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   *  ……黒峰さんのお父さんの通夜に参列して、祭壇の写真を見て、この人が黒峰さんのお父さんかと思ったら、胸が詰まった。  遺影は笑った写真で、顔立ちはもしかすると母親似なのかもしれないけれど、その笑った感じが、黒峰さんのいつもの悪戯っぽい笑みとどこか似ているような気がする。  親族席で黒峰さんはお母さんと妹と並んで立ち、その背筋をぴんと伸ばした姿を見たら、苦しくなって、なにを言えばいいか分からなくなって。  声はかけられなかった。  焼香を済ませて、少し離れたところから深く頭を下げる。それにきっと黒峰さんは気付いただろうな、と思ったけれど、俺はそのまま会場の外に出た。  列席者には、黒峰さんの会社関係の人も多かった。同じ部署や仕事で関わる営業部の同僚だけでなく、親しい社員や取引先の人まで来ている。それが、人に好かれる黒峰さんらしくて、少しだけ気持ちが和んだ。  俺は会社から通夜会場まで、源田や他の同僚たちと一緒に来ていた。  通夜の帰り際に源田が言った。 「あいつ真面目だからなあ。ずっと仕事と介護ばっかりで。こういう言い方はなんだけど、これであいつも自由に恋愛できるようになるんじゃないか。一緒に親の介護してくださいなんて、やっぱり彼女に言えないもんな」  俺はなにも言えなかった。  ようやく俺は理解した。どうして土日になかなか会えないのか。どうして平日の夜も、金曜の夜も、決して泊まることはせずに必ず家に帰るのか。どうして、いつも疲れているのか。どうして会えないときに、いつも「ごめん」と言うのか、その理由を。  俺は今さらになって気がついた。  黒峰さんは長男で、母親がいて妹がいて、俺は彼の家族をなにも知らず、知る権利もなく、なにもできない。  あの人は男で、俺も男で、俺たちはどうしても結婚や家族やなにかになることはできなくて、もし彼になにかあったとしても、俺はなにも知ることはできない。……そう、もし彼が事故にあったとしても病気で倒れたとしても、俺に連絡がくることはなく、俺は彼になにもしてあげることはできないのだ。  ……分かっている。ショックなのは知らされていなかったことだ。  今週いっぱい休むという黒峰さんに、俺はそれから一通のメールも電話もできなかった。連絡をすれば、必ず俺は言いたくなる。なぜ教えてくれなかったのか、と。俺は一体あんたのなんなのか、と。  だけどそんなこと聞きたくなかった。怖くて聞きたくなかった。  付き合い始めて、俺は初めて黒峰さんに三日以上、連絡を取らなかった。  一人暮らしは堕落の一途だ、と思う。  部屋にこもり、なにもない部屋で寝転がって、テレビを点けていながらほとんど見ることもせずに、酒を飲んでだらだらと夜を過ごすなんて、ものすごく堕落している気がする。  だけど、なにもする気にならなかった。  床に寝転がって、枕元には携帯が転がっていたけれど、それは静かに沈黙を保っている。  俺が連絡しないと、黒峰さんからも連絡がこなかった。  金曜の夜だった。どれだけ苦しくても悲しくても、仕事は仕事だから、日中はいつものようになんでもない顔で、むしろ明るく振る舞って、業務を遂行した。  そうして長い一週間を終え、夜八時を回って一人で暮らす部屋に戻ると、急にがっくりと身体の力が抜けて、スーツを脱ぎもせずに俺は四畳半の殺風景な部屋の真ん中に倒れるように仰向けになっていた。  しばらくそうしたあと、ため息に交じりに立ち上がり、テレビを点け、上着を脱いで床に放り出し、冷蔵庫から缶ビールを取り出して呷る。……けれどビール程度では、飲んでも飲んでも酔える気がしなくて、やがて実家からくすねてきたウイスキーを取り出してきて、ストレートのままで飲んだ。  一人暮らしなんかしなければ良かった。黒峰さんともっと一緒にいたくて始めた一人暮らしなのに、こんな日にこの部屋で一人でいることの方が苦しい。  ……黒峰さんとは、通夜の日に顔を見てから、もう三日も顔を見ていなくて、メールはその前の日から一度も交わしていなくて。寂しくて。  このまま孤独で死んでしまうんじゃないだろうかとさえ思う。あの人と別れたら、俺はもう二度と恋ができない気がする。そして一人で生きて、一人で死ぬんだ──。  あ、ダメだ、涙が出る。  そう床に寝転がったまま、顔を両手で覆ったちょうどそのとき。  ピンポーン、とまったく気分にそぐわない軽さで、インターホンが部屋に鳴り響いた。  こんな時間になんの手違いだ、と思って、重い身体を引き起こす。引っ越して一カ月の俺の部屋に訪ねてくるような友人も用事も思い当たらない。 「なに──」  酒で濁った頭を押さえながら、ドアスコープを覗くのも面倒で、苛々とそのままドアを開けて──俺は絶句した。 「よう、」  俺の目の前で、そう普段と変わらない軽さで手を上げたのは、黒峰さんだ。  目を丸くして言葉を失っている俺を見上げて、不思議そうに少しだけ首を傾げてみせる。 「どうした。……なんか酒くせーな。目ぇ赤いし、だいぶ飲んでんのか? なあ、飯食わね? 俺、食材買って来たんだよ。まあ、言っても鍋ぐらいしか作れないんだけどさ」  俺は呆然とした。  呆然としている隣をするりと抜けて、黒峰さんは中へ入っていく。手にはスーパーで買ってきたらしいなにかビニール袋を持っていて、それをミニキッチンのところで床に置く。 「あ、もしかしてこの部屋、土鍋ない? ないよな、普通。じゃあこの普通の鍋を使うか。情緒ないけど、それでいいか?」  それでいいか、じゃなくて。  なに当たり前にそんなこと言ってるの。すごく久しぶりに会ったんだけど。久しぶりに声を聞くんだけど。あんなことがあってから、久しぶりに。  言葉もなく立ちつくす俺の前で、黒峰さんはビニール袋から白菜やしいたけや豆腐やそんなものを取り出している。 「……なに、してんの」 「なにって、おまえ、腹減ってねーの?」 「そうじゃなくて」  なぜこんなに普通に、黒峰さんが俺の目の前に立っているのかがよく分からなかった。  あんなことがあって、全然連絡が来なくなって、ああ、こんな関係はもう終わりなんだろうな、と思っていて──。 「……俺、知らなかった」  零れるように洩れた俺の言葉に、黒峰さんが手を止めて振り返った。  玄関先の短い廊下みたいなミニキッチンの狭いところで、息苦しく向き合って、なんだか俺は今さら泣きそうな気持ちになっていた。 「なんで、教えてくれなかったの」  責めたいわけじゃない。  大切な家族を失ったばかりの人を傷つけるようなことがしたいわけじゃない。  なのに、彼の顔を見たら、唇がどうしても動いた。 「父親のこと、なんで教えてくれなかったの」 「……親父が入院してるなんて、そう言いふらすようなことじゃないだろ」 「なにそれ、俺は他の人と一緒なの? 周りの会社の人間と同じ?」  こんなことを言うなんて、すごくみっともない。格好悪い。そう分かっていても、聞かずにはいられなかった。 「俺はあんたのなんなわけ?」 「大神」 「そりゃ俺は男で、あんたも男で、俺はあんたの彼女でもなんでもないし、婚約者でもないし、結婚できるわけでもないし、なんの約束も保証もできないし、俺があんたの家族のこと、知る権利なんてないのは分かるけど、だけど……っ」  どれだけ望んでも、約束も保証も手に入らない。  だから、せめて心が欲しいのに。 「……俺、もう疲れたよ。もう嫌だ。だってなんにもならないじゃん。あんたは長男で、母親がいて妹がいて、俺はあんたの家族にはなれない。あんたになにがあっても俺が知る権利はない。なのに、あんたが俺になんにも言ってくれなかったら、もう俺はなにもできないじゃん。こんなの、意味ないよ。こんな関係、意味ないよ!」  黒峰さんの気持ちを疑ってるわけじゃない。好かれているのは分かっている。