一年前

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一年前

 強く輝く太陽に肌をこんがりと焼かれる昼下がり。大通りには懲りない盗人、それを追う衛兵、それを更に追っかける僕。変わらない日常がある。 「待ってベルガーさん! 一人で追わない方がいいです。どうしても行くなら槍を忘れないで。鉈だけじゃだめですよ」僕は前を走る衛兵のベルガーさんに向かって叫んだ。 「おお、シュバ。いいところに来た。駄賃をやるから、あいつを捕らえるの手伝え!」 「はいよ! 今日は銅貨を三枚ね!」今日の夕食と明日の朝食は確保! 思わず拳を握った。任せてください。僕が何とかしますから!  僕は一次的に雇用主となったベルガーさんと共に駆け出した。昼下がりの大通りは買い物客や品出し中の牛車で溢れかえっていて、全速力で走るのは街の地形に詳しい者でも難しい。僕とベルガーさんは盗人と付かず離れずの距離を維持していた。 「おっと、危ない。ごめんなさい!」気を付けろ、と怒声が背後から飛んでくる。僕は前方不注意で露店に突っ込みそうになって、すれすれで回避した。大通りに溢れる店の大半は、木と布とござで作った即席の物。捕り物や喧嘩のせいで露店が破壊されるのも日常風景の一つではあった。 「あの盗人、なかなかやるな! このベルガーでも捕まえられんとは」確かにそうだった。ベルガーさんと僕は、言うなればこの街の守護者。(自称だが)何度も盗人を捕まえてきた。ここまで追いつけないのは結構腕の良い盗人ということなのだ。 「シュバよ、なんで儂一人で追わない方がいいと言った? 槍はこの通り持っておらんぞ」ベルガーさんは息を切らしながら先ほどの話に触れた。 「あいつ、外套の下に武器を忍ばせています。長柄の獲物だと思いますよ!」僕は自信満々に進言する。 「おお、よく見ているな。確かに長柄に鉈だと分が悪いな」  この辺りでよく使われる獲物と言えば鉈だ。少ない鉄と木で作ることができるし、重さで叩き斬るような使い方だから錆びても結構使える。剣ほど管理に気を使わなくて済むというわけだ。つまり剣というものは晩飯の心配をしているような貧乏人には持つことができない代物っていうことだ。  槍も剣ほどではないけども、結構な高級品で衛兵のベルガーさんみたいに国から支給されないとなかなか持てないのが実情だ。 「はぁ、はぁ、しんどいけどもう少し! あ、クリガーさん、あいつの入っていった路地は二股です。僕は右から回り込みますから!」  こんな感じで、その日の夕食にありつくのにも命がけの日々なのだ。ああ、お腹すいた。  僕はオンケル傭兵団のシュバ。十三歳だ。自称『銀色のシュバ』だ。この国で銀髪はとても珍しくて、皆の髪の色は大体は黒が茶だった。  この傭兵国家トラオームに移り住んで五年くらいになる。この間までは傭兵団の団員としてごく普通に暮らしていたんだけど、近頃困ったことになった。  僕の所属する傭兵団が壊滅寸前の状態なのである。今日はがらんとした団の詰め所で、これからのことを全員で相談するところだった。 「しかしな。団長がまさか死んじまうとはなぁ」僕より少しだけ年上のクンパが大きなため息を漏らすと、道端で昼寝している猫が飛び起きる。屈強な体に短く刈り上げた黒髪は大人顔負けの戦士の様だ。 「あたし達の命の恩人。いい人だった」イアは俯いたままぼそりと漏らした。長い髪で表情は隠れているが目が少し赤くなっていたのがちらっと見えた。 「うん。看取ることもできなかった」  僕ら三人はオンケルさんって人が団長の傭兵団にいた。過去形だ。僕ら三人とも寝床にも食べ物にも困っていた頃に彼に救われたんだ。オンケルさんがいなかったら、とっくにのたれ死んでいたと思う。  この間、僕ら三人が同行しなかった仕事でオンケルさんは死んだ。このトラオームから馬十日の距離にあるフェアケルという貿易都市での仕事だった。その都市は最近急に治安が悪くなったと聞く。通り魔も増えたらしい。オンケル傭兵団の仕事はフェアケル近郊の治安調査だったそうで予定では戦闘は発生しないはずだった。誰かと争った形跡はあったそうだけど、死体は見つからなかった。まぁ、放置してると数日で鳥や獣に食われちゃうから、それは仕方ない。 「オンケルさんは残念だけど。僕らはこうして生きている。