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 からりと晴れた今日。春真っ只中で、心も体も、そよぐ風も軽い。ディオは時間通りに自分の働く事務所にいた。その事務所は一見寂れた廃墟一歩手前のような外観をしている。しかし中は清潔に整えられていた。空調も完璧。なにより特筆すべきはセキュリティ。指紋と虹彩による本人チェックをパスしないとネズミ一匹入れない。  ディオのデスクには折りたたみ式ではない鏡が置かれている。彼の一日はその鏡を覗き込むことから始まる。そこに映るのは息をのむような容姿の男。  ぱっちりとしたアーモンド型の目。その瞳の色は柔らかい藍色。サラサラと流れるのは金糸雀色の美しい髪。  町を歩けば誰もが振り返る。彼は自分の外見に絶対の自信を持っていたし、本当にそれだけで人生を切り開いてきた。  そんなディオの悩みは、野郎ばかりのこの職場ではそれは通用しない、ということ。 「また騙された!」  すがすがしい朝をその叫びが崩した。彼はそう叫びながら事務所の扉を開いた。薄暗い金髪が太陽の光を浴びて、虹色に輝く。挨拶もせずにそう言った彼は五日ぶりの出勤だった。一瞬だけ集まった数名の視線はパラパラと自分の手元へと戻っていく。 「騙された騙された騙された……! 何がいけなかったんだ!」  周りの人間の存在など彼には関係がない。ヒステリックに叫び散らしながら、自分の机へと向かう。机に叩きつけられたのはUSBメモリだった。 「僕は! ちゃんとやったのに!」  それだけでは飽き足らず、ガンガンと机を叩き続ける。 「痛い……」  骨が当たった高い音が鳴った後、指を痛めたのか、そう小さく唸った。  そんな様子の彼を見た、職場の人間の視線がディオに集まる。  ――なんとかしろ。 「……メルヴィンさん……、それ、まだ飽きないんですか? 早くこっちに復帰して欲しいんですけどね。人間性は置いておくとして貴方以上のハッカーはいないんですけど。……人間性は別として」  仕事仲間の圧に耐えられなくなったディオは、その細い身体を彼の方に向ける。 「飽きる飽きないじゃないんだよ! 僕の勘が言ってるんだ、絶対に何かあるって! ……罠に引っかかったんだ。うまく突破したと思ったら、全部データ消えたの! あの道に誘い込まれていたんだ……。くそ……」 「……そのデータの先に何かあるにしたって、優先順位はこっちでしょうが。現在進行形で問題が起こってるんですよ?」  しかめ面をしたメルヴィンにディオは言う。言葉に嘘はない。残念な人間性にさえ目を瞑れば、メルヴィンは紛れもない天才である。その天才を以てしても破ることの出来ないデータが気にならないと言えば嘘になるが、あくまでもそれは今起こっている事件には関係がない。  メルヴィンが破るべきロックは別のものなのだ。 「……なんかあったんだっけ?」  ディオの言葉にメルヴィンはキョトンと首をかしげる。良いはずの造形を歪ませて彼は叫んだ。 「MT事件ですよ! 犯人のメッセージからデータにはたどり着きましたけど、開けられません! 捜査は停滞しています!」  色男の面影をかなぐり捨てて言うディオに、メルヴィンは目を逸らした。確かに誰かがそんなことを言っていた気がする。
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