でもダメだ。こんな未来のない関係はだめだ。 「もう、ダメだよ、こんなの。俺、もう嫌だよ」  俺の話を、黒峰さんは目を逸らさずに黙って聞いていた。  まっすぐに俺を見上げて最後まで聞いて、それからうなだれるように、うん、と頷く。 「そうだよな。おまえの言いたいこと、分かるよ」 「──っ」  自分で言い出したことなのに、簡単に同意されて、ずきりと心臓が叫びをあげた。  嫌だ。嫌だ。嫌だ。  なにが嫌なのか、ぐるぐると暗い感情が渦巻く自分の胸の内のことさえ分からず、言葉もなく、ただ目の前でうつむく男を凝視して。  不意に、毅然と黒峰さんが顔をあげて、俺をまっすぐに見た。 「でも俺、別れる気ないよ」 「……え?」 「おまえさあ、腹減ったまま酒ばっか飲んでるから、そういうダメ思考になるんだよ。飯食おうぜ。鍋とかあったかいもの」  そう軽く言い放って、黒峰さんはまたキッチンの方に向き直っている。  なにそれ、と熱い感情に湧きあがって、俺はその肩を強く掴んでいた。そんなふうに話を誤魔化さないで、きちんと話をしてほしくて、強引に自分の方を振り向かせる。 「あんた、分かってんの。俺つらいって言ってんだけど!」 「……そんなの、お互いさまだろ」  ついさっきはあんなふうに目を見て話したくせに、俺に肩を掴まれて振り向かされた黒峰さんは俺から視線を逸らして、呟く。 「俺が全然つらくないと思ってんの? 俺が親父の面倒見てる間におまえは同期でスキー行ったりキャンプ行ったりいろいろ遊んでて、おまえはもともとノンケだし、女にもモテるし、そういうの、俺がつらくなかったと思ってんの?」 「そんなの……っ、だって、俺、知らなくて」 「俺はおまえより五つも年上で、同じ男で。……そうだよ、結婚もできないし、なんの約束もできないし、おまえの自由を奪う権利なんて俺にはないし。ずっと親の介護をしていてなかなかきちんと付き合ってやれなくて、おまえになんにもしてやれなくて。もし、おまえがそういう嫌で、俺以外を選ぶなら、俺はそれを止める権利なんてないんだ……っ」 「……黒峰さん」  初めて聞く黒峰さんの気持ちに、俺は言葉を奪われる。  両手で肩を掴んだ黒峰さんの身体が、うつむいたまま感情を吐きだす黒峰さんの身体が、じわりと熱くなっていくのが分かった。 「介護で忙しいとか、そんなことを言って、おまえを縛りたくなかった。そんなこと、できなかった。……だけど、おまえは、それでも俺のことずっと好きでいてくれただろ。全然相手してやれなくても、俺に愛想を尽かせたり、嫌いになったりしないでいてくれただろ。だから、俺は、おまえが俺のこと、本気で嫌いになるまで別れたくないよ!」  声が、震えている。  初めてだった。こんな感情的になる黒峰さんを見るのは。だって、いつも黒峰さんは余裕のある空気を崩さなくて、俺のことをからかうように悪戯っぽく笑っていて。  俺ばっかりが好きで、俺ばっかりがジタバタしているんだと思っていた。 「……でも、俺は言って欲しかった。黒峰さんのこと、なんでも言ってほしかった。だって俺、あんたのなんにも知らないで、俺はあんたになんにもできないで」 「そばにいてくれただろ。俺のこと好きでいてくれただろ。それだけで俺は充分だったよ」 「────」  黒峰さんは、きちんと俺のこと、好きなんだ。  突然そう気付かされて、どっと心臓が痛いほど高鳴った。  今さら、好きな相手に好かれているという事実に、どこか居たたまれない気恥ずかしさのようなものがこみ上げて、全身が熱くなる。  黒峰さんの顔が今すぐ見たくなって、肩を掴んでいた手を離して、ずっとうつむいている頬を俺は両手で包んでいた。びくりと、触れた瞬間、黒峰さんの身体が震える。 「黒峰さん」  名前を呼んで顔を上げるように促したけれど、緊張しているみたいに小さく頭を振る。 「……なあ、大神。未来が欲しいか? 