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「大介さんは志木家に父が戦死したという旨を伝えにきたらしいです。」
その言葉を聞いて拍動が速くなるのを感じた。分かっていたこととは言え、はっきり告げられると衝撃を感じる。勇子さんの声のトーンは変わらないが冷房を付けているのになぜか額にじとりと汗が浮かんだ。
「父と大介さんが乗艦していた駆逐艦はその年の春に輸送任務中に米爆撃機の攻撃を受けて撃沈されたらしいです。父は艦が沈む直前まで生きていたらしんですが、沈んだ後はどうなったのか一時安否が分からなかったそうです。でも大介さんが療養中に戦死していたことが判明したらしいです。」
「…………………」
「母が言うには、伝えに来た時大介さんは母と家族に土下座して謝罪したようです。"友の最期の姿を見届けることができなくて申し訳ない"、"自分だけ生き残って申し訳ない"と言ったそうです。」
その言葉を聞いて押し黙る。祖父は志木のことについては"結局どうなったのか分からない"と答えていたが、きっと何かあるのではないかと考えていた。そしたら、まさかこんなことがあったなんて思わなかったのだ。祖父はこの時どんな気持ちだったのだろうか。自分は生き残って、友が死んで。想像を絶するような心境だったのだろう。
「母は父を失ってしばらくはふさぎこんでいたようです。それで大介さんがよく会いに来て色々とやってくれたようです。」
「…そうだったんですね。」
「その甲斐あってか、母も段々元気を取り戻していって父を亡くして2年後に再婚しました。その人は父の両親たち、私の祖父母なんですが新しく義理の息子さんを迎えてその人と母は結婚しました。血は繋がっていませんが、それが今の父です。」
「勇子さんはこの話をいつ冨美子さんから聞かせられたんですか?」
「私が18の時です。それまでは今の父と血が繋がっていないことは教えられたんですが本当の父のことは一切話がなくって知りませんでした。だから聞かされた時はたいそう驚きましたよ。」
「ということは勇子さんの今のお父さんもそのこと知っていたんですね。」
「そうですね。母も祖父母も隠したりはしませんでした。母もたまに父のことを話してくれたおかげで私も今の父も本当の父のことを色々と知ることが出来ました。」
勇子さんはちゃんと冨美子さんから話してもらったから敏郎のことも知っていたのか。今こうして話を聞けているのも勇子さんが敏郎のことを話してもらったおかげでもし話してもらうことがなければ、自分はずっと敏郎のことを知れないままだっただろう。
「それと、父のことあまり他の人に話さないでほしいって大介さんに言ったのは私なんです」
「そうなんですか…?」
「ええ。なんというか、余り父のことを他の人に詮索されたくないってその時は思っていたんです。でも、いざ時が経って私も大介さんも歳ったせいかだんだん、父のことを知っている人が一人もいなくなってしまったら寂しいなって思うようになったのです。今日こうして父の話をするのも、そうした気変わりがきっかけなんです」
勇子さんはそう言って優しくほほえんだ。祖父が敏郎の生死についてはぐらかしたのは勇子さんの口止めがあったからだなんて思いもしなかった。ということは、勇子さんの心境が変わっていなかったら今日自宅に呼んでくれることもなかったのだろうと考える。敏郎のことを知っている自分たちが死んでしまったら、敏郎を覚えている人間はこの先誰もいないということになってしまう。それはとても寂しいことだ。娘である勇子さんがそう思うのも当然だろう。だから、やはり自分は敏郎のことをこれからも忘れないようにしないといけないと強く思った。
「大介さんも本当によくしてくれました。母も私も大介さんに支えられたところが多いですし、30年前に私たちが遠くの街に移るとわかったらこの街に住むだなんて言うのですから本当に驚きましたよ。」
「…もしかしたら、ここに住むことを決めたのも志木さんのこと忘れないようにするためかもしれませんね。」
「そうですね。きっと…そうだと思います。」
祖父は敏郎のことを隠しながらも、敏郎の死を悔んだり家族のことにまで親身になって支えたり、果てには敏郎の故郷に住むことを決めるだなんて本当に敏郎を大切な友だと思っていたのだと思わされる。そう思うと自分としても嬉しいのだ。
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