じ、アイツに似ている。 「背中に付いてるソレはなんだ?」 少女の背中には、羽根があった。それはまさしく、天使の羽根。 少女は慌てて、背中の羽根を消した。人間界では、天使は羽根を隠すのだ。 ……見られてから消したのでは、遅いのだが。 「私……レイナって言います。まだ、天使見習いなんですけど」 弱気に自分の名を名乗るレイナ。 「あの……あなたは?」 「オレ様は死神グリアだ」 グリアは立ち上がると、レイナのすぐ目の前に立った。 グリアはレイナを見て思った。やっぱりアイツに似ている、と。 ピンク色の髪、瞳。特有の不思議な雰囲気を持つ、この少女。 「え?え……あの…………?」 無言で見下ろされて、レイナは顔を赤くしながらオロオロしている。 先程の、至近距離でのグリアの顔が忘れられないのだろう。 ついには、恥ずかしくて顔をうつむかせてしまった。 「オレ様よりも、リョウに用があるんじゃねえか?」 レイナはハっとして顔を上げた。 「どうして分かったんですか!?」 「見りゃ分かるぜ。リョウの部屋は、隣の隣だ」 「えっ!?やだ、すみません……部屋を間違えました!!」 レイナは慌てて、玄関へと駆け出した。 そして勢いよく玄関のドアを開けた瞬間。 目の前には、リョウと亜矢が立っていた。 ちょうど、クッキーを渡しに来たリョウと亜矢が玄関のドアを開けようとした所なのだ。 リョウとレイナは顔を見合わせると、固まった。 リョウの隣にいた亜矢は、訳が分からずリョウとレイナの顔を交互に見る。 亜矢は、レイナを見て思った。 (すごく可愛い子……。誰かしら?) それよりも、亜矢の心に引っ掛かった事。 なんで、グリアの部屋に居たのだろうか? 何か、もやもやした感情が亜矢の中で沸き起こった次の瞬間、レイナがリョウに抱きついた。 「お兄ちゃん!!」 「えっ!?」 驚きに声を上げたのは、亜矢の方だった。 (リョウくんの妹!?) だが、リョウはレイナを見て喜ぶどころか、険しい顔をしている。 「レイナ……どうして、ここに?」 リョウの深刻な心情を知らないレイナは、満面の笑みでリョウを見る。 「お兄ちゃん、重要な使命とかで人間界に行ってから、全然帰って来なかったから……会いに来ちゃった」 その言葉に、リョウの顔色が変わった。 レイナの言う『使命』とは、1年前にリョウが天王から与えられた、『亜矢の魂を手に入れる』という使命の事だ。 レイナは、この1年間の事を知らないのだ。 リョウが天王から与えられた使命の内容も。 リョウが天王に逆らい、呪縛を受けた事も。 そして、今は天界に仕えるのを辞め、フリーの天使になった事も。 レイナはリョウに会えて嬉しさの余り、次々と言葉を続ける。 「お兄ちゃんは、私の自慢だよ。私もいつか立派な天使になって、天王様に仕えるの!」 「レイナ……」 リョウは、ようやくその一言だけを口に出した。 天使とは、基本的に天王を崇拝している。 レイナも例外ではない。例外なのは、リョウの方だ。 天使でありながら、リョウは天王に背いた。それは、歴史上初めての事なのだ。 元々、普通の天使では天王に会う事すら出来ない。 特別階級の天使であったリョウは、天王の行いを間近で見てきた。 レイナは、天王の本当の姿を知らない。 そしてリョウも、レイナに本当の事を話す事が出来なかった。 リョウはレイナの頭の上にそっと手を乗せると、ようやく優しいいつもの笑顔を向けた。 「来てくれて嬉しいよ。でも、ボクにはまだ使命があるんだ」 それは、亜矢を守るという使命。 天王の命令ではなく、自分の意志で決意した事だ。 「お兄ちゃん……どうしたの?」 