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24
外に飛び出した瞬間、腰の太刀が鳴いた。
襲いかかるように増した圧力に顔を顰め、ラウは歯噛みする。
『その太刀は、一度覚えた気配は忘れん』
偏屈な爺の言葉が今更脳裏に浮かぶ。
何故あの時疑問に思わなかったのか。あの時この太刀が、エリファレットの気配を『覚えている』ことがおかしいのだ。エリファレットと太刀は、一度たりとも接触していない。それでも、太刀に導かれるままエリファレットを見つけ出した。
太刀が辿った気配は、エリファレットではない。ラウが斬った氷雪の魔物の気配を、エリファレットの内に感じてそれを辿ったのだ。
こうして太刀が鳴くのも、氷雪の魔物の気配を追うからだ。
ラウは太刀の導きのままに走り出す。
エリファレットは、始めから知っていたのだ。ラウに屈託なく笑いながら、殺してくださいと頼んだあの時から。
どんな思いでその言葉を吐き出したのだろう。
氷雪の魔物が銀の狼族の心を食い破って生まれるならば、あの時ラウが殺したのはエリファレットの親になるのだろう。
どんな思いでラウを見て、どんな思いでラウのそばにいたのだろう。ラウを恨むことはなかっただろうか。
いつか自身が生み出す可能性の化け物を目の当たりにし、どれほど怯え慄いただろうか。
その末に辿り着いた答えが、『殺してくれ』と繋がるのならば、あまりにも哀しい。
ラウのもとに辿り着くまでに、どれほどの恐怖と戦い、背を丸めて独りで嘆いたのだろう。
それを思うと、胸が詰まる。今すぐ抱きしめて、独りで泣くなと言ってやりたかった。心を食い破る絶望を、取り払ってやりたかった。
一歩足を進めるごとに、太刀の鳴る音が大きくなる。森が騒めき、空気が不穏なものに変わっていく。森の精霊族の気配が多くなり、不安と困惑、恐怖と敵視が混在した視線がラウを襲う。エリファレットを排そうという意識が、どんどん濃くなる。
(くそっ……!!)
氷雪の魔物は、排すべきものだ。その認識は間違いではない。精霊族全員がそう意図して動き出せば、エリファレットは簡単に殺されてしまうだろう。
(それだけは、させない……!)
例えそれが、銀の狼族の辿るべき道だったとしても。
それが、エリファレットの念願だったとしても。
ラウはそれを絶対に許さない。
太刀に導かれるまま連れられた場所は、六本の聖樹から成る聖域だった。
氷雪の魔物の気配は、聖域の中にある。中は今、聖樹を蝕む蟲が湧いている。
だから精霊族は中に入ることが出来ず、固唾を飲んで聖樹の周りに集まっているのだ。
『これ以上近付くのは危険だ』
『だが、このままではいにしえの魔物が発現してしまうぞ』
『そうなればこの森はお終いだ……』
『どうすれば……あぁ、ラウ・ファン・アスだ……』
『ラウ・ファン・アス? あぁ、姫殿下の……』
『蟲だけでなく、いにしえの魔物さえ狩れるのか?』
『ヒトに斬れるのか?』
『かの太刀を姫殿下より下賜されていると聞くぞ』
『だが、銀の狼族を連れ込んだのもヤツだろう?』
『信用なるのか?』
『やはり、いにしえの魔物が発現する前に我々が殺すべきだ』
『森も聖樹も守らなければ!』
『我ら森の民に託されし使命だ!』
『蟲に臆していにしえの魔物を殺し損ねたとあっては、マルスリオスにおわす陛下に顔向けが出来ない!!』
『殺せ!』
『殺せ!』
火がついたように一斉に殺せと喚き立てる声に、ラウは背筋が凍るのを感じた。蟲がどれだけ彼ら精霊族を害そうとも、エリファレットを殺すまでこの勢いは止まらない。
急速に広がる熱は、もはやラウ一人では対処しきれなかった。あとほんの一押しで、この集団は狂気を生む。
『控えよ』
森の中に響いた凛とした声に、熱帯びていた集団がピタリと止まった。冷水を浴びせられ正気に戻ったように、狂ったような熱が覚めていく。
凛とした声が厳かに森に響く。
『銀の狼族の子どもには決して触れるな。案ずるな、いにしえの魔物は発現しない。ディノクルーガーの森の女王、アルベルティーナ・ヴィルヘル・レナ・エルバスティの名において明言する。いにしえの魔物は発現しない。皆この場から退け』
それは、絶対の言葉だった。
アルベルティーナの発言に、森の精霊族の敵意が嘘のように消え、気配が聖域の周囲から消えた。それはいかに彼女がこの森を統治し、周囲から信を集めているかの現れだった。
嘘のように綺麗に消え去った気配に、ラウはほっと肩から力を抜いた。なす術もなく、熱に浮かされた集団に殺されることだけは免れた。
「安堵するのはまだ早いぞ、ラウ」
ふわりと音もなく現れたアルベルティーナが、ほっと胸を撫で下ろしたラウに釘を刺す。
エリファレットは聖域の中だ。氷雪の魔物が生まれようとしている今、時に猶予はない。
ラウは頷き、聖域の中に足を踏み入れた。
エリファレットを助けることがラウにしか出来ないのなら、何だってやってやる。
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