8.去り征く君を想ふ

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こんなに子供のように愚図っている自分に自分でも心底驚いているのだ。敏郎と過ごした日数はたった数週間ほどであまりに短いものだったかもしれない。しかし短い間に二人で色んなことをして色んなことを話してともに過ごしただけで自分は思っていたよりもずっと敏郎に情が湧いてしまったのだと痛感する。過ごした時間なんて関係ない。この青年を死んでほしくない、戦争に行ってほしくないと泣いて愚図るほどには大切に思っているのだ。 「啓太、俺は生きて帰りたいなんて言わない。それだけは変わらない。」 「…………………」 「でも、叶うなら未来でも俺のこと思い出してくれないか。」 「………敏郎」 「なんて言うのは我儘か?俺のこと忘れて欲しくないって思ってるんだが…」 「…敏郎、敏郎、」 「…なんだよ?」 敏郎はやはり意思は変わらないようだった。自分がいくら何を言おうと、己の意思を貫くつもりだ。 たまらなくなって、変わらず優しく抱擁されていた腕を強く抱いて敏郎の背中に腕を回した。苦しいほど抱き締めれば「おい、苦しいぞ」と笑いながら言われる。それにもお構いなしに力の限り抱き締める。この感覚を忘れないように、今まで過ごした日々を絶対に忘れないようにするのだ。彼がここに、確かにこの世に存在して確かにともに過ごしたことを忘れないようにするために。 敏郎は背中をぽんぽんと叩く。そこで決壊したように涙が溢れ出ていく。それからは声を上げて泣いた。思い切り、羞恥なんて捨てて年甲斐もなく泣いた。敏郎は驚いていたがすぐに小さい子供をあやすように頭を撫でていた。ようやく落ち着いてきたころ、敏郎は抱擁を解いた。十分したとはいえ何だか名残惜しい。 「啓太、この前あの丘で千日紅の押し花の話したよな。」 「…うん」 「俺その時は花なんて女みたいだとか言ったけど、折角お前が教えてくれたんだ。今度やってみようかと思う。」 「そうか…」 「だから、啓太も千日紅の押し花作ってくれ。それで、千日紅が咲く季節に俺のこと思い出してくれ。」 「千日紅が咲く季節じゃなくても思い出すよ…いつでも、思い出す。」 「そうか……ありがとな。」 敏郎の消えそうな微笑みを見て再び泣きそうになる。もう泣いては駄目だ。さっきあれほど泣いたのだからもう泣かない。せめて最後は笑って見送りたい。彼の最後の姿をこの目に焼き付けたいのだ。 そこで視界が霞んでいっていることに気づいた。慌てて目をこするが目に異変が起きているのではなく辺りが変化しているのだ。敏郎の姿が白んでいく。駄目だ。もう時間が無い。しかしこのまま別れるわけにはいかない。 「啓太!お前のこと忘れない。死んでも、絶対に忘れない。」 「俺も…敏郎のこと忘れない!未来でもお前のこと思い出すよ!」 視界がどんどん霞んでいく中で咄嗟に手を伸ばした。指先に敏郎の手が触れる。温かい手だ。ちゃんと血が通っていて生きている。彼がちゃんとここに居たということを忘れないためにこの感触を忘れるわけにはいかない。そう思いながら真っ白に溶けていく靄の中でうっすらと最後に見えたのは彼の柔らかな笑みだった。
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