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高校の卒業式を控えた2月27日の夜中。母が倒れた。突然だった。
僕の家庭は母子家庭だった。僕が幼い頃父親からの暴力に耐えかねた母親は僕を連れて夜逃げ同然で家を出たらしい。しかし、母親には実家というものがない。母は親(僕から見た祖母)から虐待を受けており、虐待から逃れるように彼氏の家に住んでいた。そして僕を妊娠したのだ。そのまま母親はその彼氏と結婚し僕を産んだのだが、母親の両親、つまり僕の祖父母は母の婚姻届にサインをする際に今後実家と関わらないことを条件にした。そのため、僕が生まれて数年後に母親へのDVが始まった時も母親は誰にも相談することが出来なかったし、夜逃げ同然で家を出た時も行く先がなかった。そのため僕らはオンボロアパートに住むことになった。そして、母親は水商売をするようになった。高校中退なのだから仕方ない。母親はアルコールに弱いのか大変そうだった。でも、母親は毎日働いていた。そのおかげで、貧乏だけれど食べ物にも服にも困ることはなく過ごすことができた。
母親は少し前から体調が優れなかったようだ。無理して働いていたという。職場からは少し休んだら?と言われていたそうだが、もう少しで僕が高校を卒業することもあり、不安のない状態で家を出してあげたいと考え、無理していたらしい。朝起きると母親の職場からの着信が何件もあり、折り返したところ病院に運ばれたことを知ったのだ。夜中携帯の電源が落ちていたらしく気がつかなかった…。職場の人から運ばれた病院を聞くと電話を切り、病院まで急いだ。
病院に着いて、受付に母親の名前を告げて息子だと説明すると母親はICUにいると言う。思いもよらない状態に足の力が抜けて崩れ落ちそうになった。看護師が医師から病状を説明するのでと小部屋に案内してくれた。そこで椅子にかけて医師を待つ。心臓はバクバク言っている。母親に何が起こったのだろう。昨日の夜だって元気に家を出て行ったじゃないか。僕には母親が倒れる直前だったなんて思いもよらなかった。
医師が部屋に入ってくる。母の病名は急性肝不全。助かる見込みはほぼないらしい。
「明日まで生きられるかどうかです。」
医師ははっきりそう言った。ドラマやなんかでこのセリフをよく聞くが自分が言われる身になるなんて思っても見なかった。今日は28日。卒業式は明日3月1日。卒業式の日にお母さんに感謝を伝えて、もう自分で稼いでいけるから無理しないでって伝えるつもりだったのに…。それも叶わないかもしれないのだ。ショックだった。
母の命が危ないこともあり、僕はICU内に入れてもらえることになった。母の横たわるベッドの脇に座り僕は泣いた。とにかく泣いた。
「大輝くん?」
突然女の子の声が聞こえた。驚いて声の方をみると中学生くらいの女の子が立っていた。僕が泣いている間に部屋に来ていたのだろうか?にしてもここは個室だ。他の患者さんの家族ということはない。しかも、この部屋に入るのを許可せれているのは今のところ僕だけだ。
「大輝くんだよね?」
女の子は僕を見つめたまま再び僕の名前を読んだ。
「ああ。」
僕はびっくりしながら返事をする。
「よかった。会えて。」
突然そんなことを言われたが僕はこの女の子を知らない。どこかで会ったことがあるのか?と思い出そうとしたがどこかであった記憶はない。
「わたしね、大輝くんを助けに来たの。」
その女の子は続ける。
「大輝くん、わたしのこと助けてくれたよね。だからね、わたしは大輝くんを助けに来たの。」
「え、僕があなたを助けたの?」
びっくりしながら尋ねる。
「うん、あなたは2年前、わたしが中学に入りたての頃不審者に声をかけられて連れて行かれそうになったのを助けてくれたよね?」
「あ…あの時の…」
思い出した。
高校に入ったばかりのある日、部活が終わって一人で帰り道を歩いていた時のことだ。大通りを曲がって小道に入ったところで女の子が男の人に腕を掴まれているのを見たのだ。女の子は明らかに嫌そうにしていて、掴まれた腕を振り払おうとしていた。僕は気がつくと次の瞬間大きな声を上げていた。
「何やってるんだ!」
男はこちらを見るとすぐに走り去っていった。
「ありがとうございます…。」
女の子は泣きそうになっていた。
そうかあの時の子か…。
「ごめんね、あのときは暗くて顔よく見えなかったからわからなかった。」
「いいえ、あのときは助けてくださって、ありがとうございました。」
女の子はかしこまって挨拶をしてきた。