その笑顔が、いつものリョウらしくない事をレイナはようやく見抜いたのだろう。 心配そうにリョウの顔を覗き込む。 リョウの心には、確かに迷いがあった。 今の不安定な自分の心のままで、レイナに会う事は出来ないと思っていたのに。 何か大きな変化が起こり始めている今、レイナを巻き込みたくない。 もうこれ以上、大切な物を失いたくないと思った。 ふとリョウが気付くと、いつの間にか亜矢の姿がそこになかった。 亜矢はリョウとレイナを玄関に残したまま、グリアの部屋へと上がっていたのだ。 亜矢はグリアの部屋に入るなり、問いつめるようにしてグリアに迫った。 「なんで、あの子があんたの部屋にいるのよ!?」 「ああ?」 いつもと違う亜矢の迫力に、さすがのグリアも圧倒される。 「リョウくんの妹のレイナちゃんよ!」 「ああ、さっきの天使の事か。やっぱりリョウの妹だったか」 どこか主旨のズレた返答をするグリアに、亜矢は苛立ってくる。 だが、グリアは至って落ち着いている。 「知らねえよ、あいつが勝手にこの部屋に降って来たんだからな」 「そうじゃないわよ!あんた、レイナちゃんに手出してないでしょうね!?」 何故、今日の亜矢はここまでして畳みかけてくるのか。 亜矢の心を見抜いたグリアは、ニヤリと得意の笑いを浮かべた。 「何笑ってるのよ?」 「いや……?ククク」 まさか、亜矢がこの程度の事で妬くとは。 これは面白いモノが見れたとばかりに、グリアは楽しくなってきたのだ。 「あんたでも妬くんだな?」 「なっ!?違っ………バカぁッ!!」 亜矢は勢いでグリアを叩こうとして片手を振り上げたが、簡単にその片手を掴まれてしまった。 それだけでなく、グリアは掴んだ手を力強く引き寄せ、亜矢に口付けたのだ。 「………………!?」 突然の事に、言葉も出ない亜矢。いや、今は口を塞がれているので当然だが。 いつもなら、こういった強引な『口移し』に対しては怒るのだが、今日の亜矢は違った。 『口移し』という名の『口封じ』が、亜矢の気を静めた。 無言のまま、二人はそっと離れた。 亜矢は落ち着いたというより、どこか呆然としてグリアを見ている。 「オレ様が、誰構わず手を出すとでも思ったか?」 「………違うの?」 亜矢は素っ気無く言い放った。 「そいつは心外だな」 そう言ったグリアの表情が真剣だったので、亜矢は何も言い返せなくなった。 亜矢がハっとして視線に気付くと、部屋の入り口にリョウとレイナが立っていた。 亜矢は衝撃に固まった。 (見られてた…!?死神との口移しを!!) リョウはそんな二人を見慣れているので顔色1つ変えないが、衝撃を受けているのはレイナの方だった。 (グリアさんが……キスしてた!?) レイナにとっては、純粋にグリアと亜矢がキスしているようにしか見えなかった。 いや、言葉の意味としては間違っていないのだが。 それぞれの衝撃に固まる亜矢とレイナ。 そんな中、グリアが不機嫌そうにしてリョウに冷たく言う。 「リョウ、さっさと連れて帰れ」 グリアは元々、天界や天使の事を毛嫌いしている。 そんな天使の中でも、グリアにとってリョウだけは特別な存在なのだ。 だが、レイナは帰るどころか、部屋の中へと入って来たのだ。 亜矢の目の前に立つと、弱気ながらも精一杯の力を瞳にこめて見上げた。 「あの………聞きたい事があるんです」 「……………え?」 訳も分からず、亜矢は気の抜けた声を出した。 とりあえず、亜矢はレイナとリョウを連れて自分の部屋へと帰る事にした。 グリアの部屋を出る時に、亜矢は本来の目的を思い出した。 再びグリアの前へと歩み寄ると、持っていた紙袋の中から小さな袋を1つ取り出し、グリアに渡した。 