<1・逆行>

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<1・逆行>

「……一体どういうことなの、これは」  地団駄を踏みたいほどの苛立ち。本で読んだそれを、まさか格式高い伯爵家の令嬢である自分が経験することになろうとは。  イリーナ・マルティウス。  名家の一人娘として、蝶よ花よと育てられてきたイリーナに、今まさに人生最大の危機が迫っていた。婚約者であったコースト伯爵家次男のシュレイン・コースト。それから、イリーナの家のメイドとして雇っていたアガサが二人仲良く並んで自分の目の前に立ち、己をこの家から追い出そうとしているのである。 「何故あたくしが、あんた達に追い出されなければいけないの?あんた達、自分が何を言っているかわかっているの!?」  確かに。自分はシュレインに対して、少々重すぎる愛を送っていたかもしれない。毎晩電話をかけすぎたのは少し反省しているし、手紙を毎週十通ばかり送っていたのは少々やりすぎだと父親からも苦言を呈されている。でも、そうでもしなければ己の愛をシュレインにわかってもらえないと思ってのことだ。彼は誰に対しても優しく、そのキラキラした笑顔を自分にだけ向けてくれるわけではない。己が本当に彼の一番であるのか、心細い気持ちになるのも無理ないことではなかろうか。  同時に、アガサに対しては初めて会った時から嫌いであったというのも否定はしない。  求人募集でやってきた、見窄らしい外見をしていたそばかすだらけの労働階級の娘。ちっとも美人ではないし、要領も悪い。人が一回で覚えることに三回以上の時間をかける我が家のお荷物。イリーナのドレスにうっかりワインを引っ掛けたなんてこともやらかしている。好かれる要因は一切ない。そのアガサに対して、随分とシュレインが優しく接するから尚更である。  その二人が今、結託して自分をこの家から追い出すと言っている。  此処は自分が育った、マルティウスの家だ。何故そのひとり娘たる自分が、この家から出て行けなどと言われなくてはいけないのか。
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