「だから、お礼に助けてあげたいんです!恩返しさせてください!」
そう言って頭を下げてきた。
「いや、でもどうやって?」
僕は尋ねる。
「嘘かと思われるかもしれないんですけど。わたし人の寿命を操れるんです。5分単位で。お母さんの寿命を伸ばしてあげることもできます。」
女の子は説明を続ける。
「え!?本当に!?」
僕は思わず声をあげてしまった。
脇のベッドで眠っていたお母さんの体が僕の声に反応してビクッと動いた。
「ええ、もちろん。でも、ここではお母さんに声が聞こえてしまっているかもしれません。外でお話ししましょう。」
そう促されて外に出た。
まだ、朝の7時ごろICU前の待合に人はいなかった。端っこに女の子と座る。女の子は話しはじめた。
内容はこうだ。
・5分単位で寿命を操ることができる。
・操れる寿命の最大値は1回に1時間まで
・誰かの寿命を伸ばす場合は必ず、その分誰かの寿命を削らなくてはならない。
・願っている本人(これはつまり僕)や女の子の寿命を削ることはできない。
「なるほど…」
僕は頭を抱えた。たしかに母親にはもっと生きてほしい。でも、母親の寿命を伸ばすには他の誰かの寿命を削らなくてはならないのだ。
「どう?」
女の子が無邪気に話しかけてくる。
表情からして僕がすぐに受け入れるとでも思っているかのようだった。
「誰かの寿命を削るって…」
「そうよ、誰でもいいの。」
女の子は続ける。
「そこら辺ですれ違ったおじさんだって、学校の嫌いなお友達だって…
それにほとんどの人は5分寿命が減ったところで大したことないわ。わたしは1回に1時間までしか操れないけど1日減らしたって問題ない人はこの世の中に沢山いる。でも、あなたのお母さんは明日まで生きられるかどうかよ。もうすぐ11時だしそろそろ目を覚ますのかしら。もし覚ましてくれればお話はできるだろうけど卒業証書は見せられないわね…。少しでも寿命を伸ばしてあげられたら卒業したよって報告もできるのに…。」
そう残念そうに女の子は言う。
そう言われると僕の心は揺らいでしまう。もうすぐ11時。卒業式は3月1日の午前中。卒業式が終わって急いで来れば13時にはここに来れるだろう。それまで1日と2時間。母さんの体は持つのだろうか。
「大輝くんは人の寿命を奪うのが嫌なのね…。優しいんだね。この世にはただ、何の目的もなくぼうっと生きている人もたくさんいるのに…。そんな人から少しだけ寿命をお借りすればいいのよ。あ、でもちゃんとその人が思い浮かべられないとわたしの力は使えないの。なんか、あったらまた呼んでわたしはここの待合にいるから。」
そう女の子に見送られてICU内に戻った。
女の子の言葉をよく考える。たしかに5分は普通の健康な人にとってなんてことない時間だろう。でも、僕の母親にとってはそうではない。あと、24時間は生きてもらえなくては母親に卒業証書を見せてあげることができない。しかし誰の寿命を削るのか…・
コンコン。
そんなことを考えていると病室のドアがノックされた。主治医がきたようだ。
「ちょっといいかな。」
そう言って僕を別室に案内した。
別室に入ると主治医は母親の状態を説明し始めた。
・今は普通に眠っている状態であること。
・相変わらず状態は良くないこと
・目を覚ませばおそらく普通に会話ができる状態であること
・覚醒させておくには体力の消耗が激しいことから眠るお薬で寝かしてしまうつもりであること。
が説明された。
「先生。」
説明を終えた先生に声をかけた。
「僕、明日卒業式なんです。卒業証書を見せてあげたいんです。学生生活終わったよって。もう社会人になるんだよ。ってちゃんと報告してあげたいんです。それまで母は持ちますか?」
先生は黙り込んでしまった。少し考え込んで話はじめた。
「そしたら目を覚ましたら時間をあげるからお母さんにお話ししてあげて。残念だけどそれで最期になる可能性がほとんどだから。そのあとお薬で眠らせるね。もしも今日を乗り切れたら君が卒業式から戻ってくるであろう時間に目が覚めるようにお薬を調整するよ。そしたらちゃんと卒業証書を見せられるでしょ。」
「先生。母が明日まで生きられる確率はどのくらいですか?」
恐る恐る尋ねる。
「ほぼ0に近い。今夜か明日の明け方まで持つかと言う状態だ。」
先生の返事は絶望的なものだった。
「でも、目が覚めたら悲しい顔しないで明るくお母さんと話して欲しい。明日卒業式だよって、卒業証書持ってくるね。って明るく伝えてあげて。もちろん感謝の気持ちもね。明日卒業式って聞ければお母さんも頑張れるかもしれない。」
