リントヴルムの兵略

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リントヴルムの兵略

 覗き込むと、そこには確実な死が形を成して流れていた。地鳴りを起こし土埃を巻きあげ。  見ているだけで足が竦み鳥肌が立つ。私達は高台から、眼下に広がる絶望的な光景を言葉もなくただ眺めるしかなかった。その時は眺めるだけで精一杯だったのだ。  街道を占拠し長蛇の列を築いて進軍する様は遠目に見るとまるで一つの生き物の様だ。  その実……鉄の鎧に身を包む屈強な歩兵や、一射で騎兵を五人はまとめて殺せそうな巨大な弩砲。岩を掲げた投石機らしきものは攻城兵器だろうか、初めて目にする。  これが軍事力を持たない国を蹂躙するための軍団なのだから恐ろしい。この光景を記録するとしたら、形を持った死、死を呼ぶ河、悪魔の軍勢、百人見れば百通りの解釈になるだろう。  走らせた斥候の報告では敵兵の数は十万とのことだったが、あまり意味がない情報だった。なぜならば……。 「シュバ、本当にやれるのか? 俺だって死ぬのは怖い」  クンパは国で一番の戦士だが、彼のような猛者でもこの光景を前に足が僅かに震えている。それもそうだろう、これから十万の軍勢に対して背後から突撃をかける。軍隊を持たないノイトラに到着される前に何が何でも進軍を止めなければならないからだ。  仲間はたった三十人。指揮官は私だ。これだけ寡兵だと敵軍の数なんてどうでもよくなってしまう。私が皆を死地へと赴いたのだ。 「ああ、やれるよ。私を信じろ」少し間を置いてから答える。  いくら大丈夫だと言っても眼下に広がるこの光景を一度見てしまうと、信用しろという方が無茶だ。どんな詐欺師でも納得させる理屈は練られない。あの話をしてしまうなら別だが、まだその時ではない。  義勇軍に志願なんぞしなければよかった。誰もがそう後悔しているはずだ。しかしクンパ、私だって、怖くないと言えば嘘になる。やるしかない! 我々に、特に私には選択肢が無いんだ。私は喉まで出かけた本音を飲み込んだ。 「あいつら十万もいるんだぞ。見たことのない巨大な武器だって沢山ある。俺たちはたった三十人。魔術でも使うつもりか?」そんなものが本当にあるのなら私だってすがりたいよ。思わず呟いた。変えられるなら、この後に待ち受ける運命を変えてしまいたい。  私は、この後に何が起きるか知っている。  負けるつもりでここまで来たわけではない。私の命が終わろうが、敵軍は必ず壊滅させて見せる。あいつらをノイトラには絶対に到着させない。 「イア。君の力が必要だ。辛い戦いになるが頼む」この少女の力も必要だった。長い髪と切れ長の目は歳に見合わない大人びた魅力を引き出しているが、この中で最年少だ。この娘を死なせないためにも、やるしかない。 「もちろん! あたしシュバについていくよ。ここまで来たんだもの」少女は気丈に微笑んでくれたが唇が小刻みに震えている。でもその気持ちが嬉しい。彼女の微笑みには何度救われたことか。 「あー、くそ! イアにそう言われたら俺がただの臆病者みたいだ! こうなったら腹をくくるさ! やって見せる!」  イアが覚悟を見せた手前、若き勇者は引くに引けないことになった……恥をかかせてすまんクンパ。 「ねぇ、シュバの兵略ってどんなものなの? ずっと秘密にしていたけどそろそろ教えてよ」 「敵軍を狭いところに誘いこんで、一度に戦う数を減らすって戦術じゃないよな? ある程度の兵士がいるなら話は別だが、俺たちの数だと成立しないぞ」 「ああ、わかってるよ。少なくても正面から戦うような策ではないよ。実際に、魔術のようなものかな、『リントヴルムの兵略』はね」 「リントヴルムっておとぎ話の?」 「あの強くて悪い竜のことだよな?」 「ああ、そうだ。我々が仕掛けるこの兵略は邪悪なものだ。例えるなら……悪魔の力だ」 「シュバ、本当にそんな危険なものを頼っていいの? 悪魔は力の見返りに大事なものを奪っていくって……おとぎ話を知ってるんだ。なんだか不吉だよ」イアが不安そうに私の顔を覗き込む。 「それならば大丈夫だよ。代償は既に用意してあるから」  二人ともいまいち腑に落ちないようだったが、今は言わない方がいいんだ。いずれわかるから今は黙っておこうと思う。 「ごめん、気にしないで」  大丈夫、必ず成功するから。自分に言い聞かせるように胸の内で何度も呟いた。 「シュバ、敵軍の最後尾が見えたよ」イアが指をさした。大蛇の尻尾が波打つようだった。 「よし行こう。リントヴルムの降臨だ!」  腰に剣を差し、背には槍を担いだ。額の汗を拭ってから兜を深く被る。いずれにしても後戻りはできないから。前に進むしかない。前に進んで十万の兵をこの世から消滅させる。私は唇を強く噛み締めた。
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