食べていく方法を考えないと」 「そうだな」 「仕事、めっきり減っちゃったね。これからどうやった食べていこうね」イアが深くため息をつく。  団長亡き後、あれよあれよという間に人が去っていき、二十人ちょっといた傭兵団も今や三人だ。もちろん、僕とクンパとイアの三人だ。 「お、ベルガーさんじゃねぇか」食い物持ってきてくれたのかな、とさっきまで机に突っ伏していたクンパが起き上がりベルガーさんを迎えた。 「お前たち。仕事の話がある」 「待ってました」僕はぱちんと大きく手を叩く。 「すまんが、これが最後の仕事になるかもしれん」 「え、やっぱりオンケルさんがいなくなったから?」イアはどことなく予感していたような聞き方だった。 「そうだな。三人の傭兵団に出せる仕事はあまりないからな。知っての通り大半が『荒野』の仕事だ。今日の仕事だって荒野でもまだ近場の方だから持ってきたんだ。三人では手ごわいぞ」  依頼は盗品の奪還だった。襲われた商隊の生き残りが懸賞金をかけたそうだ。襲った盗賊達の住処はわかっている。トラオームから馬で半日の距離だった。遠征は準備にも金がかかるから近場なのはありがたい。  荒野は野党やら盗賊やら無法者の巣窟なわけだけど、街に近いところの掃除は粗方済んでいて、僕らにもかろうじて機会があるってわけ。でも、荒野の奥深くは相当やばいので僕らには任せられない、というわけだ。実際、荒野の奥まで入ると二組に一組が帰ってこないらしい。  さて、今回の仕事だけど、問題なのは敵の数だ。盗賊は八人いるらしい。イアを戦闘員として数えることはできないから、実質二人で八人を相手にしなければならない。生け捕りなんて考えてはいない。皆殺しにするしかない。さてはて。 「俺とシュバだけで八人も倒せるかな」 「ごめんね。あたしが戦力にならなくて」 「イアは戦闘は出来ないけど、立派な戦力だよ」イアは確かに戦闘はできない。しかし彼女にしか出来ない大事な役割もあるんだ。  しかし、どうしようか。命あっての人生。勝算が無いなら避けるべきだとは思うが、決めかねていた。やりようは、なくはないんだが。 「俺、やってみたい。どうせこのまま過ごしていたら最後は盗賊になっちまうんだと思う」  食べ物が買えないなら。作るか盗むしかない。恐らく後者になる。クンパの言うとおりだろうね。 「シュバはどう思うんだ?」 「力を高めておきたいとは思うよ。敵を殺す純粋な力も、集団戦を制する知略も」  この先、生きていくのに必要な力が足りていない。それは間違いないから。 「でも、力って必要になるの? シュタルトが戦争をやめてから十年以上経つんだよね? オンケルさんがそう言ってたの覚えてるの。これから戦争って起きるの?」 「もし、戦争を再開したらどうする? 昔のシュタルトは数百年間も戦争を続けていたんだろう? 平和なのは長い歴史の内、この十数年ぽっちだ」クリガーさんは真顔で言った。  オンケルさんは、この大陸の歴史は血に染まっている、滅亡に向かっているのは今も変らないって話してくれたことがある。誰も平和を保障していない、今の平穏はたまたまってことなんだと思う。  実際に、五年前は五十を超える国があったそうだけど、今は片手の指で数えられる国しか残っていない。 「争いなんて大嫌い。平和に生きていきたいのに」イアが涙目で訴えるように僕を見る。僕に言われましても! イアの顔を間近でみると、こんな時なのにちょっと鼓動が速くなった。 「あそこに攻められたらどんな国でも滅んじまうんだろ? この大陸を統一する気かよ」  よし、決めた。 「来るべき日に備えて修行といこうじゃないか。願わくば、オンケル傭兵団を復興して真っ当に生きていこう!」  この仕事、受けようか。僕がそういうと、 「しょうがないわね。シュバがそういうなら、いいよ」「お前がやるなら勿論、乗るぜ」と言ってくれた。  やってやろうじゃないか。大人がいなくたって上手くやれることを証明してやる! 僕が何とかしますから! この銀色のシュバ、最年少ながら新団長の座を狙っております! 「僕は剣術はからっきしだから、戦術を考える役と武器を発明する役ね」そう言うと、いつものことでしょ、と二人同時に返された。  前衛は無敵の勇者クンパ、偵察は天然色の美少女イア、現場指揮は天才兵略家のシュバ。オンケル傭兵団の全戦力を投入した最強の布陣だ。  