安心とか約束とか、どうしても必要か? そんなもの俺、なにひとつ用意できないけど、それでもいいなら──一緒に、飯、食おうよ」 「っ」  零れ落ちた囁きのような小さな誘いの言葉に、もう待てなくて、俺は強引に黒峰さんの顔を仰のかせて、震える唇にキスを落としていた。  感情の高ぶりとともに熱くなった身体を引き寄せて、両腕で包むように抱きしめる。  なにかを言葉を紡ごうと喘ぐ唇を、何度も何度も俺は貪った。  舌を絡め取り、口腔の奥まで侵すキスに、抱きしめた身体はすぐに力を失い、ぐずぐずに崩れ落ちそうになっている。 「待っ、おお、がみ……っ、待てっ、て」 「待てません。飯なんかより、今すぐ黒峰さんが食べたいです」 「バ、カっ」  キスの合間に詰る声が、甘ったるく掠れていて、どうしようもなく愛おしい。  だけど、狭いキッチンでどこか逃げるように身じろぐのが気に入らなくて、俺はシンクに押しつけるようにしてそこにつなぎ止めた。  手のひらを尻に回して、服の上から指先で割れ目をなぞる。 「っ、……あ、っ」  それだけで甘い叫びを洩らしそうになった黒峰さんが慌てたように、手の甲で自らの口元を覆った。  指先を割れ目から前のふくらみへ進ませて、焦らすように何度も往復させると、声を抑えながらびくびくと身体を震わせる。  そんな自分の反応を恥じらうように、黒峰さんは震える両手で俺の胸を押して、逃れようとした。 「や、大神、待って……」 「なんで。嫌なの? この間、部屋に来たときも嫌がったよね。なんで?」  太ももに当たる彼の欲望は、もう硬く反応しているのに。  なんだか気に入らなくて、あえてそこには触れずに、服の上から全身を撫でまわしながら、俺は耳元で囁くように尋ねていた。  耳朶を唇で食んで、耳孔に舌を這わせると、敏感な身体が熱く跳ねる。  そうやって散々身体を高ぶらせてから、黒峰さんの顔を覗きこめば、黒峰さんは真っ赤に頬を染めて、眼鏡の奥からどこか涙目で俺のことを睨みつけてきた。 「っ、て、……こんな、アパートじゃ、壁、薄いだろ」 「────」  それが理由ということは、また恥じらい、声を殺して喘ぐ黒峰さんを見られるのか。  そう思ったら、一気に興奮が増して、黒峰さんの太ももを持ち上げて、硬くなった自分の欲望を、服の上か今から入れる箇所に擦りつけていた。 「んーっ」  唇を噛んで、黒峰さんが声を堪える。  ……たまらない。俺はこれからする行為を想像させるように腰を振りながら、黒峰さんの噛みしめる唇に、自らの唇を寄せた。  少し触れて離して、また少し触れて離して、繰り返すうちに黒峰さんの手が引き寄せるように俺の首に回り、やがてお互いに唇を開いて、熱い吐息を洩らしながら、とろとろに甘くて深いキスに変わる。 「んっ、ふ、……あ、……大神、おおがみ、な、もう」  押し殺した喘ぎ声に混じる甘えたおねだりに、俺は意地悪をして問い返す。 「なに?」 「バカ、なあ、もう、……さわっ、て……っ」  可愛いなあ、と俺は思う。年上で有能な先輩で男で、そして大切な恋人の黒峰さんのことを、泣きたいぐらいに愛おしく思う。  彼を抱きかかえ直し、解放を誘っているジーンズに手をかけながら、ねえ、と俺は黒峰さんに呼びかけた。 「黒峰さん、今晩、泊まっていける?」 「……なんだよ、おまえ、なに、する気だよ」 「そんなの、決まってるでしょ」  一晩中、黒峰さんを抱く以外にない。  バカ、とまた甘く黒峰さんが俺のことを詰った。それから俺の首にしがみつくようにして、熱い身体を押しつけてきて、肩口に顔を埋めながら。  ──泊まらせて。  そう囁いた。  俺はその囁きごと、恋人の身体を抱きしめた。  そして翌日、俺は初めて恋人を胸に抱いたまま、朝を迎えた。  朝というか、もう昼に近い。  というのも、昨夜は思う存分に身体を重ね、汗や体液にべたべたになった身体を流しに、小さなユニットバスに二人で入って、そこでキスしたりさわっていたらまた我慢できなくなって、部屋に戻って睦み合い……なんてことを繰り返して、眠りに落ちたのが、ほとんど朝方に近かったせいだ。  