8.去り征く君を想ふ

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「まぁ、でも未来人だし知っててもおかしくないか。」 「…え?」 「未来から来たって言ってたのはお前だろ?」 「それはそうだけど…信じるのか?」 「最初こそは全く信じていなかったが…突然目の前で消えたんだから信じてもおかしくはないだろ。違うのか?」 「ち、違わない!」 信じてもらえるとは思っていなかったので嬉しい。敏郎は頑固そうだから一度言ったことはなかなか訂正しなさそうなところがあると思っていた。 「奥さん、冨美子って言うんだ。見合いで初めて会ったんだけど優しいし気が利くし良い女性だ。母さんとも良くやっているよ。」 「そうか、それなら良かった。」 「多分子供も出来るだろうし、冨美子や母さんたちの為にもますます頑張らないとなって思うんだよ。」 再び朗らかになりそうだった空気がまた張り詰める。"頑張る"というのは恐らくこれから出征することのことだ。敏郎はあくまでも出征することに対する前向きな姿勢を貫こうとしている。きっと弱音など絶対に吐くつもりはないのだろう。自分の前でも。そういう意思を感じる。 「…本当にそう思ってる?本当は行きたくないとか思ってるんじゃないのかよ…」 「そんなことないぞ。」 「何で断言できるんだよ!怖いだろ、だって戦争なんだぞ。もしかしたら死ぬかもしれない、死んだら帰ってこれないし会いたい人にも会えなくなるんだぞ!」 「…………………」 「奥さんや子供が居るからこそ、行くべきなんかじゃないだろ…」 「でも、さっき言った通り俺の意思なんて関係ないんだよな。」 「じゃあせめて生きて帰ってくるって言ってほしい…」 こんなこと言うべきじゃないのに、言うつもりなんてなかったのに。敏郎が戦争に行くことは避けられないし、戦争に行くことは決まってるし、こんなこと言っても困らせてしまうだけなのに止めることができない。これ以上敏郎の顔を見ていられなかった。目尻に涙が溜まる。このままでは敏郎の前で泣いてしまいそうだ。 「俺、別に生きて帰ろうだなんて思ってないぞ。」 「え…」 「俺は御国のためなら命も捨てる覚悟だ。」 「…そんなこと本当に思ってるのかよ。」 いつか見た戦争のドキュメンタリーや映画で聞いたことのあるフレーズだった。"御国のために死ぬ"だなんて、敏郎が言うとは思っていなかった。この時代だから致し方無いとはいえ、敏郎の口からは聞きたくない言葉だった。そんなの最初から死ぬつもりじゃないか。 「啓太、そんな顔しないでくれ。」 「……………」 「啓太は俺に死んでほしくないって思ってるのか?だとしたら嬉しいぞ。」 敏郎は優しく微笑みながら言う。その姿はとても儚く、一瞬でも目を離したら消えてしまいそうなほどだった。泣くつもりはないのに涙が溢れてくる。死に行く人間を目の前にするのがこんなに悲しいことだとは思っていなかった。覚悟していたはずなのに目の前にいると感情が上手くコントロールできなくなるのだ。 「泣くなよ啓太。子供みたいだな。」 「死んでほしくない…生きて帰ってきてほしい…」 そう言うと体が温かい感触に包まれた。敏郎に抱擁されたのだ。突然のことに驚いて固まる。しかし体を包んでいる両腕は優しく心地が良い。長らく抱擁されることは無かったが何だか懐かしい気分でとても落ち着く。昔母に抱き締めてもらったあの感覚に似ているのだ。
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