それは、亜矢がグリア用に作った砂糖控えめのクッキーだ。 「クッキー。リョウくんと一緒に作ったのよ」 照れ隠しなのか、亜矢はそれだけ言うとすぐに背中を向けた。 「待てよ」 グリアのその一言に亜矢が立ち止まり、振り向く。 すると、グリアは亜矢が見てる前で袋のリボンを解き始めたのだ。 そしてクッキーを1つ手に取り、口に入れた。 亜矢は、グリアの反応を待つかのようにじっと見ていた。 でも、反応は分かっている。いつも、グリアは感想は言わないのだ。 「まあまあだな。……また作れ」 感想とも言えない、グリアのその一言。 だが、それだけでも充分だっだ。 亜矢は嬉しくなって、照れを忘れてニッコリと笑いかけた。 亜矢がリョウとレイナを連れて自分の部屋へと戻ると、玄関で出迎えてくれたのは元気いっぱいのコランと……もう一人。 「アヤー!!お帰りなさい!!」 「よお。邪魔してるぜ」 亜矢は玄関先から叫んだ。 「魔王!?なんで居るのよ!?」 あたかも自分の家かのように、魔王は亜矢の部屋でくつろいでいた。 「家庭訪問だ」 ニヤリ、と魔王は笑う。 「そんな話、聞いてないわ…」 亜矢が脱力していると、魔王はレイナの姿を見て興味を持ったようだ。 「見慣れないヤツがいるな?」 レイナは魔王の鋭い視線にちょっと臆しながら、頭を下げた。 「天使見習いのレイナです」 緊張気味のレイナの横で、亜矢が付け加える。 「リョウくんの妹よ。あ、レイナちゃん。この人は魔王。本名は…なんだっけ?」 「魔王オランだ。てめえ、未来の夫の名くらい覚えておけ!」 「はあっ!?何よそれ、勝手に決めないでよ!!」 何やら亜矢と魔王が言い合ってる前で、レイナはキョトンとしてリョウを見る。 「お兄ちゃん、魔王さんって亜矢さんの婚約者なの?」 「う~ん、それはグリアが許さないと思うんだけどね」 リョウは相変わらずの調子だが、レイナはどこか深刻そうな顔をしている。 亜矢はクッキーの袋を取り出すと、順々に配り始めた。 「はい、コランくん」 「わーい!ありがとう!!」 「あ、食べるのは夕飯の後よ」 「うん!!」 いつも喜んでくれるコランに心が和んだ所で、次は魔王だ。 亜矢は少し警戒体勢を取りながらも、魔王と向かい会う。 「これ、あたしとリョウくんで作ったクッキーよ」 魔王は受け取ると、それを見て何かを考えているようだった。 「手作りだから、早く食べてね?」 すると、魔王は亜矢の目の高さまで身を屈めた。 「オレ様は、どちらかと言えば手作りよりも子作りの方が………」 そこまで言いかけた所で、亜矢が魔王にビンタを食らわせようと片手を振り上げた。 だが、見事にその手を掴まれ、不発に終わった。 「ククク、甘いぜ、亜矢」 くっ、と亜矢は悔しそうに睨んだ。 なんだか、前にもこれと全く同じパターンがあったような…デジャヴを感じる。 「安心しな。子作りは、あんたを妃にしてからだぜ」 「そういう事じゃないわよっ!!」 亜矢は、魔王の手を振り払った。 そんな二人を見ていたコランが亜矢の服をチョイチョイと引張った。 「なあなあ、『子作り』って何だ?」 「えっ!?コランくん……!!」 純粋すぎる瞳で問いかけてくるコランに、亜矢は困惑する。 「ヒャハハハ!!ガキにはまだ早えよ!」 笑い飛ばす魔王。 「オレ、ガキじゃないー!!兄ちゃんのバカー!!」 亜矢は、新たにもう1つクッキーの袋を手に持つと、独り言の様に言う。 「後は、ディアさんの分なんだけど…」 すると、コランが亜矢の前方を指差した。 「アヤ、ディアなら来てるぜ。ホラ!」 え?と、亜矢がコランが指さした方向を見ると、いつの間に来ていたのか、魔王の後ろにディアの姿があった。 