胸に感じるぬくもりにまず気がついて、それからぼんやりと目を開けた。  すぐ目の前に、布団に頬をつけて寝ている黒峰さんの顔があって、心臓がどきりと飛び跳ねる。寝顔をこんなふうにじっくり見たのは、初めてかもしれない。 「……ん、」  しばらく時間も忘れて寝顔を見つめていたら、そのうち小さな呻き声をあげて、黒峰さんが身じろぎをした。ぴくぴくと瞼が動いて、まるであくびをする前の猫の顔みたいにくしゃりと顔を歪め、それからようやくうっすらと目を開ける。  寝ぼけているのか、しばらく何度か目を瞬いて、それから俺を見つけた。 「おはようございます」 「……なに見てんだ」  朝一番の恋人は冷たかった……。  黒峰さんは眠たげに布団に顔をこすりつけて、それから這うようにして膝を立て、起きあがっていた。それに合わせて上半身を起こした俺のことをしかめっ面で一瞥する。 「……眼鏡」 「え? あ、眼鏡?」  目つきが悪いのは眼鏡がないせいなのか。どこかぼんやりしているのは朝が弱いせいなのか。俺は慌てて眼鏡を探し、床に落ちているそれを拾って、差し出した。受け取ろうと黒峰さんは膝立ちのまま一歩、足を前に出し、布団に引っかかってこけそうになる。  咄嗟に手を出して、俺はそれを支えていた。 「……ん、悪い」  なんだ、この頼りない可愛さは!  危うく朝から押し倒しそうになって、それをこらえる。セックスをして気持ちが良いのは当たり前だけど、こうしてなんの飾り気もない恋人の姿を見られることほど幸せなことはなかった。  喉乾いた、と呟いて冷蔵庫へ向かった黒峰さんの背中に、俺は口を開いた。 「ねえ、俺、いつか、あんたと一緒に暮らしたい」 「……なんだ。毎晩、やりてーのかぁ? 本当におまえは元気だなあ」 「黒峰さん」  あくび交じりのからかうような声が返ってきて、俺は顔をしかめて名前を呼んだ。  言葉が足りない。もっと伝えたい。もっとこの人にきちんと言葉を伝えたい。俺は自分のことなのに、なんだか焦れるような気持ちで、布団の上に座り直した。  付き合って三年経って関係が変わっても、結婚はできなくても、家族にはなれなくても、俺はこの人と一緒にいたいと思っていて。 「ねえ、黒峰さん。俺、もしあんたが明日事故にあって半身不随になっても、年をとって歩けなくなって寝たきりになったとしても、下の世話でもなんでもするよ。なんでもするから、一緒にいさせてよ」  冷蔵庫にあったミネラルウォーターに口をつけて、それでようやく目を覚ましたのか、黒峰さんが振り返って俺をまっすぐに見た。  きょとんとした目を何度か瞬かせて、それから破顔する。 「……なんだそれ。俺が先に倒れる計算かよ! 確かに俺のほうが年上だけど。おまえのほうが煙草吸ってるから、心筋梗塞だのなんだので倒れる可能性高いんだぞ」 「じゃあ、煙草やめる」 「おまえなあ」  呆れたような声を出しながら、黒峰さんはペットボトルを手にしたまま、俺の目の前まで戻ってきた。  俺があぐらをかいて座っているから、ちょうど目線が黒峰さんの太もものあたりになって、ちょっと目線を上げるとパンツに包まれた恋人のふくらみがすぐそこにあって、つい言葉に詰まってしまう。 「一緒に暮らすってさあ、一緒に生きるってことだろ? 死ぬ計算より、生きる計画を立てろよ。どう言ったら俺が同棲に頷くか、もっときちんと考えて口説けよ」 「……え?」  え? と俺はうろたえて、見下ろす黒峰さんの顔と、目の前のふくらみを見比べていた。  今、俺はなにを誘われてるんだっけ──。  黒峰さんが唇の端を持ち上げるようにして悪戯っぽく笑っている。  水を飲んだあとの唇は艶っぽく濡れていて。  三年前と変わらず、まったく凶悪なほど魅力的だ、と俺は思った。 Fin
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