そう言って先生は部屋を出て行ってしまった。
僕はICUに戻った。眠っているお母さんの顔を見つめる。先生の言う通り目を覚ますだろうか…。目を覚ましたらまず、明日卒業式なこと証書を持ってくるねって伝えよう。そうして今までありがとうって言おう。そしたら母さんは僕が卒業証書を持って現れるのを待ってくれるだろうか…。
そんなことを考えていると母さんが目を覚ました。どうして良いのかわからず思わず固まってしまう。
「だい…き…」
弱々しい声で母さんは僕を呼ぶ。
「母さん…」
泣きそうになるのを堪えながら声を出す。
「僕、明日卒業式だよ。卒業証書持ってくるね!見せにくるね!こうやって明日を迎えられるのも母さんのおかげだよ。ありがとう!」
そう一気に言い切った。母さんは目を閉じてゆっくりと嬉しそうにうなずいている。よかった。ホッとすると同時に、母さんが目を覚ましたらナースコールで知らせるように言われていたことを思い出した。母親に断ってナースコールを押す。
程なくして看護師が現れた。看護師は母親に体への負担を減らし、お薬の効果をより引き立たせるためにお薬で眠らせる旨を告げた。母親はゆっくりとうなずく。あっという間に母親は眠ってしまった。母親の様子を見ていた看護師はこちらを向く。
「もう14時すぎよ。あなたなにも食べていないんじゃない?1階に食堂と売店があるから何か食べられるわ。ここで食事はできないから売店で買う場合はデイルームで食べてね。」
そう言って部屋を出て行こうとする。部屋を出る直前で振り返った。
「あ、明日卒業式なんですってね。今はまだそこまで危険な状態ではないから今のうちに家に帰ってシャワー浴びて着替えてくるといいわ。制服持って卒業式に必要なものも全部持ってきたらいいわ。そうすればギリギリまでお母さんの元にいられる。帰る時は声をかけてね。」
そう言って部屋を出て行ってしまった。
(家に帰るから今のうち…)
看護師さんの言葉が反芻される。やはり母親は今夜までの命なのだろうか。明日の昼には間に合わないのだろうか。そんなことを考えているうちにお腹が空いていることに気がついた。売店にお昼を買いに行こう。
ナースステーションに行き、売店に行く旨、デイルームにいることを伝えて、売店へと向かった。ご飯を食べ終えると、再びナースステーションへ家に帰る旨を伝えて、家に向かった。
家につき、とりあえず明日の支度をした。制服のジャケット、アイロンのかかったシャツ、ネクタイ、パンツにベルト。ジャケットにはちゃんと校章が付いている。服は完璧だ。学校指定のバックに入れるものはほとんどない。中を見ると卒業アルバムが入っていた。よかった、もらった日にみんなから寄せ書きもらっておいて。そうでなければ寄せ書きなしのままになるところだった。卒アルはなんとなくそのままにして、筆記用具と財布、ケータイ、ケータイの充電器を入れた。以上だ。卒業式にそれ以上のものは必要ない。念のため、着替えの服を用意し、指定バックに入れておく。その後シャワーを浴びて服を着替え、髪を乾かすのもそこそこに家を出た。
病院に着くとすでに17時になっていた。急いでいたつもりなのに時間が経つのはあっという間だった。看護師さんとICUに入るとよかった母はまだ生きてた。看護師さんは僕が行く前と変わらず眠っていることを告げると出て行った。看護師さんが出て行ったドアをぼんやりと見つめる。しばらくして、母親を見た。穏やかに眠っている。しかしその体には管がたくさん繋がれている。母親の表情との差についていけない。本当に明日まで持たないのだろうか?悶々とした気分のまま、ただ時間だけが過ぎる。
どれくらい時間が経っただろうか?お腹の音で我に返った。こんな時でもお腹は空くらしい。時刻を見ると19時半だ。母親を見ると相変わらず変わらない表情で眠っている。ご飯を食べるなら今のうちだろう。ナースステーションに告げ、再びご飯を食べに向かう。20時すぎ、病室に戻る途中に今朝の女の子と会った。
「大輝くん。誰の寿命をもらうか決めた?」
そう尋ねてきた。
「いや、だってまだ母さん変わった様子もないし…。」
そうぶっきらぼうに答える。
「そう。でも、危なくなったらいつでも言ってわたしはデイルームにいるつもりだから。寿命をくれる相手は目の前にいなくてもいいの。思い浮かべられれば十分。1回に1時間まで動かせる。回数に制限はないから。」
そう言って女の子はデイルームに行ってしまった。