ディアは主人である魔王に軽く頭を下げ、落ち着いた口調で言う。 「魔王サマ、魔界にお戻り下さい。仕事が溜まっております」 こうやって、いつもディアは魔王を魔界へと連れ戻しに来る。 魔王が人間界にいる間、魔界の仕事は全てディア一人に任される為、彼の苦労は半端なものじゃないだろう。 亜矢は、そんなディアにクッキーの袋を差し出した。 「はい。あたしとリョウくんで作ったクッキーなの」 ディアは、渡されたそれの意味を理解出来なくて驚いて亜矢の顔を見た。 「わ、私に……ですか!?」 「うん」 「ありがとうございます、亜矢サマ…」 ディアは、顔を赤くしながら受け取った。 何とも分かりやすい反応を示すディアである。 「あたしの事は呼び捨てでもいいのよ?」 亜矢は笑いながら軽い気持ちで言うが、ディアは真剣な表情になる。 「いえ。亜矢サマはいずれ魔王サマの妃となり、世継ぎを産まれるお方。決してそのような無礼な事は出来ません」 亜矢は溜め息をついた。 「ディアさんまで、そんな事を…………」 魔王といい、いつの間にそんな話が勝手に進んでいるのだろうか。 だが、ディアは至って真面目なのでさすがの亜矢もツッコミにくい。 「ヒャハハハ!!分かってるじゃねえか、ディア!」 「………魔王サマ、仕事が……」 「……チッ、分かったよ。クソ真面目なヤツだ」 そうして、魔王はディアと共に一時的に魔界へと帰って行った。 「で、レイナちゃん。あたしに聞きたい事って何?」 テーブルに着き、ようやく落ち着いた所で亜矢は向かい側に座っているレイナに聞いた。 コランは寝室になっている亜矢の自室で眠ってしまった。 この部屋には亜矢、レイナ、リョウの三人だけだ。 「亜矢さんには婚約者がいるのに、その……どうしてグリアさんとキス……してたんですか?」 ブッ!! ちょうど、ティーカップの紅茶を口に含んだ所だった亜矢は吹き出した。 「な、何よそれ!?あれはキスじゃないし、婚約者って一体何!?」 むせりながら一気にしゃべった為、亜矢は息を切らす。 「亜矢ちゃん、落ち着いて」 リョウは笑いながらも、さすがにレイナの大胆発言に焦っているようだ。 「亜矢さんって、魔王さんの婚約者じゃないんですか?」 「違うわ」 「じゃあ、グリアさんとは?」 「それも違うわ。あれはキスじゃなくて、『口移し』。儀式みたいなものよ」 レイナは、気が弱そうに見えて核心に迫る発言をする。 でも悪気は全くないし、純粋な心を持って言うからこそ、反応に困る。 「亜矢さんにとって、グリアさんはどういう人なんですか?」 亜矢は言葉を返せなくなった。 今、ここでそんな事を聞かれても………。 いつもみたいに、グリアの事を否定出来ない。だからと言って、素直に言えない。 なんでだろうか。こんなに返答に困るのは、相手が女の子だから? 「なんで、そんな事を聞くの?」 亜矢が口に出したのは、質問の答えではなく、疑問。 レイナはちょっと頬を赤く染めて、俯いた。 「……自分でも分からないんです。でも……グリアさんは、素敵な人だな……って」 その一言で、亜矢もリョウもレイナの心を察した。 レイナは、グリアの事が………。 気を遣ってか、リョウが急に立ち上がった。 「レイナ、もうこんな時間だからボクの部屋へ戻ろう」 リョウはレイナを連れて、部屋から出て行こうとした。 ふと、リョウは亜矢の方を振り返った。 亜矢は俯いたまま、二人の方を見もしない。 (亜矢ちゃん……) リョウもまた、そんな亜矢を見て様々な思いを巡らせていた。
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