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それからというもの、彼女と頻繁に公園で顔を合わせるようになった。
バイトが終わった帰り。公園を通ると大抵彼女がベンチに座っている。
着ている洋服や持っているカバンから仕事帰りには見えない。たまたま散歩に出ているだけなのかなんなのか。少なくとも俺を待っているわけではなさそうだ。
三度目に彼女を見かけた時、前を素通りするのもなんとなく気が引けて、挨拶で声かけをした俺。そこで初めて彼女は俺に気がついた。
それからなんとなく世間話をするようになって、気付けば立ち話が座り話になり、彼女が自販機の飲み物をおごってくれ、お返しに翌日は俺がバイト先から飲み物を買って来る。
毎回他愛もない話しかしていないのに、気付くとそこかしこから聞こえていた蝉の合唱は止んでいて、辺りは宵闇に包まれている。
俺の隣で、ごくごくと喉を鳴らしながらアイスティを飲んでいる彼女の、カップを持った左の手元が街灯に反射してキラリと鈍く光った。
「せっかくの夏休みなのに、バイトばっかりしてていいの?」
釣り気味なのにきつすぎない大きな瞳に見つめられ、俺の心臓がドキッと小さく跳ねあがる。慌てて視線を逸らし、手に持っているコーラに口をつけた。
ああもうすっかり気が抜けてるじゃないか。炭酸の泡すら見えない。
「たまには彼女とデートでもしたらいいのに」
容赦のない言葉がグサグサと胸に刺さる。
『儚げ』だと思った彼女の印象は、こうして世間話をするようになって、すぐに覆された。
「そのカノジョとは、別れたばっかなんで……ああ、もう!生傷抉ぐんないでくださいよ……」
「あらら、まだ乾いてないんだ?」
「なっ、余計なお世話!」
「ごめんごめん。若者に余計な世話を焼きたくなるのは、おばちゃんの証拠ね」
「べつに……おばちゃんだなんて思ってない」
「ふふ……おばあちゃん子くんは優しくていい子ね。でも、悪い女に騙されないようにね?あ、もう騙された後とか……」
「失礼っすよ!別に騙されたわけじゃ……」
ないと思いたい。たとえデートやプレゼントにバイト代をつぎ込んだ挙句、他の男に乗り換えられたのだとしても。
尻切れトンボな俺の言葉に、お姉さんが「あら、遅かったのかしら」と言う。彼女は見た目に反して、結構容赦のないタイプだ。ズバズバと確信ばかりを突いてくる。
「もう……放っといてくださいよ……」
「きっときみならもっといい子がすぐに見つかるわよ」
「他人事だと思って………、そっちこそどうなんすか?」
「え?」
「旦那さん帰って来る時間じゃないんですか?」
ペットボトルを握る左手に視線を送る。
「いいんすか?こんなところで俺と喋っててばっかで。旦那さんのバンメシとかあるでしょ」
さっきの意趣返しだ。
俺だってそんなに"いい子"じゃないんだ。そう思いながら、手の中ですっかり温くなったコーラの残りを一気に飲み干した。
「………なら……ったのに………」
腹の底から絞り出すような掠れた声が聞こえ、思わず隣を見る。
まっすぐ前に向けた顔。どこを見ているのか分からない瞳。
街灯に照らされたその横顔は、ぞっとするほど美しく、そして今にも消えてしまいそうで―――
声も出せずにその横顔を見つめる視線に気付いた彼女が、俺の方を見て「なんでもない」と笑った。
その顔は、まるで泣くのに失敗したような顔だった。
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