僕たちは入念に準備をして二日後に出発した。  僕たちはトラオームを出て『荒野』に入った。荒野とは国や街がない地域の総称であり、基本的に野党の巣窟だ。  シュタルトに侵略された貿易都市は制約はあれどそのまま存続することが多い。しかし軍事力を有する国家であればそうはいかない。かつてのシュタルトは『大陸制覇』を掲げており他国の存続は一切許さない勢いで侵略を繰り返していたらしい。滅ぼされた国の多くは城に限らず民家まで灰塵と化した。つまりシュタルトが荒野を増やし続けて、増えた荒野は別の荒野と繋がることで無法地帯は拡大の一途を辿ってきた。  だからトラオームという野党退治専門の傭兵国家が成立するのだ。大規模な戦争に従軍する傭兵ではなく、少人数の盗賊や山賊との小競り合いを専門とする戦闘集団だ。  この大陸は元々緑は少ない。東のノイトラと呼ばれる国の辺りまで行けば自然は豊からしいが。荒野も例外ではない。木々は少なく、砂漠のような地層も多い。とても人が住みやすい環境ではなかった。でも国を奪われた人。追われた人。みんな、荒野に落ちていく。 「予定通りの到着ね」 「ああ、腕が鳴るぜ」  僕らは太陽が昇る少し前の時間を狙って来た。最も深く寝静まっているところを狙う。少しでも戦力差を補う工夫は必要だ。  「あの廃墟だね」イアが示した方向を見ると松明が見える……見張りを一人確認できた。石造りの砦跡だが崩壊寸前のところを無理やり補修しながら使っているのか今にも崩れそうだった。どれだけ有利に侵入できるとしても、戸をくぐるのはお断りだ。  僕らは運が良い。周辺には他の建物がなく、標的の盗賊が根城にしている一軒のみ警戒すれば良さそうだ。  前にオンケルさんのお供をした時のことだ。標的の盗賊団は放棄された村一つを根城にしていた。村一つが戦場となるとただの籠城戦ではなく、迂闊に入り込むと死角から手痛い反撃を受けることになる。戦いは一昼夜にわたり激戦を極めた。最終的に盗賊団を殲滅できたが、味方にも相当な被害が出た。それだけ攻め手は地形を警戒する必要があるわけだ。  付近を見回すと背の低い木々が点々としか生えていない。向こうに察知されやすく接近も楽ではない。夜でなければこの距離でも既に見つかっていたかもしれない。まさに荒野の一軒家だ。こんなところに住処を構えるなんて信じられない。ただの阿呆か余程腕に自信があるかだ。 「イア、偵察を頼めるかい?」 「任せて」  イアはそろりと動き出す。途中で小石を何個か拾いながら、線の細さを活かして僅かな木々に隠れたり、外套を全身に巻いて砂地に伏せつつ慎重に進んでいく。 「いつものことだけど、心配だな。俺たちも行こうか?」 「まぁ、待とう。まだ大丈夫」僕は焦るクンパを制した。見る限り今のところ危険はない。それにこれは彼女に任せるのが最も成功率が高い仕事なんだ。それにクンパ、君の図体で偵察は向かないよ。きっと、大男が突撃してくるようにしか見えない。  イアは根城の入り口近くまで進み、見張りの背後に石を投げる。見張りは異変を察知して付近の偵察に動いた。入り口が無防備になる。イアはすかさず窓から中に小石を投じ――動きがないとみると中に素早く飛び込んだ。 「あ、イア、入っちまったよ。大丈夫かな?」 「信じて待とう」短気な奴め。彼を抑えるためにも自分は冷静でいなければ、と再認識する。  僅か数秒でイアが出てきて一目散に退散する。間一髪だ、戸口に見張りが戻ってきた。 「イア、無事でよかった」 「大体わかったよ。数は外の見張りも含めて六人。情報よりも二人減ってるみたい」  分け前で揉めて消されたのだろうか。よくあることだけど僕らにはありがたい話だ。 「中は三人寝てた。二人は起きてた。槍が四本あったよ。後、大ぶりの鉈が二本壁に立てかけてあった。剣は確認できなかったよ」 「相変わらず、すごいなイア。あの一瞬でそこまで把握したんだ」 「あたし、眼だけはいいの。夜目もきくし」  これがイアの力だ。ぶっとんだ動体視力と記憶力。僕は『鳥の眼』と呼んでいるが夜目もきく分、鳥を超えているかもしれない。彼女は能力を発揮したのは今回が初めてではない。肉弾戦が不得手な女の子が、この血なまぐさい傭兵団で生きてこれたのは理由があるのだ。 「よしクンパ、準備はいい? 僕らも行こうか」奴らの根城は平屋だ。二階の警戒はいらない。