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2。神の化身
「谷サン?」
「……」
恐る恐る呼びかけたが、返事はない。
「さっきの『夢の島』、どうやったら行けるの?」
「……」
まあいい。起きたらまた聞く、それでいい。いいじゃん、谷サンって良さげな人じゃん。見た目冴えないオジサンだけど全然アリだ。アタシがずっと探している「幸福の夜明け」は、夢の島とやらよりむしろ、こんな何の変哲も無い狭い部屋で見つかるのかもしれない。
……ありふれた日常の中に幸せか。それじゃあ子ども騙しな寓話だわね。自嘲して一息入れた後、蛍光灯からぶら下がる紐を引っ張った。
さて、庶民派王子が目覚めるまで何をしようか。家庭的なことは一切やらないし、そういえばアタシには他人様の役に立てる芸が何もない。この身体だって、価値があれば恋人たちはもっと優しくしてくれただろう。
「それ以前に、気味悪がられるけど?」
「……」
谷サンの表情筋はピクリとも動かない。今すぐ出て行くのは勿体無い気がした。唐突だけどこれだけ本があるのだし、お行儀良く読書しつつ起きるのを待とう。片目の街に入れば片目をつむるべし、とはアタシの故郷の諺だ。
しかし表紙から静電気が走る気がして、伸ばした指を引っ込めた。罠かもしれない。やたら物の多い部屋のくせして、どこに何が置いてあるのか几帳面に把握してる男もいる。というか、いた。
ああ。盗った盗らないで殴られるのはもう嫌だ。
「王子も殴るかしらね」
「……」
そしたら一目散に逃げよう。当分起きる気配がないからいいや、面白半分、慰み半分で、一番手近なジェンガの天辺に両手を添えた。そして慎重に持ち上げる。不必要なチョッカイを、ついかけてしまうのがアタシの悪癖。機嫌を損ねて怒鳴られでもしたら一大事なのに、今もたかだかジェンガごっこに命を賭けている。
「バニラ色?」
「……」
掴んだ古本には「バニラ色の地図」というタイトルが書かれていた。
王子。バニラ色とはどんな色でありますか?
ふと蘇った。そういえば「バニラ」って名の女がいた。肌がバニラアイスのようにひんやりと白かった。ほのかな香りが、口直しにちょうど良くてね。
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