僕はその今晩はなにがあってもいいように母さんのベッドの隣に居させてもらうことにした。しばらく母親を眺めて今までの思い出について話しかけていたがだんだん眠くなり机に突っ伏して寝た。
誰かが部屋のドアを開ける音がして目を覚ますとすでに朝だった。
「おはよう。夜急変しないか心配で何回か見にきたけど大丈夫だったようね。でも、安心できないわ。治ることはないし、延命だけだからいつ容体が悪くなるかわからないのよ。」
そう看護師さんはいう。時計を見ると7時だった。支度していかなくちゃいけない。式典自体は10時からだけど8時半には教室についていなくてはならないのだ。支度をしてナースステーションに卒業式に行く旨、13時には帰ってくるつもりであることを伝えてエレベーターを待っていたその時だった。
「大輝くん。」
再びあの声がした。振り返るとあの女の子がそこに立っていた。
「わたしはここにずっといるから。お母さんに何かあったらすぐに連絡するから連絡先教えて!その時に寿命もお母さんに与えてあげることもできるから。」
「わかった。」
そう言って自分のケータイの番号と一応、高校の電話番号も伝えておいた。
そのまま高校に向かう。卒業式は退屈だった。来賓や校長の話は長い。おまけに答辞はクラスの大嫌いな貴弘がやっている。答辞は毎年学年の成績ナンバーワンがやることになっているらしい。俺の成績的にナンバーワンかと思われていたがこいつに負けたようだ。こいつは見た目は最悪で制服の肩にはフケが大量に落ちているし、髪はテカテカしていて気持ち悪いし、何日もお風呂に入ってないような臭いがする。こんなやつに答辞を取られたことが悔しくてたまらない。しかし、地元を離れるわけでもないし、特に涙が出ることもなく卒業式が終わった。
卒業式の後友人への挨拶もそこそこに病院へと急いだ。その時、携帯が鳴った。知らない番号からだった。まさかと急に胸がドキドキする。
「もしもし?」
出来るだけ平静を装って電話に出た。
「大輝くん?お母さんの容体が急変したの!先生はあと、1時間持つかどうかって言っているけどわたしにはわかるのお母さんは後10分くらいしか持たない。それまでに来れる?それか誰かの寿命をもらう?」
予想できていたこととは言え突然言われると焦る。後10分、、、どんなに急いでも病院まで10分以上はかかる。母親に卒業の報告をしたければ最低でも5分は誰かの寿命をもらう必要がある。誰の時間をもらおうかそう考えた時1人の人間が思い浮かんだ。貴弘だ。汚い身なりをしていてそれでいて優等生ぶっているあいつ。あいつの寿命を5分もらおう。
「僕のクラスの貴弘の寿命を5分母親に分けて欲しい。あと5分でいいんだ!頼む!」
そう電話口で叫ぶ。
「わかった!大輝君その貴弘君を思い浮かべて私に念を送って!あと5分、伸ばしておくから!」
女の子は電話口でそう叫ぶ。
僕はお礼もそこそこに病院へ急いだ。走りながら貴弘を思い浮かべる念なんて送り方はわからないが女の子に貴弘を伝えようとした。
10分ほどで病院のエントランスに到着した。そこからナースステーションに急ぐ。看護師は僕を見るとすぐにICUに案内してくれた。
中に入ると母親が苦しそうにしていた。お薬が切れたのか目は開いている。僕は息を整えながら母親に卒業証書を見せた。
「母さん、母さんのおかげで卒業できたよ。本当に今までありがとう。僕はこれから社会人としてしっかり生きるからもうなにも心配いないで。もう無理しないで。母さん大好きだよ…。」
涙を堪えながら何とか言い切った。母さんも泣いている。
泣きながら、
「あ・り・が・と・う。お・め・で・と・う。」とゆっくりと口を動かして息を引き取った。
次の日母のお通夜、葬儀に向けて準備をしているときに貴弘の訃報を知った。貴弘もまた僕と似た境遇だった。父親を亡くし、母親と二人暮らしだった。その母が病気で入院をしていたらしい。なんとかして生活をするために貴弘は学校が終わった後に明け方までバイトをしていたそうだ。
僕はそれを聞いた時どうしていいのか変わらない絶望感を味わった。僕があと5分と願って母親を生かしてもらったことで貴弘はその生きられたはずの5分を失ったのだ。母親に最期の挨拶はできたのだろうか。怖くて貴弘の死について詳しく聞けずにいる。たかが、5分されど5分。5分には重みがあることを身をもって体感した。この経験はこれからの僕の人生に影響を与え続けるだろう。僕は貴弘の分もしっかり生きなくてはならない。
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