恐らくイアの偵察どおりだろう、違いがあるとしても誤差だ。六人なら不意を突けばいけると踏んでいた。 「あれの装着もよし、いけるぜ。ん、シュバ、それはなんだ?」  僕は吹き矢を咥えたところだった。矢には菫から抽出した毒を塗ってある。また重量を上げた特別製の矢じりを使っており、薄手の皮鎧なら貫通できる優れものだ。 「見張りは僕が始末する。吹き矢が当たってから一分もすれば動きを止められる」僕は自信満々に吹き矢を掲げた。 「菫の毒なんだ? 効くの?」 「見張りは俺に任せてくれていい。俺なら十秒あれば始末できる」 「そうだよ。シュバは安全なところにいて。あまり無茶しないで。司令官さん」 「ああ、そう」吹き矢の初陣は先延ばしになった。心配してくれるのは嬉しいけど二人の物言いは少々気に入らないね。僕だってクンパの負担を減らすために色々考えているのに。  いつまでもぐちぐち言っていると、イアにまた女々しいとか言われそうだから、程ほどにしておいた。 「わかった。見張りの始末はクンパに任せる。始末が終わったら、炙り出しを開始するよ」  クンパは頷いて行動を開始した。  彼も巨体の割には速やかに標的に忍び寄る。見た目は剛腕の肉体派だけど結構動きは速いのだ。この大陸には昔、虎という最強の獣がいたそうだ。文献を読む限りクンパは虎に似ていた。でかい、素早い、強い。そして誰にも媚びない、屈しない、誇り高き戦士。ちなみに虎は猫に似ていると記載があったけど、化け物みたいに強い猫ってどんなものだろうか。 「ぐがっ!」  クンパは背後から見張りに組み付き一瞬で締め落とした。そして無防備にさらけ出した首元を間髪を置かずに踏みつけて殺した。なるほど、確かに十秒くらいだ。  僕はクンパの仕事を確認してから火付け石で松明に火を付け、用意してきた布袋を炙る。袋から煙が出始めたら、すかさず窓に投げ入れた。 「下がろう」クンパと僕が戸口辺りから離れると同時に、腹に響くような爆音があり、一拍置いて悲鳴と怒号が聞こえてきた。よし、成功だ。  我先にと煙が意志を持ったかのように空気を求めて窓から溢れだしてくる。さっきの革袋は煙幕爆弾。籠城する敵を炙りだすために作った僕の発明だ。  作り方はクンパとイアにしか教えていない。炭と硫黄といぶし草を粉末にして加熱すると上手くいくんじゃないかって、ある日ふいに閃いた。材料は運よく団の詰め所にあった。案の定上手くいって傭兵団で即採用というわけ。  僕とクンパは左腕を戸口に向けて真っすぐに伸ばし、しばし待つ。 「今だよ!」イアの合図で左腕の手甲から矢が飛び出し、煙の中に吸い込まれた。命中したかは分からない。  僕とクンパが付けている手甲には隠し武器が仕込んである。弩砲を腕に装着できるくらい小型化したもので、仕込んでおけば矢を二連射できるのが強みだった。外から見ると手甲にしか見えない。これも僕の発明だ。僕とクンパで合わせて四本の矢を撃ち終わると、腰から鉈を抜いて構えた。  またか。鉈を握るといつもこうだ。  何時からか覚えていないけど、獲物を手にするとどうにも気分が悪くなる。精神的に持ちたくないというか。握った途端に手放したくなるというか。病気なのだろうか。戦いたくない病か? そんな病名は聞いたことがないが。 「多分、矢は三人に当たってる。死んだかはわからないけど」三人に当たったのは上出来だ。  煙の中から盗賊が飛び出してきた。「二人だよ」イアがそう叫ぶとクンパが大地を蹴り飛び出した。凄まじい瞬発力で間合いを詰め、狼狽えている盗賊の一人目の頭に鉈を叩きとして始末した。 「もう一人は下!」煙から逃げ出した最後の一人は地面に伏していた。倒れたわけではなくクンパの足を狙うためだ。「クンパ、危ないよ!」イアが再び叫ぶ。 「ああ、わかってる」盗賊は中腰でクンパの足首を鉈で水平に薙ぎ払おうとしたが、クンパはそれより速く盗賊の顔面を蹴り上げて間一髪防ぐ。そしてすぐさま頭を踏みつぶして絶命させた。ちなみにクンパの靴は僕の特別製で底には鉄板が仕込んである。彼は全身凶器なのだ。 「よし、煙が晴れるまで一旦引こう」僕らは一旦、木陰まで引いた。クンパが奮戦している間に矢は補充したのでいつでも弩砲は使える状態だった。 「五人、六人……うん、全員倒れているのを確認できたよ。おしまい!」今回の任務も彼女に助けられた。クンパも圧倒的な強さで間違いなく戦闘の要だった。  