第21話 癒しの男

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「紗紀ちゃんと静香ちゃんは転職したし」 「そうだねえ」  私は苦笑い。もともとは短期のバイトのつもりでいたケーキ店にすっかり腰を据えてしまっていたから。  私自身の心づもりをよそに、実はオーナーさんは私が経理経験者なことに最初から目をつけていたらしく、始めはそんな気配は見せなかったのに、仕事に慣れて職場が居心地よくなった頃に、事務を手伝ってほしいと切り出されたのだ。  オーナーのミチコさんは初老の上品なおばさまで、私はすっかり気を許し憧れも抱いていたので、「助けてほしいの~」なんて拝まれたらそりゃあ承知しないわけにはいかなかった。マダム・ミチコおそるべし。見事に牙を隠したハンターだったわけだ。  そういうわけで、正社員待遇でケーキ店「ベイ・ベリー」に引き続きお世話になって半年が優に過ぎていた。  静香の方は、研究職はもういやだと宣言して、なんと食品工場の加工作業員としてパートを始め、友人全員から「なにやっとんのじゃ」と総ツッコミを受けていた。  が、結局上層部の目に留まり、その会社の分析センターに勤務することになったのだ。人事担当曰く「履歴書を三度見した」そうな。  静香は静香で、現場の作業をやってみて自分の不器用さを思い知って落ち込んだという。気持ちはわかる。  工場のラインで働いてる人たちってきびきびしていて作業が速い。ベテラン作業員さんなんてほんと神。最初からそうはできないのは当たり前にしても、自分には向いてないって落ち込んじゃうのはわかる。実際ひとには向き不向きがあるのだからしょうがない。  詩織はといえば、結婚が決まるとあっさり寿退社してしまった。仕事を続けたくなかったわけじゃないけれど、妊娠して産休を、となった場合、休み明けに元の部署に戻れるとは限らないのだそうな。それなら転職するのと変わらないし勤めたくなったときにまた考える、と。  マイホームの話し合いやら妊活やら、考えなければならないことはたくさんで、新婚のうちは夫婦の生活スタイルをすり合わせていく過程だって重要なわけで。  結婚て人生の一大事なんだなぁ。別居婚なら楽なのかな、と私はまたしょーもないことを考えちゃう。 「そうはいっても私は身軽だし。いつでも時間あいてるし。いつでも誘ってよ、いつでも」  いつでもを三回も使ってしまった。詩織はわかってるわかってる、とほよよんと笑ってクルマを降りた。
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