しゅわりしゅわりと

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しゅわりしゅわりと

 あの日、蓮はとにかくあたしの写真を撮り続けた。距離感はやたらと近いくせに、下心を持ってあたしに触れることはなかった。夕日が海を赤く染めて、それから夜の静かな波音が聴こえるようになっても、蓮とあたしの距離がそれ以上縮まることはなかった。  蓮を困らせてやろうと、終電がなくなったことを伝えてみたけれど、家まで送ってやる、と車に押し込まれただけだった。車の後部座席に置いてあった薄手のブランケットをあたしの体にそうっと掛けて、静かにアクセルを踏み込んだ。本当に送ってくれただけ。それ以外に何もなかった。  寝ぼけながら車を降りて、別れ際、蓮は何を言っていたっけ。思い出せなかった。汗とか日焼け止めとか潮風でべたつく体をシャワーで流して、外が明るくなり始めてからカーテンを閉め切って布団に潜り込んだ。  いつもの街に帰ってきたあたしには蓮がくれた名刺一枚しか残っていなかった。バイトの予定もないし、デートの予定もない。住所を知っている蓮が会いに来てくれることを期待してみたけれど、それが叶うこともなかった。  ふらりと駅までの道を歩いているときに、それを見つけた。こじんまりとしたカフェの外壁に貼り付けられた、手書きの求人募集。 ――募集要項。愛想がよく、笑顔で接客ができること。
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