僕が一番働いていないな。ちょっとだけ申し訳ない気分になる。なので「盗品探し、僕がやります」と事後処理は率先してやることにした。 「お手柄だったな。三人とも無事でよかった」団の詰め所に帰還するとクリガーさんが心配そうに出迎えてくれた。 「運もよかったですが、上手くいきました」 「俺の活躍が大きかったろうな」クンパは力こぶを作ってにやりと笑った。 「あたしの索敵のおかげでしょう?」 「まぁ、三人のうち誰か一人が欠けてもだめだったと思うよ」これは本当にそう思う。 「そうだな」「そうね」その点は二人とも同意らしい。 「お前たちに言っておくことがある」クリガーさんは改めて切り出した。「今日の夕刻に城門前の広場で大規模な募集がある」 「何の募集なんですか?」聞いてはみたが、携帯弩砲の矢も煙幕爆弾も在庫切れでいい募集だったとしても参加は難しいと踏んでいた。僕も含め皆の疲労も気しないといけないし。 「義勇軍の募集だ。シュタルトがノイトラに宣戦布告をした」  戦争が始まる。命の浪費だ。恐ろしいはずなのに、何か大きなことが始まる前の期待のような感情が胸の中に湧き始めていた。 「我らが国王の判断は……ノイトラに加勢するとのことだ。トラオームの建国時には多大な支援を受けているからな」 「ふーん。オンケルさんの話だと、ノイトラの女王に惚れていたんでしょう? うちの王様」 「いや、女王ではなくて、その娘だな」 「惚れた女のために、トラオームの兵には死んでくれと」阿呆らしい。まっぴらだった。僕も、そんな燃えるような恋がしたいぜ。どれほどいい女なんだろう? イアより可愛いのかな?  遥か西にあるシュタルトが、遥か東にあるノイトラに戦線布告をしたという事実。それが意味することは。  軍事大国シュタルト。軍事力は大陸一を誇る。もっともこの大陸で他に国と呼べるのはノイトラと、このトラオームだけなんだけど。他の国はみんなシュタルトに滅ぼされた。そして新しい国も何十年もできていないから、この大陸は破滅に向かっている。  我らがトラオームは傭兵が中心になって作った自治国家で一代で創りあげた砂のお城みたいなものだった。簡単に作れてすぐに壊れてしまう危ういもの。王様も王族も最初に名乗ったもの勝ちだったらしい。  歴史が浅いとか、国として弱いからシュタルトに潰されずに済んでいるかというと、そうではない。荒野をうろつく野党狩りをせっせとやっているかららしい。大人たちは皆そう言っていた。なぜかって? 野党を生み出している原因はシュタルトにもあるからだ。  シュタルトは降伏をしない国は二度と再興できないくらい破壊する。お城とか建物はきっちりと更地にする。降伏すれば皆殺しは避けられるが、軍隊と金と食べ物の大半はシュタルト本国に移送されることになる。シュタルトはそうして五百年をかけて肥大化していった。  そうした中で、シュタルトに国を滅ぼされ行き場を失った兵隊たちは他の国に亡命するか野党になるしかないのだ。仕える国は数が限られる。どんどん減っていってるからだ。となると選択肢は少ない。だから増え続ける野党を狩ってくれるトラオームは利用価値があるから滅ぼさない、と考えられている。  トラオームは除外すると、この大陸で歴史のある国として残っているのはシュタルトとノイトラだけだ。  最後の二国になってから十数年が経っても戦争は起きていなかった。  つまりシュタルトは大陸の覇者になる直前でぴたりと侵略戦争を封印したことになる。もっともシュタルトはノイトラと国交があったらしいので戦争するまでに至らなかった、或いは何者かが策を講じて戦争を回避し続けているのではないかと言われているが真相はわからない。  止まったはずの大陸の時が動き出した。十数年ぶりに侵略が再開される。  東の大国ノイトラ。シュタルトとは対照的で一切の軍事力を有していない国だった。軍事力の代りに発達した医療知識と国土の大半は豊かな緑が占める、平和な国だ。  死んだ母の話によると、僕はノイトラの生まれらしい。まったく覚えていないのだけど。ノイトラの生まれだからといって侵略から祖国を守らなければならないなんて義憤は湧いてこない。今大事なのはクンパとイアと僕に親切なトラオームの住人の命くらいだ。
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