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「行くしかないだろ。」
ただ一言、そう告げる。その声色からはどの感情もうまく読み取れない。
「国が戦争に行けって言うなら俺はそれに従うまでだ。逃げることなんて出来ないし俺は逃げるつもりもない。」
返す言葉が見つからない。ただ言葉を繰り出していく。
「それも運命なんだろう。」
「なあ、ちょっとあの丘に寄っていかないか?」
突如敏郎が思いついたように言った。あの丘、とはきっと二人で初めて出会ったあの場所だ。なぜ突然そんなことを言い始めたのかと疑問に思うが、あの日以来近寄っていなかったので興味が湧いてきた。たぶんあれから変わっていることなんて無いと思うが好奇心の赴くままに承諾することにした。「そうだな。行ってみよう。」と返事をしてあの丘に向かう。田畑横の道を抜けて坂道を上っていく。急ぐ気持ちで息を若干切らしながら、坂を上りきる。予想通り、丘の風景は特に変わっていなかった。
しかし、あることに気づいた。
下に続く階段横に植木鉢が置いてあるのだ。そこには赤い花が咲いていた。元いた時代では空き地だった、もとい自分が転落した場所でもあるあの家の住人が植えたものだと思った。
その花が気になって思わずそちらに向かった。屈んで花をよく見ると、見覚えのある花だった。"千日紅"だ。植物図鑑だけではなく、この花は母がよく作品作りに使っていたので知っている。まさかこんなところで目にするとは思いもしなかった。
「それ花か。なんか気になるのか?」
「あ、ああ…うん、まあね。」
遅れてやって来た敏郎が千日紅を見ながら言う。なぜ花に興味を示すのかと思っているのだろう。自分でもよく分からなかった。千日紅に馴染みはあるがそんなに好きというわけでもない。しかし何だかこの花が気になるのだ。
「お前、花なんか興味あるのか?」
敏郎が怪訝そうに尋ねてくる。この時代の男性にとって花が好きだというと女性のことだと思うだろう。そして男性が花が好きだというものなら「女々しい」などと蔑まれるのだろう。
しかし、そうだと分かっていても快く思われないのは余りいい気分ではない。
「好きっていうか、母親の影響でちょっと詳しいだけだよ。」
「母親の影響…なぁ」
敏郎は同じように屈んで千日紅をまじまじと見つめる。
「これ、なんていう花?」
敏郎の思ってもいなかった言葉に驚く。花に興味を示すとは思っていなかったので予想外だ。
「千日紅っていう花だ。咲いてる時期が長いから千日紅って言うんだ。日持ちがいいから押し花とかにも使える。」
「押し花?」
「やったことないか?」
敏郎は「…ない。」と短く答える。何だか変な気分だ。どうせなら母親の手伝いで散々刷り込まれた知識を使って押し花の作り方でも教えてやろう。
「新聞紙の上に塵紙置いて花を並べる。その花の上から塵紙や新聞紙重ねていって分厚い本で重石をする。重石をした新聞紙を何回か取り換えて、完成。」
「…何だそれ面倒臭いな。ただ花を潰して乾燥させるんじゃないのかよ。」
「これでも十分簡単だろ。」
「どこかだよ。そもそも花って女が好きなもんだろ。男の俺には興味ねえよ。」
敏郎の言葉に言い返してやりたい気持ちを抑えて口を噤む。この時代の男にとってこの価値観は仕方ないことだ。余り良い気分ではないがここはぐっと堪える。
それにしても、なぜこの花が気になったのかと疑問に思う。こんなところに千日紅が植えてあるからだろうか。そもそも最初に丘に来たあの日はここに千日紅なんてあっただろうか?気づかなかっただけだろうか。考えると色々謎が浮かんできて頭が痛くなってきた。
そういえば、丘から転落した日も赤い花を見つけたからだった。あの花は、もしかして、
そこまで考えて突然頭にがつんと衝撃が走る。一瞬殴られたのかと思うほどの強い衝撃にその場に倒れ込んでしまう。倒れると世界が回転しているんじゃないかと思うほど視界が揺れる。頭には凄まじい痛み。視界の揺れと痛みはどんどん増していく。視界の端に赤い花と、敏郎の顔がぼんやり見えたのを最後に意識は闇に落ちた。
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