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 体中が痛い。指先一つ動かすことさえ全身に激痛が走り、エリファレットは体を丸めた。  このまま何も考えずに眠りたかった。ピクリとも動くことなく、石のようになって丸まっていたかった。  だって外は怖い。痛い。辛い。胸が張り裂けそうに痛んで、息が出来ない。  こんな苦しい思いをしてまで、目を開けて起きていたくない。このままゆっくりと水底に沈むように意識を埋めてしまえたら、どれだけ楽で安気だろうか。  そう一度思考が辿り着くと、もうそれしか考えられなくなった。  痛みも悲しみも、辛いことなどすべてなかったことにして眠ってしまおう。 ―――エリファレット!!  そう思ったのに、それを許さない声にエリファレットは揺さぶり起される。  眠りにつきたい誘惑を退けてまで、その声はエリファレットの胸を叩く。  この声を、エリファレットは知っている。  引き込まれる眠りに抗ってまで、どうして目を開けたいのか知っている。  名前を呼ばれるたびに、胸が高鳴ることを覚えている。  エリファレットより低い体温が、優しく抱きしめてくれることを知っている。 「ラウ」  音に出して、初めて知る。これほど愛しい響きを持った音がこの世に存在することに。  目を開けなくてはならない。ラウがエリファレットを呼んでいる。体が痛くとも、胸が張り裂けそうに痛んで、呼吸がままならなくても。ラウが呼ぶなら、目を開けなくてはならない。  でも、何故こんなにも体中が痛んで胸が苦しいのか。  激痛が走る体を動かして、エリファレットは唐突に思い出す。  目を開ければ、さらなる苦痛がエリファレットを襲うだろう。目を覆いたくなるような現実が待っているだろう。  辛くて、苦しい。  たまらなくなって、エリファレットはハラハラと涙を流した。  エリファレットは、いつか氷雪の魔物を生み出す。父が突如そうなったように。あのおぞましい姿に、いつかなる。それが耐えられなくて、ラウのもとを訪れた。氷雪の魔物になってしまえば、見境なく生き物を襲う。そうなる前に、自分が自分であるうちに殺されたかった。そうすることが、最善だと思った。  父は氷雪の魔物と化し、母はその化け物に殺された。  頼るべき者たちがいなくなったエリファレットには、その道しか残されていなかった。  でも本当は、死にたくなどなかった。殺されることが恐ろしかった。ラウと一緒にいて、ラウの優しさと温もりに触れて、それが揺らいでしまった。  ラウと、ずっと一緒に生きていきたいと願ってしまった。  その願いも、砕かれた。  否。 ―――エリファレット、希望を捨てるな ―――俺からお前を取り上げないでくれ  切実なる懇願の声を、エリファレットは確かに聞いた。  エリファレットには、まだ砕かれていない希望がある。 『心強くあれ、エリファレット。悪しきものに囚われぬように。絶望に目を閉じ、耳を塞ぐことなく、立ち向かえるだけの強さを持て。己を守るのは、内に抱きし希望だけじゃ』  その声は、まるで天啓のようにエリファレットの中に響いた。  そうして、理解する。  氷雪の魔物と化した父に腹を裂かれ内臓を食われてなお、何故母が氷雪の魔物を生まなかったのか。 ―――エリファ、愛しいエリファレット ―――忘れないで ―――貴方が私の希望よ  母が最期まで抱き続けたのは、エリファレットという希望だ。最愛の夫を失い絶望に打ちのめされても、エリファレットという希望を砕かれることは許さなかった。  母がエリファレットに残した、最期の想いだ。  エリファレットは、体中に走る激痛に耐えて立ち上がる。  ラウの呼ぶ声が、エリファレットの力になる。
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