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29
アルベルティーナの床上げを待たずして、ラウとエリファレットはディノクルーガーの森を発つことにした。
エリファレットは渋ったが、いつまでも二人がいては、アルベルティーナがマルスリオスに発てない。そう説得して、ようやくの出立だった。
来た時と同様に、老ブロースがエンハ渓谷まで送ってくれた。だが二人を送り届けると、老人は逃げるように帰っていった。最後まで愛想ない老人だった。
それからは、来た時と同様に馬での帰途である。
「どこか行きたいとこはあるか?」
特に急ぐでもない帰途だ。寄りたいところや、見たい場所があるなら足を伸ばしても構わないだろう。
エリファレットの腹を抱えて、手綱を握りながらラウが尋ねる。
エリファレットはラウの体温を背中に感じながら、自然の匂いに鼻をひくつかせる。
どこにでも行ってみたいと思った。どこにでも行けると思った。
世界は広く、果てしない。
エリファレットが見てきた景色は、今までとても限られていた。氷雪の魔物を抱える銀の狼族は、行動範囲を広く持たない。いつ何が契機で心が折られ、氷雪の魔物が発現するかわからない。密やかに穏やかに暮らしていてさえ、世界から氷雪の魔物の情報は後を絶たないのだ。小さな世界で生きていくことが、銀の狼族に課せられた咎でもあるのだろう。
馬上から見える景色に、エリファレットは目を輝かせる。
本当に限られた範囲内で生きていたのだと、この広大な自然を目の前にして思い知る。
世界はどこまでも繋がっている。
この世界を、どこまでも見てみたいと思った。
「ラウ、他の聖樹を見に行きませんか!?」
始まりの種族が辿った痕跡だという聖樹は、世界各地に点在している。ディノクルーガーの森の聖樹は荘厳で美しかった。あの大樹が世界の要に存在し、そこを銀の狼族の祖も駆けたかもしれない。それはきっと、一見の価値がある。
思ったより弾んだ声が出て、ラウが笑うのを背中越しに感じた。
はしゃぎすぎたかと顔を赤くしてそっと後ろを振り返ると、青い瞳が柔らかく細まってエリファレットを見ていた。
きゅうっと胸が鳴って、頬が上気する。ラウの精巧に作られた顔は、密かにエリファレットのお気に入りだ。ずっと見ていたし、いつまでも見ていられる。
触りたくなって手を伸ばし、引き寄せられるように唇に吸い付く。
すぐに深くなった口付けに喉を鳴らして、エリファレットはラウの首に手を回した。
帰る場所は、ここだ。
殺されるつもりで、何も持たず、何も残さず出てきた。希望も未来も、何も見出せなかった。
でも殺されたいと願って辿り着いた男のそばで、希望を見つけた。出口のない暗闇の中にいたエリファレットに、暁光を与えてくれた。
夜明けを連れてきたのは、殺すことを約束してくれた優しい男だった。
この男が、エリファレットの希望だ。生きる理由だ。
「ラウ、ずっと一緒にいてくださいね」
「あぁ、ずっと一緒に生きて行こう」
終
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